「あさひ兄ちゃん…」
ゆかりと約束した土曜日、まだ梅雨は明けていないけどよく晴れた日の午後、ぼくがスタバに入ると、もう、ゆかりは先に来ていた。明るい6月の陽差しの下を歩いてきたせいか、ちょっと薄暗く感じるスタバの店内で、甘いすみれ色の香りを漂わせるゆかりのほうから声をかけられてやっと気づいたほどだった。
ゆかりの私服姿を見るのは、今日が初めてだったけど、予想と違ってた。ぼくは、ゆかりのことだから、オンナのコっぽい色…たぶん、ピンク系のTシャツ。それも短めのおへそが見えるような…ボトムスは、絶対にショートパンツかキュロットだろうと想像してたんだ。ところが!…その日の彼女は、サックスブルーの、左右に開いたボートネックの、サイズ大きめの、袖がふわっとしてる、もちろんおへそなんか絶対に見えない長さのカットソーに、シルエットがすっきりしたスリムな白いパンツだった。脚が長く見える。なんか大人っぽい。ゆかりらしくない。意外。
…とはいえ、ゆかりは、妹キャラの印象が強すぎるせいで、小柄な感じに記憶されちゃうんだけど、身長はなぎさとそんなに変わらない。だから、大人っぽい服装もすごくいい感じ。ボートネックからのぞく鎖骨がほっそりと涼しげでステキだ。それに、胸が大きいぞ…なぎさのときも「大きい」ってびっくりしちゃったけど、「おどろき」の内容がちょっと違う。なぎさは、おっぱいがキュッと盛りあがってる、ってことにおどろいちゃったんだけど、ゆかりは、胸が豊か、なことにおどろいた。でも「たわわな胸」って感じではない。しっかりと引き締まっていて「胸筋から豊か」っていえばいいのかな…なんか変な表現だな。とにかく鍛えられてる。こりゃ、ゆかりも、なにかスポーツをやってるんだな。でも、学校でクラブ活動をやってるとは聞いてないし、なぎさみたいに自主的に活動してるのかな? それとも、おねえちゃんみたいに外の教室に習いにいってるのか?
でも、なんとなくわかったことがある。ゆかりは、キュートで、ホントにかわいくて、甘ったるくて、妹キャラだけど、甘ったるいキャラのオンナのコによくあるような、周囲に流されちゃう、とか、だらしなさそう、って感じは全然ない。やっぱり、しっかり自分で自分を鍛えてるんだ…「強さ」もちゃんと持っているオンナのコなんだ。
「今日はわざわざありがとう。あなたに会えてうれしい…でも、わたしをそんなに見つめるのはやめて…はずかしい」…あー、ごめんなさい。あまりの意外さに10秒ぐらい凝視しちゃった。
いつものゆかりなら、薄暗い店内でもその周囲だけ照らしだしてしまうような明るい笑顔と、甘ったるい声でキッチリ目立っちゃうはずなのに、今日はちょっと調子が違う。といっても、本人に元気がないわけじゃない。ははあ…これは、おねえちゃんか、その手下の弓美の指令で 「明るさを隠蔽して、あたりの空気に溶けこむ訓練」かなんかしてるんだな。あー、こうやって2か月前まで可憐な少女だったゆかりが、オトコのコを手玉にとる訓練を受けて、恐ろしい魔王さま一味に取り込まれてしまうんだ…かわいそうだが、美しき魔王さまの洗濯係と掃除係を兼任させられている召使の身分のぼくには、ゆかりを助けるすべがない。ごめんね、ゆかり。そのまま、恐ろしい魔王一味になってしまいなさい。
もっとも、ゆかり本人は、魔王さまの一味になったことをめちゃくちゃ楽しんでいるらしく、告白ダダ洩れ事件の後には、なにを思ったか、わざわざ「わたくし、第26代超絶美少女を襲名いたしました竹田ゆかりです。あさひ兄ちゃん、よろしくねっ!」と3年3組にあいさつにきた。そんなこと、わかっとるわ! おまえのせいで、ほら、クラスの全員がオレをみて笑ってるじゃないか! あっちいけ!…という事件もあった。
2人のオーダーをぼくがまとめて受けとり、席にすわると、ゆかりは話しはじめた。
「じつはね、お休みの今日わざわざ、あなたに来てもらった大切な大切な相談っていうのはね…」
「ちょっと待て、ゆかり。そんな会社勤めのオンナが休日に不倫相手の上司をよびだして『わたし妊娠しちゃったの』って、妻との別れを迫るときみたいな声をだすのはやめろ」…あー、これって6月の高校1年生には、ちょっと大人っぽすぎる比喩だったかな? 今日は、服装も話し方も大人っぽさを装ってるけど、3か月前まで中学生だったんだから。
ところで、さっきからのゆかりの話し方は、声のトーンも音量も低いけど、ものすごく歯切れよく、粒立ちのいい発声法を使っている。だから、周囲の席に静かに響いて、会話の内容がダダ洩れ。近くの席の人たちが、とびぬけてかわいいオンナのコがあんまりイケメンじゃないオトコのコにどんな「大切な大切な相談」をするのか、全神経を耳に集中させて聞いてるのを感じる。…じつは、これも『超絶美少女』の秘密兵器の一つだ。ぼくは3月の終わりに21美…金沢21世紀美術館のカフェでなぎさにこれを使われて、ぼくがその日まで17年間大切にしていたものを失ってしまった。だから、美しき魔王さまの指示でも、ぼくを練習台に使うのはやめろ!
