…というわけで20歳になって、やっと生まれてはじめての恋に落ちちゃったおねえちゃんだけど、『夏の女神作戦』の日を境に見違えるほど優しい、おしとやかなオンナのコに生まれ変わってしまった…かというと、全然そんなことはなくて、一見、むかしとまったく変わらない「美しき魔王」さまを続けてる。それで、いちばん迷惑してるのが、たぶんトシキさん! だって、おねえちゃん、トシキさんに「トシキ! あんた、もうわたしの『彼氏』になったんだから、これからは、わたしのことを『ひとみ』と呼び捨てにしなさい! それと『ですます体』で話すの禁止!」…なんて上から目線で命令してるんだもん。トシキさんもその圧にまけて「はい。わかりましたひとみさん。これから『ひとみ』と呼ばせていただきます」なんて返事してしまって「こらっ!!!」って𠮟られたりしてるらしい。ハハハ…。もー、おねえちゃん『モテるコミュニケーション理論』の遥か10マイル手前で立ち止まっちゃってるよー。トシキさんじゃなくて、おねえちゃんに講義を聞かせるべきでした。
 もちろん、ぼくへの態度も、以前とまったく変わるところなし、っていうか、すっかり初恋にのぼせてしまってるぶん「上から目線」がますますひどいような…。

 ところが、ある夜、その魔王さまがぼくの部屋に押しかけてきて、こういった。
 「あさひ、ちょっと頼みがあるんだけど。いい?」
 「なに?」
 「あのね、わたし、そろそろトシキをおとうさんとおかあさんに紹介しようかと思ってるんだけど」
 「どうぞ」
 ……沈黙

 「あんねー、あんた、ちょっと冷たくない?」
 「なんで?」
 「どうしたの、とか、なんで、とか、ちょっと会話がはずむような返答してよ!」
 「じゃ…なんで?」
 「い、いや…そろそろね、わたしもトシキと…こう夜遅く帰るようなことがあるようなときとかね、りょ、旅行したりするとかね、なんか、そんなことがあったりしたときのためにね、トシキのことをちゃんと紹介しておいたほうがいいかな、な、なんて思ってね。ほら、あさひは、おとうさんとおかあさんになぎさのこと…ちゃんと、紹介してるから、なぎさの家に泊まりにいったりするときも、なんか妙に堂々と『なぎさの家に泊まりにいってきまーす』なんて平然といってるじゃない。わたしもそうしたほうがいいかなー、なんて」
 「あー。おねえちゃん、いたしたんですか?」
 「い、いた、いたしたって、なによっ!」
 「エッチです。セックスです。いたしたんですか?」
 「い、いや、それはまだ。だって! わたし、なぎさみたいに自分からオトコの家に乗りこんでいって押し倒す勇気ない…」
 「ハハハ。そもそもおねえちゃん、まだ、トシキさんはおねえちゃんのこと『さん』付けで呼んでるんじゃないの?」
 「い、いや。最近は、だいぶ慣れてきたみたいで」
 「まったく問題なし、と」
 「い、いや、3回に1回ぐらい…」
 「それじゃ、トシキさんに押し倒されるの10年後だね。おねえちゃんから押し倒さないと永遠に結ばれないかもね」
 「そ、そんなー…ヤダ。トシキに…お、押し倒してほしい、でも10年後はヤダー」
 「それ、ぼくにいっても完全にムダ! トシキさんにいって!」
 「だってぇー」
 「それで、なにしてほしいの、ぼくに。『恋人に呼び捨てにされる修行』とか『1年以内に押し倒される修行』とかしてくれっていうわけ?」
 「いや、それもやってほしいけど…ぜひお願いしたいけど…その前におとうさんとおかあさんにトシキを紹介するために、ちょっとしたパーティをやりたいわけ」
 「どういうこと?」
 「ほら、なぎさの両親がウチに来たときみたいにさ」
 「トシキさんのご両親をよんでね」
 「ち、ちがいます。そんな、ご両家のご両親がそろっちゃったら、もう結婚のあいさつ以外ないじゃない! そこまでは、まだ…はやすぎる…まだ…いたしてない…し」
