「その無礼者を捕らえよ、わし自ら引導を渡しててくれよう」
 俺をまっすぐに指さし、うっすらとした笑みすら浮かべてゆらゆらと近づいてくるのは、この国の王様だ。
 完全に目が据わっていらっしゃる。
 怒鳴りつけるでも、顔を真っ赤にするでもない。淡々とした口調だからこそ、逆に怖い。
 無駄に察しのいい王直属の騎士団長がひざまずき、「これをどうぞ」なんていう従順かつ忠誠心あふれる台詞とともに、見事な装飾が施された剣を手渡している。王様は、磨き抜かれた諸刃の凶器をしっかりと両手で握りしめて感触を確かめると、さらに口角をつりあげた。
 完全に何かを決意した目つきだ。何かなんて濁してみても仕方ない。つまり、この場合の決意は、俺をこの場で処刑することだ。
「ち、違うんです! ごめんなさい!」
 もちろん、ここで取れる選択肢は、ごめんなさい一択しかない。
 俺は王城に忍び込んだ賊でもなんでもない。きらびやかな大広間で催されているこの宴の、言ってみれば主役の一人のはずなのだ。主役の中でも、はしっこの、ちょい役ではあるのだけど。
「陛下、どうかお鎮まりください。ノヴァにもきっと考えあってのこと……どうか!」
 もはや笑うしかなく、へらりと口元をゆがませて後ずさる俺と、目を血走らせる王様の間に、一人の男が割って入ってくれる。清潔感のある短髪に切りそろえられたプラチナブロンドの髪をさらりとなびかせ、エメラルドグリーンの瞳には力強さと優しさが同居する。今日も完璧なイケメンぶりだ。
 彼こそ、この国唯一の勇者にして、俺がここまでずっといっしょに冒険をしてきた一番の仲間、サイラスだ。
「考えとな」
 ふむ、と王様が鋭い切っ先を俺にすうと向け、「その者にか?」と鼻で笑う。
「恐れながら、このノヴァは、考えなしのように見えるかもしれませんが、その突飛な発想と行動力でパーティーのピンチを幾度も救ってくれました。胸を張って言える、僕たちの仲間なんです!」
 サイラス率いる俺たちのパーティーは、数々の冒険をこなしてきた。
 魔の樹海の主やダークドラゴンの討伐、未知の魔法金属の発見、荒ぶる神獣との和解……その功績は多岐にわたる。
 これまでの活躍が認められ、国として正式に『勇者』の称号がサイラスに与えられることになった。
 称号と勲章の授与が謁見の間でおごそかに行われた後、俺たちはこの大広間に案内され、祝賀パーティーの主役として振る舞っていた。サイラスだけではなく、パーティーメンバー全員に誉れある勲章が授与され、英雄としての待遇が約束されたばかりだ。
 馬車の操縦、荷物の整理に回復薬の調合、食事の準備……甲斐甲斐しく雑用をこなしてきた俺も、一応はその中に含まれている。いつの間にやら勲章持ちの勇者様の仲間入りかと、ついさっきまではぼんやりと考えていたのに。
「わしの頭から、酒樽を逆さにかぶせるような輩が、か? 今日のために特別に仕立てたマントも服も、はちみつ酒でべとべとになっておる」
「きっと、嬉しさのあまり悪酔いをして……よく言い聞かせておきますので」
「しかも栄誉ある、世界でそなたらしか持つ者のおらぬ勲章を、そこから投げ捨てて、か?」
 王様が顎で示した先には、見事な装飾の施された両開きの大窓から、雄大な景色と、城の北門へと続く庭園が広がっている。
 王様が言う、そこから投げ捨てて、とは他でもない。
 今も開けっ放しになっている両開きの大窓から、いただいたばかりの栄誉ある勲章を、振りかぶって思いっきり投げ捨てた。確かにそれは、俺がやってのけた所業のひとつだ。
「それはその……なあノヴァ、黙ってないで説明してくれ。今回のことも、きっと何かに必要なことなんだろ?」
 さすがのサイラスも、きらきらの笑顔に影を落として、俺に説明を求めてくる。
 言い逃れようのない無礼千万な行いの数々は、ちょっと緊張して悪酔いしちゃいました、で済まされそうにないのは、誰の目にも明らかだった。
「それは……」
「それは?」
 全員の視線が俺に集まる。
 ああ、これがきっと最後の申し開きになるんだろうな。
