とりあえず、おねえちゃんから…①料理と②会話術を修行すれば、トシキさんと付きあってもいい、という確約を得たので、ぼくは、その方針でトシキさんに「修行」してほしいと説得することにした。トシキさんの妹のゆかりは、現在、おねえちゃんの指導のもとに『超絶美少女』の修行中なので、ぼくは、兄のトシキさんの修行を担当することになったわけだ…っていったい何なんだ! うちは修行道場か!
まず、トシキさんに事情を話して修行してもらわなきゃならない。もちろん、ゆかりから話してもらってもいいんだけど、ぼくも一度、トシキさんに会っておきたい。直接会ってみて、トシキさんが感じの悪い「イケメン」だったら、この話は断らなくちゃならない。ぼくだって「わたしのお義兄さまになる人は最高の男性じゃなくちゃダメっ!」っていちおう思ってる。ゆかりほどじゃないけど。
それで、ゆかりと一緒にトシキさんにきてもらって話をすることにした。
もう一つは、修行先を決めなきゃならない。「料理」に関しては、おねえちゃんが「レインボー先輩」の『暮らしのアトリエ』で、って指定したので、そちらに頼もうと思う。
もう一つの「モテる会話術」についてだけど、そんなおかしなことについての講習ができるヒトは、もう日本中さがしても中村博士しかいない、よね?
いや、だいたい「モテる会話術」なんて修行して習得するようなもんじゃない。だから、博士にお得意の『モテるコミュニケーション理論』の基礎編を講義してもらおうと思う。中村博士は、話をおもしろくするために、調子にのってちょっと盛っちゃう、という欠点がある。でも、じつは博士は…ウチの父の話では…一流の言語学者だし、盛っちゃう部分もふくめて、なぜかとにかく話に説得力がある。トシキさんは、頭の切れるヒトらしいから、講義を聞いてもらうだけで、きっとなにか、つかんでくれるだろう。そして、もちろん博士は、なぎさから頼めば、よろこんでやってくれる、はず。
…ぼくは、そんなふうに作戦を立てた。
まず、なぎさに全体の作戦を話して、おとうさん…中村博士に承諾をもらう。博士はもちろんOK。
それから、ゆかりに電話する。
「今度の土曜日14時から空いてる?」
「空いてる♡ ゆかりとデートしたくなった?」
「したくない」
「ぶー」
「トシキさんは、いまそばにいるの?」…今日は水曜日だから、この時間、家にいるはず。
「ぶー いるよ」
「その時間、空いてるかどうか聞いて!」
「ぶー なにそれ」
「聞いて!」
「空いてるそうです ぶー」
「じゃあ『魔王さまの件』でお話ししたいので、ゆかりをいれて3人で会いたい、っていって!」
「えー、ゆかりと2人だけで会おうよー」
「だめっ! 3人で」
「ぶー いいよ、って」
「じゃあ、いいか『14時に主計町のカフェ『雨と虹』に来てください』って伝えて!」
「ゆかりそんなカフェ知らないっ」
「トシキさんに『ネットで調べてきてください』っていって!」
「わかったよ…えーとなんて名前?」
「『雨と虹』」…ゆかりはメモしてるらしい。意外としっかりしてる。
「場所!」
「かずえまち…かずえ、っていうのは主人公の『主』に会計の『計』って書くんだ」
「はいはい…わかった…トシ兄ちゃん、これ調べてよっ!」…兄にメモをつきつけて命令してるらしい。
「じゃ、たのむよ! 土曜日14時に会おう!」
「ぶー!!」
土曜日14時少し前に『雨と虹』の前でゆかりとトシキさんを待つ。時間どおりに2人がやってきた。今日のゆかりもゆかりっぽくないオトナファッション。フレンチスリーブっていうのかな? 袖がふわっと広い、やっぱりオーバーサイズのライラック色の柔らかい生地のシャツに7分丈の紺色のクロップドパンツ。ライラック色と紺色が、スミレ色のゆかりの匂いによく似合っている…っていうのは、ぼくだけの感覚。
お兄さんのほうは、ぼくと同じくポロシャツとチノパンという、どこにでもいるファッション…なんだけど、ぼくと見た目は…だいぶ違う。あんまりいいたくないけど。
ぼくは、ずっとトシキさんがどんな「イケメン」か、って想像してた。でも、オトコが想像する「イケメン」って、だいたい少女マンガにでてくる「王子様」みたいな感じか、テレビにでてくる「アイドル」みたいなものになっちゃう。髪が長くて「なよっ」ってした感じにうねったりしてて…もう完全にひがみと偏見ですけど。つい4日前、弓美に20回ぐらい「あさひはイケメンじゃない」っていわれたから拗ねてます!
で、そんなひがみと偏見にとりつかれていたせいで、トシキさんをみた瞬間「彼ってイケメンなの?」…って思っちゃった。オトコの感覚、っていうか、ぼくの感覚では「イケメン」っていうより「アスリート」で「さわやかな好青年」って感じのヒトだった。髪がうねってないからとりあえず一次審査は合格。
「アスリート」って感じたのは、その体型。上半身が大きくてがっしりしてる。肩幅が広い。あー、これは水泳だね!…そうか、ゆかりも同じなんだ。2人とも水泳やってるんだ。それも、日常的にかなり泳ぎこんでる体型だ。あー、ゆかりがいつもオーバーサイズのトップス着てくるのもそれかー。ゆかり、自分の肩幅ががっしりと広いのが恥ずかしいと思ってるんだ。そんなことないよ、って今度いってやらなくちゃ。肩や胸がしっかり鍛えられてるゆかりなら、大きく開いたスクエアネックとかタンクトップなんかもすごく似合いそう。健康的で、セクシーなゆかりのデコルテをオトコたちに見せつけちゃえよ!
トシキさんの「顔」のほうは…うーん。他にいいようがないほど…「イケメン」だった。バランスがとれた「整った顔」。これは、ゆかりも同じなんだけど、ゆかりの場合、その上に「かわいい」とか「キュート」とか「ちょっと抜けてる」みたいなチャームポイントがたくさんのっかっちゃってるから、すぐに「キレイ」って感じない。弓美がいうところの「色がついてる美少女」ってヤツだ。でも、トシキさんの場合「整った顔」の上によけいなものが「のっていない」からストレートに「イケメン」っていわれちゃうんだ。なぎさと同じ。
「ヤッホー、あさひ兄ちゃん、待った?」
「いや。ちょうど来たとこ」…このパターンから始まる会話って、デート開始の合図みたいなもんだよね。今日は3人だけど。
「よかった。これトシ兄ちゃんねー。これあさひ兄ちゃんだよ」…こらこら、紹介を「これ」ですませるなっ!
「竹田俊希です。初めまして」…そういって、それまで無表情な「イケメン」だったトシキさんが、すっと笑顔になった。妹のゆかりと同じ、えくぼが魅力的。いままでオトコのえくぼって意識したことなかったけど、トシキさんの顔立ちにすごく似合ってる。そして、その瞬間、さわやかな風が吹いたみたいな気がした。あー、これかー、弓美がいってたヤツ。これで99%のオンナのコがヤラれちゃうんだ。おねえちゃんもヤラれちゃえばよかったのに。そしたら、めんどうな修行も必要なかったのにー。
「八倉巻あさひと申します。どうぞよろしくお願いします」
「すみません。最近、ゆかりがいろいろわがままをいってるみたいで…それに、今回は、ぼくまで…」
「いやいやあ…なんていうか…その…まあ、とにかく入りましょう」…コミュ力最強のぼくも、さすがにこういう場合になんて応答すればいいのかわからない。
「ねえねえ、このカフェってどういうお店?」
「入ればわかるよ」
透明のアクリル引き戸を開けて入ると、いつもの土曜日の午後と同じく、低くて明瞭な、そして涼しい声がぼくらを迎える「いらっしゃいませ」
「どういう店かわかった」…声を聞いて、ゆかりがつぶやく。
ぼくはリンクス先輩にいう「今日は奥のテーブル席に」
「どうぞ」…おっと、ゆかりがリンクス先輩にみとれてる。こらっ、こっち来い!
