赤木くんとの朝練は、あの日以来、毎日続いている。アラームを何度も鳴らさないと起きられなかった私が、自然と朝日で起きられるようになった。通学のバスで本を読むようになって、少しだけ心が穏やかになったような気もしている。そして何より、黄緑が私にとって嬉しい色に変わっていくのを感じた。
 「わかば」とか「メロン」とか、黄緑色のものはいつものように感じるようになった。つまり恐怖を思い起こさせる色ではない。
 朝練を始めて1週間たって、私は色とりどりのボールペンに「黄緑」を戻すことにした。

 「なあ、なんか、腹減らね?」
 「そうだな、ドーナツでも食べて帰るか!」
 朝練から1週間ほどたった部活終わり。ふと1年生の間でそんな話になっていた。
 「若森さんもいかない?」
 「いいの?」
 今日は幸い、塾のない日だ。赤木くんの誘いにのって、バスケ部のみんなと例のドーナツ屋さんに寄ることになった。

 「私、席とって待ってるね。」
 「じゃあ何か買ってくるよ。何がいい?」
 「うーん。赤木くんに任せるよ。」
 部活終わりのこの時間、ドーナツ屋さんはいつだって混んでいる。8人のバスケ部全員が座れる席が奇跡的に空いていたので、場所取りのため、マネージャーの私が先に席についていることにした。そんな私に気遣ってくてるのは、長く一緒にやっている他の1年生ではなく、なぜかいつも赤木くんだった。
 「お待たせ!」
 7人で7枚のおぼんを使って大量のドーナツを運んできた。皿には3つくらいずつのドーナツがのっていて、さすが運動終わりの男子高校生という感じだ。
 「席とりありがとう! これ、若森さんのぶん!」
 目の前に座った赤木くんからカフェオレと皿にのった2つのドーナツを受け取る。
 一つは私が好きなオールドファッション。もう一つは、緑色の塊だった。
 「今、限定なんだって。これ抹茶チョコチップ。」
 確かにいつも見るドーナツではない。緑色の生地のドーナツにちょっと深い緑のチョコレートがのっかっている。さらにその上に濃い茶色のチョコレートチップがのっている。
 すでに克服した黄緑ではない緑を前に、少し固まってしまった。またあの、もう1か月にもなる高体連での恐怖が目の前に戻ってくる。カフェオレの温かく甘い香りがふわっと私を現実に引き戻す。今は高体連ではない。部活の同期と帰りにドーナツを食べている、いかにも高校生らしい青春の一コマなのだ。
 「じゃあ食べようか、いただきまーす!」
 赤木くんが先陣を切って、ドーナツに手をつける。みんなもそれぞれのドーナツを次々に口に頬張り始める。
 私もまずはオールドファッションを難なく食べ進める。いつも通り、美味しい。サクッとした食感に、バターと砂糖の風味がいい感じで、この飾り気のない味が私にはとてもフィットしている。5時に起きて、6時間の授業を受け、7時までの部活を頑張った私はそれなりにお腹が空いていたようで、あっという間にオールドファッションが消えてしまった。あとは、緑色の抹茶チョコチップだけ。
 「うーん、美味しいよ!」
 緑だけになった皿に目を落としていると、赤木くんが食べながら話しかけてきた。
 「生地ふわふわで、抹茶チョコも苦くないし、チョコチップがいい感じに甘くて、すごく美味しい!」
 赤木くんが食べているのは、私と同じ抹茶チョコチップだった。
 「僕ね、こういうの夢だったんだよ。」
 「こう言うのって?」
 他の部員が赤木くんの話にのっている。
 「みんなで帰りに買い食い! 東京の時は部活入ってなかったし、東京の高校には友達作らないでいたから。こういう、何気ない楽しみが、楽しみだったんだ! やっと高校生になれたって感じ!」
 ニコニコ話しながら、どんどん抹茶チョコチップは小さくなっていく。
 私も本当は楽しみにしていたのかもしれない。放課後にドーナツを片手に友達と勉強をすることも、部活終わりにみんなでワイワイドーナツを食べるのも。小遣いの中でできる精一杯の贅沢が楽しみだったのかもしれない。
 再び抹茶チョコチップに目を落とすと、それはもう緑の塊ではなくなっていた。確かに緑だけど、赤木くんが言っていたふわふわで、苦くなくて、いい感じに甘い。青春の高校生の味が口の中に広がる。
 パクン、と一口食べてみると、それはより現実的な味になった。言っていた通りの味。青春の、みんなで楽しんでいる、幸せの味で心は満たされている。その様子を目の前で見ている紫音くんは、バスケをしている時よりもキラキラの笑顔を見せている気がした。