 「なぎさの両親は来たよ」
 「それは、ソフィア先生がおとうさんの研究室の客員研究員で、あの2人が再婚するのに保証人が必要で、そのあとすぐヨーロッパに行くからそのあいさつ…っていう、いろんな大義名分があったからじゃない。トシキの両親、再婚しないし…そもそも離婚してないし!…ヨーロッパにもいかないもん!」
 「じゃ、どうするの?」
 「トシキと、ゆ、ゆかりとカズキさんを呼んだらどうかな、と」
 「いいんじゃない」
 「でね。わたしがトシキを紹介するために、3人をウチによんでおいてさ、おとうさんに食事の準備させるわけにいかないじゃない…」
 「はいはい。やっとわかりました。おねえちゃん、要するに、トシキさんをウチに呼んで、ちょっとしたパーティをして、おとうさんとおかあさんに正式に紹介したいから、ぼくにそのときの料理をつくってくれ、っていいたかったんだね。やっとわかったよ」…ずいぶん遠回りしたねー。あきれるよ。
 「や、やってくれるよね…あ、あさひなら。料理、上手だもんね」
 「わかったよ。おねえちゃん。カワイイねっ!」…全然、優しくなってないし、おしとやかにもなってないけど、すっかりトシキさんにのぼせて、めちゃくちゃ抜けてるカワイイ女子になっちゃったらしい…ってことは認めよう。
 「なによっ!」
 「あのさ、ぼく、もっといいアイデアあるよ。…トシキさんを紹介する、ってストレートにぶつけるんじゃなくてさ、ぼくとトシキさんが、レインボー先輩の料理教室で修行してきた成果をお披露目いたします、ってことにしようよ。だから、ぼくとトシキさんが2人で料理つくる。そうすれば、ウチの両親とおねえちゃん、そして、ゆかりとカズキさんに集まってもらっても不自然じゃないだろっ?」
 「あさひー。あんた、ホント、そういうことに関して、どうしてそんなに冴えてるの! いつもあんなに察しが悪いクセに…それやって、やって!!」」
 「はいはい。まかせてください。で、どの程度、準備は進んでるの?」
 「準備って?」
 「トシキさんにどこまで相談したの?」
 「う、うん。まず、あさひに相談してから、って思って」
 「あのねー。まず、そこからだよねー。まっさきに恋人に相談するのがふつーだろっ! おねえちゃん、そこから修行しなくちゃだめだ。おねえちゃんって、完全にブラコンだよね」
 「なによっ、ブラコンって!」
 「ブラザーコンプレックス…早く弟離れしなくちゃね」
 「わ、わかりました。それで?」
 「そうだねー。ま、この件について、おねえちゃんは、すっかりお間抜け女子になっちゃってることがよくわかったから…」
 「な、なにいっ!!」
 「でしょ?」
 「はい。そのとおりです…あさひさん…すみません」
 「ぼくから、トシキさんに提案してみるよ。で、ゆかりとカズキさんには、トシキさんから話してもらう。おとうさんとおかあさんには、トシキさんとおねえちゃんの関係について伏せたまま、ぼくから話す。トシキさんは、大学でおとうさんの授業とってたから、初対面じゃないし、何度か話をしたこともある、っていってたから、おとうさんもなんとなくおぼえてるんじゃないかな…あんなにイケメンだし。…で、おねえちゃんは、トシキさんから『あさひくんが、こんな計画を立ててるんだけど、どう思う』って聞かれたら、そこで初めて『あ、トシキがウチにきてくれるなら、わたし、両親にトシキを紹介して、わたしたちのコト、ちゃんと話したかったんだ』…っていって」
 「わ、わかりました」
 「そのとき魔王さまになっちゃだめだからねっ!」
 「ならないわよっ! 最近、わたしが魔王になるのは、あんたの前だけっ!」
 「じゃ、それもやめて」…最近、リンクス先輩とかリサさんとかまで、おもしろがってときどき魔王になっちゃうんで苦労してるんだから!