でも、やっぱりゆかりは勘違いしてた。それも明後日の方角に。
「えっ!お兄ちゃん妊娠しちゃったのっ?」突然ピンクの声がでる。
周囲の空気が凍りつく…やっぱり高校1年生には難しい比喩だったか!…でも、おまえ、ちょっとは考えろっ!オレが妊娠するわけないだろっ!それにその服装に全然、似合ってない発言になってるぞ。
「しないよー。で、話ってなんだよー」…ゆかりが、あまりにも発言をハズしたのと、それに対してぼくが冷静に答えたので、周囲の空気もなんか和んだみたい。
「あのね。お兄ちゃんの話なんだけど」
「その『お兄ちゃん』ってどのお兄ちゃんだ?」こいつには3人もお兄ちゃんがいる。実の双子の兄2名と赤の他人のぼく1名だ。
「トシキ兄ちゃんなんだけど」
「えーと、弓美の彼氏…」
「…じゃないほう」
「ああ、わかった。ドローンの操縦士だな?」
「そうそう」
「なんか、すごいイケメンだとか」
「そうそう。でも『こんなにも美しいわたし』ほどじゃない」…こいつ、もう魔王さまのマネをしてる。だいじょうぶか?
「はいはい。それで」
「このトシ兄ちゃんには、高校1年生のときから5年間、想い続けている相手がいる」
「想い続けてる、って片想い、ってこと?」
「そうそう。ずーっと一途に。かわいいでしょ?」
「へえー。そんなイケメンなのに? ゆかりほどじゃないとしても」
「うん。わたしほどじゃない。でも片想い」
「いまの会話、微妙にかみ合ってないな」
「細かいことはいいの。理解できてるから」
「それで?」
「なに?」
「頼みって、なんだよ」
「なんとかしてよ」
「なに?」
「トシ兄ちゃんの片想い」
「なんでオレが」
「はいっ。では質問です。トシ兄ちゃんの片想いの相手は誰でしょーか?」
「な、なぎさかぁ?」思わず声が裏返る。
「あさひ兄ちゃん、バカね!」
「バカだと?」
「あたまの中になぎさ先輩しか住んでないんじゃない?」
「すいません」
「トシ兄ちゃんの片想いは高校1年からなんだって!トシ兄ちゃんが高校1年生のとき、なぎさ先輩は中学2年でしょっ!」
「そうでした。すいません」
「では、あらためて質問です。トシ兄ちゃんの片想いの相手は誰でしょーか?」
「え、えーと。誰だろ?」
「トシ兄ちゃんは、旭丘高校の卒業生です。わたしたちとおんなじ」
「オレたち、まだ卒業生じゃないぞ」
「数年後のわたしたちと同じ」
「ゆかりは危ないんじゃないか。卒業できるのか?」
「はい! そこでおもしろい冗談いってないで考えてっ」
「つまり、片想いの相手も旭丘高校の卒業生、ってことだな」」
「そうそう。あさひ兄ちゃんのそばにも、卒業生がいるじゃない」
「えー、えーと、誰だ?」
「もー、ホントにおバカさんね。じゃあ、大ヒント!…その人は『超絶美少女』でした」
「えー、なぎさじゃなく、って…ゆかり、なわけないし…ということは…えええええーっ」
「はい。そのとおり。答えはー」
「う、美しき魔王」
「ピンポーン!」
なんと、おねえちゃんに!
