アリアに王都を追放された私は、行き場もなく走った。
 闘気を纏って、声なき声を上げて。

 何日も何日も、走った。
 どこをどう走ったのかはわかんない。
 行先なんてどうでも良かったし、行く当てもないんだから。
 それでも走ったのは、嫌な考えが頭の中をぐるぐる回るのを振り払うため。

 何故だか体内のマナが枯渇せずにずっと闘気を纏えた私は、走ることしか出来なかったんだ――。


 ひたすらに走った私は、気付けば木が生い茂る山の中にいた。
 近くには落差がある高い滝があり、綺麗な川が流れている。
 自然に満ちているこの場所は、大気がマナで満ち溢れていた。

「そういえば……喉渇いたや……」

 滝と川を見て、ようやく私は自分が何も口にしていないことに気付き、闘気を纏うのをやめて川の水を手で汲み、口元へと運ぶ。
 夜の月明かりが反射して、手で汲んだ水の水面には自分の顔が映っていた。

「……はは……ひっどい顔……」

 アリアに王都から追放され、一睡もせずに何日も飲まず食わずで闘気を纏って走っていた私の顔は、疲弊しきっていて……凄いぶっさいく。

「アリアは……何で私を追い出したの……?」

 水面に映った自分の顔に聞く。
 分かってたけど、答えは返ってくるはずもない。

「私……エミリー先生と約束したのに……これじゃ約束守れないよ……」

 手で汲んだ水面が、波打つ。
 気付けば私は、泣いていた。

「アリア……」

 寂しいよう……。
 会いたいよう……。
 

 ガサッ。


 私が嘆いていると、近くの木陰から音が聞こえてくる。

「誰……?」

 もしかして……アリア……!?
 それか、ルーナかフローラ!?
 私の後を追って来て、連れ戻しに来てくれたの!?

「グルルル……」

 ――そんな訳ないよね。
 ただの熊だ。
 涎をあんなに垂らして、よっぽどお腹空いてるんだろうな。

「グルアアァァ!!」

「!? 熊が闘気を……!?」

 ただの熊に見えたけど、違った。
 闘気を纏った熊を良く見ると、物語の悪魔のように赤い瞳をしており、毛皮の上からわかる程血管が浮き出てる。

 昔エミリー先生から聞いたことがある。
 大気に多くマナが満ちている場所では、稀に植物や動物が魔物に変異するって。
 魔物は闘気を操り、中には言葉を理解したり、魔法を使うのもいるんだって。

 つまり、この熊は――魔物だ。

 飢えを凌ぐのに丁度良い獲物が目の前に現れた魔物がとる行動は、考えるまでもない。
 欲望を満たすために、私の何倍にも及ぶ巨体を走らせ、闘気と共に私に襲い掛かって来る。

 私も闘気を纏えば、相手が魔物でも逃げられるかもしれない――。

「……ほぇ……?」

 そう思い立ち上がったけど、体がふらついた。

 何日も寝ずに、食わず飲まずで走り続けた私は、ここで初めて休憩をとった。
 さっきまで覚醒状態だった体は、休みを促す様にまるで言う事を聞かない。

「やっ……ば――」

 熊の魔物の闘気を纏った剛腕を、気力で体を動かし何とか防御するも、闘気を纏っていない私はただの子供。
 簡単に吹き飛ばされ、遠くにあった木へと打ち付けられる。

「かっ……!!」

 胃の中が逆流しそうなほど、凄まじい衝撃。

 悶絶して動けないでいる私を、魔物は粗雑に爪を服に引っ掛けて持ち上げ、大きな口を開ける。
 今正に私を頭から食べようとするその口は、地獄への門に見えた。

 ……私の人生……こんな所で終わり……?
 エミリー先生との約束を守れず、アリアのそばにもいれず、こんな森の中で魔物に食べられちゃって……終わるの……?


 何で……私はこんなに弱いの……?
 もっと強く……強くなりたい……!!


 私が自分の弱さを嘆いたその時――。

「おい、魔物!! その子を放せ!!」

 高い滝の上から、少年の叫びが聞こえてくる。

「……誰……?」

 滝の上を魔物と私が見上げると、そこには二人組の少年と少女が立っていた。

 叫んだ銀髪の少年は、身軽そうな平々凡々な服装をしてはいるものの、どこか高貴な雰囲気を身に纏っており、両手には手甲を装備している。

 歳は十二歳とか、それくらいだと思う。
 男の子なのに、顔はアリアみたいに凄く綺麗。

「放っておけば良いのじゃ! 死せば、あの小娘が弱いだけなのじゃ!」

 銀髪の少年を制止したのは、腕組みをしている武道着を着た小さい少女。

 オレンジ色の髪をアップのツインテールにしているけど、フローラのように柔らかそうなパーマのツインテールとは違い、硬質な髪を逆立させている。
 歳はルーナとかと同じぐらいっぽいけど、身長は私と同じくらいだ。