テーブル席に3人で座る。リンクス先輩が水の入ったグラスをもってくる。
「あ、は、は…初めまして。わたしは、第26代の…竹田ゆかりです。よろしくお願いいたします」
ゆかりもだいぶ修行ができてきたらしい。リンクス先輩の正体をちゃんと一目で見抜いた。しかも、緊張のあまり立ち上がってる。
「初めまして。わたしは23代の奥山あけみ、リンクスよ」
「り、リンクス先輩、ステキです。あこがれちゃいます」
「ありがと。ゆかりちゃんもかわいい。また一人、かわいい後輩ができてうれしいな」
そういいながら、リンクス先輩は、ぼくをチラッと見て、目でたずねる「こちらは?」
「あ、ご紹介します。こちらは、ゆかりのお兄さんの竹田トシキさん、です」
それを聞くとリンクス先輩は、一瞬小さく「あっ」という表情をした。おねえちゃんとのことを知っているんだろう。
「どうぞよろしく。奥山あけみです。コードネーム…って、知ってる?」
「は、はい。最近、ゆかりに聞きました。『美しき魔王』とか、ですよね?」
「ハハハ。わたしは『リンクス』っていうの。山猫よ。…『魔王』より、ずっとかわいいでしょ? よろしくね」
「竹田俊希です。どうぞよろしくお願いいたします。リンクス先輩」
トシキさんまで立ち上がってあいさつするので、ぼくも立ち上がる。土曜日の午後の観光地の東山のオシャレなカフェなのに、みんな立ち上がってあいさつしてるなんて、これから商談をはじめるみたいで、なんか変。
そこにちょうどタイミングよく奥からスコール先輩がでてきた。
「あさひくん。こんにちは」
「あ、スコール先輩。なぎさがお世話になってます。いつもありがとうございます」
「あさひくんって、立派なあいさつするのね!」…リンクス先輩と同じこといわれちゃった。
「なぎさと待ちあわせ? 彼女、もうちょっと描きたいって、まだ、教室にいるけど…」…今日は土曜日だから、なぎさは10時からスコール先輩の絵画教室にデッサンを習いにいっている…「なぎさの集中力って、ちょっとすごいわ!昼ごはんもちょっとパンかじっただけ。…いくらなんでも、もうそろそろこっちにくると思うけど」
「いえ、今日は待ちあわせ、ってわけじゃなくて」…まあ、なぎさが終わってからこっちに来たら一緒に帰るつもりだけど…「この2人と話が…」
「…あ、そうだ、先輩にも紹介します。このオンナのコが第26代『超絶美少女』の竹田ゆかりです。ゆかり、こちらは、松浦令さん。コードネームはスコール先輩。もちろん、ゆかりの大先輩で、このカフェのオーナー」
「こんにちは!…あっ、初めまして、だった…初めまして。竹田ゆかり、です」
「まあ、かわいいヒトねー。それに…」
「それに?」
「とってもキレイなヒト…将来がすごく楽しみ」
「えー、スコール先輩、はずかしいですー」…バカだね、ゆかり、スコール先輩は、早くオトナになれ、っていってるんだよ。高校生なのにこどもっぽすぎるんだよ。ゆかりは!
「…そして、こちらのすてきな男性は? ゆかりちゃんのお兄さん、かしら?」
あれっ? スコール先輩、なんか微妙な反応。もしかして…イケメンに弱い?
「はいっ!わたしのお兄ちゃんです。似てますか?」
「なんか顔立ちがね。お兄さんも妹さんも美しい…うらやましいでしょ、あさひくん?」
「ぶー。なんで、そこにぼくが登場するんですかっ!」
「竹田俊希です。どうぞよろしくお願いいたします」…と例の99%ヤラれちゃうさわやかな笑顔…スコール先輩、だいじょうぶですか? ヤラれました? 顔色がちょっと赤いような…。
「で、今日はどんな話なの?」…あれっ? スコール先輩、なんでみんなと一緒にテーブルに座っちゃうんですかっ?
「リンクス。わたしはエルダーフラワーのコーディアル、ソーダで。みなさんは、なににする? 今日は、わたしのおごり。なんでも好きなものをどうぞ」
「スコール先輩、エルダーフラワーってなんですか?」
「ん、エルダーフラワーっていう香りのいい白い花でつくったシロップのソーダ割。エルダーフラワーは日本語では『ニワトコ』っていうのかな。ヨーロッパの伝統的な飲み物よ」
「それ、試してみたいです」
「ゆかりも!」…えっ、みんなエルダーフラワーなの? ぼくは深入りコーヒー、ってなんかいいにくい…「じゃあ、ぼくも」
リンクス先輩は、なぜかクスッと笑ってキッチンへいった。
「それで、どんな話なの? 今日集まったのは?」…あのー、スコール先輩には招集かけてないんですけど。まあ、しょうがないか。
それで、ぼくはスコール先輩にこれまでのいきさつを簡単に話してから、トシキさんにおねえちゃんの「確約」について伝えた。
「というわけで、修行すればつきあうそうです」
「するよ。もちろん。修行でも座禅でも滝行でも」…そこまでしなくていいです。禅僧になってくれ、っていってるんじゃないんで…といおうとしたところで、トシキさんは、真剣な顔で微笑んだ。「この恋のため、ひとみのためだったら、ぼくはなんだってする」という決意がはっきり見える笑顔だった。それを見てスコール先輩の目つきが変わった。鋭くなった。
「わたしもトシキのためにひと肌、脱いであげる」…いや、服も肌も脱がなくていいです、スコール先輩。
「わたしからレインボーに頼んであげる」
「いや、そんなことまで…先輩にしてもらわなくても。ぼくから頼みますから」
「あさひは、知らないと思うけど、レインボーの料理教室って、金沢のそういう人たちの間では、有名なの。キャンセル待ちがでるぐらいなの。だから、あなたたちは、そんな簡単に入れてもらえない」
「そういう人たち…って?」
「いわゆるセレブリティの奥さまとか、お嬢さま…医者とか会社経営者とかの、ね」
「そ、そうなんですか…」
「ま、あなたたちを見てると、いいお家でしっかりと育てられたこどもたちだな、っていうことがわかるから、お家のほうに問題はない。だから、ゆかりちゃんなら、キャンセル待ちがクリアできれば、入っても問題ないと思うよ。いいお家の『お嬢さま』としてかわいがってもらえるわ。セレブの奥さまに。でも、大学生や高校生の『オトコのコ』が理由もなしに教室に受けいれてもらえるような雰囲気じゃない。ああいうところはジェンダーギャップが厳しいから」
「困ったな」
「わたしにいい考えがある。どう、わたしにひと肌、脱いでもらいたい?」
「はあ…」
「もらいたいでしょ!」…なんか、その強制的な依頼確認って、なぎさに似てます。
「はい。ぜひお願いします。スコール先輩!」…あー、トシキさんが前のめりな優先応答しちゃった。
「まかせて!じゃあ、レインボーに電話して打ち合わせしてくる。ちょっと待ってて」
スコール先輩が席を外すとゆかりがいった。
「この前、なぎさ先輩がいってたの」
「なに?」
「わたしは、スコール先輩みたいに歳を重ねていきたい、って。いまわかった。すっごく」
「うん。確かに…その点はまったく同感。スコール先輩ってしっかりオトナで、いろいろな経験も豊かに積んでるヒトだと思う。だから、すごく存在感があって、なんだかとても信頼できるオトナ女性。でも、ちっとも歳をとってないんだ。だから、ぼくらとも全然ふつーに話ができる。そこがすごい」
そこにリンクス先輩がエルダーフラワー・ソーダを持ってきた…3つ。あれっ? ぼくにはコーヒー、ぼく、コーヒーっていったっけ?
「あの。ぼく、コーヒーっていったんでしょうか…」
「あら、あさひくんは深入りコーヒーでしょ」…いや、そう思ったんですけど、そういってないと思うんですけど…いった??
