食堂のドアから、そっと外を覗きみる。
 確かに、ものものしいアーマーを着こんだ騎士たちが大勢、昨日ドッジボールを繰り広げた村の広場に集まっていた。
 掲げられた旗を見て、へらりと口角が上がる。あれは確かに、王都を出てくる前に俺が燃やしてしまったものと同じ、王家の旗だ。
 広場の中央にどっしりと停まった装甲馬車のまわりは、特に警備の兵が多い。王様がきたとランドは言っていたけど、まさか本当に、王様本人があれに乗ってきているってこと?
「王都からの使者……にしては、ものものしいね」
「だから言ってるだろ、王様がきてんだよ」
「いくらなんでも、王様自らってありえる?」
「何をのんきに首かしげてんだ。狙いはお前さんとゴレムちゃんだって言ったろ。信じてないのか?」
「そういうわけじゃないけどさ。そもそも、ゴレムちゃんのことをもう王様が知ってるなんておかしくない? 俺自身にしたって心当たりなんて……ないことはないし、むしろある……けど」
 もごもごと口ごもる俺に、ランドとリタの顔がひきつる。
「勇者様といっしょのパーティーにいて、王都の宴でちょっとやらかして追い出された……とは聞いてたが、まさか本当は、もっとひどいことをしてきて追われてたのか?」
 ランド、気持ちはわかるけど、そんなに思いつめた顔をされると困っちゃうよ。もっとひどいことって、どれくらいひどいこと考えてる? 王城爆破未遂とか、考えてない? 確かに火はつけちゃったけどさ。
「大丈夫だよ、ノヴァ」
「……リタ!」
「今ならまだ間に合うから。自首、しよ?」
「えええ!?」
「冗談だよ?」
「冗談にならないって!」
 ぎゃあぎゃあとリタとやりあっている間にも、装甲馬車を起点に騎士たちがあちこちを行き来して、なんらかのやりとりが進んでいるようだった。
 とにかくこうなれば、出ていって話を聞いてみるしかなさそうだ。
 村の皆の不安そうな顔も見えるし、このままっていうわけにはいかないからね。
「ノヴァ、今すぐ逃げてください」
 カティがそっと裏口のドアから入ってくる。厳しい表情だ。
「……どういうこと?」
「村のことはなんとかしますから、さあ早く」
「いやいや、俺が王都を追放されてきたことが原因だと思うし、逃げるわけにはいかないよ。ちゃんと話をして、村の皆に迷惑がかからないようにするから」
「時間がないのに……仕方ありませんね。いいですか、先ほど一足先にお話を聞いてきたんです」
 カティが言うには、やはり一団は王都からのもので、王様自らやってきているのも本当らしい。そして、ランドの言うとおり、狙いは俺だった。
 それとあわせて、魔導ゴーレムなるものに心当たりがあれば、それについても隠さず話すようにとのことだった。
 また、一団には王直属の護衛軍のみならず、勇者パーティーも同行しているという。
「サイラスたちまで!?」
「なんだか皆さん、険しい表情で……確実に捕まえるために、場合によっては生死も問わないというようなことまで、お話されていました」
「そんなこと、サイラスたちが言うわけ……いや、そうか」
 王様が、あのときの件について、自らやってくるくらいに怒り心頭だとして、王直属の騎士団に俺の捕縛を任せた場合、生死不明のデッドオアアライブ待ったなしとなってしまう可能性は十二分にある。
 それなら、勇者パーティーが俺を捕まえる役を買って出ても、おかしくはない。そう、俺を死なせないために。なんだろう、この悲しい気持ち。
「ゴレムちゃんのことはどこで知ったんだろう?」
「わかりませんけど、魔導ゴーレムは必ず破壊しなければならないと、大変な剣幕でした」
「俺が逃げた場合、村は大丈夫なの?」
「大丈夫です。きちんと無関係を装って、しらを切りとおしますから」
 ふんす、と鼻息を荒くして、カティが胸を張る。