 「はい。すみません」
 「それから『上から目線』の『こんなにも美人のわたし』にもなっちゃだめだからね。トシキさんの前で」
 「な、なってないわよ」
 「そーかなー? あのさー、おねえちゃん、『ツンデレ』ってことば知ってるよね?」
 「なによ。いきなり」
 「『ツンデレ』ってさ、ラブコメの鉄板技だけどさ、意味は2つあるんだよね。最初、冷たい態度とってたのに、相手が好きになるにつれてデレデレな態度になること、それから、表面上はツンツンしてるれど、心の中はドキドキ、って状態のときも使う」
 「そ、そうなの? ふーん」
 「ま、トシキさんへのおねえちゃんの気持ちは、表面ツンツン、内面ドキドキ、のほうだと思うんだけどね。そうでしょ?」
 「や、いや…まあ、はい…」
 「でもね、どっちの場合でも、どこかで突然、態度をガラッと変えてみせて相手をトキめかせちゃわなきゃだめなんだよ。でも、おねえちゃん、大好きなトシキさんの前だとテンションがめちゃくちゃ上がって、ツンツンした魔王さまから、もっと高飛車な『こんなにも美人』に変身しちゃってるんだよ。それ真逆だよ! 大間違い!」
 「じゃ、どうすればいいのよっ! わたしにいったいどうしろっていうのよっ!!」…こらこら、ここで魔王になるなよ。なったら撃つぞ!
 「ゆかりになって」
 「ゆかり??」
 「下から目線で、すがるようにトシキさんをみつめて、甘ったるい声だして、ベタベタに甘ったるく甘えて!」
 「そ、そんなこと、わたしにできるわけ…」
 「できる。キミならできる。だって、おねえちゃんは『超絶美少女』なんだもん! トシキさんにベッタベタに甘ったるく甘えて!」
 「わ、わかったよ。やってみるよ」
 「おねえちゃんがそうならないから、トシキさんもずっと『呼び捨て』にできないし『ですます体』もなおらないんだよっ!」
 「わかったよ」
 「いい? 今度あったとき、もう意識的にデレデレになって、わざとらしくトシキさんにタッチしたりしてごらん。トシキさんよろこぶよ! ま、おねえちゃんは、これまでオトコに甘えたことなんてないだろうから、自分ではベッタベタに甘えてるつもりでも、ゆかりの10分の1ぐらいのサラベタにおさまるよ。トシキさんは、ちょうどいい感じ、って思う。きっと。わかった? わかったら、ちゃんと修行してよっ! おねえちゃんも!」
 「わかった、サラベタで修行するよ」
 「ま、あとはぼくにまかせて」
 「よろしくお願いします」
 「あ、それから、料理にかかる材料費は、キチンと請求するからそのつもりで」

 というわけで、新しいプロジェクトがはじまった。まあ、今回のプロジェクトは、お間抜け女子の恋愛修行だからやりやすい。気分も楽だ。…で、ぼくが最初に相談にいったのは、トシキさんじゃなくて、レインボー先輩だった。まずメニュー決めなきゃ。

 「あのー、レインボー先輩。ちょっと相談にのってもらえますか?」
 「なに? あらたまっちゃって」
 「いやー、いまウチに一人、お間抜け女子がいるんですけどね…」
 レインボー先輩に最近のおねえちゃんの様子について話したら、思ったとおり大よろこびしちゃった。…「えー、じゃ、明日、ひとみがバイトに来たら、いじっちゃおー」
 はい。ぜひ「いじり倒して」くださいねー。ぼく、後でリサ先輩にその様子聞きますから。楽しみー。
 「それで、今日、レインボー先輩にご相談したいことは、そのパーティのメニューなんですけど」
 「わかった。夏休みの昼下がりの…少人数の家庭的なパーティー・メニューね」
 「はい。そうなんです」
 「じゃ、こんな感じでどお?」
 レインボー先輩の提案は…
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 夏野菜を使ったカポナータにバゲットを添えて
 マグロとアボカドのレモンポキ
 サワークリームとクレソンで食べるローストビーフ
 冷たいカッペリーニ、マルガリータ風に
 ---------------------------------------------
 …というものだった。
 「さすがプロ。3秒でメニューができるんですね」
 「ハハハ、じつは、今度の土曜日クラスでやろうと思ってたメニューなんだ。ちょうどいいじゃない。土曜日につくってみて、日曜日に実践、ってことで。食材もクラスで発注するときに一緒に注文してあげるよ」
 「ありがとうございます。あ、材料費はお間抜け女子が払いますから」
