「ちょっと時間あるか? 話したいことがあるんだ」
 「ん、いいよ」
 同じ木曜日、夕食の後、ぼくが食器を洗おうとしていると、父がめずらしくまじめな顔でいった。木曜日はおねえちゃんがバイトで遅くなるから、父と2人で食事する。2人のときの夕食は食器が少ないから、食洗機は使わない。いつもぼくが手で洗ってる。
 「なに?」…なんだか今日は話したいヒトが多い日だな。
 「あさひの進路のことだよ」
 「はい」思ってたよりまじめな話だった。
 「おまえ、大学にいくんだろ?」
 「あ、は、はい。そのつもりで」うちは両親とも大学教員だし、姉も大学にいってるから、ぼくもなんとなくそのつもりだった。
 「どこにいくか決めたのか?」
 「いや、それはまだ…」
 「なにを勉強したいんだ。専門とか学部とか決めたのか?」
 「い、いや、それも、なんと申しましょうか」
 「まだ、なにも考えてないんだな?」
 「い、いや、考えてないわけじゃないけど、なんというか、考えがまとまらないというのか…」
 「なに一つ決まってない、んだな?」
 「はい。すみません」
 「あさひは、ほんっとにおとうさんに似てるな」
 「はあ?」
 「あさひが小学校に入ったころから、おまえをみているとしみじみ思うんだ。こいつ、オレとそっくりの性格してるな、って」
 「はあ」
 「小学校のころは、すごい恥ずかしがり屋で、見知らぬ人の前では全然話せなかった」
 「うん。そうだった」
 「あー、こいつ、オレとそっくりだ、って思った。だから、たぶん、おとうさんと同じように中学に入るころから、急に社交的になって、おしゃべりになって、見知らぬ人とも、どんどん話すようになるな、って思ってた」
 「あー、そうだね。そのとおり。そのとおりになってしまいました」
 「おとうさんも高校3年のころ、なにを勉強したいのか、どこに進学したいのか、全然決められなかった。興味のあることは、山ほどあったんだけど、あまりにもバラバラで、多すぎて、どれを選べばいいかわからなかった」
 「い、いや。そのとおり。おとうさんと性格そっくり」
 「だろっ? おとうさんとあさひは、顔はあまり似てないと思うけどな」…でも、2人もイケメンじゃない、ってとこが似てます。
 「…でも、ぼくはおかあさんともおねえちゃんとも似てないよ」…おかあさんは「かなりの美人」だし、おねえちゃんは「こんなにも美人」だし…「ぼく、どこかで拾われた?」
 「拾わない。おとうさんは、おまえが生まれるとき立ち会ったから、拾ってないと断言できる。生まれてきたあさひをいちばん最初に抱いたのも、おかあさんじゃなくて、おとうさんだ」
 「ありがとうございました」
 「おとうさんがはじめて抱いたから、そのとき、オレの性格があさひに伝染っちゃったかな? 『刷り込み』ってヤツか?」
 「あー、おとうさん。『刷り込み』は鳥類の習性なので、わたしたち哺乳類には関係ありません。それに、性格は『伝染する』っていいません。『遺伝する』っていうんです。さらに、出産直後に最初に抱いた人の遺伝子が移るってこともございません」
 「まあ、冗談はともかくとして…じゃあ、おとうさんが決めてもいいな?」
 「なにを?」
 「あさひの進路に決まってるだろ。さっきからその話してるんだ」
 あー、すっかり忘れてました…「いや、おとうさんが決める、ってのも…ちょっと」
 「じゃあ、まず、話をきけ」
 「はい」
 「この前の論文を読んだんだ」
 「ろ、論文??」
 「忘れてるな? 中村先生との共著論文だ」
 「あー、はいはい」
 「わたしは、専門が全然違うから内容についての評価はできない」…急に大学教授みたいな話し方に変わったね。職業病だね。
 「しかし、あの論文が掲載された国際ジャーナルが一流誌だということは調べた」
 「まあ『星ラジオ』関係のジャーナルは、ごく少ないんですけどね」…って、中村博士がいってました。
 「数はともかく、つまり、あさひは一流の国際ジャーナルに研究論文が掲載された、っていう研究業績をもってるわけだ」
 「いや、そんな研究業績だなんて」
 「そういうことになるんだよ。この業界では」
 「なに業界?」
 「学術業界」…そんな業界、あります?