「しかも2回…2回告って、2回とも『ごめんなさい』」
そういえば、おねえちゃんに聞いたことがある。
------------------------------------------------------------------
「わたしね。歴代の『超絶美少女』の記録保持者なんだ」
「なんの?」
「3年間でフッたオトコの数に決まってるでしょ」
「はあ?」
「3年間で37人38回」
「なんで人数と回数がズレてるの?」
「1人で2回告白した間抜けがいたのよ…」
-----------------------------------------------------------------
そのお間抜けオトコが、ゆかりのお兄ちゃんだったんだ。
「ゆかりー。大変いいにくいんだけどさ」
「なに」
「ちょっと無理だとおもう」
「なんでよ。イケメンだよっ!わたしほどじゃないにしても、あさひ兄ちゃんの3倍くらいイケメンだよっ」
…ちょ、ちょっと待てよ。3倍はないだろ。それじゃ、トシキさんが100点満点だったとしても、オレは33点しかとれないじゃないか。33点じゃ卒業できないだろっ! それにここは卒業もイケメンも関係ないっ!!
「いや、1回告ったけどダメでした、っていうんなら、2回目に逆転ホームランがあるかな、って思うけど、2回告って2回ともダメでした、ってことは、3回目も4回目もダメだと思う。あきらめてもらってよ。悪いけど。イケメンなら、他に適当なオンナが見つかるよ」
「ヤダっ!ゆかりあきらめない。それになによ!その『他に適当なオンナ』っていいかた。そんなの失礼よっ!わたしに!」…もう完全にショッキングピンクな声になってる。
「なんで、なんでゆかりに失礼なんだ?」
「わたしね、わたしのお義姉さまにするのは、もう最高の女性だけって決めているの。カズ兄ちゃんは弓美先輩をゲットして、あさひ兄ちゃんはなぎさ先輩をゲットしたから、トシ兄ちゃんはひとみ先輩で決まりよっ!」
「ちょっと待て、そこには、お兄ちゃんたちの意志があるのか?」…それになんでそこにオレとなぎさが入ってるんだ!
「ないよっ」…わたしのお兄ちゃんたちは、わたしのお兄ちゃんたちなんだから、わたしが決めるのっ。
「そんなむちゃくちゃな…」…しかも、なんで一族を全員「美しき魔王」関係者で固めようとしてるんだ。おまえ、ラスボスになるつもりかぁ!!
「それにゆかり。おまえ、さっきから完全にわれを忘れていつもの妹キャラのしゃべりかたにもどってるぞ。いいのかなー、今日は特別な訓練の日だったんじゃないのかなー。魔王さまと弓美にいいつけるぞっ!」
「あっ!!!!」
ゆかりは5秒間フリーズした。…やはり甘い。まだ、弟子入りしたばかりだからな。…5秒後に呼吸をととのえて『超絶美少女』の低い、音量を押さえた、でも、周囲によくとおる声でいう。
「お願い。わたしには、あさひ兄ちゃんだけが頼りなの。たとえ可能性が低くても、あなたなら状況を打破できる。わたしは、あなたのことを…そんなすごい人だと信じてる。お願い…」
「はいはい。わかったよ。ちょっと調べてみるよ…でもさ、オレは妹キャラのゆかりのほうが好きだな。むかしから妹がいればいいなー、って思ってたから」
ゆかりは、また5秒間フリーズした。あー、こいつ、キャラチェンジに5秒かかるんだ。うちのおねえちゃんは0.1秒しかかからないぞ!やはりおまえは、まだまだ甘い!…でも、キャラチェンジのたびに5秒間も目を白黒させてるゆかりは超かわいい。もうめちゃくちゃかわいい!