 「あー、でも、野菜は金曜日に産直市場に買い出しにいきたいから、あさひ、つきあって!そろそろ夏休みはじまるんじゃない? 時間あるでしょ? わたしとデートしよう!…スコール出しぬいて悔しがらせちゃお!」…あなた、またイタズラ少女の顔になってますね。
 「木曜日が終業式です。金曜日はもちろんおつきあいします…えー、ところで、ですね」
 「なに?」
 「カポナータ、って何ですか? それからレモンポキも、それからカッペリーニって、そうめんみたいに細いパスタですよね?」
 「カポナータ、っていうのは、ラタトゥイユのイタリア版。イタリア南端のシチリア島の料理。ラタトゥイユ、知ってるよね?」
 「南フランスの野菜料理、ですよね?」
 「そうそう。ま、基本的には、おんなじ料理なんだけどねー。ラタトゥイユがすっかりおなじみになっちゃったから、セレブの奥さま向けにちょっと目新しい名前使ってみた」…レインボー先輩は「クスッ」とイタズラ少女の笑い。そこ、オトナ女性なのにやたらカワイイんですけど。
 「調理法もほとんど同じ。カポナータは、野菜を素揚げしてから順番に煮ていく。味付けもちょっと違う。カポナータのほうがコクがある…という微妙な差はある。といっても、家庭料理だから家によっていろいろだけどね。ただ、ちょっと面白いのはね。日本人がつくるとラタトゥイユもカポナータも、野菜の形や歯触りがキチンと残るように…日本の野菜の『炊き合わせ』風に仕上げることが多い。でも、フランスやイタリアの家庭では、野菜の歯触りが残らないほどクタクタに煮込む。わたしは、そっちのほうが好きで、ホントの味もそっちだと思うんだけど、そこまで煮込むとぐちゃぐちゃになって、見た目がすごーく悪くなっちゃうから日本人は嫌がる。でも、それじゃ、ホントのおいしさがでない、っていうか、日本の野菜の炊き合わせと変わらないじゃない、っていうので、わたしは考えた」
 「ラタトゥイユと野菜の炊き合わせは同じアルゴリズムなんだ」
 「そうよ。でも『炊き合わせ』はあまりふつーの家庭ではつくらないけど…『ラタトゥイユ』は家庭料理だから…むしろ、日本でいうと『肉じゃが』かな。…で、わたしの考えたのは、圧力鍋を使う方法。圧力鍋で煮込む時間を短縮すれば、野菜の形を崩さずに、やわらかくすることができる。見た目重視の日本人向けアレンジ。ただ、煮込み時間が短くなるから、味に深みがでない。だから、前日の夜つくって、鍋のまま一夜おいておく…ほうがいいんだけど、まあ、教室で前日からつくっておくことはできないから、当日でいいことにしよう。あさひのウチのパーティーもね。食べるとき、前日につくるんなら、味がしみた冷たいのをだすんだけど、今回は、当日つくって、あたたかいのを食べることにしようね」
 「わかりました」
 「レモンポキの『ポキ』っていうのは、ハワイの料理。こちらはシメサバアルゴリズム」
 「し、シメサバ?」
 「うん。ただし、塩はふらずに醤油でマグロを『ヅケ』にする。ハワイには日系の移民がいたから醤油を使うようになったんだと思う。そしてレモン果汁で軽くしめる。同じアルゴリズムの料理には、南アメリカのペルーやチリの『セビーチェ』っていう料理もあるの。こちらは、醬油を使わず、塩とレモンやライムの果汁だけで、生の魚介類をちょっと長い時間マリネする」
 「料理のアルゴリズム、っていい考え方ですねー」
 「うん。トシキがいいはじめてから、わたしもよく使ってる。使うと世界中の料理が系統的に見えてくるの」
 「そうですねー」
 「料理って、数種類のアルゴリズムで説明できるものだ、ってことを押さえていれば、初めて味わう料理に出会っても、すぐに分析できるし、新しい料理も創作できる」
 「はい」
 「で、カッペリーニは、あさひがいったとおり、そうめんみたいに細いパスタ」
 「もう少し太いパスタじゃダメですか? なんだかカッペリーニって、細すぎてあまり好きになれないんです」
 「スパゲッテーニとかフェデリーニっていわれる…細めのスパゲッティ…そうねー、1.6mmぐらいまでならいけるかな。うどんと違って、冷製パスタは麺を太くすると芯の硬さと歯ごたえの調整が難しくなる。うどんやソバと違って、パスタは冷たくして食べることを想定してなかったから。…ねえ、知ってる? 冷めたいパスタって日本人が創作したの。そうめんやざるそばからの発想ね。麺類アルゴリズム使ったのよ」
 「そうなんですか!」
 …って、感じでメニューが決まったので、つぎはトシキさんに相談。

 「トシキさん。じつは、あなたの彼女が…」
 「あー彼女ね…ひとみ」…アハハ、このヒトもテレてるね。もうしょうがないね、二人そろって恋愛ヘタすぎ!
