私たちが仲良くなるのに、そう時間はかからなかった。
姫香はとても人懐っこく、パーソナルスペースがほとんどない。気がつけばいつも私の肩にもたれてスマホをいじっている。
姫香の押しの強さと人たらしさは人によっては不快に思うだろう。現に姫香が私以外の誰かと一緒に居るところを見たことがなかった。しかし、人との接し方を知らない私にはありがたかった。
「あたしって天然だからさ」
姫香は自身のことをそう評し笑った。でも、本物を知っている私から見れば姫香は偽物の天然だ。
姫香のキャラクターは、姫香の内側からにじんでいるものではなく、姫香自身が作り出しているものだ。
私の、人をさける生き方と同じだ。
私たちは同じ孤独を抱えていたから。だから私は姫香のことを友だちだと思えた。
だけど姫香は私と違って、孤独の紛らわせ方をよく知っていた。
学校終わり、姫香に手を引かれついていった先は駅近くのカラオケボックスだった。
私はカラオケ自体が初めてで、薄暗い廊下に、あちこちから他人の歌声が聞こえてくることに、いちいち驚いていると姫香ががちゃりと扉を開ける。
そこには他校の制服を着た数人の男女がいて、茶髪の男が熱心にバラードを歌い、ほかのみんなはスマートフォンをいじっていた。
姫香はよっすー、と言いながらソファに座り、もともと居ました、って感じでスマホをいじりだす。
私はあっけにとられながらも、慌てて姫香の隣に座った。
「だれこのひとたち……」
私の疑問は、茶髪男のへたくそなビブラートでかき消された。
そこへ違う男がやってきて、無理やり私と姫香の間に割って入ってきた。耳には黒いピアスが三つ連なって輝いている。
「え、だれこの人」
「あたしの仮病仲間」
「なにそれ」
そういってピアス男はけらけらと笑った。なにが可笑しいのかわからなくて、私は男の存在を意識から消すように机の上をじっと見た。
メロンソーダにカルピス、ジンジャーエール。わずかに残った飲み物たちが液晶の明かりに照らされ、色とりどりの影を作る。
ステンドグラスみたいだな、と考えているとピアス男の腕がへびのように背中を這い、肩を抱く。
「名前は?」
耳元でささやかれ、私はとっさにピアス男の胸ぐらをつかみあげる。
「さわんな」
ガシャン、とピアス男の足が机にあたりコップがたおれた。異変に気付いた茶髪男が歌をやめ、みんなの視線がこちらに向く。
ぴちゃ、ぴちゃ。とドリンクの雫が一定のリズムで床にこぼれ、カラオケ音源がさみしく流れる。
するととつぜん、姫香がお腹を押さえて笑いだした。続けてほかの人も、ピアス男も笑いだす。
「やるじゃん理沙」
それから私たちは、五時間以上カラオケにいた。
帰り道、私の体温はずっと高かった。彼らは姫香の友だちで、姫香の友だちは今日、私の友だちにもなった。
まさかわたしにもこんなにたくさんの友だちができるなんて……。
誰かと過ごす楽しさと幸せの余韻に浸っていたが、家に着くと一気にそれらが冷めた。
今は夜の10時。こんなに夜遅くに帰ったことはない。
子どもの頃の記憶がフラッシュバックする。殴られるだろうか。久しぶりに土下座させられるだろうか。
私は臓器を絞られるような息苦しさの中、玄関を開ける。
「た、ただいま……」
反応はない。リビングに行くと、母と新しい父がソファに座り、ミステリードラマを見ていた。
「ただいま……」
「うるさい、いまいいところだから」
母だけがちらりと私を見て、すぐにテレビの世界へともどった。
それから私はほとんど毎日、夜遅くに帰るようになった。
姫香はよく学校を休んだ。そういう日は必ず、夜遅くに姫香に呼び出された。
深夜の11時に家を出て、翌朝の5時に帰る日もあった。次第に私も学校を休むようになった。
「玄関の音うるさいから、出るなら静かに出て」
学校に行かなくなって一か月が過ぎたころ。それが、母からの唯一の注意だった。
姫香が行くところには、必ず誰かがいた。カラオケ、ファミレス、公園、コンビニ前。
そこには姫香も知らない人がいたりもする。
本名も実年齢もわからない、ただ同じような孤独を抱えた人間が集まっていた。
夜は孤独な人間が集まる時間だ。
ここが私が求めていた居場所だったんだ。
私は子どものころからずっと求めていた、誰かとともにすごす楽しさを知った。
しかし、楽しさは長く続かなかった。
ここにいる人間は孤独を埋める誰かを求めていた。私も最初はそうだった。
でも、姫香と出会って、たくさんの人と知り合って、私は誰かに求められたいと思うようになった。
いや、もしかしたら最初から私の願いはそれだったのかもしれない。
私はクラスメイトに、先生に、母に、求められたかった。
私は、私の本当の願いに気づいた時から、居心地の悪さを感じ始めた。
ここにいる人間は孤独を埋める誰かを求めていた。だけどそれは、私じゃなくてもいいんだ。
それでも私は、夜になると町に出た。
長い長い夜を一人きりで過ごすなんて、無理だった。
そのころから、私にとって夜は孤独を紛らわせるための嘘をつく時間になった。
