放課後。

 私は病院を訪れていた。

 教えられた病室番号の扉を軽くノックし、ドアを開けた。

「よう」

 そう短く挨拶して病室に入ると、ベッドの上で横になっていたそいつは驚いたように目を見開いた。

「怜香⁉ 何でここに……」

「一応庇ってもらったから、見舞いに来た。その節はドーモアリガト」

 仏頂面でそう言うと、奴──小久保一樹は「何だよその棒読みは」と笑った。

「で、状態はどうだったの」

「別に。軽い脳震盪だろうってさ。頭を強く打ってたみたいだから念のため検査入院するだけで、どうってことない。明日には学校行けるってさ」

 軽い調子で言うが、人一人分の体重を受け止めておいてほとんど無傷だったのだから、打ち所がよかったとしか言いようがない。

「わかった。じゃ、帰る」

「えっ⁉ お前、いくら何でもそっけなさ過ぎねーか」

 呆れたような顔をした小久保一樹(そいつ)は放っておいて、私はくるりと踵を返した。

「あ、そうだ」

 思い出したかのような声が後ろから追いかけてきた。

「あの時、避けろって叫んだの、怜香だろ。おかげで怪我せずにすんだ。ありがとな」

「……勘違いじゃないの」

 そう吐き捨てて私は病室を出る。

 ──バッカじゃないの、と唇だけを動かした。
 
 何が怪我せずにすんだ、だ。結局はそいつを庇って入院する羽目になってるじゃないか。何で怪我をする原因になった奴に、「ありがとう」だなんて言えるんだ。

 わからない。考えても考えても、答えがわかったことはない。ずっとずっとこの世界の異物だった私は、いつの間にか、普通の感情と言うものもわからなくなってしまったから。

 だけど、たった一つわかるのは。

 自分を助けてくれた小久保一樹(あいつ)のために涙一つも流せない私みたいな奴は、一生見えない人間(普通の人)みたいな感情を、持つことができないということだけだ。



 ツンとした消毒液の匂いが漂う。病院独特のその匂いは、実に何年かぶりに嗅いだものだった。

 私は病院があまり得意ではない。それはここが、否応なく死と隣り合わせである場所だから。目の前にも、向こうの方にも、背中に数字が浮かんだ幽霊(人間)がうようよと居る。死にきれなかった人も、死んだことに気付いていない人も、悪霊になってしまった人も、本当に様々だ。

 流石の私でも、この人数を相手に未練を聞いて回ろうとは思わない。しかし漂う死の気配に、気付かないふりをするというのは思ったよりも難しいものなのだ。

「病院、か……」

 呟いたのは、最後に病院を訪れた時のことを思い出したからだ。

 病院。好んで訪れようとは思わないこの場所に、かつて足繁く通ったことがあった。

 それは、随分昔の話。

 ──私が、幽霊(彼ら)のことを教えてくれた人と、出逢った時の遠い思い出。