「あのねー。最近、トシ兄ちゃん、ひとみ先輩と再会したらしいの」
「なんでわかった?」
「先週の土曜日、ゆかりがひとみ先輩と弓美先輩と話してたとき、ひとみ先輩が『白山のキレイな写真が必要』っていったの」
「はくさん?…って、あの山の白山?」
「そう。ひとみ先輩ね、夏休みにレポート書くの」
「ふーん」
「白山手取川ジオパークのこと調べて」
「はいはい」…おねえちゃんは、大学で人文地理を専攻している。観光と地域振興みたいなことを専攻するつもりらしい…ってちょっと聞いたことがある。
「だからね、ゆかりいったの。トシ兄ちゃん、毎月、白山でドローン飛ばしてるから、すっごいキレイな写真たくさんもってるよっ…って」
「へえー…それで?」
「それだけ」
「それだけ?」
「ひとみ先輩、なにもいわなかった。すぐ別の話はじめちゃった」
「それ、わざとか?」
「でしょー? それでねっ! 次の日、日曜日にトシ兄ちゃん、なんか、ものすごくうれしそうに、ずっと笑ってたの。すっごくすっごくうれしそうだったの!! 月曜日には、すっごいはりきって学校にでかけていったの。絶対、ひとみ先輩から連絡きたんだと思う! 大学で会ってくれたんだよ!」
おねえちゃんとトシキさんは同じ大学に通っている。ついでに、うちの父も。
「…大学で会ってくれた、ってことは、可能性ゼロじゃないでしょ?」
「そうだね」…二人が通う大学は、金沢市郊外の秋になるとクマが徘徊するような山の中にあって、おねえちゃんの学群とトシキさんのいる学群の間には、数多くの恐ろしい野獣が生息している巨大な谷がある。その間に歩行者用の橋がかかっているから、徒歩でもクマに捕食されずに往復できないわけじゃないんだけど、すっごく長い橋なので、まったく無駄になるとわかってるんなら、トシキさんだって、わざわざ橋をわたって対岸にいくようなことはないはずだ。ってことは、これは…可能性がゼロってわけじゃないな。
「なんかある…ね」
「しかもね」
「その後も?」
「うんうん…あのねー。お兄ちゃん、水曜日は、いつも帰るの5時ごろなんだ。うちは、水曜日には、だいたい4人そろって晩ご飯たべる。毎週」
「そうなんだ」
「それが、この前の水曜日、お兄ちゃん、ご飯いらない、って…9時ごろ帰ってきた」
「んんん?」…そういえば、うちのおねえちゃんも水曜日、帰るの遅かった。おねえちゃんは、火曜日と木曜日にバイトのシフト入れてる。だいたいルーティンで。ときどき土日にも入れる。それから、金曜日は合気道の稽古にいく。だから、うちも月曜日と水曜日は、おとうさんと3人そろって晩ご飯を食べることが多い。ところが、先週の水曜日は、めずらしくおねえちゃんが遅かったので、おとうさんと2人で食べた…。
「おいおい!…うちのおねえちゃんも遅かったぞ!」
「だ・か・ら…お兄ちゃん、お願いっ!」
「どの兄ちゃん?」
「あさひ兄ちゃんっ!決まってるでしょ!いま、目の前にいるんだからっ…察してよ! そのぐらい!」
「はいはい。すいませんね」
「ゆかりのお願いー。トシ兄ちゃんねー、ホントに一途にひとみ先輩のことを思い続けてるの、だーかーら」
「ゆかり、そういうシリアスな話をするときは、オトナキャラになるべきだよね!」
「あっ…」…あー、ゆかりってすごく素直。また5秒かけて目を白黒させてる。もー超かわいいー。もう見てるだけで心がとろけちゃいそう。
「あさひ兄さん。お願いよ!トシ兄さん、ホントに一途にひとみ先輩のことを思い続けてるの、でも、わたし、なんにもできなくて…いつもいつも悲しいの。あなたの力で、なんとかしてあげて…いま、わたしが頼りにできるのは、あさひ兄さん、あなただけなの。お願い…」
「わかったよ。じゃあ、最後に妹キャラになって、もう一回お願いしてくれる?」
「もー、わたしで遊ばないでっ!!」…バレたか。しかも、今度は5秒かからずにキャラ変しちゃった。
「あさひ兄ちゃん、お願い!」…ゆかりは、上目づかいのすがりつくような視線でぼくに頼る。よしよし。やっぱり、ゆかりは妹キャラに限る。
「わかった。引きうけるけど、あまり期待しないで待っててくれ。とにかく全力をつくすよ」
まあ、最初は情報収集からだな。まず、相手から…トシキさんのこと。
そんなわけで、ぼくはトシキさんのことを聞くために、なぎさに頼んで弓美に連絡してもらった。弓美の彼氏は、トシキさんの双子の兄弟だから。
ゆかりと約束した土曜日、まだ梅雨は明けていないけどよく晴れた日の午後、ぼくがスタバに入ると、もう、ゆかりは先に来ていた。明るい6月の陽差しの下を歩いてきたせいか、ちょっと薄暗く感じるスタバの店内で、甘いすみれ色の香りを漂わせるゆかりのほうから声をかけられてやっと気づいたほどだった。
