人魚は星空にたゆたう

 その日は、久々にすっきりと晴れわたり、絶好の天体観測日和になった。
 あんだけ心待ちにしていたはずなのに、気持ちはどこか落ち着かない。
 公園に行くと、人魚はもう来ていた。
「樹生!」
 オレに気づくと、長いドレスのすそが汚れるのもかまわず、パタパタと走り寄ってきて、
「きっと来ると思った。今夜は久しぶりに晴れたもんね」
 と、暗闇でも分かるくらいにこやかにほほえんだ。
「元気にしてたか?」
 人魚は大きくうなずいて。
「うん、きみと流れ星見るの楽しみにしてた」
 はずんだ声に、チクッと胸が痛む。
 芝生の上に腰をおろしたけど、その冷たさが感じられないくらい全身が熱くなってる。
 どうしよう。
 このままなにも聞かずにおくべきか?
 単にオレが疑ってるだけで、こいつが美波の友だちだって、まだはっきり決まったわけじゃないんだし。
「星、見えないね。今夜は雲ひとつないのに」
 オレのとなりで人魚が空を見上げてる。
「え? そ、そうだな。晴れてんのに」
「またこの前みたいに念じてみたら、見られるようになるかな?」
 人魚は無邪気に空に向かって両手を広げた。

 今夜は不思議なくらい真っ暗で静かだ。
 まるで、ほんとうに深い海の底にいるようだ。
 誰の目も、誰の声も届かない。
 時が止まったような空間に、オレと人魚のふたりきりで。
 こうしてたゆたっていれば、ずっと平穏なままでいられるんだろう。
 荒波も立たず、嵐にもおびえることのない、静かな海の底で過ごしていれば。
 だけど……。
「あのさ」
 ひと言口に出すだけでも心臓がはやる。
「なに?」
 人魚がオレのほうを向いた。
 単なるオレの思いこみで終わってもいいんだ。
「いきなりなに言ってんの?」
 って、笑い飛ばしてくれてもいい。
 ただ、近づきたいだけなんだ。お前の心に。
「今も……学校行くのしんどいのか?」
 そうささやいたとたん、重い静寂があたりを支配した。
 人魚がオレから視線をそらす。
 答えはない。
 ただ、自分の胸の鼓動がうるさく鳴り響いているのが聞こえるだけ。

「みなみんから聞いてたの――?」
 しばらくして、人魚が口を開いた。その声には明らかに動揺の色がにじんでる。
「ちがうっ! オレが勝手にクラスの子から話聞いただけで」
 あいつは関係ないんだ! そう伝えようとしたけれど、
「きみには、バレてたんだね」
 と、さびしそうな人魚の横顔を見てると、なにも言えなくなってしまった。
「ごめんなさい。人魚だなんて変なウソついて」
 人魚はオレに深く頭を下げると、
「だけど、これだけは信じて。私、樹生のこと、からかうつもりなんてなかったの。ほんとうに、こうやっていっしょに星が見たかっただけなの」
「あのな、オレは――」
 けれども、人魚はオレにかまわず、すっくと立ちあがると、
「もうきみの邪魔なんてしないから。さよなら!」
 と、わき目もふらずに公園をあとにした。
「待てよ!」
 オレは、急いであとを追ったけど、人魚の姿はすっかり暗闇にまぎれて見えなくなってしまった。
 ただ、真珠のブレスレットの、シャラン、という音だけが、だんだんと遠ざかって聞こえなくなっていく。
 そのとき、空に無数の光の筋がはしった。
「あっ」
 流星群だ。それもあんなにたくさん。
 まるで、涙の粒みたいにとめどなく夜空に広がっていく。
 なんだよ。なんでこんなときにかぎって、星が降ってくるんだよ。
 悲しいくらいきれいな光景。
 オレ、あいつといっしょに見たかったのに。
 この光景見せてやりたかったのに。
 こんなに星が流れてるのに、今のオレにはあいつの願いをかなえてやることも、力になってやることもできないなんて。
「……いや、まだあきらめたらダメだ」
 あいつを悲しみのなかで、泡にするわけにはいかねーんだ。