「じゃ。どうぞごゆっくり」
しばらくして、スコール先輩がもどってきた。
「OKよ!…トシキには、毎週、土曜日の教室のアシスタントをやってもらいます。来週の土曜日からよ。いい?」
「あ、アシスタント、って、なんですか…」
「だいじょうぶ。レインボーを信じて。彼女の指示どおり動いていれば、なにも問題ないよ。トシキもちゃんと料理ができるようになる」
「あ、あのー、ぼくは?」
「あさひはもうできるでしょ?」
「へっ?」
「なぎさがいってたよ。あさひの料理はおいしいって、ね」…なにっ?
「だから、あさひは、料理がヘタなイケメンアシスタントのアシスタントをするの」
「なにをおっしゃってるのか、まったく意味がわかりません」
「そう? じゃあ、いまからブリーフィングをはじめます」
「ブリーフィング、ってなんですか?」
「作戦会議」
スコール先輩の「作戦」っていうのは、こんな感じだった。
セレブリティの女性の間でキャンセル待ちがでてるような高級お料理教室にトシキさんとぼくがキャンセル待ちを無視して「ゲスト」、つまり「生徒」として入るといろいろ問題がおきる。だから「スタッフ」としてぼくらを入れちゃおう、というのが、基本的な考え方だ。
「あんたたちが『こっち側』の人間、つまりレインボーの手下…じゃない…部下として仕事をする『スタッフ』として入るなら、なにも軋轢が生じない。オトコでも問題なし、っていうか…それどころか、美人料理研究家として評判のレインボーが、年下のさわやかなイケメン男子とその他1名を助手にした、ってことになるとセレブの奥さまやお嬢さまたちはトキめいちゃう」
「あのー、その他1名ってのは…」
「あさひに決まってるでしょ!…それでね、いままでは、レインボーがみんなの前で、その日の料理をつくってみせてたの。料理番組みたいにね。それから、各料理台にわかれて、みんなが料理をつくっていくところをレインボーが回るってやりかたをしてた。それを、これからはトシキがつくってみせることにするの。レインボーの指示にしたがって」
「そ、それは、ちょっと…」
「トシキ!あなたの恋のためよっ! You can do it!」…なんで突然英語?
「トシキがつまずいたようなときには、あさひがササっと手伝いに入る。レインボーはトシキが失敗したときに『ここに気をつけて、こういう失敗をよくするんですよ』って解説する。だからトシキは失敗しても全然気にしない。むしろ失敗して!それから、お料理番組でよくあるやつ…レインボーが『こちらにオーブンで20分ローストしたものをあらかじめ準備しておきました』っていったときも、あさひが横からササっとだす」
「はいはい。要するに、ぼくはレインボー先輩とトシキさんの召使いですね」
「そうそう。そうやってトシキが料理をつくってみせた後に、今度は生徒たちが料理をつくりはじめるから、レインボーとあさひが各調理台を回って生徒たちにアドバイスする」
「ぼくは?」
「トシキは正面でさわやかに笑ってて!」
「いや、そ、それは」
「じゃあ、あさひと一緒に回って」
「はい」
「そんな感じで進めます。わかった?それでいいね?」
「はい。もちろん」…トシキさんは、なんかとってもうれしそう。
「土曜日の教室は10時開始なんだけど、2人は打ち合わせと準備があるから9時にきてちょうだい、ってレインボーがいってる。いいね? そして11時30分に調理が終わったら、2人は試食会には出ず、すぐにこっちにきてお店を手伝って!」
「はあ?」
「最近、観光客が増えて、土曜日のランチタイムがにぎわっちゃって、人手が足りないの!レインボーは料理教室に取られちゃうし、これからリサが試験勉強で忙しくなって土曜日にこられなくなるから、代わりのアルバイトが必要なの。あなたたち2人にやってもらう!お店のほうは、リンクスが指導するからだいじょうぶ」
「あ、あのー。バイトですかっ?」
「時給は当分、最低賃金しか払えない。勤務時間は9時からランチタイムが終了する15時まで。ただし残業の可能性あり。でも、あんたたちがちゃんと役立つことがわかったら、賃上げ交渉に応じる余地はある」
「そ、それって…そのお料理教室とカフェのバイトってセットなんですかっ?」
「別よ。一連の流れとして、まとめて話したほうがいいかと思っただけ」
「ちょ、ちょっとわけて話を聞いていいですか?」
「いいよ」
「まず、料理教室なんですけど…勤務時間が9時から、ってことは、料理教室もバイトなんですか? 料理習うつもりだったんですけど」
「バイトしながら料理も習う…ゲストじゃ入れられないから、スタッフで入れる…スタッフなのに給料払わなかったら、奴隷になっちゃう」
「まあ、ぼくは召使いですけど」
「召使いだけど、給料は払う。奴隷じゃないから。でも、トシキはレインボーに料理を習いながら実際につくってみるわけだから、結果的に料理の修行という目的も達成できるでしょ。ひとみに文句はいわせない」
「わかりました。スコール先輩」
「トシキはそれでいいのね?」
「もちろんです!」
「じゃ、料理教室はそれで決まり」
「あのー、ぼくの意見は」
「特に聞かない」
「そんなー」
「あさひは、召使いだから」…あ、召使って、給料はもらえるけど、意見は聞いてもらえない役なんですね。はじめて知ったー。
「次にこのカフェのバイトなんだけど、そっちはリンクスのリクエストなの…あさひに働いてほしい、って」
「リンクス先輩のっ!」
「あら、反応いいわね。あさひ」
「あ、いや」
「あさひ、毎週土曜日の午後、なぎさと待ちあわせるためにここに来てるでしょ?」
「はい」
「いつも、なぎさが来るまで、カウンターに座って、深入りコーヒー飲みながら、うっとりリンクス眺めてる」
「い、いえ…」
「ときどきリンクスが声をかけると、しっぽパタパタふってよろこんでる」
「い、いえ、ぼくしっぽありません」
「しっぽふるのムダだし、人手が足りないんだから、あいつを働かせろ、と」
「…いうこと。どお?」…いつの間にかリンクス先輩がそばにきてた。
「ね。あさひくん、やってくれるでしょ?」というと、リンクス先輩は、ぼくにウインクする。ゆかりの「パチッ」と音が出るような派手なウインクじゃなくて、すごく優雅な流れるせせらぎみたいなウインクだ。ステキー。あーん、しっぽパタパタしちゃうー。
「えー、わたしもバイトしたいですー。リンクス先輩と!」…ゆかりが口をはさむ。
「ゆかりちゃんが、もうちょっとオトナになったらお願いするね。この店はオトナっぽい雰囲気にしたいから、ホントは高校生のバイトは雇わないんだけど、リンクスがあさひなら、ちゃんとオトナの接客ができる、って推薦したから、あさひを特別に雇ってみるの。ゆかりちゃんも『オトナの接客ができる』ってリンクスが認めるオトナになったら雇うからね」…そうだよ! ポップコーンみたいにパチパチ音がでるこどものウインクしてる間はダメだね!
