======== この物語はあくまでもフィクションです =========
 ============== 主な登場人物 ================
 大文字伝子・・・主人公。翻訳家。
 大文字(高遠)学・・・伝子の、大学翻訳部の3年後輩。伝子の婿養子。小説家。
 愛宕寛治・・・伝子の中学の書道部の後輩。丸髷警察署の生活安全課刑事。階級は巡査。
 久保田刑事・・・愛宕の丸髷署先輩。相棒。

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 『奥様の名前は大文字伝子、旦那様の名前は高遠学。極普通の二人は・・・』
 背後から、高遠は伝子に頭を叩かれた。「アホ。私は魔女じゃない。」
 ひょんなことから同棲し、伝子と高遠は高遠が婿養子に入ることで結婚した。
 「書きかけの小説がないなら、内職の方をやれ。」伝子は原本の原稿を高遠に渡した。
 ここは、伝子の書斎兼仕事部屋。伝子のマンションは6DKである。小説家の高遠は、引っ越して以来執筆はこの部屋のパソコンを使っている。伝子が「書きかけの紙をポイ捨てする、所謂「小説家スタイル」が嫌いで、高遠にワープロを教え、高遠は電子ファイルに小説を書いている。時々、高遠が原稿を持ち込む、みゆき出版社も電子ファイルを歓迎している。
 伝子に翻訳を依頼してくる出版社は高遠が取引する出版社と同じ出版社で、高遠と伝子は部門違いである。方や海外小説やエッセイなどの翻訳部門で、片や大衆小説出版部門だ。ある時、伝子と高遠はその会社の廊下で大学以来の再会を果たし、高遠のピンチに伝子は高遠の居候を提案し、同棲が続く内、結婚することになった。格差結婚だったが、伝子のこだわりは唯一『家名を継ぐこと』だった。
 才色兼備だった伝子が長い間独身だった理由はそこにある。早くに両親を亡くし、祖母の唯一の遺言を守りたかったのだ。『大文字』という姓は、稀有な名前ではないが、珍しい名前には違いない。実は高遠も、祖父が信州の出身で、当地では珍しくない姓らしいが、高遠があまり苗字に拘りはなかったから成立した結婚だった。
 さて、高遠が手にした原稿は英文で、時々伝子から『下訳』を依頼される。下訳と言っても、伝子がアンダーラインを引いた単語(主にスラング)の意味を電子辞書や出版社から提供された電子辞書で調べ、ノートしていく作業である。
 伝子自身は出版社の非正規社員だが、福利厚生は正社員並みで、高遠の『扶養手当』も貰っている。本来はフリーの翻訳家なのだが、伝子を採用した上司の好意に甘えている。
 この業種は、古くからSOHO(ソーホー)で作業することが通例になっていて、普段は出社しない。
 「先輩、僕の机、前はアシスタントの方が使っていたんですよね。」「そうだが。私の仕事を手伝うのが嫌か?」「いえ、その方はどうされたんですか?」
 「うるさい、と言いたいところだが、お前も私の夫になったんだ。教えてやろう。病気だよ。」「病気?」
 「うん。アルコール依存症だな。依存症は正式な病名じゃないそうだが、、正常なというか、健康的な生活を送れない状態を作っているのだから、病気には違いない。どの依存症もね。」
 黙ってしまった高遠に伝子は支持をした。「ちょっと、ゴーグル(goggles)先生に尋ねてみろ。」伝子に言われて高遠はゴーグルで『アルコール依存症 事件』で検索してみた。
 「多いですねえ。あ、最近高齢者の事件が多いんですね。」「いいネタ拾えそうか?」
 「はい。」
 「私が、いいネタを提供しましょうか?」二人が振り返ると、そこに愛宕が立っていた。「なんで?」「すまん。私が、郵便取りに行った時、締め忘れたようだ。」
 伝子は高遠に謝った。伝子の高校のコーラス部の後輩で、南原という男がいる。その南原の小学校の先輩が愛宕である。「後輩の後輩か。何だ、手ぶらか?」
