俺はコートの上にたった一人で、ランド率いる村長チームの三人と対峙していた。
 予想どおりに勝ち上がった俺のチームと村長チームとの試合は、山場を迎えている。
 コート上に残ったメンバーの名を叫ぶ声援が四方から投げ込まれ、舞のときに演奏してくれた面々が、より闘争心をあおるような、アタック音強めの打楽器を中心とした編成に変えて、試合を盛り上げてくれている。
 試合には不参加を表明していたリタが、初代村長像の下、つまりはコートを分ける真ん中のライン上に立って、すっかり審判のような役割になっていた。
 視線を落として、手元のボールの感触を確かめる。
 ぼんやりと光るボールは、決勝を迎えた今、広場の盛り上がりにあわせるように、その色を変えていた。
 見つけたときは薄紫と青を混ぜたような光だったのに、今ではもっと複雑な、何種類もの色がゆったりと明滅しながら入れ替わっていくような、幻想的な光を放っている。
 なんとなくだけど、触れた者の魔力に少しずつ影響を受けている気がする。
 最初は俺の、その次はその場にいたピイちゃんの、そしてこの場では、シャイニングドラゴンカップに参加した皆の魔力だ。
 幸い、嫌な感じはしないから、これがどういうものなのかは、考えるのはあとでいいのかな。
「おいノヴァ、何をぼんやりしてんだ。ほれほれ、早く投げてくれ」
「申し訳ありませんが、ノヴァをアウトにすれば優勝は私たちのものですからね!」
 ランドの隣に並んだカティが、腰に手を当ててびしっとこちらを指さす。
 カティまで、ランドと同じかそれ以上のテンションになっているのは、なんとも予想外だった。
 アクティブな子ではあるけど、もう少しこう、冷静で落ち着いたイメージがあったんだけどな。意外な一面にうれしくなる。
「まだ、諦めたわけじゃないからね」
 全神経を集中して踊り切ったあとでもあるので、どうにも身体が重たいのは事実だ。
 体力も気力も限界に近いうえ、相手は村でも一、二の身体能力を誇る二人だ。
 とはいえこっちには、転移前の世界で培った経験値がある。
 パワーで勝てないのなら、テクニックで勝負だ。
 俺はゆっくりと振りかぶって、ランドでもカティでもない、もう一人の村人さんに狙いを定めた。
「てい!」
 ボールは狙いどおり、村人さんのすねあたりに当たって、俺のチームの外野へとバウンドする。
 キャッチした味方に手をあげてボールを要求する。これで、一対二になった。
「捕りにくい足に当てて、外野に転がすかよ。正面からどんと投げてこい! 俺が受けてやる!」
「嫌だよ。そんなやり方したら、絶対勝てないでしょ」
 何度かボールを地面について、リズムを整える。
 勝負しろとぎゃあぎゃあ叫ぶランドをあえて無視して、俺はカティに向き直る。
「ごめんね、アウトにさせてもらうよ」
「ふふ、そう簡単にいくとは思わないでくださいね」
 カティが腰を落とし、かかとを浮かせて、ボールのキャッチも回避も、どちらも対応できる姿勢を取る。
 こんな本格的っぽい感じで身構えられると、どうにもやりにくい。
 俺がやってきたのは遊びのドッジボールで、本格的なスポーツとしてのそれは、それこそ小さなころにネットかテレビで見たことがあるくらいだ。
 なんとかここでカティをアウトにして、一対一に持ち込めれば、勝機は見えてくる。
「いくよ! 正々堂々、勝負だ!」
 ゆっくりと振りかぶって、大きく腕を振って、ボールを投げる。
 身構えたカティにはかすりもせず、ボールは明後日の方向に飛んでいく。
「緊張しちゃいましたか? それじゃ当たりませんよ……きゃあ!?」
「カティ、アウト!」
 リタが手を挙げて、高らかに宣言する。
「ど、どうしてですか!」
「ううん、なんとなくずるい気もしちゃうけど、ノヴァから聞いたルールでは、外野の人が当ててもいいことになってるから」
 苦笑いするリタとは対照的に、俺はしてやったりのしたり顔で、ふふんと胸を張った。
「正々堂々といったのに、卑怯です!」
「もちろん正々堂々だよ。正々堂々、ルールにのっとって勝負したってことだね」
「……正々堂々とノヴァが口に出したら、外野を使うっていうことに決めてたんだ。ごめんよ」
 外野から申し訳なさそうに戻ってきた味方の村人さんが、あっさりと種明かしをしてしまう。
「ちょっと! 内緒の作戦だって言ったのに!」
「ノヴァ、かっこわるいぞ!」
「がんばれ村長チーム!」