 「…トシキさんの修行の成果をみせろ、ってうるさいんですよ」
 「う、うん」
 「それで、お披露目のランチパーティをウチでやりたいんです。ウチの家族とゆかりとカズキさんと招待して」
 「えーー、なんかはずかしいなー」
 「しかたないでしょ。あなたの『彼女』がやれっていうんですから!」…トシキさん『彼女』っていわれると抵抗できないんでしょ?…あー、ぼく、いま、おねえちゃんや弓美みたいに『ニヤッ』って笑ってる。…なんかいい気分。
 「今度の日曜日のお昼、カズキさんとゆかり、ウチにこれるでしょうか?」
 「あ、だいじょうぶ。今週末、カズキが東京から帰ってくるから、どこかに連れていけ、ってゆかりが騒いでた。まず、あさひのランチパーティに誘うよ!」
 「じゃ、すみませんが、今度の日曜日、トシキさんは10時に、ゆかりとカズキさんはお昼にウチに来てもらえますか?」
 「了解。なにか持ってくものある?」
 「あのー、土曜日に『暮らしのアトリエ』から圧力鍋とフタ付きの極厚フライパンを借りてくるんですけど、二つとも業務用の本格的なモノだから、めちゃくちゃ重いんです。だから、手分けして…フライパン、トシキさん、持ってきてくれますか?」
 フタ付きの極厚フライパン、っていうのは、ダッチオーブンみたいな鋳鉄製の大きなフライパン。ローストビーフをローストするのに使う。ふつう、ローストビーフはオーブンに肉塊を放り込んで一定の温度を維持して焼くんだけど、レインボー先輩は、IHヒーターの上に極厚フライパンを置いて、ときどき肉を回転させて、さらに火加減を変えながらローストする方が絶対に理想的に仕上がる、っていう。熱を間歇的に加えていくところにレインボー先輩独自の技術があるらしい。その理論と方法は土曜日に教えてもらう。

 …と、こんなふうに恋愛ベタな二人のための修行プランは、順調に進んでいった。でも、木曜日、想定してなかったことが立て続けに2つおきちゃった。

 木曜日、全校集会で終業式が終わって、あとは各クラスで担任から通知表をもらって帰るだけ、っていう時間帯に、突然、なぎさと弓美が3年3組に乗りこんできた。なぎさが一人で3組に来るのは、もう、みんなもなんとなく慣れちゃったから、まあ、いいんだけど、その日は、弓美と2人で乗りこんできた! おいおい…。
 弓美ったら、なにを思ったのか、わざわざ髪を解いて、普段、学校では見せない「美少女」に変身してきたんだ! さすがに縦巻カールとか化粧とかはしてなかったけど…それなりにオーラだしちゃって…みんな「あれ、誰?」って感じ。しかも、なぎさは「流麗優美」、変身した弓美は「妖艶華麗」…まるでアニメみたいに対称的な魅力を放つ2人の美少女の襲来にクラスがざわつく! 

 「あさひって、ひどい!」…な、なんで涙目なんですかなぎささん。
 「ちょっとあさひ! 話があるんだけど」…あー、目が怒ってますね弓美さん。
 「い、や、や、なんでしょうか。おそろいで」図書館の横の人目のないところに引きずってって、おだやかに話をつけたいところだけど、この2人、その気なさそう。
 「日曜日のこと!」
 「は、はいっ?」
 「お食事会するんでしょ! あさひとトシキさんがお料理つくって!」
 「あ、あ、はい。なんでそれを」
 「たったいま、ゆかりがウチのクラスに得意げに報告にきたのっ!…『あら? お義姉さまがたは、ご招待されてないんですの? まあ! じゃ、招待されたのは、ゆかりだけでしたのね…失礼いたしましたわ…ごめんあそばせ…オーホッホッホッホッ…』いったいどーゆーことよ!!」…ゆかりに口止めしとくの忘れてたー。っていうか、ゆかりは、ランチパーティをネタにひと騒ぎおこしてマウントとるつもりで、2人が呼ばれてないのわかってるくせに、わざわざ3年1組にいいふらしにいったなー
 それにしても、この2人、例の『超絶美少女』の明晰な発音で、教室中の生徒に聞こえるように話してる。あー、なんだかクラス中の「耳」がこちらにむいてるのを感じる…。
 「あさひ。あなた、どうして、わたしに隠れてゆかりを誘ったの? もう、わたしの愛が重たくなったの? もう、わたしのことが嫌いになったの?」
 いやいや、なぎささん。突然、そんなとんでもないことをなぜいう? 「隠れてゆかりを誘った」なんて! 全然隠れてないっ。ゆかり誘ったんじゃないっ! トシキさんの妹誘ったのっ! それもぼくが誘ったんじゃない! おねえちゃんのリクエストでトシキさんの兄弟誘うことになっただけっ! そのトシキさんの妹が、たまたま偶然、みなさんもご存知のゆかりだっただけっ! 