「まあとにかく尋常じゃないってことだな。お前さんが何をやって逃げてきたんだとしても、俺たちはお前さんの味方でいるつもりだ。なんとしても逃げきってくれ」
「ありがとう。俺が完全に悪いことした前提なのは心に響くけど、村に残ってた方が迷惑をかけそうなら、離れることにするよ」
「……せっかく、これからいっしょに村を盛り上げていけると思ったのに。こんなのってないよ」
「リタ……ごめん」
 残念そうにするリタに、俺は謝る以上のことを言えそうにない。
 王都でのあれこれがスキルの導きだからと言ってみても、結局は俺のせいだ。
 ここで過ごした大切な時間は、絶対に忘れない。
「ピイ!」
 ピイちゃんが、ぐいぐいと俺の両肩をつかんで引っ張り上げようとする。
「ピイさんも、ノヴァを逃がそうとしてくれているようですよ」
「ワタシもいっしょに逃げた方がよさそう? 面倒なら、ちょっとだけ破壊、いっとく?」
「ゴレムちゃん、何言ってるの。破壊は卒業したでしょ!」
「はーい」
 明らかにわくわくした顔で、虹色の虹彩をきらきらさせていたゴレムちゃんをたしなめて、裏口からこっそり外に出る。
 ゴレムちゃんは自力で、俺はピイちゃんに両肩をつかんでもらって、ふわりと空へと舞い上がる。まだ食堂の陰に隠れているから、広場からは見えていないはずだ。
「どたばたしてごめん、きっとまたいつか……!」
 戻ってこられるといいな。声にならなかった希望をぎゅっと拳で握りしめる。
「ピイちゃん、ある程度の高さまで飛び出したら、いったん広場の方に行ってもらえる?」
「お、いいねマスター! ひと煽りいっとく!?」
「そこ、惜しいけど違うからわくわくしない! 村の皆に迷惑をかけたくないんだ。メインの狙いが俺なら、俺はもう逃げてますよって教えてあげた方がいいかなって」
 俺の意を汲んでくれたらしいピイちゃんが、ぐるりと旋回する。
 王様が乗っているであろう装甲馬車の頭上でぐるぐると旋回してみせると、足元がにわかに騒がしくなる。
 ドラゴンだ。いや、人がいっしょだぞ。あれはノヴァ・キキリシムと、隣は例のゴーレムなんじゃないのか?
 矢だとか魔法を射かけられる覚悟もしていたけど、それらは飛んでこなかった。
 かわりに、装甲馬車の屋根に、見知った顔が堂々と立って、空を見上げている。
「サイラス、みんな……」
 ぐ、とサイラスが腰を落とすのが見えて、俺は「ピイちゃん、ゴレムちゃん、全速力で上!」と叫ぶ。感慨に浸る暇もありゃしない。
 俺たちが加速するのと、大ジャンプをキメたサイラスの指が、俺を掴みそこねて靴先をかすめるのとが、ほぼ同時だった。
「こわっ。どんだけの高さだと思ってんだよ!」
「ノヴァ、祭りに間に合わなくてすまなかった」
 台詞こそ、お誘いしたお祭りへのお詫びだけど、サイラスはいつになく真剣な顔だ。なんなら、背筋がぞくりとするほどの迫力すら放っている。本気だ。本気で俺を、捕まえにきている。
 そんなわけはないと思いながらも、場合によっては生死も問わないと話していたカティの言葉がよぎる。
「手紙出したのぎりぎりだったし、気にしないで。また来年もあるからさ」
 わざと明るい声を出して、自分を奮い立たせる。
「隣が魔導ゴーレムだな? できることなら手荒な真似はしたくないが……とにかく、そこを動かないでくれ」
「いや、違うんだって。ゴレムちゃんは……ああくそ」
 空中では分が悪いと踏んだのか、サイラスが急降下していく。
 こういうときこそ道を示してほしいのに、桶屋クエストは何の反応も示してくれない。昨日のお祭りまでに、かなり大規模なクエストを発動していたから、クールタイムに入ってしまったのか、それとも勇者の前では発動してくれないのか。
 どうにかして逃げ切りたいと切に願っているはずなのに、チリンという鈴の音は聞こえないままだ。とにかく、今は自力でなんとかするしかない。
「ピイちゃん、このまま森の奥の方へ逃げよう」
