【完結】王太子と婚約した私は『ため息』を一つ吐く~聖女としての『偽りの記憶』を植え付けられたので、婚約破棄させていただきますわ~

 窓から見える景色は、宮殿や大きな屋敷でもなんでもない、コンクリートの一軒家やマンション。
 都会みたいにとても大きなマンションじゃないけど、目の前には5階くらいのそれが立っている。

「まきちゃんと遊んできたんでしょ?」
「うん、写真撮ってカフェで話しまくった」
「あんたたちいっつも話長いんだから」

 母は冷蔵庫とガスコンロを行ったり来たりしている。
 次々に冷蔵庫からテーブルに並べられていく食事は、すでにあらかた出来上がっており、きっと私がまきちゃんと遊んでいる間に作ってくれてたのだろうと思う。
 煮物と揚げ物と、サラダが二種類も……。
 なんか、いつもより多い……?

 私が異世界での食事に慣れすぎたせいか。
 そう思ってテーブルのほうへと近づいていきながら尋ねてみる。

「なんかいつもより多くない?」
「ふふ、だって卒業なんてお祝いじゃない。作りすぎたわよ」

 そう言いながら、まだあるわよ、と言って冷蔵庫から私の好きな青菜のお浸しを出してくる。
 仕上げのかつおぶしを乗せると、ふわっと和風の香りが漂ってきた。


「いただきます」
「どうぞ」

 手を合わせてお箸をまずはお浸しに向ける。
 しょっぱめの味付けは本当に久々で舌がびっくり。
 でも、少し後にはもうその味に馴染んでいて、やっぱり細胞レベルで親しんでいるんだな、なんて思う。

 卵焼きは少し甘め。
 でも、本当はお母さんはしょっぱめが好き。
 きっと私に合わせて作ってくれてて、それが嬉しくてたまらない。

 どれもみんな懐かしくて、私はお母さんのあたたかみを感じる。
 ああ、これだ。
 やっぱりこの味も、この家も、それに……。

「お母さん」
「なあに?」
「ありがとう」

 やっぱり、私はお母さんが大好きだ──




 現代での生活はいつの間にか一週間経っていた。
 お母さんの買い物に付き合って、でも、学校はなくてみんなに会えなくて。
 家でテレビをみて笑ったり、足を延ばしてくつろいだり。

 ふふ、こんな姿見られたら、はしたないって怒られちゃう。
 そんな風に思った時に、ふと彼の笑顔がよみがえる。

『大丈夫、私はいつでもユリエの心にいる。傍にいるから』

「ユリウス様……」

 思わず呟いたその言葉は、キッチンにいる母には聞こえていなかった。

「──っ!」

 考え込む私の意識を戻すように、テーブルに置いてあった携帯のバイブレーションが鳴る。
 手に取って画面を見ると、そこにはまきちゃんの名前。

「まきちゃん……?」

 私は慌てて通話に出ると、いつもの元気な声が聞こえてくる。

「あ、友里恵? 元気にしてた?」

 その親友の懐かしい声に、再び苦しくなる。
 ずっと、声が聴きたかった。

「うん、元気だった」

 何年振りにも感じるけど、まきちゃんにしたら一週間なんだよね。
 涙を彼女に悟られないように拭う。

「あのさ、なんかやっぱり寂しいね」
「学校ないと会えないからね」
「明日とかってあいてる? 遊べたりする?」
「あーちょっと待って?」

 私は耳から携帯を外すと、お母さんに声をかける。

「お母さん! 明日、まきちゃんと遊んできていい!?」
「いいわよ~あ、夜には戻ってね!」
「は~い!」

 返事をしてまきちゃんにも大丈夫と言った──


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【ちょっと一言コーナー】
 まきちゃんも登場でした~!
 親友の存在っていいですよね。

【次回予告】
まきちゃんの声でさらに現代に浸る友里恵。
ユリウスへの想いや寂しさも感じていると、母親から花見に誘われて……。
次回、『母娘の時間と桜(1)』。
 まきちゃんと遊んだ2日後に、お母さんとのんびりテレビを見ていると、ある誘いの声が聞こえてくる。

「友里恵、お花見でもしない?」

 お母さんからの提案はわりと珍しくて、私は思わず顔をあげた。

「うん、いいけど」
「そう、よかった。じゃあ、今から準備をして行こうか」
「え! 今から?」

 お昼ご飯を食べてまったりしていたところで、なんなら学校がないことをいいことに昼寝でもしてしまおうかと思うくらいまどろんでいた。
 そんな私とは反対にさっと立ち上がってキッチンに準備をしにいく。
 水だしされた美味しいコーヒーを冷蔵庫から出すと、薄まらないように水筒に一つだけ氷を入れる。
 カランと甲高い音を響かせて水筒と、ピクニックの時に使っていたコップを二つ棚の奥から出してきた。