 「いえ。私の後輩が南原です。手ぶらですみません。」「で、なんだ?」
 「今度は、私の中学校の先輩の話です。その先輩のご両親の心中未遂事件です。」「私は探偵じゃないぞ。」「ひょっとしたら、老老介護に関する心中未遂事件ですか?脳梗塞の後遺症がある奥さんが、糖尿病が悪化したご主人を刺して、自分も首を釣って自殺しようとした、という。」
 高遠が割って入って言った。
 愛宕は説明を始めた。「先輩は1男2女の次女で、アメリカの男性と結婚し、事件を知って帰国しました。刺した母親の自供ははっきりしていて、刺された父親は重体です。父親は『アルコール依存症』ということになっていますが、どうしても先輩は納得出来ないのだそうです。それで、私に相談して来ました。どうしたものか、と『警察の先輩』に相談して、コーラス部の先輩に相談することになりました。よろしくお願いします。」
 「だからなあ、愛宕。私は警察でも探偵でもない。警察の先輩って久保田刑事か?」
 「はい。」「じゃあ、久保田刑事が何とかしろよ。」「はい。その為に、大文字先輩の慧眼を見込んで助力をお願いしろ、と。」
 「僕からもお願いします。先輩、日頃言っておられるじゃないですか。先輩後輩っていうのは友人と兄弟がミックスしたようなものだ。お互い助け合って当然だ、と。」
 「結果は約束出来んぞ、愛宕。」「助かります。」「高遠。お前にはペナルティだ。」
 にっと笑って高遠を振り返った次の言葉に高遠は戦慄した。「今夜、5回セックスな。濃いーやつ。」愛宕が声を殺して笑っていた。
 翌日。高遠、愛宕、伝子は愛宕が連れてきた、芹川いずみに会っていた。
 「すみません、わざわざ。」「いえ、こちら、僕の先輩の大文字伝子さん、そして、旦那様の高遠学さんです。」「苗字違うんですね。」「あ、僕は旧姓を通称として使用しています。戸籍上は大文字学です。」「ああ。私もです。」といずみは納得した。
 「早速ですが、父が『アルコール依存症』というのは考えにくいんです。台所にあったアルコール類は、所謂『状況証拠』ですよね?」といずみは愛宕に尋ねた。
 「『状況証拠』というのは普通、被疑者側に使う用語ですがねえ。つまり、いずみ先輩は、わざわざ用意されたものだ、と?」
 「考えにくい、という根拠を伺おうか?」「先輩。」「ん?ああ、すまん。どういう根拠があって、おっしゃっているの?」
 男言葉を止めたことに気づかないいずみは、話を続けた。「トラウマなんです。」
 「トラウマ?」「私、結婚する前に暫く両親と暮らしていたんです。父は長い間、勤めていた会社で酒席があるたびに苦労していたそうです。父は下戸ではないけれど、あまり飲めない性質なんです。昔、日本人は大陸から渡って来たが、2種類の種族がいた。一方はアルコールに強く、もう一方ではアルコールにめっぽう弱い体質だった、という説、聞かれたことはありませんか?」
 「確かに、そういう説もありますが、決定的な説ではないようです。アルコールが体内に入ると、肝臓でまず『アセトアルデヒド』という物質に分解されます。
 そして、このアセトアルデヒドを分解してくれるのが『ALDH2(アルデヒド脱水素酵素2)』です。
 ところが、日本人は約40%の人がこのALDH2の活性が弱い『低活性型』のため、お酒に弱い体質といわれています。詰まり、アルコールに強い人は少数派ですね。お父さんは、この低活性型と主張されるのですね。」
 「はい。父は忘年会、新年会、歓送迎会、慰安旅行、本音を言えば、全て行きたくなかったそうです。ご飯をあまり食べられず、アルコールの肴では満腹になりにくいので困ったそうです。今言った会だけなら、たまのことだけど、高活性型?の人が会社の上司で、仕事帰りによく飲みに連れて行かれたそうです。帰宅後は、やはり空腹に耐えられないので、軽く食事をしたのですが、そのお陰で高血糖症、つまり糖尿病になってしまいました。。」
