久しぶりに夢を見た。
すごく変な感覚だった。
そんな簡単な感想文のようなことを考えたあと、天窓から差し込む真っ直ぐな日光と共に、無機質なスマホのアラーム音が遅れて聞こえてきた。
アラームをとめて、三十秒ほどぼーっとしていると、大事なことに気づいた。
『今日は高校の入学式だ。』
 中学二年生の十一月に重度のうつ病だと診断されてから一年半ほど。
診断されたばかりの頃は、現実に打ちのめされて、親にも迷惑をかけて、散々人や物に当たった。
世間が受験のラストスパートに差し掛かった中学三年生の十二月頃、やっと自分がうつ病患者だということを理解していき、少しでも自立をしようと病んだ精神と戦いながら受験勉強に明け暮れた。
 死にものぐるいで受かった高校は、最寄り駅から電車を七駅乗り継いだところにある校則のゆるい私立学校だった。特に悪い噂もないし、聞いた限りでは知り合いもいないようだから、安心して今日の入学式を迎えられる気がする。
 いくら気に病んでいても、見た目くらいは気にしたほうがいいと思った私はぎこちないスクールメイクを少しだけしたあと、見慣れない真新しい制服に袖を通した。
淡い白群の色と浅葱色とが混じったチェック柄の格段に短いスカートとネクタイに合う真っ白なワイシャツのそれは、姿見で全体を見てみると眩しいくらいに可愛くて、自分なんかが着こなせるものかと少しばかり焦ってしまった。
 じゅわっと溶けたバターを塗り、生ハムとレタスと挟んだイングリッシュマフィンとスクランブルエッグに少し温めた豆乳、庭から採ってきた真っ赤ないちごをゆっくり食べて、最後の身支度をして、これまた新しいローファーを履いた。

 今日は初めての登校日だから両親と一緒に家を出て、今までは登校手段にない駅に向かった。新品の定期券を改札に当てて、都会方向の電車に乗り込んだ。電車に乗ってから二駅ほど過ぎただろうか、私と同じ制服を着た背の高い男子が乗ってきて、ふと目が合ってしまった。どこかであったことがあるような既視感があるが、向こうもこちらを気にかけていないようだし、あまりにも心当たりが無いため知らないふりをした。段々と学校が近づいて来ると改めて自分は高校生にまで歳を重ねたのだと実感が湧いてきた。
 学校の校舎に足を踏み入れてから五分も経たないうちに一年生のクラス分けが発表された。一年二組になった私は、同じクラスになった人たちの名簿を見つめ、二人の男子生徒の名前が目に留まった。
「山中大芽」、「市原碧」
たしか、小学生の時に「山中碧」と「市原大芽」という元気で運動神経抜群の生徒がいた気がする。この二人とは別の学区の中学に進学してしまった私は、小学生以来関わりを持っていない。でも名字は違うし、ましてやスポーツなどの強豪校でもないこの学校にあの二人が来るのだろうか。
 彼らのことを少々思い返しながら、自分の教室へと校内を巡って行った。教室に入り、自分の席へ着いて担任の先生の板書を呼んでいるとそこには、信じがたいことが書かれていた。
 『クラス分け名簿に書いてある、山中大芽さんと市原碧さんは学校側のミスにより、名字が逆になっています。正しくは山中碧さんと市原大芽さんです。』
――嘘でしょ……。
 知り合いなんて誰ひとりいないと思っていたのにまさか同じ小学校の人が同じクラスだなんて、ましてや市原大芽に関しては出席番号順になると隣の席になってしまう。入学式が始まる前から地獄に陥ってしまった私は心を落ち着かせるためにリュックからスマホとイヤホンを取り出して大好きな映画を主題歌を再生した。
『君は世界に一人しかいない。そんな君を強く抱きしめられるこの僕も世界に一人しかいない。こんな偶然あると思うかい?神のいたずらじゃないのかい?』
 この映画は、秀才だと言われ続けた者同士が早くに生涯を終え、天国、来世まで恋をし続けるいわゆるファンタジーものだ。
私が小学生の頃。この人生を投げ出してしまおうと街を彷徨っていたとき、この曲を歌っているストリートミュージシャンがいた。
 『いつだって私たちの人生は神様の気分次第だ。気分屋さんな神様の下で我が人生を謳歌できればそれでいいじゃないか。』
常日頃から神を恨んでいた私はこの歌を聞いて、隣町の雑居ビルに向かうのをやめた。
 この曲を好きになったきっかけを思い出して、スマホ画面に表示されている曲のジャケットを見つめていると、彼らがやってきた。どうやら市原大芽だけは、私と同じクラスになったことを既に気づいているらしい。
 ふと目があった瞬間あの頃を思い出した。毎日泣いて、毎日息を拒んで、どれほど息苦しい世界なのだろうと毎日神を恨み続けたあの若き小学生時代。
そんなことを考えてるうちに彼は私に向かって何か声を発しているようで、急いでイヤホンを耳から外した。
 「久しぶりだな、葉月。三年見ないだけでこんなにも印象って変わるもんなんだなぁ」
 「久しぶり。大芽くん君だって人のこと言えないでしょ?いつの間にか見上げるほど背が高くなってるじゃん」
 「それもそうだな。ほら、碧、覚えてるか?これが新井葉月。小学校のときによくお前が話してた子だよ。」
その時私は気付いた。碧くんはどこかおかしい。私の記憶に薄っすらと残る彼の顔はこんな暗いものではなかったはずだ。もしかして記憶を失いでもしたのか、そんなこと現実に、ましてや私の目の前に有り得るのか。状況が理解できず、曲がった顔をしていたであろう私の顔を見かねた大芽くんは、とっさの笑顔で信じられないことを口にした。
 「ごめん、葉月。びっくりしたよな。こいつさ中二の十一月頃に交通事故で頭打って記憶失くしちゃってさ。そん時俺が隣にいたから俺と家族のことは覚えてるんだけど、それ以外のことはさっぱりでさ。」
大芽くんの話を聞いた瞬間、なんというか私は絶句した。あんなに明るくて、私を毎日笑顔にしてくれた碧くんがそんな厳しい現実に打ちのめされているなんて信じられるわけなかった。しかも中二の十一月って私がうつ病だと診断されたのと同じ時期だ。あの時は自分以外の人間はみんな幸せに包まれていて、私の気持ちや考えなんて一切わかってくれないと毎晩首に手を掛けていた。