ゆかりの私服姿を見るのは、今日が初めてだったけど、予想と違ってた。ぼくは、ゆかりのことだから、オンナのコっぽい色…たぶん、ピンク系のTシャツ。それも短めのおへそが見えるような…ボトムスは、絶対にショートパンツかキュロットだろうと想像してたんだ。ところが!…その日の彼女は、サックスブルーの、左右に開いたボートネックの、サイズ大きめの、袖がふわっとしてる、もちろんおへそなんか絶対に見えない長さのカットソーに、シルエットがすっきりしたスリムな白いパンツだった。脚が長く見える。なんか大人っぽい。ゆかりらしくない。意外。
…とはいえ、ゆかりは、妹キャラの印象が強すぎるせいで、小柄な感じに記憶されちゃうんだけど、身長はなぎさとそんなに変わらない。だから、大人っぽい服装もすごくいい感じ。ボートネックからのぞく鎖骨がほっそりと涼しげでステキだ。それに、胸が大きいぞ…なぎさのときも「大きい」ってびっくりしちゃったけど、「おどろき」の内容がちょっと違う。なぎさは、おっぱいがキュッと盛りあがってる、ってことにおどろいちゃったんだけど、ゆかりは、胸が豊か、なことにおどろいた。でも「たわわな胸」って感じではない。しっかりと引き締まっていて「胸筋から豊か」っていえばいいのかな…なんか変な表現だな。とにかく鍛えられてる。こりゃ、ゆかりも、なにかスポーツをやってるんだな。でも、学校でクラブ活動をやってるとは聞いてないし、なぎさみたいに自主的に活動してるのかな? それとも、おねえちゃんみたいに外の教室に習いにいってるのか?
でも、なんとなくわかったことがある。ゆかりは、キュートで、ホントにかわいくて、甘ったるくて、妹キャラだけど、甘ったるいキャラのオンナのコによくあるような、周囲に流されちゃう、とか、だらしなさそう、って感じは全然ない。やっぱり、しっかり自分で自分を鍛えてるんだ…「強さ」もちゃんと持っているオンナのコなんだ。
「今日はわざわざありがとう。あなたに会えてうれしい…でも、わたしをそんなに見つめるのはやめて…はずかしい」…あー、ごめんなさい。あまりの意外さに10秒ぐらい凝視しちゃった。
いつものゆかりなら、薄暗い店内でもその周囲だけ照らしだしてしまうような明るい笑顔と、甘ったるい声でキッチリ目立っちゃうはずなのに、今日はちょっと調子が違う。といっても、本人に元気がないわけじゃない。ははあ…これは、おねえちゃんか、その手下の弓美の指令で 「明るさを隠蔽して、あたりの空気に溶けこむ訓練」かなんかしてるんだな。あー、こうやって2か月前まで可憐な少女だったゆかりが、オトコのコを手玉にとる訓練を受けて、恐ろしい魔王さま一味に取り込まれてしまうんだ…かわいそうだが、美しき魔王さまの洗濯係と掃除係を兼任させられている召使の身分のぼくには、ゆかりを助けるすべがない。ごめんね、ゆかり。そのまま、恐ろしい魔王一味になってしまいなさい。
もっとも、ゆかり本人は、魔王さまの一味になったことをめちゃくちゃ楽しんでいるらしく、告白ダダ洩れ事件の後には、なにを思ったか、わざわざ「わたくし、第26代超絶美少女を襲名いたしました竹田ゆかりです。あさひ兄ちゃん、よろしくねっ!」と3年3組にあいさつにきた。そんなこと、わかっとるわ! おまえのせいで、ほら、クラスの全員がオレをみて笑ってるじゃないか! あっちいけ!…という事件もあった。
2人のオーダーをぼくがまとめて受けとり、席にすわると、ゆかりは話しはじめた。
「じつはね、お休みの今日わざわざ、あなたに来てもらった大切な大切な相談っていうのはね…」
「ちょっと待て、ゆかり。そんな会社勤めのオンナが休日に不倫相手の上司をよびだして『わたし妊娠しちゃったの』って、妻との別れを迫るときみたいな声をだすのはやめろ」…あー、これって6月の高校1年生には、ちょっと大人っぽすぎる比喩だったかな? 今日は、服装も話し方も大人っぽさを装ってるけど、3か月前まで中学生だったんだから。
ところで、さっきからのゆかりの話し方は、声のトーンも音量も低いけど、ものすごく歯切れよく、粒立ちのいい発声法を使っている。だから、周囲の席に静かに響いて、会話の内容がダダ洩れ。近くの席の人たちが、とびぬけてかわいいオンナのコがあんまりイケメンじゃないオトコのコにどんな「大切な大切な相談」をするのか、全神経を耳に集中させて聞いてるのを感じる。…じつは、これも『超絶美少女』の秘密兵器の一つだ。ぼくは3月の終わりに21美…金沢21世紀美術館のカフェでなぎさにこれを使われて、ぼくがその日まで17年間大切にしていたものを失ってしまった。だから、美しき魔王さまの指示でも、ぼくを練習台に使うのはやめろ!