 なるべく早く、王様や騎士団に邪魔されずに、サイラスたちとだけ話ができる場所へ誘導しなくては。
 食堂で聞いたとおり、サイラスはゴレムちゃんのことを知っていた。となれば、おそらく目的は、破壊の魔導ゴーレムとしてのゴレムちゃんを止めることだろう。
 何も説明できないままぶつかればば、勇者パーティーとゴレムちゃんとの、全破壊待ったなしのバトルを誘発することになりかねない。
 あわせて、ピイちゃんのこともある。村から出てしまえば、ドラゴンの結界の守護下から離れてしまう。
 このタイミングでもし、それを検知したツァイスとソフィが戻ってきたら、わが子を追い回す無礼者として、勇者パーティー対伝説のドラゴンのカードもありえるかもしれない。
 俺のお気に入り同士が傷つけあうなんて、しかもその原因が俺にあるなんて、冗談じゃない。
「よし! この速さなら、いくらサイラスだって」
「ごめんね、ノヴァくん」
 急に現れた気配に振り向くと、勇者パーティー全員を魔法の力で浮遊させて、にっこりと微笑むクレアの姿があった。
「痛くないから我慢してね、かわいいドラゴンさん」
 詠唱もタメもいっさいなしで、クレアが複雑な魔法式を空中に展開させる。
 ぐんとピイちゃんの速度が落ち、俺たちは上空にいながら、あっという間に四人に囲まれてしまった。クレアの、行動阻害のデバフ魔法だ。
「いいなあ、この子かわいい。今度でいいから乗せてほしいかも」
「ディディ頼む。この子を傷つけないで」
「わかってるって、ノヴァっちがおとなしくしてくれてれば、何もしないよ」
 ディディが空を蹴とばし、息をのむ暇もなく、俺の超至近距離まで迫る。
「よい、しょっと」
 ディディは両手に構えたナイフで、ピイちゃんがつかんでいる部分だけ、器用に俺の服を切り取ってみせた。
「よいしょってちょっと……ぎゃああああ!」
 当然ながら、俺は落ちていく。ピイちゃんが焦った様子で身をよじるけど、身体がついてこられないらしい。
 なるほど。クレアの魔法は行動阻害どころか、空間ごと疎外する超高等魔法だったんだね。
 なんて言ってる場合じゃない。俺は空中を浮遊することはもちろん、この高さから落ちて自力でなんとかできる能力もない。
「マスター、これはさすがに助けた方がいい感じだよね?」
 あっという間に隣に並んだゴレムちゃんが、にっこりと微笑む。
「お、お願いします!」
「ピイちゃんはどうする? 助けちゃう?」
 俺と一緒に高速で降下しながら、ゴレムちゃんはがぜんやる気の顔で、虹色の虹彩をぎらつかせて上空を見つめた。拘束されているピイちゃんを、おそらくめちゃくちゃ手荒な方法で、取り戻してくるつもりらしい。
「待って! ひとまず逃げよう。ディディは、ピイちゃんに怪我をさせないと約束してくれた。信じられるはずだから、とりあえず」
「あ、やば」
 とりあえず、俺を拾い上げて逃げて。そう言おうとしたところで、ふいに日がかげる。
「……ノヴァから離れろ」
 日がかげったのではない。クレアの魔法で距離をつめたバスクが、俺たちに肉薄していたのだ。バスクは、俺とゴレムちゃんの間を切り裂くように、両手に掲げた大盾を振り下ろす。ゴレムちゃんはするりとそれを回避すると、バスク越しに俺をのぞき込んで、にっこりと微笑んだ。
「念のため確認。この人も、マスターのお友達なんだよね?」
「そうだよ。大事な友達なんだ。だから、傷つけあうのはなしで!」
「おけ! いいなあ。ワタシも、命がけで割り込んでくれるお友達がほしくなっちゃう」
 バスクが、ゴレムちゃんを振り払うように大盾を振るう。
 正確無比な連撃を、ゴレムちゃんはにっこりとした微笑みを張り付けたまま、ひらひらと回避し続ける。
「……やるな」
「あんたもね、意外と速い! やるじゃん!」
 ふふん、と二人が笑みをかわす。
 まさしく強者同士の探り合いという感じだ。
「ところで、助けて!」
