トシキの「修行」は、着々と進んでるみたいだった。あさひは、ときおり気がむくと、わたしにその日あったエピソードを話してくれる。なんか、トシキと…それから、みんなとすごく楽しそうに「修行」してるみたい。正直いって、ちょっとくやしい。うらやましい。あさひ、あんた、それって、わたしのためじゃなくて、トシキと楽しく遊んでるだけなんじゃないの?
 …わたしもトシキと遊びたい。
 でも、そんなこというわけにいかないので、わたしは、できるだけ興味なさそうに、あさひの話を聞いていた。
 7月も下旬のある日、高校の期末テストが終わり、大学もそろそろ試験期間に入る…夏休み直前の木曜日、いつものようにバイトにいったら、リサがわたしにいった。
 「ひとみ、今週末の日曜日、ひとみとわたし、シフトから外れることになったから」
 「え、なんで? 誰か他に入るヒト、いるの?」
 「う、うん…」
 シフト表を見ると、わたしとリサの名前が消えて代わりに3人入ってる。
 「ゆみ、ゆかり…れい、って、なにこれ!! どーゆーことよっ!!」
 「ひとみ。おちついて。今度の日曜日、あなたは、あさひと出かけることになった。あさひは、やっぱり最高の弟だよ! あなたのために最高のプランを思いついてくれた。だから、あなたは、すべてあさひの指示に従ってね。いい? 魔王さまになってあさひを問い詰めるのは、絶対にダメ。だまってあさひのいうことを聞くんだよ。…これは『超絶美少女ひとみ』への、コーチからの絶対指令だよ。いいね? わかった?」
 「わ、わかったよ」

 だから、わたしは家に帰っても黙ってた。ホントは、すぐにでも魔王に変身してあさひを問い詰めたかったけど。
 あさひがやっと口を開いたのは、次の日、金曜日の夜だった。
 「あのー、おねえちゃん」
 「なによ」
 「今度の日曜日なんだけどさ。朝6時に出発するから」
 「朝6時! 早くない?」
 「頼むよ」
 「どこに!」
 「や、やま」
 「山ってなによっ!」…あー、魔王になりたいっ!!…でもガマンする。
 「白山だよ。ひめ神さまの山だよ」
 「なんで?」
 「い、いや、それは」
 「どうやっていくのよ」
 「朝6時にリンクス先輩が迎えに来てくれる。リンクス先輩のジムニーでいく」
 「なにか準備するものある?」
 「なにもないよ。おねえちゃんだけでいいんだ。その代わり、最高にキレイなおねえちゃんできて」
 「だいじょうぶだよ。わたしはいつも『こんなにも美人』なんだから!」
 「うん。それで頼むねっ!」
 あさひ。あんたがなにをたくらんでるのか、わかんない。でも、わたしドキドキしてる。もう今夜から。

 日曜日は予報どおりいい天気になった。時間どおりにリンクス先輩が来てくれた。
 「おはようございます。リンクス先輩!」
 「ありがとうございます。リンクス先輩」
 「おはよう! ひとみ、あさひ」
 わたしが助手席、あさひが後ろに乗る。リンクス先輩もなにもいってくれない。黙ってジムニーを走らせる。クルマが鶴来旧市街に入るとリンクス先輩は、一軒の古民家の前で停まった。もちろん、なぎさの家。なぎさが、うれしそうに笑顔で後席に乗ってきた。いつものディバッグを抱えてる。
 「おはようございます。リンクス先輩、ひとみ先輩…あさひも!」
 「なぎさ、おはよう。後ろの席、せまくてごめんね」
 リンクス先輩、せまくても、まーったく問題ありません。どうせこの2人、広くてもぴったりくっついて座りたがるに決まってますっ。
 「…それに朝早くに」
 「午前中のほうが気流が安定してるんだ」
 気流?? なに??