「…それまでは、ゆかりちゃんの代わりにトシキさんにお願いできるかな?」
「スコール先輩、なにからなにまで本当にありがとうございます!」
「トシキ、やってもらえるのね?」
「はいっ。いままで人を相手にする仕事ってしたことなかったので、一度、そういう仕事、やってみたかったんです」
「えー、トシキさん、人を相手にしない仕事してたんですか?それってなんですか?」
「大学に入ってから、ずっとパソコンを使ってプログラムのアルゴリズムを設計したりするバイトをしてる」
「お兄ちゃんたち2人でそういう仕事請け負ってるの! すっごく儲かるの! ゆかり、いっぱいお洋服買ってもらっちゃった!」
「東大には、そういうバイトの依頼がたくさんくるから、それを請け負ってカズキと2人で深夜、音声チャットで討論しながら作業するんです」
「はー、世の中の大学生にはそういうバイトしてる人もいるわけですね」…なんか世界が違う。
「だから、ふつーのバイトっていうのをしたかったんです。すごく興味あるんで!」…あー、ぼく「ふつー」じゃなくて「すっごく儲かるバイト」のほうに興味あります。お洋服買いたいですぅー。
「よかった!お兄ちゃん!!これで『美しき魔王さま』ゲット作戦のファーストステージクリア!!」…それ、知らない人が聞いたらRPGの話してると思うよね。
「今日、初めてお会いしたんですが…スコール先輩のセンスってすばらしいと思います。先輩が考えた『作戦』に感心しちゃいました。なんか全部きれいにピースがそろったパズルをみてる感じです」…トシキがいう。
「わたしは、デザイナーなの」
「デザイナー、と関係が?」
「わたしの本職はプロダクト・デザイン。いまは自分で事務所を持っていて、主に企業からの依頼でさまざまな製品のデザイン…スタイリングをしたり、それを誰に、どんな風に売るか、なんとことをプランニングしてる」
「このカフェは?」
「趣味」…趣味!トシキさんの「バイト」といい、スコール先輩の「趣味」といい、やっぱ住んでる世界が違う!
「わたしが愛する金沢の街をちょっとだけデザインできたらな、と思ってね。それと、レインボーのため」
「レインボー先輩の?」
「彼女、ちょっと事情があって、仕事やめなくちゃならなくなって、それからしばらく、優雅に専業主婦のおかあさんやってたから、もったいないと思って」
「もったいない、って?」
「彼女の能力、ちょっと他にはない才能が」
「どんな才能なんですか?」
「もちろん料理よ。あたりまえでしょ。彼女、料理が好きで、元の仕事も管理栄養士だったの」
「はー。料理好きの『超絶美少女』っているんですね。珍獣ですねー。はじめて遭遇しました」…スコール先輩と一緒にゆかりも苦笑してる。ゆかりも料理ダメなのか?
「レインボーが貯金を貯めこんでるの知ってたから、あんた、それ出しなさい! 主計町に出物の物件があるから、カフェやるよっ、って」
「はあー」
「このあたりに、こんな雰囲気のお店だせば、観光客が確実に入るな、って感覚はあった。わたし、プロのデザイナーだから。デザイナーの仕事ってなんだと思う、トシキ?」
「いろいろなモノを美しくする仕事、っていうのじゃダメですか?」
「じゃあ、なぜ美しくしなくちゃならないの?」
「美しくするとみんなが欲しがるから…それまでよりモノが売れます」
「それは、ちょっと古い考え方ね、古すぎる」
「すみません。古くて」
「じゃ、たとえばアップル」
「はい」
「アップルの製品は美しい」
「はい」
「じゃあ、なぜ売れる?」
「なんといっても使いやすいからです。美しさはその次です」
「トシキがいま考えてる『デザイン』は、筐体の…製品の外見のことでしょ。それだけじゃないの。…もう一度、聞くね。アップルの製品は、なぜ使いやすいの?」
「それは、たとえば、GUIの…画面のインターフェースがすぐれているからで」
「その画面のインターフェースをつくるのは誰?」
「システムエンジニアです…ああ、そうか…デザイナーの考えたものを形にするのがエンジニア…ですね」
「そのインターフェースは美しい?」
「はい。確かに…美しくて、でも無駄がなくて…」
「そう。その美しさは、おそらく、コンピュータを『使う』ということを理解しているデザイナーとデザイン思考をもっているエンジニアの共同作業の結果なのよ。…すぐれたデザイナーは、モノを美しくデザインする。でも、それは『美しくする』ことが目的じゃないの。もっとたくさんの人に使ってもらいたいから。使いやすくするために美しくデザインするの。その結果…コンピュータでいえば、わたしやあさひやゆかりちゃんみたいなコンピュータの専門的な知識がない人でも、直感的に使える『美しくデザイン』されたグラフィカル・ユーザー・インターフェース(GUI)をもったマッキントッシュ・コンピュータが…ああ、マッキントッシュっていうのは、いまのアップルよ…誕生した。Apple OSやWindowsみたいに使いやすくデザインされた…デザイナーのことばでいえば『ユーザーフレンドリー』なOSができたからこそ、コンピュータが爆発的に普及したことは、もちろん知ってるよね? その中でもアップルは、それを最初から意識して、完全に『デザイン』で成功したメーカーなの。それ以降、アメリカのIT業界は、すべてデザイン最優先で発展してきてる」
「はい。おっしゃることがよくわかります。正にそのとおりです」
「日本のIT業界はOS開発でもソフトウェア開発でも…あまりデザイナーが強く関与する体制をつくらなかった。だから、日本製品は、スマホからロボット掃除機まで、ハードウェアの性能は悪くないし、いろいろな機能も満載してるけど、インターフェースのデザインがいまいち。使っていて心地よくない。それで、アメリカのメーカーに全然かなわなかったの。わかる?」
「はい。ぼくには…毎日、PCとむきあってるので、実感として…すごく、よくわかります」
「じゃあ、トシキ、おぼえておいてね。…デザイナーの仕事って、ものすごく重要なの。それまでの世界をすっかり変える力があるの。そして、これからの世界を変えるのもデザイナーなのよ」
ここまで自信たっぷりにいいきると、スコール先輩は、にっこりと笑った。すべての聴衆を魅了してしまうシャープな口調、涼しい目元、美しい笑顔。さすが元『超絶美少女』!
「はい。スコール先輩が『わたしはデザイナー』って自信たっぷりにおっしゃる理由がよくわかりました」
「たとえば、この店はね…わたしが金沢をデザインしたら、こうなる、ってお店なの。ユーザーは金沢の雰囲気を体感したい、と思ってる観光客。ひがし茶屋街を歩いてきた2~5人の女性グループやカップル、そして外国人観光客。レンタル着物の人も多い。さっき、お抹茶を畳の座敷で飲んだ。いろいろな店でショッピングも楽しんだ。慣れない和服着て歩いて疲れたし、ちょっとイスにすわって休みたい。あ、あそこにお店の正面が全面ガラス張りになってるカフェがある。えー、あのお店、なんかおしゃれ! デザインはすごくモダンなんだけど、古い民家を改装した雰囲気がすごく金沢っぽい…広い空間が開放的で、居心地よさそう。外から店内の様子がよく見えるから、女性グループや外国人もためらわずに入れる。あのイス、和服でも座りごこちよさそう。わたしが和装で優雅に座ってる姿を外からみてもらっちゃおう! カウンターに長い黒髪の涼しげな美人がいて接客してるのもいい感じ。…ちょっと休んでいこうよ…っていうデザインなの」
「はあー。なるほど」…リンクス先輩も「デザイン」なんですねっ。
「おかげさまで、わたしのデザインが金沢にくる観光客のニーズにぴたっとハマってお客さんがたえない。でも、一つ想定外だったのは、レインボーの料理センスをわたしがちょっと軽くみてた、ってこと。彼女がデザインするランチが好評で、毎日ランチタイムに、ターゲットにしてなかった地元の人もたくさん来るようになって、人手不足になっちゃった。平日のランチタイムは、レインボーが入るんだけど、土曜日は、料理教室にもキャンセル待ちがでるほどになっちゃって、彼女は掛け持ちができなくなった」
「なるほど…そういうことだったんですね」
「そして、ここに料理を習いたいイケメンがやってきた。教室には、アシスタントがほしいと思ってる美人料理研究家がいる。イケメンを眺めて癒されたいセレブの奥さまたちがいる。さらについでに、なんにでも使える器用な召使いもついてきた」
「さらについでに、ですかっ!」
「土曜日、ランチタイムにカフェで働く新しいアルバイトが必要だといっている美しい人がいる。毎週、その美しい人の前でご主人さまの帰りを待ちながら、美しい人にしっぽパタパタふってる犬がいる」
「いぬっ!!」
「さあ、これらの要素をどのようにデザインすれば、いちばん美しく、使いやすくて、みんなが満足できる形になるか…これって、プロのデザイナーが『デザイン思考』で解決しなくちゃならない仕事でしょ?…というわけで、来週の土曜日からしっかり働いてね!…イケメンさんといぬちゃん!」
「はい!」
「ワンッ!!」
まず、トシキさんに事情を話して修行してもらわなきゃならない。もちろん、ゆかりから話してもらってもいいんだけど、ぼくも一度、トシキさんに会っておきたい。直接会ってみて、トシキさんが感じの悪い「イケメン」だったら、この話は断らなくちゃならない。ぼくだって「わたしのお義兄さまになる人は最高の男性じゃなくちゃダメっ!」っていちおう思ってる。ゆかりほどじゃないけど。
それで、ゆかりと一緒にトシキさんにきてもらって話をすることにした。
もう一つは、修行先を決めなきゃならない。「料理」に関しては、おねえちゃんが「レインボー先輩」の『暮らしのアトリエ』で、って指定したので、そちらに頼もうと思う。
もう一つの「モテる会話術」についてだけど、そんなおかしなことについての講習ができるヒトは、もう日本中さがしても中村博士しかいない、よね?