 「そんなお父さんがアルコールに溺れる筈がない、と。ふうん。愛宕刑事の話におると、お母さんは脳梗塞の後遺症がある程度進んでいた。そして、お父さんは定年後、糖尿病だけれども、お母さんの介護、所謂老々介護をしていたんですね。で、お母さんが、お父さんを刺して無理心中しようとした。お父さんもお母さんも重体、そうですよね。」「はい。」
 暫く考えていた伝子は、「愛宕、芹川圭吾さんの会社の同僚と取引先に聞き込みして。いずみさんは、年賀状や友人の名前や住所が判る住所録を探し出してきてください。近所の噂話も必要だな。高遠、出来るか?」「やってみます。」「それなら、久保田刑事に連絡して応援して貰いましょう。」と愛宕が話を引き取った。
 「親戚ですか?生命保険と?成程。分かりました。」と久保田刑事は電話を切ると、すぐに署を後にした。
 数日後。芹川いずみの実家に、芹川いずみの姉なぎさ、その夫成田一郎、芹川いずみの兄圭太郎、その妻真理が集まっていた。そこに、伝子、高遠、愛宕、そして久保田刑事が登場した。車座が作られ、中央に位置した伝子が立ち上がった。
 「結論から申し上げます。成田一郎さん、芹川圭吾さん、芹川綾子さんを殺害しようとしましたね。お二人とも重体ですが、予断を許さない状態です。」
 「ははは。何を根拠に。」
 「芹川圭吾さんは、切迫した経済状況だったようです。芹川さん夫妻はどちらも年金生活者。ご存じの通り、昔と違って切り詰めれば年金で何とかやりくりという時代ではない。退職金を使い果たすと、年金と貯金を切り崩しての生活でした。通帳の残高は、後数年で空になるだろう金額でした。介護施設には、本人たちの希望もあり、入所しませんでした。
 老々介護は、経済的にも精神的にも肉体的にも疲弊していきます。どうして、圭吾さんは、『アルコール依存症になれた』のでしょうか?綾子さんはご自身も脳梗塞の後遺症があり、夫の圭吾さんも持病の糖尿病が悪化したこともあり、夫の首を絞め、自分自身も鴨居にロープをかけ、自殺を図りました。いずみさんが帰郷したのは、全くの偶然でした。
 でも、その前に成田一郎さん、あなたはなぎささんと共に訪れていましたね。状況を悟ったあなた達はご夫妻を放置したまま。『家探し』しましたね。『タンス預金』を探す為に。以前、あなた達は、老夫妻がいつ亡くなるか分からないから、と生前分与をお二人に迫りましたね。人の口に戸は立てられません。ご近所さんが綾子さんの愚痴を覚えてくれていました。タンス預金は見つかりませんでした。圭太郎さんと真理さんは、指示された通り、アルコール類を持参しました。亡くなってから、ゆっくりと探そうということになり、圭太郎さんと真理さんを促し、4人とも帰宅しました。
 いずみさんが発見していなければ、死亡していたでしょう。綾子さんの力では、夫を絞める力はあまりありませんでした。また、首を吊った時に少しずれていたのです。
 あなた達の望は『金』だけ。お二人の介抱をしたり救急車を呼んだりすることなど論外でした。
 裏口から出入りすれば近所の方の目に留まらないなんて、妄想です。アルコール類をわざわざ置いたのは、事件の真相を隠す為と、自分たちのアリバイ作りの為だったのでしょうが、あまりにも杜撰でした。圭太郎さんやなぎささんは、ご存じなかったのは残念でしたね。圭吾さんはアルコール類を普段飲まなかったことを。いずみさんはご存じでしたが。」
 ここで、高遠が口を挟んだ。「アルコールに弱い人はアルコール依存症になりにくいんです。知人の医師に確認しました。」「池上先生か。」「はい。」
 伝子は続けた。「アルコール依存症気味だったという話は、身内のあなた達以外からは出てきませんでした。圭吾さんの元同僚や同級生に確認しました。圭吾さんは、悩んでいたけれど、アルコールは口にしませんでした。それと、糖尿病の治療は医師によって方向性は違うけれど、共通していることは喫煙とアルコールの禁止です。正確に言うと、喫煙は全面禁止。アルコールは、病気初期なら節度を保つことを指導、進んだら全面禁止だそうです。あなた達はやり過ぎたんですよ。」