 「しかも、共著論文だけど、著者は2人だけ。しかも筆頭著者が一流の言語学者」
 「いいえ…中村博士、ですけど」
 「あのなー。あさひは完全に誤解してる。中村先生は、その分野では一流の研究者として広く知られた人なんだ」
 「えーっ!!」
 「だから、今回もヨーロッパにいくことになったら、すぐにいくつもの一流大学からオファーがきたんだよ。いいか、あの人、大学者なんだからな! しかも、まだ若い」
 「そ、そうだったんですか」
 「その大学者が、高校生を共著者にして国際ジャーナルに研究論文を発表した。当然、共著者の高校生も、中村先生と同じぐらいすごい才能の持ち主、ってみんなが思う。わかってるのか? あさひ、おまえは大変なことをしちゃったんだぞ」
 「すみませんでした」
 「なにあやまってるんだ…だから、それを使え」
 「はいっ?」
 「それを使え」
 「なにに?」
 「おまえはバカか?」
 「すみません」…おとうさん、息子に「バカ」なんて…おねえちゃんに似てきたね。伝染ったかな? それとも遺伝? あるいは「刷り込み」?
 「あのなー。国際ジャーナルに大学者と共同で論文を発表してる学生、ってだけで、大学院の修士課程なら簡単に合格をだす。博士課程でも入れてくれるところがあるだろ。…まあ、分野にもよるけど。…『看護学』とかはムリだな」
 「でも、おとうさん。ぼくがいくの大学院じゃなくて、ただの大学だよ」
 「大学院でも入れてくれるんだから、ただの大学だったら、ほぼフリーパスだ。『総合型入試』っていうので受験しろ。大学によって『自己推薦入試』とかいろいろ名称が違うけど、高校時代までの実績と小論文、面接なんかで合格をだす入試があるだろ。大学者と2人で一流の国際ジャーナルに共著論文を発表した高校生って書けば、それだけで合格する。看護学部だって夢じゃない」
 「そんなにうまくいきますかねー」
 「いく。現職の大学教授がいうんだから、まちがいない…まず、『総合型入試』がある大学を探す。そして、どの大学のなに学部に出願するか決める。でも、たぶん、自分で決められないだろうから、中村先生に相談してみなさい。あの人はあさひの能力をよく理解してくださってるみたいだから、おとうさんよりも的確なアドバイスをしてくださるだろう」
 「わかりました」
 「大学の選択にあたっては、おとうさんからの要求が3つある」
 「要求? なに?」
 「第一に、超一流といわれてる有名な大学にいくこと」
 「どうして?」
 「どうせどの大学もフリーパスで入れてくれるんだったら、超一流とか超難関大学といわれてるところを選んだ方がお得だろ? 卒業後もつぶしがきく」…あーそうですね。
 「第二に、あまり専門性の高くない、入学後に幅広い分野で勉強を選べるような学部にいくこと。教養学部とか総合政策学部とか…文学部でもいい」
 「なんで?」
 「だって、あさひ、まだなにをやりたいのかわかんないんだろ? 専門性の高い学部を選んで、そこがやっぱりぼくにむいてなかったー、ってことになると、授業料が完全にムダになる。たとえば『看護学』とか」…おとうさん、あなた「看護学」になにかうらみとかあるんですね?
 「…もし、いろいろ学んでみて『あ、ぼくがやりたいのは、やっぱり看護学だった』ってときは、看護学部に3年編入すればいい」…はいはい。わかりました。
 「第三にできるだけ東京の大学を選びなさい」
 「どうして? おかあさんがいるから?」
 「いや。なぎささんが進学するから。一緒に暮らしなさい」
 「えええっ!! 父親がそんなこといっていいの?」
 「おかあさんがいるのは、首都圏といってもかなり田舎だから、一緒に暮らすのはムリだ。それにおかあさんと一緒に暮らすと毎晩料理をつくらなくちゃならないぞ」…あー、なぎさと暮らしてもぼくが料理つくることになると思います。それに、ぼくがいいたいのは、そういうことじゃないんだけど!
 「2人で暮らせば、いちばん大きな負担になる家賃が半額ですむ。仕送りが少なくてすむから、おとうさんが楽になる」
 「いや、そりゃ、おとうさんはいいかもしれないけど、中村博士が…娘とオトコが一緒に暮らす、なんてことを許すわけない…」
 「おまえバカだな」…えー、また?