 リンクス先輩は、ジムニーを白山にむけて走らせていく。やがて「白山白川郷ホワイトロード」との分岐点を右折して、急こう配の坂道をのぼる。そこからは「手取川ダム」がつくった細長い湖にそってトンネルが続く。鶴来旧市街から36キロ。国道157号線をちょっと左に折れて「白峰(しらみね)」という集落に到着。いまは、ここも白山市だけど、昔は「白峰村」だった。福井県勝山市にぬける山間の街道ぞいの宿場、以前は、養蚕も盛んな村だった。このあたりには「牛首紬(うしくびつむぎ)」っていう特産の絹織物がある。
 白峰集落は「重伝建」に指定されている。わたしは、ここの家並が昔から好きだ。でも、ほとんどの観光客はホワイトロードを通って世界遺産の「白川郷」と「五箇山」にむかう。そこから飛騨高山にむかうのが観光ルートになっている。だから、白峰に来る客は、ほとんど白山の登山客だけ、集落はいつも静かだ。でも、ここには温泉がある。やわらかなアルカリ性で、すごく肌にやさしい「絹肌の湯」。わたしは、年に何回かクルマを走らせて入りにくる。リサとバイクの二人乗り(タンデム)で来たこともあった。リンクス先輩は、その「白峰温泉総湯」の駐車場にジムニーを入れた。まだ営業時間前だから他のクルマは停まってない。はず、なのに…そこに…リサとバイクが待っていた。
 「おはよう。みんな!」
 「り、リサも? なんで?」
 「フフフ、おどろいた? ここから『市の瀬ビジターセンター』までのラスト10マイルは、わたしと一緒だよ。あの日、旭丘高校の卒業式の前日やり残したことに今日2人でピリオドを打つよ! ほら!」
 リサが、荷台につけたトップボックスからヘルメットを出してトスしてくれる。
 「ひとみ先輩! これも持っていってください」なぎさも持ってきたディバッグを渡してくれる…「な、なに?」
 「お昼ご飯です。わたしの母が『ひとみさん、この前、スモーガスボードに来なかったから』って、今朝、サンドイッチつくってくれました。サーモスに紅茶も入ってます。カップも。サンドイッチも紅茶もカップも、ちゃんと2人分入っています!」
 「ふたりぶん…」
 「さあ、いくよ。ラスト10マイルを…じっくり、思い出をかみしめながら走るよ!」

 白峰温泉総湯から市が瀬までは12キロ。リサはラスト10マイル、っていってたけど、12キロだから正確にいうと8マイル。リサのバイクで20分かけて走る。リサは、やり残した高校生活の最後を二人乗り(タンデム)でじっくり楽しむよ、っていって、カーブのたびにいつもよりずっと深く車体を傾けるから、ちょっと怖い。ドキドキする。
 やがてバイクは、市が瀬ビジターセンターに到着。
 「さあ、ここでわたしとひとみはお別れ。この最後の10マイルは『超絶美少女ひとみ』と『コーチのリサ』の卒業式だったんだよ。ずいぶん遅くなったけどね! ここから、ひとみは一人でいきなさい。彼が待ってる!」
 「ひ、ひとりで、って」
 「あのシャトルバスに乗っていくんだよ。終点についたら『彼』に電話するの。そして、彼からの指示にしたがって!」
 「か、かれ…ね?」
 「そうだよ! トシキだよ!…ひとみをずっとずっと待っててくれたんだよ。あの、卒業式の前日から、今日までずーっと、ひとみを待っててくれたんだよ…わかる?」
 「り、りさー、なんだかわたしわからない」わからないけど涙がでるの。
 「ひとみ。よく聞いて…これが、わたしからの最後の指示(コーチ)だよ。いい?」
 「…これから、ひとみと緑のトイレに一緒に入ってくれるのはトシキだよ。背中さすってくれるのもトシキ。彼の前で吐いてもいいんだよ! トシキは、全部わかってくれてる。ひとみの弱いところを見せていいんだよ。思いきり甘えても、わがままいってもだいじょうぶ。いい…トシキは、ひとみの特別な、運命の…かけがえのない『パートナー』なんだからね」…りさー、涙がとまらないよー。
 「トシキの前で吐いてもいい…。わかった!全部わかった!リサ! いままでありがとう。あなたがいたからわたしここまでこられた…わたし、あなたのこと絶対に忘れない!」
 「こらっ。別にわたしたちの仲がこれで終わるわけじゃない。終わるのは『超絶美少女』とそのコーチの関係だけ。これからもわたしたちは、高校時代の同級生で、バイト仲間で…大切な大切な親友だよ」
 「そ、そうだねっ。リサ、ありがと! ホントにありがとう! じゃ、火曜日に『雨と虹』で会おう! わたし…いくね!!」
 わたしはリサにヘルメットを返して、なぎさのディバッグを背負う。リサとハイタッチ! それから一人、シャトルバスにむかって歩いていく、涙をぬぐって、胸をはって、そして笑顔で、だって、わたし『超絶美少女』だもん!