いや、だいたい「モテる会話術」なんて修行して習得するようなもんじゃない。だから、博士にお得意の『モテるコミュニケーション理論』の基礎編を講義してもらおうと思う。中村博士は、話をおもしろくするために、調子にのってちょっと盛っちゃう、という欠点がある。でも、じつは博士は…ウチの父の話では…一流の言語学者だし、盛っちゃう部分もふくめて、なぜかとにかく話に説得力がある。トシキさんは、頭の切れるヒトらしいから、講義を聞いてもらうだけで、きっとなにか、つかんでくれるだろう。そして、もちろん博士は、なぎさから頼めば、よろこんでやってくれる、はず。
…ぼくは、そんなふうに作戦を立てた。
まず、なぎさに全体の作戦を話して、おとうさん…中村博士に承諾をもらう。博士はもちろんOK。
それから、ゆかりに電話する。
「今度の土曜日14時から空いてる?」
「空いてる♡ ゆかりとデートしたくなった?」
「したくない」
「ぶー」
「トシキさんは、いまそばにいるの?」…今日は水曜日だから、この時間、家にいるはず。
「ぶー いるよ」
「その時間、空いてるかどうか聞いて!」
「ぶー なにそれ」
「聞いて!」
「空いてるそうです ぶー」
「じゃあ『魔王さまの件』でお話ししたいので、ゆかりをいれて3人で会いたい、っていって!」
「えー、ゆかりと2人だけで会おうよー」
「だめっ! 3人で」
「ぶー いいよ、って」
「じゃあ、いいか『14時に主計町のカフェ『雨と虹』に来てください』って伝えて!」
「ゆかりそんなカフェ知らないっ」
「トシキさんに『ネットで調べてきてください』っていって!」
「わかったよ…えーとなんて名前?」
「『雨と虹』」…ゆかりはメモしてるらしい。意外としっかりしてる。
「場所!」
「かずえまち…かずえ、っていうのは主人公の『主』に会計の『計』って書くんだ」
「はいはい…わかった…トシ兄ちゃん、これ調べてよっ!」…兄にメモをつきつけて命令してるらしい。
「じゃ、たのむよ! 土曜日14時に会おう!」
「ぶー!!」
土曜日14時少し前に『雨と虹』の前でゆかりとトシキさんを待つ。時間どおりに2人がやってきた。今日のゆかりもゆかりっぽくないオトナファッション。フレンチスリーブっていうのかな? 袖がふわっと広い、やっぱりオーバーサイズのライラック色の柔らかい生地のシャツに7分丈の紺色のクロップドパンツ。ライラック色と紺色が、スミレ色のゆかりの匂いによく似合っている…っていうのは、ぼくだけの感覚。
お兄さんのほうは、ぼくと同じくポロシャツとチノパンという、どこにでもいるファッション…なんだけど、ぼくと見た目は…だいぶ違う。あんまりいいたくないけど。
ぼくは、ずっとトシキさんがどんな「イケメン」か、って想像してた。でも、オトコが想像する「イケメン」って、だいたい少女マンガにでてくる「王子様」みたいな感じか、テレビにでてくる「アイドル」みたいなものになっちゃう。髪が長くて「なよっ」ってした感じにうねったりしてて…もう完全にひがみと偏見ですけど。つい4日前、弓美に20回ぐらい「あさひはイケメンじゃない」っていわれたから拗ねてます!
で、そんなひがみと偏見にとりつかれていたせいで、トシキさんをみた瞬間「彼ってイケメンなの?」…って思っちゃった。オトコの感覚、っていうか、ぼくの感覚では「イケメン」っていうより「アスリート」で「さわやかな好青年」って感じのヒトだった。髪がうねってないからとりあえず一次審査は合格。
「アスリート」って感じたのは、その体型。上半身が大きくてがっしりしてる。肩幅が広い。あー、これは水泳だね!…そうか、ゆかりも同じなんだ。2人とも水泳やってるんだ。それも、日常的にかなり泳ぎこんでる体型だ。あー、ゆかりがいつもオーバーサイズのトップス着てくるのもそれかー。ゆかり、自分の肩幅ががっしりと広いのが恥ずかしいと思ってるんだ。そんなことないよ、って今度いってやらなくちゃ。肩や胸がしっかり鍛えられてるゆかりなら、大きく開いたスクエアネックとかタンクトップなんかもすごく似合いそう。健康的で、セクシーなゆかりのデコルテをオトコたちに見せつけちゃえよ!
トシキさんの「顔」のほうは…うーん。他にいいようがないほど…「イケメン」だった。バランスがとれた「整った顔」。これは、ゆかりも同じなんだけど、ゆかりの場合、その上に「かわいい」とか「キュート」とか「ちょっと抜けてる」みたいなチャームポイントがたくさんのっかっちゃってるから、すぐに「キレイ」って感じない。弓美がいうところの「色がついてる美少女」ってヤツだ。でも、トシキさんの場合「整った顔」の上によけいなものが「のっていない」からストレートに「イケメン」っていわれちゃうんだ。なぎさと同じ。
「ヤッホー、あさひ兄ちゃん、待った?」
「いや。ちょうど来たとこ」…このパターンから始まる会話って、デート開始の合図みたいなもんだよね。今日は3人だけど。
「よかった。これトシ兄ちゃんねー。これあさひ兄ちゃんだよ」…こらこら、紹介を「これ」ですませるなっ!
「竹田俊希です。初めまして」…そういって、それまで無表情な「イケメン」だったトシキさんが、すっと笑顔になった。妹のゆかりと同じ、えくぼが魅力的。いままでオトコのえくぼって意識したことなかったけど、トシキさんの顔立ちにすごく似合ってる。そして、その瞬間、さわやかな風が吹いたみたいな気がした。あー、これかー、弓美がいってたヤツ。これで99%のオンナのコがヤラれちゃうんだ。おねえちゃんもヤラれちゃえばよかったのに。そしたら、めんどうな修行も必要なかったのにー。
「八倉巻あさひと申します。どうぞよろしくお願いします」
「すみません。最近、ゆかりがいろいろわがままをいってるみたいで…それに、今回は、ぼくまで…」
「いやいやあ…なんていうか…その…まあ、とにかく入りましょう」…コミュ力最強のぼくも、さすがにこういう場合になんて応答すればいいのかわからない。
「ねえねえ、このカフェってどういうお店?」
「入ればわかるよ」
透明のアクリル引き戸を開けて入ると、いつもの土曜日の午後と同じく、低くて明瞭な、そして涼しい声がぼくらを迎える「いらっしゃいませ」
「どういう店かわかった」…声を聞いて、ゆかりがつぶやく。
ぼくはリンクス先輩にいう「今日は奥のテーブル席に」
「どうぞ」…おっと、ゆかりがリンクス先輩にみとれてる。こらっ、こっち来い!