でも、やっぱりゆかりは勘違いしてた。それも明後日の方角に。
「えっ!お兄ちゃん妊娠しちゃったのっ?」突然ピンクの声がでる。
周囲の空気が凍りつく…やっぱり高校1年生には難しい比喩だったか!…でも、おまえ、ちょっとは考えろっ!オレが妊娠するわけないだろっ!それにその服装に全然、似合ってない発言になってるぞ。
「しないよー。で、話ってなんだよー」…ゆかりが、あまりにも発言をハズしたのと、それに対してぼくが冷静に答えたので、周囲の空気もなんか和んだみたい。
「あのね。お兄ちゃんの話なんだけど」
「その『お兄ちゃん』ってどのお兄ちゃんだ?」こいつには3人もお兄ちゃんがいる。実の双子の兄2名と赤の他人のぼく1名だ。
「トシキ兄ちゃんなんだけど」
「えーと、弓美の彼氏…」
「…じゃないほう」
「ああ、わかった。ドローンの操縦士だな?」
「そうそう」
「なんか、すごいイケメンだとか」
「そうそう。でも『こんなにも美しいわたし』ほどじゃない」…こいつ、もう魔王さまのマネをしてる。だいじょうぶか?
「はいはい。それで」
「このトシ兄ちゃんには、高校1年生のときから5年間、想い続けている相手がいる」
「想い続けてる、って片想い、ってこと?」
「そうそう。ずーっと一途に。かわいいでしょ?」
「へえー。そんなイケメンなのに? ゆかりほどじゃないとしても」
「うん。わたしほどじゃない。でも片想い」
「いまの会話、微妙にかみ合ってないな」
「細かいことはいいの。理解できてるから」
「それで?」
「なに?」
「頼みって、なんだよ」
「なんとかしてよ」
「なに?」
「トシ兄ちゃんの片想い」
「なんでオレが」
「はいっ。では質問です。トシ兄ちゃんの片想いの相手は誰でしょーか?」
「な、なぎさかぁ?」思わず声が裏返る。
「あさひ兄ちゃん、バカね!」
「バカだと?」
「あたまの中になぎさ先輩しか住んでないんじゃない?」
「すいません」
「トシ兄ちゃんの片想いは高校1年からなんだって!トシ兄ちゃんが高校1年生のとき、なぎさ先輩は中学2年でしょっ!」
「そうでした。すいません」
「では、あらためて質問です。トシ兄ちゃんの片想いの相手は誰でしょーか?」
「え、えーと。誰だろ?」
「トシ兄ちゃんは、旭丘高校の卒業生です。わたしたちとおんなじ」
「オレたち、まだ卒業生じゃないぞ」
「数年後のわたしたちと同じ」
「ゆかりは危ないんじゃないか。卒業できるのか?」
「はい! そこでおもしろい冗談いってないで考えてっ」
「つまり、片想いの相手も旭丘高校の卒業生、ってことだな」」
「そうそう。あさひ兄ちゃんのそばにも、卒業生がいるじゃない」
「えー、えーと、誰だ?」
「もー、ホントにおバカさんね。じゃあ、大ヒント!…その人は『超絶美少女』でした」
「えー、なぎさじゃなく、って…ゆかり、なわけないし…ということは…えええええーっ」
「はい。そのとおり。答えはー」
「う、美しき魔王」
「ピンポーン!」
なんと、おねえちゃんに!