 「救急車呼ばなかっただけで・・・。」
 「バカ野郎!!」黙って聞いていた久保田刑事が進み出た。「罪にならないとでも思っていたのか?」
 「はいはいはい。後は我々が引き受けましょう、久保田刑事。」奥の間に控えていた警視庁の刑事が久保田刑事に頷いた。いずみを除く親族は刑事達に引き立てられて行った。「いいんですかねえ、これで。」納得の行かない顔で高遠が言った。「いいんですよ、我々の管轄じゃないし。ねえ、久保田先輩。」
 「そういうことだ。もう少しでぶん殴るところだった。愛宕、お前遅いぞ。」「すみません。」
 翌日の早朝。
 高遠が愛宕の電話を受けていた。
 「御夫妻が亡くなった?本当ですか?」「実は、あの家に集まった時に、ね。」高遠の質問に愛宕は応えた。「お通夜は今夜。葬式は明日です。」
 「高遠。喪服の用意をしろ。」「はい、先輩。」
 お通夜や葬式の喪主はいずみだった。通夜の後、いずみに挨拶をした高遠は早々に辞去した。
 葬儀場を出ると、高遠と伝子の近くに愛宕と久保田刑事が寄って来た。「私も今、いずみ先輩に挨拶して辞去したところです。」と、愛宕が言った。
 久保田は伝子に報告をした。
 「成田一郎のパチンコ依存症が確認出来ました。最近は、隣の市のパチンコ屋を利用していました。圭吾さんが定年退職する前から、妻を通じて無心していたようです。
 定年退職後、退職金を彼らは要求したようですね。圭吾さんは、半分を家のリフォームに使い、残りを分配したようです。いずみさんは外国だから、と分割しないでくれ、と言ったそうですが、流石に圭吾さんは首を縦に振らなかったそうです。
 最近、生前分与を求めていたのは、一郎の借金が発端です。綾子さんを介護施設に入れるから、と家を売ることも進言していたそうですが、ご夫妻は拒否しました。この辺もタンス預金があるに違いない、と思い込んでいた原因かも知れません。結局、家だけが大きな財産ですが、いずみさんは売らない方針だそうです。それと、いずみさんご自身が貰った退職金と通帳分の財産はなぎささんと圭太郎さんに渡すそうです。あの四人の為ではなく、甥や姪の為だそうです。」
 「親の介護を放棄しながら、最後には『見殺し』か。『鬼畜』だな。」と伝子が言うと、「未必の故意ですからね。」と愛宕は言った。
 「いずみさんが帰郷しなければ、事件はうやむやになったかな?」と高遠が言うと、「警察はそこまで馬鹿じゃないよ。でも、先輩がいなければ仔細が判明しなかった。」と愛宕が応えた。
 「いずみさんが跡取りみたいなものだな。圭太郎はだらしなさすぎる。いくら鬼嫁がうるさく言ったからって、長男で跡取りなのに、その義務を果たさなかった。」
 伝子が愛宕に尋ねた。「聞くのを忘れていたな。アルコール類の鑑識の結果は?」
 「圭吾さんや綾子さんの指紋や掌紋が出たのは、料理酒とみりんだけ。しかも期限がきれていたそうです。一郎は、お屠蘇ですぐに赤くなるのを見て、思いついたそうです。」
 「サケに弱いから、サケに飲まれる、か。あり得ないことは、分かるな、高遠。」
 「『低活性型』ですね。」「お前も『低活性型』だったな。今夜も焼肉で打ち上げだ。愛宕!」「はいはい。」愛宕は、焼き肉店に電話した。「今日の支払いは愛宕、な。」
 「ええっ!」「ええって何だよ。お前のお陰で仕事が遅延している。」「はい。」
 「お前もペナルティ。今夜は帰宅したら、セックス10回な。」「ええっ!」
 「ええってなんだよ。まだ下訳完成してないんだろ?」「はい。」
 「行くぞ、後輩軍団!!」「はあい。」高遠と愛宕は顔を見合わせた。
 久保田は黙って背を向け、歩き出した。
 ―完―