「師匠、そういう訳にはいきません! 俺が修行をしているのはこういう時のためですし、魔物を放置する訳にはいきません!!」

 師匠と呼んだ少女の制止を振り切り、少年は滝の上から跳び降りる。
 こんな高い滝から落ちるなんて、ただの自殺行為だ。

「……危ない……!!」

 叫ぶ元気もなかった私だけど、少年の愚行に思わず叫んでしまうが、少年は私の心配をよそに、私と魔物の前に凄い勢いながらも、平然と着地した。

「闘気……!?」

 少年は力強い闘気を纏っている。
 だからこそ高所から飛び降りても、無傷で済んだんだ。

「あのお兄さん……強い……」

 闘気はアッシュやカニバルやロランにははるかに劣るけど……私や魔物の闘気を超える、力強い闘気。

「ルグレ! 殺るならその程度の魔物、二秒で殺るのじゃ!!」

 滝上にいる少女の格下扱いの言葉が癇に障ったのか、それともルグレと呼ばれる闘気を纏う少年を危険視したのか、魔物は私を川へと放り投げて雄叫びを上げながら、再び闘気を纏って少年に向けて四足歩行で駆け出した。

「ガアアァァ!!」

 魔物の全力での前脚での横殴り。
 さっき私がされて吹き飛ばされた攻撃だ。

 そんな普通の人間なら一撃で瀕死の攻撃を、少年は容易く受け止め――。

「闘技【発勁】」

 魔物の腹部に掌底による突きをお見舞いする。

「ガッ……!?」

 あまりの威力に身体をくの字に曲げ、悶絶した魔物。
 何とか二足で立ってはいるもののフラついており、今にも倒れそうだ。

 あのお兄ちゃんの闘気が……魔物の体内に勢いよく流れ込んだ!?
 今の技何!?

「――ごめんね」

 そう呟いた銀髪の少年は、闘気を込めた手刀で魔物の熊の首を刎ねた――。


*****


 川辺で休みながら熊の魔物の血抜きをする中、私を助けてくれた少年は、何故か少女に正座をさせられている。
 さっき助けてくれた時は、ヒーローが現れたみたいにカッコよかったのに、今はとっても情けない。

「たかがあんな魔物一匹仕留めるのに五秒もかかるとは何事じゃ! それとお主の一度受けてから攻撃をする癖、どうにかせんか!!」

「すみません、師匠。どうにも一度受けてからでないと調子が出なくて……」

 それにしても、このお姉ちゃんは何でこんなに偉そうなんだろ。
 銀髪のお兄ちゃんの方が年上っぽいのにな。

「えと……あの〜」

「何じゃ!?」

「助けてもらっておいてなんなんですけど……どちら様?」

 すっかり落ち着いちゃったけど、そういえば名前も何も聞いてなかった。

「ぬ、名乗ってなかったか? ワシの名はポワンじゃ」

「俺はルグレ。俺達はこの辺りで修行してるんだ。君は?」

 偉そうなお姉ちゃんがポワンで、助けてくれたお兄ちゃんがルグレね。

「私はヒメナだよ」

「良い名前だね。魔物に襲われて、怖くなかった? すぐに助けれなくてごめんね」

 おぉ……よく見るとイケメンってヤツだ。
 ベラが好きそうな顔してら。

「うん、大丈夫。ありがとう」

「魔物に襲われてもそんなに平然としてるなんて、凄いね」

 怖い目なら今までたくさんしてきたもん。
 正直魔物に襲われる方が全然マシだったよ。

「まったく、最近の子供は情けないのじゃ! あんな熊一匹倒せないとはの」

 いや、自分だって子供じゃん!!
 何かポワンって偉そうな所がちょっとブレアに似ててむかつく!!

「私だって王都から何日も寝ずに走り続けてなきゃ、魔物くらい倒せたもん!! ……多分」

 闘気を纏えば可能性はありそうだけど、きっとルグレみたいには倒せなかったから、ただの虚勢だけどさ!!
 言われっぱなしは嫌だもん!!

「王都からここまでじゃと? 王都とはボースハイト王国の王都クヴァールのことか?」

「うん……そうだよ」

 ポワンは急に真面目な顔になる。
 私変なこと言ったかな……?

「えぇ!? クヴァ―ルなんて所から走って来たの!? ヒメナはここがどこだかわかってる!?」

「ほぇ? どこなの?」

 地図も持たずに、何日かは憶えてないけど適当に走ったんだもん。
 分かるわけないよ。

「ここはアルプトラウム帝国領だよ。ボースハイト王国と戦争中の」

 ……どうしよう。
 気付けば私は、とんでもないところに来ていた。