「こういう理由ですって、はっきりとは言えないんですけど、世界と皆の平和のためになるはずというか、ひいては陛下のためでもあるはずというか」
 間違いなく、ここでの回答が俺自身の命運を分ける。
 それがわかっているのに、俺の口からは無情にも、考えなしなあほの子の回答がまろびでてくる。時間よとまれ。いや、巻きもどれ。お願いだから。
 当然、王様は勝ち誇った顔で両手に力を込めなおしているし、サイラスはがっくりと肩を落とした。
「……わかりました」
「わかってくれたか、勇者殿。それではそこをどいてもらおう」
「どうしてもノヴァを斬るとおっしゃるのであれば、いただいた『勇者』の称号と勲章、そろってお返しいたします」 
 うやうやしくひざまずいて、サイラスが頭を下げる。
 ほうけてそれを眺めてしまった俺の前に、パーティーの仲間たち三人もするりとやってきて、サイラスにならって膝をついた。あわてて、俺もひざまずく。
「サイラス、みんな……そこまでしてくれなくても」
「そのとおりだ。本人が驚いているくらいではないか。なぜそうまでしてこの男をかばう……大変な労力をかけて異世界から召喚したというのに、何ができるでもなく、へらへら笑って勇者殿について回ってきただけの、ただの雑用係であろうに」
 そう、俺はこの世界に召喚された転移者だ。
 正確にいえば地球の、日本の、召喚された時点での年齢的には十五歳だった。色々あって、ここまでくるのに三年ちょっとかかっているので、今は十八歳になっている。
 ノヴァなんていう名前を名乗っているのも、召喚されてすぐの自己紹介で、西欧風の整った顔立ちの皆さんに囲まれたことで頭が真っ白になって、霧島伸秋(きりしまのぶあき)と名乗りたいところを、「のヴあ、き、きりしま」とかみかみで答えたことが始まりだ。
 何度か聞き返されて、すっかり理性の引き出しが空っぽかつ開けっ放しになった俺の、この世界での名前はノヴァ・キキリシム。キリシマのマすら上手く言えなくて、キキリシム姓になっているあたり、とっても素敵で涙が出てくる。
「本人が考えている以上に、彼のスキルは優秀です」
「『風が吹けば、オケヤが儲かる』だったか? 大した役に立たぬ運試しスキルと聞いておる」
「そんなことはありません。そうでなければ、戦う力を人並み程度にしか持たない彼が、今日まで生きていられるわけがありません。本当によく死なずにここまでこられたものだと、よくノヴァのいないところで話しているくらいで。彼は奇跡の塊なんですよ!」
 そうか、サイラス。きらきらの瞳で真剣な口調。本気で庇ってくれているのはよくわかる。でもだいぶ辛辣だよ。俺のいないところで、俺がどうして生きているのか不思議だねとみんなで話していたなんて。
 がっくりとうなだれた俺を見て、王様は反省の意思ありと判断してくれたらしい。大きなため息をつくと、「もうよい」と小さくつぶやいた。
「興が冷めた。わしは湯につかってくる。皆は宴を楽しんでいてくれ。おい、これを」
 王様は、はちみつ酒でべたべたになったマントを、近くにいた大臣に投げつける。
「追放とする」
 それから、一段と低い声色で振り返り、改めて俺をにらみつけた。
「わしは貴様の運試しスキルなど信じておらぬ。無礼をはたらいたことは事実。すぐに出ていけ。そして、この王都に足を踏み入れること、二度と叶わぬと思え。命があっただけでも、勇者殿と仲間たちに感謝するのだな」
 今度こそ背を向けた王様がのしのしと退席し、護衛の騎士団がわらわらとそれに続く。
 ぼうぜんと見守る俺と、仲間たちと、残されたいくらかの貴族の皆さんが、気まずい空気の中で立ち尽くす。
「じゃあまあ、出ていくよ。みんな、今までありがとう」
「ノヴァ……君が出ていくなら、僕も」
「それはさすがに駄目でしょ、サイラス」
 この男は最後まで優しい。最初こそ頼りなかったけど、立派に成長したこの国の勇者、サイラス。中級貴族の次男である彼は、類稀なる剣と魔法の才能に加えて、人を惹きつけるカリスマ性がある。