 だいたい、そんな『日陰のオンナ』っぽいセリフ、全然なぎさのセリフじゃない!…どっかの演歌からパクッてきたんだろっ!
 …おまえたち、ゆかりが3年1組でひと騒ぎまきおこしてヤラれちゃった腹いせに、オレに仕返ししようと3年3組に乗りこんできたんだなっ!!…って、いいかえしたいところだけど、クラス全員が聞いてるから、穏やかにおさめることにしよーっと。
 「や、いや、違う、それは違います。誤解でございます。わ、わたしが、3人の中から『隠れてゆかりだけ』を誘ったのではありません。これは、すべて『美しき魔王』さまのご指示で、魔王さまのしもべのわたくしが…」
 しかたがないから、もう全部順番に話す。なぎさと弓美は、なんとか納得してくれた。ついでに3年3組の全員も納得してくれた。そして…八倉巻あさひの姉の恥ずかしい現況も、すべてバレた。
 「ねー、じゃあさー。あさひー、その次の日曜日は、わたしと弓美を招待してごちそうしてくれるんだよねっ! カズキさんとトシキさんもよんで、3組のカップルでパーティしよう! わたしたち楽しみに待ってるからねー。忘れないで、ねっ?」
 「絶対だよーっ! ゆかり抜きだよっ! あさひ、もし、あんたが忘れたら……撃つよ!」

 そして、もう一つは、おとうさんの推理力に仰天した!
 「あのー、おとうさん」
 「なんだ」
 「今度の日曜日の昼間。別にどこにもいかないよね?」
 「んー、昼前におかあさんが帰ってくるから、駅まで迎えにいこうと思ってるけど」
 「あれ、おかあさん、明日帰らないの?」
 「うん。今週は土曜日にオープンキャンパスがあるから、金曜日も土曜日も帰れないんだってさ。日曜日の昼に帰ってくる」
 「じゃ、昼ごはんは、ウチで食べるよね?」
 「そうだろ」
 「あのさー、日曜日の昼にちょっとしたランチパーティをしようかと思うんだ」
 「パーティ??? なんで?」
 「ほら、ぼく、土曜日にバイトしてるでしょ?」
 「カフェだろ?」
 「それは午後のバイトでね、午前中は料理教室のアシスタントしてるんだ」
 「料理教室??」
 「うん。セレブ奥さまお嬢さまむけの」
 「セレブ料理教室?? なんでまた。そんな。おまえのような高校生が?」
 「おとうさん、竹田トシキさん、っておぼえてる? 去年おとうさんの講義とってた」
 「おぼえてる。超優秀な学生だった」
 「あー、おとうさん、そっちいくんだー」…イケメンのほうじゃないんだー。さすが教育者!