 俺の悲痛な叫びが、観客の野次にかき消される。
 外野がアウトを取った場合は、コートに戻れるルールを採用しているので、形成は逆転して二対一だ。
 ただし、圧倒的な有利とは言いにくい。
 こぼれたボールはランドが拾ってしまったので、次はランドがこちらを狙う番だ。
 しかも、観客は完全に村長チームの応援に回っていて、俺たちはすっかり悪役になってしまった。
「ええい。しずまれ、しずまれーい! ルールどおりに頭を使って戦って、何が悪い!」
「ちょっとノヴァ、性格変わってない? 大丈夫?」
「うん、大丈夫。一回だけやってみたかったんだよね」
 リタに突っ込まれて、頭をかいた。
 あんまり悪役ってやってみたことがないから、ちょっとだけ興味はあったんだ。
「ずいぶん余裕じゃないか。そろそろいいか?」
 ランドがコート中央のラインぎりぎりまで出てきて、にやりと笑った。
 至近距離から、腕力に任せた強力なボールを投げ込んでくるのが、ランドのやり方だった。
 相手が受けることを期待するようなド直球の球で、まさしく小細工はなしの、正々堂々の真っ向勝負だ。
 直球ならなんとかなる、というわけではない。当然のことながら、このドッジボール大会では、魔法の使用は禁止にしている。にもかかわらず、剛腕から繰り出されるとんでもないボールはとんでもない威力で、受けるにも避けるにも、かなりの勇気と瞬発力がいる。
 実際、味方のほとんどが、ランドの一投でアウトにされてきているのだ。
「いくぜ……おらあっ!」
 どうやったら、そのやわらかいボールでそんな音がするの? 本当は魔法とか使ってたりする?
 そう疑いたくなるほどの、ごうと風を切る音を響かせて、目にも止まらぬ速さのボールが飛んでくる。
 それは、申し訳なさそうに外野から戻ってきたばかりの村人さんのみぞおちに、虹色の光を放ちながらクリーンヒットした。
 瞬間、俺は地面を蹴っていた。
 長身のランドが叩きつけるように投げたボールだ。
 村人さんのおなかに跳ね返ったボールは勢いそのままに地面から跳ね返ると、そのままランド側のコートへ戻っていこうとする。
「させる……かあっ!」
 俺が一足先に地面を蹴ったのは、このボールがランドの手元に戻る前に、確保するためだ。
 ここでボールを手に入れることは、勝つための絶対条件だ。
「とった!」
「さすがに続けてもう一発とは、やらせてくれねえか。いいぜ、最後の勝負だ。まさかここで、外野にパスして横から狙うなんて真似はしないんだろ?」
 ランドが両手を広げて、あえて大きな声で言う。
 そうだそうだと、観客から大喜びの野次が飛んでくる。
 足元を狙う手も、外野を使う手も、この試合で見せてしまった。
 同じ手が通用しないとは言わないけど、警戒はされていて当然だ。
 ランドがあえて大声で煽ったのは、外野にパスする選択肢を消すためで間違いない。
 不敵に笑うランドに対して、俺もへらりと口元をゆがませる。
「もちろんだよ」
 ぎゅっと両手でボールを抱えて、呼吸を整える。
 外野へのパスはないと踏んだのか、後ろのライン際まで下がったランドが、腰を落として身構えた。
 もちろんだ。外野へパスして終わらせるなんて、残念なことはしない。
 決勝に進んだ時点で発現した、おそらく今回のツリーで最後の桶屋クエストがあるからだ。
 それはこの決勝で、自分の投げたボールで、相手のリーダーをアウトにするというものだった。
 この流れは、桶屋クエストが望んだとおりであり、この村の文明レベルを飛躍的に向上させるためのステップでもあるらしい。
 村のために頑張っているつもりなのに、最後に立ちはだかるのが村長のランドというのもおかしな話なんだけどね。
「この局面で笑うかよ。ノヴァ、お前さんはやっぱりとんでもないやつだな」
「そんなことないよ。ここまで盛り上がるなら、やってよかったなって思ってるだけ」
 何歩か、中央のラインから後ろにさがる。
「いくよ!」
 ゆっくりと振りかぶって、一歩、二歩と勢いをつけた。
 俺の右手から離れたボールが、吸い込まれるようにランドへ向かっていく。
「ふはははは、捕れる!」
 照準はランドの真正面、おあつらえ向きに胸の前だ。
 両手をしっかりと広げて、ランドが高笑いしながらキャッチの体勢を整える。
 なんというラスボス感か。一瞬、自分たちが何をやっているのかわからなくなるじゃないか。そうだよ、村の祭りのドッジボール大会だよ。頼んだよ!