 討伐対象とされた魔物が相手でも、対話の可能性を探り、一方的に決めつけることはけっしてしなかった。少し甘いところもあるけど、文句なしのいいやつだ。
「まさかここで、いつもの奇行が出ちゃうなんてね。流石にかばいきれないかと思ったけど、追放ならまあ、落としどころかな。生きてて良かったね、ノヴァくん」
 ばんばんと肩を叩いてきたのは、『聖女』と名高い治癒師のクレアだ。
 透きとおるようにきらめく水色の髪と、大きな金色の瞳をもって繰り出される穏やかな笑顔は、初見のほとんどの相手を魅了する破壊力を持っている。
 もちろん、その実力も本物だ。死んでなければ治せるから、との頼もしい一言は伊達ではなく、物理的に命を救われたことも数知れない。
「奇行は余計だってば」
「まあまあ。最悪の場合は、ひと暴れして逃げるしかないかなって思ってたけど、よかったわね。国ごと敵に回すダーティーな『聖女様』も悪くないかなって思ってたんだけどな」
 ただし彼女は、見た目と肩書きほど優しくはない。表向きは治癒魔法で有名になっているが、本当に得意なのは、相手をもてあそぶような超高品質なデバフ魔法の数々で、敵に回すのは是が非でも遠慮したい相手だ。
「それで、今度は何が起きそうなの? 平和のためってことは美味しいものが降ってきたりする?」
「いや、それがまだ本当に、ふわっとしかわからないんだって」
 狐っぽい耳と尻尾が、好奇心旺盛にふりふりと揺れる。獣人族の少女、ディディがわくわくした顔で覗き込んできていた。
 サイラスとの冒険で、一番変わったのは彼女だろう。暗殺ギルド出身で、暗殺者としてのデビュー戦で俺とサイラス、クレアに大負けして要人の暗殺をしそこない、異例の改心をはたしたのが彼女がパーティーに入るきっかけだった。
 自分以外の何も信じられなかった孤独な暗殺者見習いは、今では仲間に天真爛漫な笑顔を振り撒く、ムードメーカーになっている。
「……達者でな」
 しかめっつらのまま、一言だけ別れを告げて背中を向けてしまったバスクは、凄腕の重戦士だ。
 二メートル近い長身かつ無口で強面のスキンヘッドという、とっつきにくい印象の彼だが、本当はいつも仲間のことを気にかけてくれている。彼の気遣いと、相手のことを考えてくれた上での厳しい態度のおかげで、俺はずいぶん成長できたと思う。
 サイラス、クレア、ディディ、バスク……みんな本当に、自慢の仲間たちだ。
「またどこかで会えたらいいな」
「あてはあるのか?」
「まあ、一応ね。桶屋のお導きってことで。もともと式典とか、お貴族様との会食とかは得意じゃなかったし、スローライフ目指してふらふらしてみようかなって。結局、元の世界には帰れないみたいだしね」
「ふうん……またどこかで、とか残念なこと言ってないで、居場所が決まったら手紙くらいは出しなさいよね」
 わかったよ、とクレアに返事をして、俺はおもむろにジューシーな骨付き肉を手に取った。
「あはは、このタイミングでお肉? ノヴァっちやるね!」
「みんな、ごめん」
 茶化すディディを制して、頭を下げた。それから、俺でも使える下級の炎魔法を唱えて、骨付き肉に火をつける。
「は? なんでそれ、燃やしてるわけ?」
「これをしないと整わないみたいで、しょうがないんだ。なんとか、上手くごまかしておいて」
 勲章を投げ捨てたときと同じように、俺は大きく振りかぶる。感動の別れとは違う意味で、正直ちょっと涙目だ。
「てい! それじゃ!」
 燃えさかる骨付き肉を、堂々と存在感を示す王家の旗、すなわちこの国の国旗に投げつけて、俺は全速力で広間を後にした。
 俺だってこんなことはしたくない。したくないけど、しょうがないんだ。どこかの桶屋が儲かるためには、風を吹かせる必要があるのだから。
 こうして俺は、栄誉ある勲章を窓から投げ捨て、王様にはちみつ酒の樽を頭からかぶせ、大広間に堂々と掲げられた国旗を燃やして逃走するという、完全無欠の出入り禁止ムーブで王都をあとにした。
 目指すのはのどかな町か村。勲章なんか気にしない、はちみつ酒をひっかけても処刑されたりせず、燃やす国旗が一枚もない、静かな新天地だ。