 「先週、なんで中村先生とソフィア先生がウチにいらしたか、あさひはわかってないのか?」
 「そ、それは、婚姻届けの保証人に」
 「違うよ。あの2人のホントのお願いは、あさひとなぎさの関係をわたしたち2人は認めています。あさひは、娘を託すのにふさわしい立派な人物です。だから、八倉巻ご夫妻にも、なぎさを認めていただきたいんです。認めていただけるなら…まだ、2人ともこどもなので、大人の助けが必要です。わたしたちは、これから、ちょっと遠いヨーロッパにいかなければなりません。それで…少なくとも大学を卒業するまで…社会人になって自分たちだけで生きていけるようになるまで…八倉巻ご夫妻に2人のことをお願いしたいんです。どうか、2人を見守っていただけないでしょうか…っていうあいさつだったんだよ。そのぐらい察しなさい」
 「すみません」…ぼく察しが悪いんです。みんなに叱られます。
 …でも、それっておねえちゃんがいってた「婚約」ってことと同じ、じゃない?? あー、それで、中村博士は「でも2人のことは2人で自由に決めていいんだ」なんてわざわざいったのか。
 「だから、中村先生ご夫妻に全権を委任されたおとうさんが『東京にいったら二人暮らしさせます!』って宣言すればOKだ。誰も文句はいわない」
 「いや、なんか、それ…おかしくないですか?」
 「どこがおかしいんだ」
 「い、いや、父親が息子にいうこととしては、なんか非常におかしい。どこか間違ってると思います!」
 「どこが?」
 「い、いや、ふつーの父親だったら『東京の大学に進学して、ガールフレンドと同棲しろ』なんて絶対にいいません」
 「あのなー、あさひ。じゃあ、おとうさんが『なぎささんと東京にいっても、絶対におたがいの部屋で会っちゃダメだ!』っていったら、おまえたち、それを守るか? 守れるか?」
 「い、いや、それは…まもれ…」
 「守れるんだな?」
 「いえ。守れません…と、思います」
 「じゃあ、おたがいの部屋を訪問するのはいいが、門限は19時。宿泊は認めない…っていうのは?」
 「守れません!…と思います」
 「だろ?…まあ、どっちの部屋が『愛の巣』になるかは、暮らしはじめてみなくちゃわかんないけど、どっちかの部屋にずっと2人でいて、もう片方の部屋は、ほとんど使わなくなっちゃうんだよ。だいたいそういうもんだ」…「愛の巣」ってちょっとカワイイ。
 「あのー、おとうさん?」
 「なんだ」
 「なんか、昔、おとうさんにそういう『愛の巣』経験、あったんですね?」
 「そういうつまらない質問には回答しない…」…といって父はニヤッと笑った。あー、やっぱりあったんだー。
 「とにかく、2部屋借りてもどうせ1部屋しか使わなくなっちゃうんだから、2部屋借りるのはムダだ。最初から、一緒に暮らすことを認めちゃったほうが合理的だ」
 「わかりました。なんか、まだ納得できてないんだけど、合理的ってのは認めるよ」
 「ただし、2人で暮らすからには、それだけの責任はもってもらう」
 「責任、って?」
 「ケンカして別れたので、来月から一人暮らししますから、家賃の分の仕送りふやしてください…っていってもふやさない。もうコドモじゃないんだから、ケンカするときも感情にまかせて、すぐに家出するとか、別れるとか、そんなケンカは許さない。2人でしっかり冷静にケンカしなさい」
 「冷静にケンカって…そんなの…あり?」
 「ある。今度から、おとうさんとおかあさんがケンカしたときによく観察しなさい」
 「はいはい」
 「あるいは、もし、あさひに『なぎさ以外に好きな女性ができちゃった!』なんてときは、その新しい女性と手に手をとっておとうさんの知らないところに駆け落ちしなさい。…恋の逃避行、ってヤツだね。おとうさんは、おまえとの親子の縁を切る」
 「な、なにいってんの、おとうさん!」
 「おとうさんは、中村先生ご夫妻になぎささんの後見人を頼まれたんだ。おまえに新しい恋人ができたって『なぎささん、あなた、その部屋から出てってください』なんていえるはずないだろ。おとうさんはそんな無責任な人間じゃない。あさひ、おまえが出ていけ!」
 「ちょ、ちょっとおかしいよ、おとうさん!」
 「なにいってんだ。おとうさんは理論的にも倫理的にもまったく正しいことをいっている」
 うーん。合理的な上に、理論的にも倫理的にもまったく正しいんだけど、でも、なんか間違って…ないかなあ…
 「…そして、その反対に、1人家族がふえたので、今月からは、粉ミルクと紙オムツ代を追加してください、ってのも認めない」
 「い、いや、それは、そういうことは、決してないと思います」
 「ま、そういうわけだ。わかったな?」
 「わかりました」…でも、やっぱり、あなたなにか間違ってる、と思います。
 「それじゃ、まず受験する大学を決めて、報告してくれ。小論文なんかは、おとうさんがアドバイスしてやるよ。なにしろ現職の大学教授なんだから。面接に関しては、全然問題ないだろ。あさひなら」
 「おとうさん」
 「なに?」
 「…いや、なんというか…なんだか…いろいろありがとう。ホントに。これからも、いろいろお願いします」
 「じゃ。そのお礼として今夜も食器洗ってくれ」
 「はい。お安い御用です!」