2013年、夏。ツール・ド・フランスの第5ステージで、ぼくは序盤から「逃げ集団」に入った。「イケる」と思ったんだ。
 29歳で挑んだ2回目のツール・ド・フランス。体力、スキルともに脂の乗り切った頃だった。同じ気持ちの選手数名で「逃げ集団」が自然と出来ていた。スタートして3㎞を過ぎたあたりから「逃げ」に出た。残り200㎞ほどあったが、逃げ切る自信はあった。だけれど、ゴールまで残り9㎞の地点でメイン集団に捕まり、結果は65位。迫りくるメイン集団は、まるで大波のごとく、ぼくを飲み込み溺れさせた。
 レース後に、チーム最年長のグレッグは、ぼくの方に物凄い剣幕でやって来た。
「ユキ、自分の力を過信しちゃダメだ! あのとき、まだメイン集団で力を溜めることもできたはずだ。200㎞の逃げなんて、無謀すぎる」
「グレッグ、でもレース前にぼくは言ったじゃないか! 今日はアタックすると。調子も悪くなかったし、自信もあった。あと少しだったんだ」すると、グレッグは信じられないとばかりその場で苛立ちを露呈した。
「ユキ! 君は『勝ち』を重ねようと焦っているように見える。その気持ちは分からなくもない。ぼくだってステージ優勝をいつも狙っているし、マイヨ・ジョーヌだって獲りたい。だけど、それを獲りに行くのは、目の前にチャンスが転がってきたときだ。君は、転がってもいないチャンスを無理に奪い取ろうとしている。それは、自殺行為だ」
「グレッグ、君の言い分では、いつぼくにチャンスが転がってくるのか、分からないじゃないか。ぼくはチャンスを自分の力だけで獲りに行く。その力がぼくにはあるんだ!」
「そうじゃないユキ、いいかよく聞くんだ。『勝ち』を積み上げることだけに執着する選手は、一時の名声は得ても、いづれ消えていくだけだ。本物の選手になりたければ、『価値』を築くことだ。選手として、人間として、君の国日本の誇りとして、君は『価値』を築いていくんだ。チャンスは、そのときに必ず訪れる。君の、君だけのウイニングロードが――」

 勾配5%のコル・ド・チュリーニの上り終盤で、ぼくは逃げ集団を捕まえ、下るスピードを活かしてそのまま彼らを抜いた。まるでジェットコースターのように九十九折りの峠道をほぼブレーキなしで駆け下りた。しかし、前方にはまだ二人の選手がいると、無線が教えてくれた。ここからが勝負どころだ。おそらく前方の二人も同じことを考えているだろう。
 次に待ち構えている壁は、ラ・コルミアーヌだ。距離は7.5㎞と短いが勾配は7%と、まるで壁を上っているような傾斜だ。ここで先頭にいる二人を捕まえて、引き離さなければ、勝利はない。
 ぼくは再び加速をするために、強くペダルを踏みこんだ――。