テーブル席に3人で座る。リンクス先輩が水の入ったグラスをもってくる。
「あ、は、は…初めまして。わたしは、第26代の…竹田ゆかりです。よろしくお願いいたします」
ゆかりもだいぶ修行ができてきたらしい。リンクス先輩の正体をちゃんと一目で見抜いた。しかも、緊張のあまり立ち上がってる。
「初めまして。わたしは23代の奥山あけみ、リンクスよ」
「り、リンクス先輩、ステキです。あこがれちゃいます」
「ありがと。ゆかりちゃんもかわいい。また一人、かわいい後輩ができてうれしいな」
そういいながら、リンクス先輩は、ぼくをチラッと見て、目でたずねる「こちらは?」
「あ、ご紹介します。こちらは、ゆかりのお兄さんの竹田トシキさん、です」
それを聞くとリンクス先輩は、一瞬小さく「あっ」という表情をした。おねえちゃんとのことを知っているんだろう。
「どうぞよろしく。奥山あけみです。コードネーム…って、知ってる?」
「は、はい。最近、ゆかりに聞きました。『美しき魔王』とか、ですよね?」
「ハハハ。わたしは『リンクス』っていうの。山猫よ。…『魔王』より、ずっとかわいいでしょ? よろしくね」
「竹田俊希です。どうぞよろしくお願いいたします。リンクス先輩」
トシキさんまで立ち上がってあいさつするので、ぼくも立ち上がる。土曜日の午後の観光地の東山のオシャレなカフェなのに、みんな立ち上がってあいさつしてるなんて、これから商談をはじめるみたいで、なんか変。
そこにちょうどタイミングよく奥からスコール先輩がでてきた。
「あさひくん。こんにちは」
「あ、スコール先輩。なぎさがお世話になってます。いつもありがとうございます」
「あさひくんって、立派なあいさつするのね!」…リンクス先輩と同じこといわれちゃった。
「なぎさと待ちあわせ? 彼女、もうちょっと描きたいって、まだ、教室にいるけど…」…今日は土曜日だから、なぎさは10時からスコール先輩の絵画教室にデッサンを習いにいっている…「なぎさの集中力って、ちょっとすごいわ!昼ごはんもちょっとパンかじっただけ。…いくらなんでも、もうそろそろこっちにくると思うけど」
「いえ、今日は待ちあわせ、ってわけじゃなくて」…まあ、なぎさが終わってからこっちに来たら一緒に帰るつもりだけど…「この2人と話が…」
「…あ、そうだ、先輩にも紹介します。このオンナのコが第26代『超絶美少女』の竹田ゆかりです。ゆかり、こちらは、松浦令さん。コードネームはスコール先輩。もちろん、ゆかりの大先輩で、このカフェのオーナー」
「こんにちは!…あっ、初めまして、だった…初めまして。竹田ゆかり、です」
「まあ、かわいいヒトねー。それに…」
「それに?」
「とってもキレイなヒト…将来がすごく楽しみ」
「えー、スコール先輩、はずかしいですー」…バカだね、ゆかり、スコール先輩は、早くオトナになれ、っていってるんだよ。高校生なのにこどもっぽすぎるんだよ。ゆかりは!
「…そして、こちらのすてきな男性は? ゆかりちゃんのお兄さん、かしら?」
あれっ? スコール先輩、なんか微妙な反応。もしかして…イケメンに弱い?
「はいっ!わたしのお兄ちゃんです。似てますか?」
「なんか顔立ちがね。お兄さんも妹さんも美しい…うらやましいでしょ、あさひくん?」
「ぶー。なんで、そこにぼくが登場するんですかっ!」
「竹田俊希です。どうぞよろしくお願いいたします」…と例の99%ヤラれちゃうさわやかな笑顔…スコール先輩、だいじょうぶですか? ヤラれました? 顔色がちょっと赤いような…。
「で、今日はどんな話なの?」…あれっ? スコール先輩、なんでみんなと一緒にテーブルに座っちゃうんですかっ?
「リンクス。わたしはエルダーフラワーのコーディアル、ソーダで。みなさんは、なににする? 今日は、わたしのおごり。なんでも好きなものをどうぞ」
「スコール先輩、エルダーフラワーってなんですか?」
「ん、エルダーフラワーっていう香りのいい白い花でつくったシロップのソーダ割。エルダーフラワーは日本語では『ニワトコ』っていうのかな。ヨーロッパの伝統的な飲み物よ」
「それ、試してみたいです」
「ゆかりも!」…えっ、みんなエルダーフラワーなの? ぼくは深入りコーヒー、ってなんかいいにくい…「じゃあ、ぼくも」
リンクス先輩は、なぜかクスッと笑ってキッチンへいった。
「それで、どんな話なの? 今日集まったのは?」…あのー、スコール先輩には招集かけてないんですけど。まあ、しょうがないか。
それで、ぼくはスコール先輩にこれまでのいきさつを簡単に話してから、トシキさんにおねえちゃんの「確約」について伝えた。
「というわけで、修行すればつきあうそうです」
「するよ。もちろん。修行でも座禅でも滝行でも」…そこまでしなくていいです。禅僧になってくれ、っていってるんじゃないんで…といおうとしたところで、トシキさんは、真剣な顔で微笑んだ。「この恋のため、ひとみのためだったら、ぼくはなんだってする」という決意がはっきり見える笑顔だった。それを見てスコール先輩の目つきが変わった。鋭くなった。
「わたしもトシキのためにひと肌、脱いであげる」…いや、服も肌も脱がなくていいです、スコール先輩。
「わたしからレインボーに頼んであげる」
「いや、そんなことまで…先輩にしてもらわなくても。ぼくから頼みますから」
「あさひは、知らないと思うけど、レインボーの料理教室って、金沢のそういう人たちの間では、有名なの。キャンセル待ちがでるぐらいなの。だから、あなたたちは、そんな簡単に入れてもらえない」
「そういう人たち…って?」
「いわゆるセレブリティの奥さまとか、お嬢さま…医者とか会社経営者とかの、ね」
「そ、そうなんですか…」
「ま、あなたたちを見てると、いいお家でしっかりと育てられたこどもたちだな、っていうことがわかるから、お家のほうに問題はない。だから、ゆかりちゃんなら、キャンセル待ちがクリアできれば、入っても問題ないと思うよ。いいお家の『お嬢さま』としてかわいがってもらえるわ。セレブの奥さまに。でも、大学生や高校生の『オトコのコ』が理由もなしに教室に受けいれてもらえるような雰囲気じゃない。ああいうところはジェンダーギャップが厳しいから」
「困ったな」
「わたしにいい考えがある。どう、わたしにひと肌、脱いでもらいたい?」
「はあ…」
「もらいたいでしょ!」…なんか、その強制的な依頼確認って、なぎさに似てます。
「はい。ぜひお願いします。スコール先輩!」…あー、トシキさんが前のめりな優先応答しちゃった。
「まかせて!じゃあ、レインボーに電話して打ち合わせしてくる。ちょっと待ってて」
スコール先輩が席を外すとゆかりがいった。
「この前、なぎさ先輩がいってたの」
「なに?」
「わたしは、スコール先輩みたいに歳を重ねていきたい、って。いまわかった。すっごく」
「うん。確かに…その点はまったく同感。スコール先輩ってしっかりオトナで、いろいろな経験も豊かに積んでるヒトだと思う。だから、すごく存在感があって、なんだかとても信頼できるオトナ女性。でも、ちっとも歳をとってないんだ。だから、ぼくらとも全然ふつーに話ができる。そこがすごい」
そこにリンクス先輩がエルダーフラワー・ソーダを持ってきた…3つ。あれっ? ぼくにはコーヒー、ぼく、コーヒーっていったっけ?
「あの。ぼく、コーヒーっていったんでしょうか…」
「あら、あさひくんは深入りコーヒーでしょ」…いや、そう思ったんですけど、そういってないと思うんですけど…いった??