 やがてシャトルバスは別当出会の登山センターに着いた。わたしはスマホを出して連絡先リストからトシキの名前を探す。すごくドキドキする。高校生みたいに。そして、気づく…もしかして…わたし、好きになったオトコのコに自分から電話するのって…これが生まれて初めてなんだ。だから…「恋」っていうものにはじめて出会った中学生と同じように、ふるえる指で発信ボタンを押す。わたしって、恋愛に関しては高校生以下だった…。
 「ひとみさん。待っていました。ぼくは、登山センターの奥のほうのドローンポートにいます。そこから、ひとみさんのおとうさんと同じクルマ、オリーブグリーンのフォレスターが見えるでしょう? その横です。来てください!」
 そこにトシキが待っていてくれた。いつものさわやかすぎる笑顔で!
 「ここからは、ぼくたち『2人だけ』のフライトです。…ひとみさん。ぼくと一緒にきてくれますね?」
 「フライト?」
 「ドローンでタンデム・フライトです。白山山頂まで飛びます」
 「ドローンに乗れるの?」
 トシキは笑った。すごくうれしそうに声をあげて…「乗れます。これで」
 そういうと、トシキはゴーグルを渡してくれた。バーチャル空間でゲームをするときに使うようなⅤRゴーグルだ。
 「フライトプランを説明します。今日のフライトの目的は、操縦士(パイロット)による白山砂防新道周辺の植物の繁茂状況の定期観測。そして搭乗者(パッセンジャー)による『白山手取川ジオパーク』の核心部の状況視察。操縦士(パイロット)は竹田トシキ、搭乗者(パッセンジャー)は八倉巻ひとみ、2名です」
 「別当出会ドローンポートから白山登山道の一つ『砂防新道』にそって飛びます。登山者の安全を守るため、新道の左岸15メートルほど離れたところを平均高度15メートルで飛行します。森林限界の室堂センターに着いたら高度を上げて、まっすぐ白山最高峰の『御前峰』にむかいます。気流の状態がよければ、山頂上空でホバリングします。今日は天気がいいから、北アルプスまで遠望できるはずです」
 「帰りは、御前峰上空高度150メートル、海抜標高2850メートル付近から、直線ルートで一気にドローンポートまで降りてきます。発着ポートから御前峰までの高度差1450+150メートル。飛行距離約9キロ。平均時速35キロ。最高時速60キロ。フライト時間は23分の予定です」
 トシキー、フライトプランなんて、わたしどうでもいいんだよ。トシキと二人で大空を飛べるなんて信じられない。もう、それだけでドキドキだよ。
 「ここにすわってください」…ドローンの前に置かれた2つのディレクターズ・チェアに並んですわる。トシキがゴーグルをかけてくれる。ドローンから見た椅子に並んですわってるわたしたちの映像が映ってる。
 「ひとみさん。準備いいですか?」
 「はい」
 「離陸します」
 独特の風切り音とともに、わたしはふわりと浮かんだ。びっくりして、ちょっと怖くなって隣のトシキを見る、でも、そこにトシキはいない。
 「トシキ、どこ? あなたが見えない!」
 「ひとみさん。いま、ぼくらは、二人ともドローンの一人称視点(ファースト・パーソン・ビュー)の同じ映像を見てるんです。いま、このゴーグルは、ヘッドマウントディスプレイとして使ってるだけです。VRゴーグルとして機能してるわけじゃないんで、隣をむいてもぼくは見えません」
 「トシキ、わたし一人じゃ飛ぶの怖い!」
 「じゃ、ぼくにつかまっててください…いいですか?」…隣のトシキが左腕をのばして、わたしの右ひじのあたりをさわってくれた。「ぼくはここにいます。ぼくの腕につかまって!」
 「トシキ、片手で操縦、だいじょうぶ?」
 「ええ、このコントローラは片手だけで操縦できるタイプです。それに、今日のルートは、もう何度も飛行してるので、ほとんど自動操縦(オートパイロット)で飛行します。だから、ひとみさんがぼくの左腕にギュッと抱きついても全然問題ありません。ギュってつかまってください…ずっと、ずっとこの日を…待ってました」
 わたしは、トシキの腕にギュッとつかまる。トシキの腕はしっかり太くて…とっても頼りになる。…高校1年生のとき、妖精みたいにキレイで…蜃気楼のように華奢なオトコのコだったトシキ…でも、いまはこんなにしっかりとした…「男性」になった。わたしのため?…だよねっ!
 ドローンは登山道にそって飛び始めた。