 私も手伝おうと席を立ったのだが、お母さんに制止される。

「あんたは天気大丈夫かテレビで見てて~」
「う、うん……」

 今時天気はネットで見れば数秒で終わるし、それにお母さんもいつもネットで見てる。
 きっと私に気を遣ってゆっくりしていていい、ということなんだと思うけど、なんとなく違和感を覚えた。

 現代に戻ってきてからお母さんの優しさをすごく感じていた。
 最初はああ、懐かしい、お母さんの優しさが沁みるな、なんて呑気に思っていたけど、よくよく考えるとなんだかその優しさが私の知っている昔よりも過剰に思えた。
 どうしてそんな風に感じたのか、優しさが過剰なのか。
 ぼうっと考えながらテレビに映る小さい天気予報に目を移す。

「晴れだってさ」
「そう、よかった。あ、お母さん着替えて来るわ!」
「あ、じゃあ、私も!」

 そう言ってお互いの部屋に着替えに向かった──


 河川敷の桜をお母さんといつも見に行っていたため、今日もてっきりそこだろうと思っていたが、そうじゃなかった。
 神社の近くの裏道を抜けた先の丘に、ポツンと一つだけ桜の木があった。
 今年は寒いからまだどこもあまり開花していないとテレビで流れていたのを思い出したが、そこの桜はもう咲き始めている。

「お母さん、ここ……」
「ふふ、お母さんの秘密の場所」

 そういってシートをひくと、隣においでというように手招きする。
 私はその誘いに導かれながら腰を下ろした。

 持ってきたリュックを木の幹にもたれかからせると、その中から水筒とお饅頭を取り出す。
 お重に詰められたお饅頭は何種類かあるのか、白いのや緑のがあった。
 焼いてあるのか表面が少しきつね色になっているものもある。

「どうぞ」
「ありがとう」

 私は緑のお饅頭をとると、口に運ぶ。

「──っ? よもぎ?」
「そう、香りいいでしょ?」
「うん、あんまり昔は好きじゃなかったけど、今は好きかも」
「あんた最近はよくよもぎ餅食べてたからね」

 あ……そういえばそうだったかも。
 なんだか昔はこのクセが嫌だったけど、今はこのちょっとほろ苦い感じが好き。
 中から白あんが出てきて、その甘さが口いっぱいに広がっていく。

 甘さで占拠された瞬間、横からコーヒーを差し出される。

「今思ったけど、コーヒーなんだったらお茶じゃないの?」
「え~だってお母さんコーヒー飲みたい気分だったから~」

 そんな茶目っ気たっぷりに返してくるお母さんは、ああ、いつものお母さんだな、なんて思う。
 ありがたくもらったコーヒーを飲むと、私仕様にちょっとだけシロップが入っているのがわかる。
 お母さんはもっと甘いのが好きだから、私に合わせてくれたのね。

「綺麗ね」
「うん、静かだし。久々かも、お花見なんて。……3年ぶりくらいじゃない?」
「もっとよ。あんたいっつも高校の時はまきちゃんと遊んでばっかりだったもん」
「そっか……」

 確かに言われれば毎日学校で会っているのに、春休みも土日もいつもまきちゃんと遊んでた。
 一昨日も遊んだばかりだし、やっぱり気が合う友達と遊ぶのは楽しい。

「こんな町が見晴らせる丘で桜って、意外と名所になりそうなのに」
「そうね……」

 少しだけ曇った表情でお母さんはずーっと向こうの方を見ていた。
 そうしてじっと景色と心地よさに浸っていたら、お母さんが口を開く。

「思い出すわね」
「え?」
「昔のこと」
「なに? お母さんの学生の時とか!?」

 私はあんまり聞いたことがないお母さんの昔話に興味津々でつい身を乗り出してしまう。
 そうやって見たお母さんの表情はなんだか悲しそう。
 微笑んではいるけど、なんか懐かしそうな、でも複雑そうな表情をしている。

「お母さん?」

 私は思わず声をかけると、ちらりとこちらを見て私に尋ねて来る。

「クリシュト国のみなさんは元気だった?」
「──っ!!!?」

 絶対に現代で聞くことがないと思っていた言葉を聞いて私は思わずびくりと肩を揺らした。
 なんで……お母さんが、クリシュト国を……。

 私、何か向こうの世界のこと話したっけ?
 あれ? 何も話してないはず……あれ……。

 お母さんは私の戸惑いを見て、ごめんごめんと笑って謝った。

「サクラを思い出すわね」

 それが、この現代にある桜じゃないと確信した──


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【ちょっと一言コーナー】
お母さんとお花見からの、というお話でした!
コーヒー好きなのは私がそうだからです!

【次回予告】
母親の口から異世界の話が出たことに驚きを隠せない友里恵。
そうすると、彼女はゆっくりと自分の過去を話し始めた──
次回、『母娘の時間と桜(2)』。