2016年2月、中東カタールでのレース中に落車したときは、左大腿骨骨折を負った。選手生命を絶たれてもおかしくない大怪我だった。大腿骨の折れた部分をつなぐため、長さ30センチ以上のボルトを脚に通し、支えるためのボルトも上下に計3本埋め込んだ。6時間に及ぶ、大がかりな手術の末、何とか選手生命を取り留めることができた。あれは幸運だったとしか言えない。怪我をしてはリハビリして復活を繰り返してきた。自分で言うのも可笑しいな話だが、僕はかなりタフな方だと思う。
 眼前に聳え立つ過酷な山道は、その過酷さが増すほどに、否応なしに自分の内側と向き合わなければならない。
 ぼくの、選手としての時間はあとどのくらい残されているのだろう――。
 今年で40歳になる。日本の仲間は、昨年40歳で現役を引退した。世界のプロサイクリストたちの引退も平均して40歳だ。いくつもの怪我と闘い。そして、いくつもの山とも闘って来た。山はぼくに問いかける。「お前は何者だ!」と。
 大会前に、監督からチームスタッフにならないかと言われた。答えはすぐに出さなくてもいい、グランツールの終わりを待ってからでもいいと言われた。正直、答えに迷っている。40歳を過ぎても個人レースなどで戦っている選手もいる。ロードレースは何もグランツールだけではない。日本に戻って、現役を続けることもできるだろう。後輩の育成が叫ばれる日本で、自分の背中を追い越す選手を見届けるのも悪くない。だが……、引き際が分からないんだ。この世界に入ったときから、いつかはその時が来ると分かっていた。だけど、心が渇望している。バイクを走らせろ!と。
 ぼくは頭を振って、余計な考えを振り払った。そして、目の前に見える先頭2人に照準を定め加速した。
 2人は上りを牽制し合っている。無理もない。この上りで脚を使い果たしたら、最後のスプリント勝負で勝てない。だが、このまま牽制し合っていると、メイン集団に追いつかれてしまう。抜くなら今しかない! ぼくはペダルを踏みこみ心拍数をさらに上げた。
 先頭の2人が、横切るぼくを驚愕の目で見た。そして、2人は示し合わせたように叫んだ。「ユキ!」