「じゃ。どうぞごゆっくり」
しばらくして、スコール先輩がもどってきた。
「OKよ!…トシキには、毎週、土曜日の教室のアシスタントをやってもらいます。来週の土曜日からよ。いい?」
「あ、アシスタント、って、なんですか…」
「だいじょうぶ。レインボーを信じて。彼女の指示どおり動いていれば、なにも問題ないよ。トシキもちゃんと料理ができるようになる」
「あ、あのー、ぼくは?」
「あさひはもうできるでしょ?」
「へっ?」
「なぎさがいってたよ。あさひの料理はおいしいって、ね」…なにっ?
「だから、あさひは、料理がヘタなイケメンアシスタントのアシスタントをするの」
「なにをおっしゃってるのか、まったく意味がわかりません」
「そう? じゃあ、いまからブリーフィングをはじめます」
「ブリーフィング、ってなんですか?」
「作戦会議」
スコール先輩の「作戦」っていうのは、こんな感じだった。
セレブリティの女性の間でキャンセル待ちがでてるような高級お料理教室にトシキさんとぼくがキャンセル待ちを無視して「ゲスト」、つまり「生徒」として入るといろいろ問題がおきる。だから「スタッフ」としてぼくらを入れちゃおう、というのが、基本的な考え方だ。
「あんたたちが『こっち側』の人間、つまりレインボーの手下…じゃない…部下として仕事をする『スタッフ』として入るなら、なにも軋轢が生じない。オトコでも問題なし、っていうか…それどころか、美人料理研究家として評判のレインボーが、年下のさわやかなイケメン男子とその他1名を助手にした、ってことになるとセレブの奥さまやお嬢さまたちはトキめいちゃう」
「あのー、その他1名ってのは…」
「あさひに決まってるでしょ!…それでね、いままでは、レインボーがみんなの前で、その日の料理をつくってみせてたの。料理番組みたいにね。それから、各料理台にわかれて、みんなが料理をつくっていくところをレインボーが回るってやりかたをしてた。それを、これからはトシキがつくってみせることにするの。レインボーの指示にしたがって」
「そ、それは、ちょっと…」
「トシキ!あなたの恋のためよっ! You can do it!」…なんで突然英語?
「トシキがつまずいたようなときには、あさひがササっと手伝いに入る。レインボーはトシキが失敗したときに『ここに気をつけて、こういう失敗をよくするんですよ』って解説する。だからトシキは失敗しても全然気にしない。むしろ失敗して!それから、お料理番組でよくあるやつ…レインボーが『こちらにオーブンで20分ローストしたものをあらかじめ準備しておきました』っていったときも、あさひが横からササっとだす」
「はいはい。要するに、ぼくはレインボー先輩とトシキさんの召使いですね」
「そうそう。そうやってトシキが料理をつくってみせた後に、今度は生徒たちが料理をつくりはじめるから、レインボーとあさひが各調理台を回って生徒たちにアドバイスする」
「ぼくは?」
「トシキは正面でさわやかに笑ってて!」
「いや、そ、それは」
「じゃあ、あさひと一緒に回って」
「はい」
「そんな感じで進めます。わかった?それでいいね?」
「はい。もちろん」…トシキさんは、なんかとってもうれしそう。
「土曜日の教室は10時開始なんだけど、2人は打ち合わせと準備があるから9時にきてちょうだい、ってレインボーがいってる。いいね? そして11時30分に調理が終わったら、2人は試食会には出ず、すぐにこっちにきてお店を手伝って!」
「はあ?」
「最近、観光客が増えて、土曜日のランチタイムがにぎわっちゃって、人手が足りないの!レインボーは料理教室に取られちゃうし、これからリサが試験勉強で忙しくなって土曜日にこられなくなるから、代わりのアルバイトが必要なの。あなたたち2人にやってもらう!お店のほうは、リンクスが指導するからだいじょうぶ」
「あ、あのー。バイトですかっ?」
「時給は当分、最低賃金しか払えない。勤務時間は9時からランチタイムが終了する15時まで。ただし残業の可能性あり。でも、あんたたちがちゃんと役立つことがわかったら、賃上げ交渉に応じる余地はある」
「そ、それって…そのお料理教室とカフェのバイトってセットなんですかっ?」
「別よ。一連の流れとして、まとめて話したほうがいいかと思っただけ」
「ちょ、ちょっとわけて話を聞いていいですか?」
「いいよ」
「まず、料理教室なんですけど…勤務時間が9時から、ってことは、料理教室もバイトなんですか? 料理習うつもりだったんですけど」
「バイトしながら料理も習う…ゲストじゃ入れられないから、スタッフで入れる…スタッフなのに給料払わなかったら、奴隷になっちゃう」
「まあ、ぼくは召使いですけど」
「召使いだけど、給料は払う。奴隷じゃないから。でも、トシキはレインボーに料理を習いながら実際につくってみるわけだから、結果的に料理の修行という目的も達成できるでしょ。ひとみに文句はいわせない」
「わかりました。スコール先輩」
「トシキはそれでいいのね?」
「もちろんです!」
「じゃ、料理教室はそれで決まり」
「あのー、ぼくの意見は」
「特に聞かない」
「そんなー」
「あさひは、召使いだから」…あ、召使って、給料はもらえるけど、意見は聞いてもらえない役なんですね。はじめて知ったー。
「次にこのカフェのバイトなんだけど、そっちはリンクスのリクエストなの…あさひに働いてほしい、って」
「リンクス先輩のっ!」
「あら、反応いいわね。あさひ」
「あ、いや」
「あさひ、毎週土曜日の午後、なぎさと待ちあわせるためにここに来てるでしょ?」
「はい」
「いつも、なぎさが来るまで、カウンターに座って、深入りコーヒー飲みながら、うっとりリンクス眺めてる」
「い、いえ…」
「ときどきリンクスが声をかけると、しっぽパタパタふってよろこんでる」
「い、いえ、ぼくしっぽありません」
「しっぽふるのムダだし、人手が足りないんだから、あいつを働かせろ、と」
「…いうこと。どお?」…いつの間にかリンクス先輩がそばにきてた。
「ね。あさひくん、やってくれるでしょ?」というと、リンクス先輩は、ぼくにウインクする。ゆかりの「パチッ」と音が出るような派手なウインクじゃなくて、すごく優雅な流れるせせらぎみたいなウインクだ。ステキー。あーん、しっぽパタパタしちゃうー。
「えー、わたしもバイトしたいですー。リンクス先輩と!」…ゆかりが口をはさむ。
「ゆかりちゃんが、もうちょっとオトナになったらお願いするね。この店はオトナっぽい雰囲気にしたいから、ホントは高校生のバイトは雇わないんだけど、リンクスがあさひなら、ちゃんとオトナの接客ができる、って推薦したから、あさひを特別に雇ってみるの。ゆかりちゃんも『オトナの接客ができる』ってリンクスが認めるオトナになったら雇うからね」…そうだよ! ポップコーンみたいにパチパチ音がでるこどものウインクしてる間はダメだね!
「…それまでは、ゆかりちゃんの代わりにトシキさんにお願いできるかな?」
「スコール先輩、なにからなにまで本当にありがとうございます!」
「トシキ、やってもらえるのね?」
「はいっ。いままで人を相手にする仕事ってしたことなかったので、一度、そういう仕事、やってみたかったんです」
「えー、トシキさん、人を相手にしない仕事してたんですか?それってなんですか?」
「大学に入ってから、ずっとパソコンを使ってプログラムのアルゴリズムを設計したりするバイトをしてる」
「お兄ちゃんたち2人でそういう仕事請け負ってるの! すっごく儲かるの! ゆかり、いっぱいお洋服買ってもらっちゃった!」
「東大には、そういうバイトの依頼がたくさんくるから、それを請け負ってカズキと2人で深夜、音声チャットで討論しながら作業するんです」
「はー、世の中の大学生にはそういうバイトしてる人もいるわけですね」…なんか世界が違う。
「だから、ふつーのバイトっていうのをしたかったんです。すごく興味あるんで!」…あー、ぼく「ふつー」じゃなくて「すっごく儲かるバイト」のほうに興味あります。お洋服買いたいですぅー。
「よかった!お兄ちゃん!!これで『美しき魔王さま』ゲット作戦のファーストステージクリア!!」…それ、知らない人が聞いたらRPGの話してると思うよね。
「今日、初めてお会いしたんですが…スコール先輩のセンスってすばらしいと思います。先輩が考えた『作戦』に感心しちゃいました。なんか全部きれいにピースがそろったパズルをみてる感じです」…トシキがいう。
「わたしは、デザイナーなの」
「デザイナー、と関係が?」
「わたしの本職はプロダクト・デザイン。いまは自分で事務所を持っていて、主に企業からの依頼でさまざまな製品のデザイン…スタイリングをしたり、それを誰に、どんな風に売るか、なんとことをプランニングしてる」
「このカフェは?」
「趣味」…趣味!トシキさんの「バイト」といい、スコール先輩の「趣味」といい、やっぱ住んでる世界が違う!