 「そっちってどっちだ?」
 「あ、いや、どっちでもいいんだけどね」
 「彼は、去年、おとうさんが唯一100点満点の評価をつけた学生だよ」
 「あー、なるほど。わかった。それでね、ぼくはバイトをトシキさんと一緒にしてるんだよ」
 「竹田くんと? それで?」
 「それでね、その料理教室で習ったことを」
 「バイトじゃないのか?」
 「あー、バイトなんだけどね。毎週、料理をつくってるから。その成果をね、トシキさんと2人でお披露目したいね、ってことになって」
 「ホントはなにをお披露目したいんだ?」
 「はいっ??」
 「竹田くんをお披露目したいんだな? で、交際相手はひとみだな?」
 「あ、あ、あは、はいっ??」
 「だって、あさひはゲイじゃない」
 「な、あなな、なんで?」
 「おまえが『なぎさのウチに泊まってきまーす』っていうときの淫猥な笑顔を見ただけで一目瞭然(いちもくりょうぜん)!」
 「い、いんわいな笑顔ってなに! それ、親がこどもにいっちゃいけないことばでしょ! それに、ぼくはそんなこと聞きたいんじゃない、お、おとうさん、なんでおねえちゃんとトシキさんのことを!」
 「バカだなあ、あさひは」
 「なんで」
 「いいか? あさひが自分の料理の腕前が上がったことを自慢したいんなら、ふつーに夕食をつくればいい話だろ? 『おとうさん。今度の日曜日の晩ご飯、ぼくにつくらせてよ!』っていうだけで」
 「い、いやそのとおり…です」
 「それを、わざわざ日曜日の昼食に、しかも、一緒にバイトしてるのかもしれないけど、なんで竹田くんをよんで2人でつくらなくちゃならないんだ?…はああ、これは、料理のお披露目じゃないな、竹田くんのお披露目だな…って、すぐわかる」
 「は、はい」
 「でも、竹田くん1人だけをお披露目する理由なんて全然ないから、ははあ、これは、ウチの誰かと竹田くんが特殊な関係になってしまったから、そのお披露目だな…でも、特殊な関係になったのは、あさひじゃない。なぜなら『ぼく、なぎさの家に泊まってきまーす』っていうときの淫猥な…」
 「おとうさん! それはくりかえさなくてよろしい! いや、おとうさんの推理のとおりです。まいりました! そんなわけで、今度の日曜日の昼にお披露目会をしますっ! いいですねっ?」
 「いいよ。…おかあさん、おどろくぞー」
 「そりゃそうだろうね。いきなりおねえ…」
 「帰ってきたら、いきなりものすごーいイケメンがウチに上がりこんで料理つくってるんだからな」…あー、おとうさん。今度はこっちくるんだー。

 と、いうわけでその日曜日の朝。もう6時ごろからおねえちゃんは起きだして、なんかごそごそやっててうるさい。父とぼくは、ゆったりコーヒーを飲みながら、おねえちゃんを横目でみながらニヤニヤ。あー、なんか優越感。
 「おとうさん、さわやかな日曜日の朝ですねー」
 「あさひー。ホントに気持ちのいい朝だ。…おーい、ひとみ。おまえもこっちにきてコーヒーでも飲みなさい」
 「ひゃ、は、はーい」
 「なんか、おまえ妙に緊張してないか? 今日なにかあるのか、これから?」…あー、おとうさん、あなた、完全に「いじりモード」に入ってますね。もう、ドンドンやっちゃってください!
 「い、いえなにも」
 「ほら、コーヒーいれたぞ」
 「あ、ありがとうございます。おとうさま」…おとうさま!! ぼくら2人は、思わずふきだす。

 10時になると同時にドアチャイムが鳴った。おねえちゃんは、たっぷり50センチほど跳びあがった! あんたギャグマンガかっ! …にもかかわらず、チャイムが聞こえなかったフリしてる。おとうさんが、またふきだす。
 仕方ないから、ぼくが玄関のドアを開ける。
 「いらっしゃい、トシキさん。あれっ? クルマは?」
 「おはよう、あさひくん。フォレスターは、カズキとゆかりに使わせようと思って、ぼくはバスで」
 「重かったでしょ。すみません」
 厚手の丈夫そうなキャンバスの特大トートバッグにフライパンを入れて持ってきてくれた。このフライパン、フタを入れると4キロ近くある。フライパンという名前のオーブンだ。超重量級の圧力鍋といい、このフライパンといい、その性能は昨日の『暮らしのアトリエ』で実証済みだけど、どちらも持ち運んで使うには重すぎる。昨日、圧力鍋を自転車で運んだときは、途中の長町武家屋敷エリアまできたところで疲れはてて、鞍月用水(くらつきようすい)に投げ込んでやろうかと思った!…またまたレインボー先輩のイタズラに見事に引っかかったような気がしないでもない。