 ハイレベルなやりとりの最中も、俺だけは地面との距離を急速に詰め続けている。
 ラルオ村にやってきたあの日より、さらに熱烈なキスを地面さんとかわすことになったら、頭の中が真っ白になってしまいそう。真っ白っていうか、頭ごとなくなっちゃうっていうか。つまり、助けて。
「あらら、マスターやばそうだね! 仕方ない、ここはワタシが……あれ?」
 ゴレムちゃんの動きが、いきなりぎこちなくなる。
「ノヴァくんったら、また変な虫つけちゃって。優しすぎるのも困りものだよね。あなたもそう思わない?」
 ピイちゃんをディディに任せて、サイラスとクレアがゴレムちゃんを取り囲んだ。
 ゴレムちゃんの動きが鈍くなったのは、クレアが抜け目なく、行動阻害のデバフをかけたからだろう。
「ワタシが変な虫なら、あんたはしつこい虫って感じ? やば!」
 きりきりと、魔力衝突特有の耳障りな高音を響かせて、ゴレムちゃんの全身から虹色の魔力があふれる。
 信じられないけど、クレアの拘束を、力技で引きちぎってみせたらしい。
 クレアが、一瞬苦しそうな表情を見せて後ろに下がり、かわりにサイラスが剣を抜く。
「二人とも待って! ゴレムちゃんを傷つけないでくれ! お願いだから!」
 地面までの距離は、もうほとんどない。
 構うもんか。俺はなりふり構わず叫んだ。
 ゴレムちゃんはもう、破壊の魔導ゴーレムじゃないんだ。ちょっと、まあまあ個性的ではあるけど、新しい感性を手に入れた、村祭りをいっしょに楽しめる明るい子だ。
「……じっとしていろ」
 ぎりぎりのところで追いついたバスクが、俺を片手でひょいと拾い上げると、もう片方の手に掲げた大盾を激突寸前の地面に向けた。
「……衝撃無効化」

 ――ドゴアッ!

 衝撃の無効化なる決め台詞を完全に無視した、インパクトに満ちあふれた轟音を響かせて、バスクが超重量級の着地をキメる。あたり一面の木々をなぎ倒して、なんなら小さなクレーターができてるんだけど、どのあたりの衝撃が無効化されたの?
「……怪我はないな」
 ああそうか。バスクと、バスクが抱えた俺に対しての衝撃ってこと? 地面は別腹ってことだね?
 変わってしまった景色の中で、がたがたと震える俺をそっと地面に下ろすと、バスクは鎧についた埃をぱっと払い、そのまま仁王立ちの姿勢をとった。
 俺が、生まれたての小鹿もかくやという残念っぷりでどうにか立ち上がった頃、他の皆もゆっくりと降りてくる。
 正面に立ったサイラスの顔は、逆光になってよく見えないけど、左右のクレアとディディの顔は、久しぶりの再会を楽しんでいるという風ではない。
 少し遅れて、俺の両隣にピイちゃんとゴレムちゃんがそれぞれ着地する。
 ピイちゃんは当然ながら怒っているし、ゴレムちゃんも、表情こそ微笑みを崩していないものの、虹色の虹彩は今にも噛みつかんばかりにぎらついている。
 ここからお互いの誤解を解くのは、かなりのエネルギーが要りそうだ。
 それに、どうにかピイちゃんとゴレムちゃんの誤解が解けたとしても、俺が王様にやったことは、誤解ではなく言い訳しようのない事実だ。
 きっと俺だけは王様に突き出されて、申し開きもそこそこに幽閉とかされて、サイラスたちのおかげで処刑だけは免れるものの、俗世とはほど遠い一生を過ごすのだ。こんなことなら、もっと美味しいごはんをたくさん食べておけばよかった。
「俺を連れて逃げてくれたこの子、ピイちゃんは関係ないんだ。それに、ゴレムちゃんも悪い子じゃない。頼むから、どっちにも危害を加えないって約束してほしい」
 それでも、どうにか声を絞り出す。
「いっしょに来てもらうぞ、ノヴァ」
 俺の言葉には反応せず、サイラスが無機質な声を出す。威圧的な印象は受けないけど、ここから絶対に逃がしはしない、そんな意志をひしひしと感じる力強い口調だ。
 俺はがっくりとうなだれて、小さくうなずくしかなかった。