姫香はとても人懐っこく、パーソナルスペースがほとんどない。気がつけばいつも私の肩にもたれてスマホをいじっている。
姫香の押しの強さと人たらしさは人によっては不快に思うだろう。現に姫香が私以外の誰かと一緒に居るところを見たことがなかった。しかし、人との接し方を知らない私にはありがたかった。
「あたしって天然だからさ」
姫香は自身のことをそう評し笑った。でも、本物を知っている私から見れば姫香は偽物の天然だ。
姫香のキャラクターは、姫香の内側からにじんでいるものではなく、姫香自身が作り出しているものだ。
私の、人をさける生き方と同じだ。
私たちは同じ孤独を抱えていたから。だから私は姫香のことを友だちだと思えた。
だけど姫香は私と違って、孤独の紛らわせ方をよく知っていた。
学校終わり、姫香に手を引かれついていった先は駅近くのカラオケボックスだった。
私はカラオケ自体が初めてで、薄暗い廊下に、あちこちから他人の歌声が聞こえてくることに、いちいち驚いていると姫香ががちゃりと扉を開ける。
そこには他校の制服を着た数人の男女がいて、茶髪の男が熱心にバラードを歌い、ほかのみんなはスマートフォンをいじっていた。
姫香はよっすー、と言いながらソファに座り、もともと居ました、って感じでスマホをいじりだす。
私はあっけにとられながらも、慌てて姫香の隣に座った。
「だれこのひとたち……」
私の疑問は、茶髪男のへたくそなビブラートでかき消された。
そこへ違う男がやってきて、無理やり私と姫香の間に割って入ってきた。耳には黒いピアスが三つ連なって輝いている。
「え、だれこの人」
「あたしの仮病仲間」
「なにそれ」
そういってピアス男はけらけらと笑った。なにが可笑しいのかわからなくて、私は男の存在を意識から消すように机の上をじっと見た。
メロンソーダにカルピス、ジンジャーエール。わずかに残った飲み物たちが液晶の明かりに照らされ、色とりどりの影を作る。
ステンドグラスみたいだな、と考えているとピアス男の腕がへびのように背中を這い、肩を抱く。
「名前は?」
耳元でささやかれ、私はとっさにピアス男の胸ぐらをつかみあげる。
「さわんな」
ガシャン、とピアス男の足が机にあたりコップがたおれた。異変に気付いた茶髪男が歌をやめ、みんなの視線がこちらに向く。
ぴちゃ、ぴちゃ。とドリンクの雫が一定のリズムで床にこぼれ、カラオケ音源がさみしく流れる。
するととつぜん、姫香がお腹を押さえて笑いだした。続けてほかの人も、ピアス男も笑いだす。
「やるじゃん理沙」
それから私たちは、五時間以上カラオケにいた。
帰り道、私の体温はずっと高かった。彼らは姫香の友だちで、姫香の友だちは今日、私の友だちにもなった。
まさかわたしにもこんなにたくさんの友だちができるなんて……。
誰かと過ごす楽しさと幸せの余韻に浸っていたが、家に着くと一気にそれらが冷めた。
今は夜の10時。こんなに夜遅くに帰ったことはない。
子どもの頃の記憶がフラッシュバックする。殴られるだろうか。久しぶりに土下座させられるだろうか。
私は臓器を絞られるような息苦しさの中、玄関を開ける。
「た、ただいま……」
反応はない。リビングに行くと、母と新しい父がソファに座り、ミステリードラマを見ていた。
「ただいま……」
「うるさい、いまいいところだから」
母だけがちらりと私を見て、すぐにテレビの世界へともどった。
それから私はほとんど毎日、夜遅くに帰るようになった。
姫香はよく学校を休んだ。そういう日は必ず、夜遅くに姫香に呼び出された。
深夜の11時に家を出て、翌朝の5時に帰る日もあった。次第に私も学校を休むようになった。
「玄関の音うるさいから、出るなら静かに出て」
学校に行かなくなって一か月が過ぎたころ。それが、母からの唯一の注意だった。
姫香が行くところには、必ず誰かがいた。カラオケ、ファミレス、公園、コンビニ前。
そこには姫香も知らない人がいたりもする。
本名も実年齢もわからない、ただ同じような孤独を抱えた人間が集まっていた。
夜は孤独な人間が集まる時間だ。
ここが私が求めていた居場所だったんだ。
私は子どものころからずっと求めていた、誰かとともにすごす楽しさを知った。
しかし、楽しさは長く続かなかった。
ここにいる人間は孤独を埋める誰かを求めていた。私も最初はそうだった。
でも、姫香と出会って、たくさんの人と知り合って、私は誰かに求められたいと思うようになった。
いや、もしかしたら最初から私の願いはそれだったのかもしれない。
私はクラスメイトに、先生に、母に、求められたかった。
私は、私の本当の願いに気づいた時から、居心地の悪さを感じ始めた。
ここにいる人間は孤独を埋める誰かを求めていた。だけどそれは、私じゃなくてもいいんだ。
それでも私は、夜になると町に出た。
長い長い夜を一人きりで過ごすなんて、無理だった。
そのころから、私にとって夜は孤独を紛らわせるための嘘をつく時間になった。