 「いや。水泳できたえてるからね。全然!」
 「やあ、いらっしゃい。ひさしぶりだね」
 「あ、八倉巻先生。ごぶさたしておりました。今日は、あつかましいお願いをしてすみません」
 「いや。楽しいパーティになりそうだから、ずっと待ってたんだよ」
 「ありがとうございます。ええーと、まず、先生にお話しして、お許しをもらわなければならないことがあるんです」
 「ん?」
 「ひとみ、こっちにきて!」…おねえちゃんはまたまた50センチ跳びあがる。おとうさんとぼくは、またまたふきだす。おねえちゃんはトシキさんの隣に立つ。おねえちゃんは、なんかうつむいてモジモジしている。でも、トシキさんはとてもうれしそうな笑顔でいった。
 「八倉巻先生。じつは、ぼくは、ひとみさんとお付き合いしています。今日は、それを報告したくて、お許しをいただきたくて、あさひくんに頼んでおうかがいしました」
 「…ぼくは、旭丘高校に入学してすぐにひとみさんに恋をしました。でも、2人の間にいろいろな障害があって、ぼくの想いがうまく伝わらなかったんです。でも、やっとこの前、あさひくんが、ぼくを助けてくれて…やっとやっと想いが伝わりました」
 「…これから、ずっとずっと、ひとみさんを大切にします。だから…」
 「竹田くんは、ひとみでいいのかい?」
 「え?」
 「キミはすばらしいヒトだと思う。女性からみても、男性からみても、魅力的で…それだけじゃない、ぼくのような教員からみると…いや、たぶん、それ以外の立場の人間がみても、いろいろな面で、優れた能力を持っている人物だと思う。そんな、すばらしいヒトが、ひとみ程度の女性でいいのかい?」…おとうさん!! まったくそのとおりです!! よくいってくださいました! 拍手!!
 「いいえ、先生、それはちがいます。ひとみさんじゃなくちゃダメなんです。ひとみさんが、ぼくの運命のヒトなんです。ぼくは、ひとみさんのパートナーになるんだ、って…高校1年生のときに直感したんです」
 「そうか…ありがとう。トシキくん。ひとみは、中学生のとき不幸な事件にあって、それから長い長い間、苦しんできた。でも、とうとうトシキくんのようなヒトに出会えて、キミが『運命のヒト』だといってくれて、ひとみもやっとココロを開くことができて、ほんとうによかった」
 「…これから、ひとみをよろしく頼むよ。運命のヒトがキミなら…親としてなにもいうことはない。ひとみが最高の男性にめぐり逢えてよかった。…ひとみを頼む」

 ぼくは、圧力鍋にオリーブオイルと薄くスライスしたニンニクをたっぷり入れてじっくりと炒める。それから、一口大に切った鶏モモ肉、昨日『暮らしのアトリエ』であらかじめ素揚げして、ジップロックに入れてもってきた野菜をレインボー先輩に教えられた順番にいれていって、カポナータをつくる。トシキさんは、かついできたフライパンに朝、冷蔵庫から出して常温にもどしておいた肉塊をいれて焼きはじめる。おねえちゃんは、ずっとトシキさんの横や後ろをウロウロしてる。ちょっとちょっとお嬢さん、じゃまです! 料理のできない無能なヒトはキッチンに入ってこないでください!!
 父はそんなおねえちゃんの様子をニヤニヤ笑いながら見ている。やがて、「おかあさんを駅に迎えにいってくるよ」と立ち上がった。
 「おとうさん、帰ってきたときに、おとうさんのフォレスターとまったく同じ色のフォレスターが停めてあってもびっくりしないでね。トシキさんも同じクルマなんだ」
 「トシキくんもオリーブグリーンのフォレスターなのか? さすが、センスのいいオトコは違うねー」
 そういって、父は駅にむかう。父親の目がなくなると、おねえちゃんは、IHヒーターの火加減をしているトシキさんの左腕にそっと触っていう。
 「トシキ、ありがと…おとうさんに…カッコよかった…うれしかった」
 そして、左腕にギュッと抱きつく。おねえちゃん、ちゃんと「修行」にはげんでるねっ。
 トシキさんは、うれしそうに声を上げてさわやかに笑う。おねえちゃんも…めちゃめちゃかわいく「ウフフ」って笑う。…生まれてはじめて恋を知った美少女の微笑み。…事件の前の…15歳の少女の季節がもどってきたんだ!
 とってもとってもカワイイよ…おねえちゃん。
 もうすぐ12時、そろそろ、ゆかりとカズキさんが来るだろう。おかあさんも帰ってきて、ものすごいイケメンにビックリ仰天して!…夏休み最初の日曜日の「にぎやかな昼」がはじまる。