「しかも2回…2回告って、2回とも『ごめんなさい』」
そういえば、おねえちゃんに聞いたことがある。
------------------------------------------------------------------
「わたしね。歴代の『超絶美少女』の記録保持者なんだ」
「なんの?」
「3年間でフッたオトコの数に決まってるでしょ」
「はあ?」
「3年間で37人38回」
「なんで人数と回数がズレてるの?」
「1人で2回告白した間抜けがいたのよ…」
-----------------------------------------------------------------
そのお間抜けオトコが、ゆかりのお兄ちゃんだったんだ。
「ゆかりー。大変いいにくいんだけどさ」
「なに」
「ちょっと無理だとおもう」
「なんでよ。イケメンだよっ!わたしほどじゃないにしても、あさひ兄ちゃんの3倍くらいイケメンだよっ」
…ちょ、ちょっと待てよ。3倍はないだろ。それじゃ、トシキさんが100点満点だったとしても、オレは33点しかとれないじゃないか。33点じゃ卒業できないだろっ! それにここは卒業もイケメンも関係ないっ!!
「いや、1回告ったけどダメでした、っていうんなら、2回目に逆転ホームランがあるかな、って思うけど、2回告って2回ともダメでした、ってことは、3回目も4回目もダメだと思う。あきらめてもらってよ。悪いけど。イケメンなら、他に適当なオンナが見つかるよ」
「ヤダっ!ゆかりあきらめない。それになによ!その『他に適当なオンナ』っていいかた。そんなの失礼よっ!わたしに!」…もう完全にショッキングピンクな声になってる。
「なんで、なんでゆかりに失礼なんだ?」
「わたしね、わたしのお義姉さまにするのは、もう最高の女性だけって決めているの。カズ兄ちゃんは弓美先輩をゲットして、あさひ兄ちゃんはなぎさ先輩をゲットしたから、トシ兄ちゃんはひとみ先輩で決まりよっ!」
「ちょっと待て、そこには、お兄ちゃんたちの意志があるのか?」…それになんでそこにオレとなぎさが入ってるんだ!
「ないよっ」…わたしのお兄ちゃんたちは、わたしのお兄ちゃんたちなんだから、わたしが決めるのっ。
「そんなむちゃくちゃな…」…しかも、なんで一族を全員「美しき魔王」関係者で固めようとしてるんだ。おまえ、ラスボスになるつもりかぁ!!
「それにゆかり。おまえ、さっきから完全にわれを忘れていつもの妹キャラのしゃべりかたにもどってるぞ。いいのかなー、今日は特別な訓練の日だったんじゃないのかなー。魔王さまと弓美にいいつけるぞっ!」
「あっ!!!!」
ゆかりは5秒間フリーズした。…やはり甘い。まだ、弟子入りしたばかりだからな。…5秒後に呼吸をととのえて『超絶美少女』の低い、音量を押さえた、でも、周囲によくとおる声でいう。
「お願い。わたしには、あさひ兄ちゃんだけが頼りなの。たとえ可能性が低くても、あなたなら状況を打破できる。わたしは、あなたのことを…そんなすごい人だと信じてる。お願い…」
「はいはい。わかったよ。ちょっと調べてみるよ…でもさ、オレは妹キャラのゆかりのほうが好きだな。むかしから妹がいればいいなー、って思ってたから」
ゆかりは、また5秒間フリーズした。あー、こいつ、キャラチェンジに5秒かかるんだ。うちのおねえちゃんは0.1秒しかかからないぞ!やはりおまえは、まだまだ甘い!…でも、キャラチェンジのたびに5秒間も目を白黒させてるゆかりは超かわいい。もうめちゃくちゃかわいい!
