王都から出入り禁止にされても、国内にいられないわけじゃない。あくまでも、出入りしていけないのは王都だけだ。
 街道を歩いていても、買い物をしても、乗り合い馬車に乗っても、何を咎められることもない。もちろん、凶悪犯罪とかをやらかせば、国内どころか全世界で指名手配なんてこともありえるけどね。
 俺の場合は、これまでの勇者パーティーでの功績のおかげで、無礼度合いから比べれば、随分と寛大な措置をいただいたと思う。しかも懐には、勇者パーティー時代に稼いだ結構な資金があって、つまり俺の旅立ちは、ちょっと追放されたくらいなら順風満帆にいくはずだったんだ。
「はあ、お腹すいた」
 そう、王都でとっていた宿に戻れてさえいれば、自分の鞄に入った結構な額の資金を持ってこられるはずだった。はずだったのに。
「あんの騎士団、目の色変えて追っかけてきてさ。なんだってんだろね」
 なんだってんだろね、どころじゃないことは自分でもわかっている。だからこれは愚痴というか、空腹を紛らわすための自己演出というか、そういうことだ。
 せっかく、仲間のおかげで五体満足で王都を出られるところを、とどめの一撃よろしく国旗に骨付き肉を投げつけてしまったものだから、王様どころか、国ごと侮辱したと取られても仕方ない。
 上質な生地の旗がめらめらとはためいて、ぶすぶすと大量の煙を広間に充満させる中、俺は大急ぎで逃げ出した。それはもう全速力だった。いつだったか、冒険の序盤でいきなり出会った、明らかに自分より強い魔物から逃げ出したときを思い出すような勢いで、入り組んだ王城を逃げに逃げた。
 それなのに、城門を出たあたりであっさりと、追っ手がかかってしまったんだ。全速力で走ってはみたものの、どうやら城を抜け出すまでに時間をかけすぎてしまったらしい。
 地の利は向こうにありというか、こんなことなら、お貴族様との会食とか、成果報告を兼ねた堅苦しい式典とか、みんなに任せっきりにしてきたあれこれに、もう少し顔を出しておけばよかった。
 ともかく、追っ手というか追い出し手というか、つまりは俺を一秒でも早く王都から叩き出すためのチームが、数人の忠実な騎士様によって編成されたらしかった。
 結果として俺は、目を血走らせた騎士様たちに散々に追い立てられて、ほとんど着の身着のままで放り出されてしまった。王城の入口で預けてあった、ちょっとした薬類だとかの荷物と剣を取り返せたのは、不幸中の幸いってところかな。ついでに、王城で礼服に着替えさせられていたおかげで、一応は着替えもあったしね。
 荷物なし、お金なし、武器もなしでは、いくらか平和になったとはいえ、魔物や魔獣のうろつく中を旅するのは辛すぎる。
 そうして王都から飛び出した俺は、自生している果物や木の実を食べたり、危険度の低い狩りをやったりして、どうにかここまで食いつないでやってくる羽目になってしまった。
 立ち寄った町や村で悠々自適にグルメを楽しむような優雅な旅は、夢のまた夢になってしまったというわけ。目指すのが山暮らしやスローライフでも、旅行中は贅沢したかったのにな。
「で、目的地はこの奥ってことか。思ってたより、いい感じに深いね……!」
 街道を抜けて、林の間の細い道をくぐりぬけた先、俺の目の前には、スキルが示してくれた目的地である小さな村があるはずの、うっそうとした森が広がっていた。
 俺が思い描いていた新生活は、ほどよい田舎暮らしというか、ある程度のライフラインは整っているけど自然が豊かなイメージだったんだよね。
 未開のジャングルで森の王を目指したいわけでもなければ、森に棲む魔物や魔獣としのぎを削るサバイバル生活をしたいわけでもない。
 それなのに、俺のとりあえずの目的地は、どうやらこの深い深い真っ暗な森の奥深くらしい。耳をそばだてなくても、明らかに平和的ではなさそうな雄たけびやら唸り声やらが、風に乗って運ばれてくる。
 いくら空気がきれいで自然が豊かでも、とても大きく深呼吸したい気持ちにはなれない雰囲気だ。かろうじて、獣道なのか村の皆さんが行き来するためなのか、道らしきものが辿れそうなのはまだ救いかもしれない。
「本当に大丈夫なのかな。こっちはいつの間にか完了してるし。はあ……ちょっと自信なくしそう」
 手元に浮かべたスキルウインドウをぼんやりと眺める。
 勲章の投げ捨て、王様へのはちみつ酒、そして国旗への火炎肉の投擲。すべて、俺のスキル『風が吹けば桶屋が儲かる』の達成クエストとして指示されたものだ。
 クエストがつらつらと並ぶ左端には、『隣の男に飯をおごれば、世界が平和になる』とある。
 思い起こせば三年とちょっと前。食堂の隣の席でうなだれていた男……サイラスに、なけなしの銀貨でご飯をごちそうして、意気投合していっしょに冒険をすることになったのが、すべての始まりだった。