「わたしが愛する金沢の街をちょっとだけデザインできたらな、と思ってね。それと、レインボーのため」
「レインボー先輩の?」
「彼女、ちょっと事情があって、仕事やめなくちゃならなくなって、それからしばらく、優雅に専業主婦のおかあさんやってたから、もったいないと思って」
「もったいない、って?」
「彼女の能力、ちょっと他にはない才能が」
「どんな才能なんですか?」
「もちろん料理よ。あたりまえでしょ。彼女、料理が好きで、元の仕事も管理栄養士だったの」
「はー。料理好きの『超絶美少女』っているんですね。珍獣ですねー。はじめて遭遇しました」…スコール先輩と一緒にゆかりも苦笑してる。ゆかりも料理ダメなのか?
「レインボーが貯金を貯めこんでるの知ってたから、あんた、それ出しなさい! 主計町に出物の物件があるから、カフェやるよっ、って」
「はあー」
「このあたりに、こんな雰囲気のお店だせば、観光客が確実に入るな、って感覚はあった。わたし、プロのデザイナーだから。デザイナーの仕事ってなんだと思う、トシキ?」
「いろいろなモノを美しくする仕事、っていうのじゃダメですか?」
「じゃあ、なぜ美しくしなくちゃならないの?」
「美しくするとみんなが欲しがるから…それまでよりモノが売れます」
「それは、ちょっと古い考え方ね、古すぎる」
「すみません。古くて」
「じゃ、たとえばアップル」
「はい」
「アップルの製品は美しい」
「はい」
「じゃあ、なぜ売れる?」
「なんといっても使いやすいからです。美しさはその次です」
「トシキがいま考えてる『デザイン』は、筐体の…製品の外見のことでしょ。それだけじゃないの。…もう一度、聞くね。アップルの製品は、なぜ使いやすいの?」
「それは、たとえば、GUIの…画面のインターフェースがすぐれているからで」
「その画面のインターフェースをつくるのは誰?」
「システムエンジニアです…ああ、そうか…デザイナーの考えたものを形にするのがエンジニア…ですね」
「そのインターフェースは美しい?」
「はい。確かに…美しくて、でも無駄がなくて…」
「そう。その美しさは、おそらく、コンピュータを『使う』ということを理解しているデザイナーとデザイン思考をもっているエンジニアの共同作業の結果なのよ。…すぐれたデザイナーは、モノを美しくデザインする。でも、それは『美しくする』ことが目的じゃないの。もっとたくさんの人に使ってもらいたいから。使いやすくするために美しくデザインするの。その結果…コンピュータでいえば、わたしやあさひやゆかりちゃんみたいなコンピュータの専門的な知識がない人でも、直感的に使える『美しくデザイン』されたグラフィカル・ユーザー・インターフェース(GUI)をもったマッキントッシュ・コンピュータが…ああ、マッキントッシュっていうのは、いまのアップルよ…誕生した。Apple OSやWindowsみたいに使いやすくデザインされた…デザイナーのことばでいえば『ユーザーフレンドリー』なOSができたからこそ、コンピュータが爆発的に普及したことは、もちろん知ってるよね? その中でもアップルは、それを最初から意識して、完全に『デザイン』で成功したメーカーなの。それ以降、アメリカのIT業界は、すべてデザイン最優先で発展してきてる」
「はい。おっしゃることがよくわかります。正にそのとおりです」
「日本のIT業界はOS開発でもソフトウェア開発でも…あまりデザイナーが強く関与する体制をつくらなかった。だから、日本製品は、スマホからロボット掃除機まで、ハードウェアの性能は悪くないし、いろいろな機能も満載してるけど、インターフェースのデザインがいまいち。使っていて心地よくない。それで、アメリカのメーカーに全然かなわなかったの。わかる?」
「はい。ぼくには…毎日、PCとむきあってるので、実感として…すごく、よくわかります」
「じゃあ、トシキ、おぼえておいてね。…デザイナーの仕事って、ものすごく重要なの。それまでの世界をすっかり変える力があるの。そして、これからの世界を変えるのもデザイナーなのよ」
ここまで自信たっぷりにいいきると、スコール先輩は、にっこりと笑った。すべての聴衆を魅了してしまうシャープな口調、涼しい目元、美しい笑顔。さすが元『超絶美少女』!
「はい。スコール先輩が『わたしはデザイナー』って自信たっぷりにおっしゃる理由がよくわかりました」
「たとえば、この店はね…わたしが金沢をデザインしたら、こうなる、ってお店なの。ユーザーは金沢の雰囲気を体感したい、と思ってる観光客。ひがし茶屋街を歩いてきた2~5人の女性グループやカップル、そして外国人観光客。レンタル着物の人も多い。さっき、お抹茶を畳の座敷で飲んだ。いろいろな店でショッピングも楽しんだ。慣れない和服着て歩いて疲れたし、ちょっとイスにすわって休みたい。あ、あそこにお店の正面が全面ガラス張りになってるカフェがある。えー、あのお店、なんかおしゃれ! デザインはすごくモダンなんだけど、古い民家を改装した雰囲気がすごく金沢っぽい…広い空間が開放的で、居心地よさそう。外から店内の様子がよく見えるから、女性グループや外国人もためらわずに入れる。あのイス、和服でも座りごこちよさそう。わたしが和装で優雅に座ってる姿を外からみてもらっちゃおう! カウンターに長い黒髪の涼しげな美人がいて接客してるのもいい感じ。…ちょっと休んでいこうよ…っていうデザインなの」
「はあー。なるほど」…リンクス先輩も「デザイン」なんですねっ。
「おかげさまで、わたしのデザインが金沢にくる観光客のニーズにぴたっとハマってお客さんがたえない。でも、一つ想定外だったのは、レインボーの料理センスをわたしがちょっと軽くみてた、ってこと。彼女がデザインするランチが好評で、毎日ランチタイムに、ターゲットにしてなかった地元の人もたくさん来るようになって、人手不足になっちゃった。平日のランチタイムは、レインボーが入るんだけど、土曜日は、料理教室にもキャンセル待ちがでるほどになっちゃって、彼女は掛け持ちができなくなった」
「なるほど…そういうことだったんですね」
「そして、ここに料理を習いたいイケメンがやってきた。教室には、アシスタントがほしいと思ってる美人料理研究家がいる。イケメンを眺めて癒されたいセレブの奥さまたちがいる。さらについでに、なんにでも使える器用な召使いもついてきた」
「さらについでに、ですかっ!」
「土曜日、ランチタイムにカフェで働く新しいアルバイトが必要だといっている美しい人がいる。毎週、その美しい人の前でご主人さまの帰りを待ちながら、美しい人にしっぽパタパタふってる犬がいる」
「いぬっ!!」
「さあ、これらの要素をどのようにデザインすれば、いちばん美しく、使いやすくて、みんなが満足できる形になるか…これって、プロのデザイナーが『デザイン思考』で解決しなくちゃならない仕事でしょ?…というわけで、来週の土曜日からしっかり働いてね!…イケメンさんといぬちゃん!」
「はい!」
「ワンッ!!」