「あのねー。最近、トシ兄ちゃん、ひとみ先輩と再会したらしいの」
「なんでわかった?」
「先週の土曜日、ゆかりがひとみ先輩と弓美先輩と話してたとき、ひとみ先輩が『白山のキレイな写真が必要』っていったの」
「はくさん?…って、あの山の白山?」
「そう。ひとみ先輩ね、夏休みにレポート書くの」
「ふーん」
「白山手取川ジオパークのこと調べて」
「はいはい」…おねえちゃんは、大学で人文地理を専攻している。観光と地域振興みたいなことを専攻するつもりらしい…ってちょっと聞いたことがある。
「だからね、ゆかりいったの。トシ兄ちゃん、毎月、白山でドローン飛ばしてるから、すっごいキレイな写真たくさんもってるよっ…って」
「へえー…それで?」
「それだけ」
「それだけ?」
「ひとみ先輩、なにもいわなかった。すぐ別の話はじめちゃった」
「それ、わざとか?」
「でしょー? それでねっ! 次の日、日曜日にトシ兄ちゃん、なんか、ものすごくうれしそうに、ずっと笑ってたの。すっごくすっごくうれしそうだったの!! 月曜日には、すっごいはりきって学校にでかけていったの。絶対、ひとみ先輩から連絡きたんだと思う! 大学で会ってくれたんだよ!」
おねえちゃんとトシキさんは同じ大学に通っている。ついでに、うちの父も。
「…大学で会ってくれた、ってことは、可能性ゼロじゃないでしょ?」
「そうだね」…二人が通う大学は、金沢市郊外の秋になるとクマが徘徊するような山の中にあって、おねえちゃんの学群とトシキさんのいる学群の間には、数多くの恐ろしい野獣が生息している巨大な谷がある。その間に歩行者用の橋がかかっているから、徒歩でもクマに捕食されずに往復できないわけじゃないんだけど、すっごく長い橋なので、まったく無駄になるとわかってるんなら、トシキさんだって、わざわざ橋をわたって対岸にいくようなことはないはずだ。ってことは、これは…可能性がゼロってわけじゃないな。
「なんかある…ね」
「しかもね」
「その後も?」
「うんうん…あのねー。お兄ちゃん、水曜日は、いつも帰るの5時ごろなんだ。うちは、水曜日には、だいたい4人そろって晩ご飯たべる。毎週」
「そうなんだ」
「それが、この前の水曜日、お兄ちゃん、ご飯いらない、って…9時ごろ帰ってきた」
「んんん?」…そういえば、うちのおねえちゃんも水曜日、帰るの遅かった。おねえちゃんは、火曜日と木曜日にバイトのシフト入れてる。だいたいルーティンで。ときどき土日にも入れる。それから、金曜日は合気道の稽古にいく。だから、うちも月曜日と水曜日は、おとうさんと3人そろって晩ご飯を食べることが多い。ところが、先週の水曜日は、めずらしくおねえちゃんが遅かったので、おとうさんと2人で食べた…。
「おいおい!…うちのおねえちゃんも遅かったぞ!」
「だ・か・ら…お兄ちゃん、お願いっ!」
「どの兄ちゃん?」
「あさひ兄ちゃんっ!決まってるでしょ!いま、目の前にいるんだからっ…察してよ! そのぐらい!」
「はいはい。すいませんね」
「ゆかりのお願いー。トシ兄ちゃんねー、ホントに一途にひとみ先輩のことを思い続けてるの、だーかーら」
「ゆかり、そういうシリアスな話をするときは、オトナキャラになるべきだよね!」
「あっ…」…あー、ゆかりってすごく素直。また5秒かけて目を白黒させてる。もー超かわいいー。もう見てるだけで心がとろけちゃいそう。
「あさひ兄さん。お願いよ!トシ兄さん、ホントに一途にひとみ先輩のことを思い続けてるの、でも、わたし、なんにもできなくて…いつもいつも悲しいの。あなたの力で、なんとかしてあげて…いま、わたしが頼りにできるのは、あさひ兄さん、あなただけなの。お願い…」
「わかったよ。じゃあ、最後に妹キャラになって、もう一回お願いしてくれる?」
「もー、わたしで遊ばないでっ!!」…バレたか。しかも、今度は5秒かからずにキャラ変しちゃった。
「あさひ兄ちゃん、お願い!」…ゆかりは、上目づかいのすがりつくような視線でぼくに頼る。よしよし。やっぱり、ゆかりは妹キャラに限る。
「わかった。引きうけるけど、あまり期待しないで待っててくれ。とにかく全力をつくすよ」
まあ、最初は情報収集からだな。まず、相手から…トシキさんのこと。
そんなわけで、ぼくはトシキさんのことを聞くために、なぎさに頼んで弓美に連絡してもらった。弓美の彼氏は、トシキさんの双子の兄弟だから。