 召喚されたそばから役立たずスキルだと言われて、わすがな路銀を掴まされてあっさり城から追い出された俺と、中流貴族の放蕩息子として実家を追い出されたサイラス。なぜだか他人の気がしなくて、山盛りのお肉をいっしょに口いっぱいにほおばったっけ。
 最初はやさぐれた貴族の次男坊でしかなかったサイラスは、見事に数々の難関を乗り越えて、立派な勇者になった。人間に、そして世界に害をなすとされてきた魔物もいくつか倒して、きっと世界もいくらか平和になったんだと思う。
「サイラスを勇者にしたところで、スキルの期限切れだったりしてね」
 数年がかりで温めてきた壮大なクエストの仕上げが、国旗を燃やして追放よろしく一人で逃げ出すのでは、あまりにもガス欠感がひどい。
「まあ、なるようになりますか」
 今回やってきた辺境の森林地帯も、別のツリーにぶら下がったクエストに従っている。俺にはこれしかないのだし、なんだかんだで上手くやってきた自負もある。
 スキル自体が消えたわけでもなし、進んでいけばじきに調子も戻ってくるよね。
「はあ、お腹すいた。とりあえずでいいからなんか食べたい」
 もくもくと足を動かして、気を紛らしがてら、何度目かの空腹を森の茂みに訴えかけたそのときだった。
 チリンと鈴の鳴る音がした。
「お、どれどれ?」
 立ち止まって、いそいそとスキルウインドウを開きなおす。
『小枝を手折れば、とりあえずなんか食べれる』
 想像どおり、そこには新たなツリーが出来上がっていた。
「桶屋クエストなしでツリーだけだ! やった、なんか食べれる! はず!」
 サイラスとの出会いから始まった壮大なツリーのように、達成までにいくつものクエストをこなす必要があるものもあれば、今回のように、きっかけになる何かをすればすぐに叶うこともあるのが、俺のスキルの気まぐれなところだ。
 きょろきょろと辺りを見回しながら歩いてみると、ひょいとはみ出した小枝が、こちらをどうぞと言わんばかりに右手にこつんと当たった。絶妙なポジショニングといい、いっそ不自然ですらある、俺の手元に向かったはみ出し方といい、おそらくこれに間違いない。
「それじゃあ、やってみますか」
 スキルが指し示すとおりに、俺はその小枝を片手で掴み、ぱきりと手折った。
「わ、こんなところから?」
 すると、ちょうど近くに隠れていたらしい小動物が、驚いて飛び出した。小動物は、俺が小枝を折ったのとは別の木に頭から突っ込むと、くるくると目を回しながら逃げていく。
「おっと、今度は鳥か」
 小動物が突進した木で休んでいたらしい小鳥が、慌てて飛び立つ。
「あぶなっ!」 
 そこへ、一回り大きな猛禽類が急降下して襲いかかった。
 小鳥はひらりとそれをかわすと、俺が小枝を折った方の木に逃げ込んだ。猛禽の大きな体では、枝を縫うようにしてちょこまかと逃げる小鳥を捉えきれない。
 猛禽はすぐに諦めたようで、ばさりと大きく羽ばたいて飛び去る。
「なるほど。で、こうなると」
 森が静かになると、俺の手の中には、小枝を折った木から落ちてきたらしい果物がひとつ、すっぽりとおさまっていた。
 猛禽の羽ばたきで木から落ちてきたらしい果物は、美味しそうに赤く色づいている。
 しげしげと眺めてみれば、何度か食べたこともある、ほとんどりんごに近い果物だった。
 改めて見上げると、だいぶ頑張って木登りしないと届かないような場所に、いくつかの果実が見え隠れしている。色づき方もまばらで、ちょうどよいものがひとつだけ手の中におさまってくれたのは、さすがという感じだ。
「いただきます!」
 目立つ汚れや虫がついていないことを確認して、念のため服のすそでごしごしと皮をこすってから、俺は真っ赤な果物にかぶりつく。
 甘酸っぱい果汁が、しゃくしゃくとちょうどよい固さの果肉といっしょに口の中ではじける。酸味もしっかり感じられて、疲れた身体に心地よい刺激だ。夢中でほおばって、種とへたは土に返させてもらう。
「美味しかった、ごちそうさま! でも本当に、とりあえずなんか、だったね。基本に戻ったみたいでちょっと嬉しいかも」
 自信なくしそう、などと考えたものだから、そんなことはないよとスキルが返事をしてきたような気分だ。
 まだまだ自分のスキルが仕事をしてくれる感触を得て、それならもっとお腹いっぱい食べたいなと考える。ついでに、お金も稼がなきゃいけないし、この森にやってくるきっかけになった、のんびりした理想の暮らしに向けたツリーも育てていきたい。とりあえず予定どおり、村を探してみようかな。
 チリンと、また頭の中で鈴が鳴る。
『川に入れば、お腹がふくれて居場所が見つかる』
 俺は思わず吹き出した。スキルに出てくるツリー表示は、どうやら俺自身の語彙を頼りにしているらしいから、こうなることも多いんだけど、お腹がふくれて、との一言が盛り込まれているあたり、随分と直接的だ。
 川か……溺れてお腹がぱんぱん、居場所は川の底をご用意しました、なんてオチはないって信じてるからね!
 ちょうど右手から聞こえてきた水のせせらぎを頼りに、俺はゆっくりと歩き出した。