 景色がスローモーションのようになった。
 ゆっくりと、ボールがランドの両手に収まっていく。
「なんだと!?」
 キャッチした。
 誰もがそう思った瞬間、ボールはランドの手から弾かれて、緩やかな弧を描いて空へ舞った。
「おかしい、確実に捕れたはずだ」
「ボールに弾力があるから、回転をかけたんだよ」
「なるほどな。色々と考えるもんだ」
 ゆるゆると、まだ宙を泳いでいるボールを見送って、ランドが感心したように言う。
「追いかければ、まだ捕れると思うよ。ノーバウンドで捕れればアウトにはならない」
 そうすれば、多分ランドの勝ちになる。
 この一投で最後の集中力を使ってしまったから、次は多分、受けられも避けられもできそうにない。暗にそれを示唆して、俺もボールに視線をやった。
 淡い虹色に輝くボールが、無数のライトに照らされて空を泳ぐ様は、ただひたすらに綺麗だと思った。
「いやあ、捕れなかった時点で俺の負けだ」
「いいの?」
 ランドにはランドの、矜持のようなものがあるのだろう。返事のかわりに、ランドはにやりと笑った。
 大会の終わりを見届ける気持ちで、二人でボールが落ちるのを見守った。
 ボールは、ゆっくりと初代村長像に近づいていき、ちょうど像の頭のところに、こつんと当たった。
「おめでとう、お前さんの勝ちだな」
「……ありがとう!」
 りいん。
 桶屋クエストが鳴らすものとは別の、鈴の鳴るような音がした。
 そして、まばゆい光がほとばしる。
 誰かの照明魔法では、到底ありえないような光の洪水に、叫ぶ間もなく目を閉じた。
 何が起きた?
 誰のものとも知れない、いくつもの悲鳴が聞こえる。
 叫びたくなるのをこらえて、両腕で目を覆った。
 少しずつ、光が収まっていく。
 ゆっくりと目を開けて、あたりの様子をうかがう。
 コートのまわりに集まっていた皆は、突然の強い光に動けず、その場にうずくまっていた。
 見たところ、怪我をしている人はいないようだ。
 建物も無事、かがり火が倒れているようなこともない。
 ただし、この場にさっきまでなかったものが、ひとつだけある。
 魔力だ。
 これまで感じられなかった、濃密な魔力の気配が漂っていた。
 どこからそれが発せられているのかを、必死に探す。
 真っ先に目をやったのはピイちゃんだ。魔力の気配というか、質というか、ツァイスとソフィのシャイニングドラゴンのつがいに似ている気がしたからだ。
 だけど残念ながら、魔力の元はピイちゃんではなかった。
「ノヴァ! 後ろ!」
 リタの声にはっとして振り向き、その場を飛びのく。
 俺の背後に浮かんでいたのは、初代村長の像だった。
 いや、像だったもの、というのが正しいかもしれない。
 魔力の元は、初代村長の像に間違いなかった。
 ふわりと浮かんだ初代村長像は、虹色の淡い輝きを全身から放ち、両手を広げて微笑んでいた。
 美しいけど、得体が知れない。
 得体は知れないけど、何が起こったのかはおおよそ理解できてしまった。
 あの輝きは、間違いない。例のボールが、初代村長の像と融合したのだ。
 誰もが言葉を発せずに見つめる中、にっこりと微笑んだ表情のまま、初代村長像が口を開いた。
「どうぞご命令を。何を、破壊いたしましょうか? 気に入らない相手でも、この世の理でも、お望みのすべてを破壊いたします」