テスト週間が終わった最初の月曜日。担任の菜月先生が朝のSHR(ショートホームルーム)に男子を一人連れてやってきた。うちの学校の黒い学ランではなく、紺色のブレザーに青を基調としたネクタイをしめている。
 「今日から転校生が来ることになりました。みんな仲良くよろしくね。じゃあ自己紹介をお願いします。」
 「東京から来ました、赤木紫音(あかぎしおん)です。部活はバスケ部に入ろうと思っています。よろしくお願いします。」
 「赤木くんありがとう。じゃあ、席は若森さんの後ろね。窓側の後ろです。あ、あと赤木くんの制服なんだけど、まだ出来上がっていないのでしばらくは前の学校の制服になります。ということで、1時間目から授業、よろしくね!」
 菜月先生にうながされて、赤木くんは私の横を通って座席についた。
 「赤木紫音」。紺色のブレザーに青いネクタイ。おまけにリュックも鮮やかな青色で、持っている筆入れも紺色に白い模様が入っているものだ。どこからどう見ても「青い」要素しかないけれど、彼の名前は私には赤紫に見える。どちらかというと赤寄りの赤紫。今の私の天敵の青緑とは反対色で、それだけでうらやましい名前だ。

 「ねえ、ねえ!」
 「あ、はい。」
 そんなことを考えていて、後ろの赤木から声をかけられても気づけないでいた。
 「1時間目って化学基礎(かがくきそ)だよね? 教科書ってこれ?」
 「うん。化学(ばけがく)だよ。教科書はそれなんだけど、今日はテスト返しだと思うから、使わないと思うな。」
 「ありがとう。ねえ。名前は?」
 「名前…。」
 今の私にとっては、自分の名前を発音することも紙に書くことも、恐怖以外の何者でもない。言った日には、書いた日には、またあの恐怖が襲ってくる。
 苦し紛れに、化学基礎の教科書に書いてあった自分の名前を指さしながら、「コレ」とそれとなく示してみた。
 「わかもり? 若森さんっていうんだね。下の名前はなんて読むの?」
 「え?」
 もっとも青緑要素が凝縮されている「翠鳥(みどり)」を発音するわけにはいかない。
 「みどりどり?」
 「いや、どりは1回。」
 「じゃあ、みどりか。よろしくね。」
 「うん。よろしく。」
 そこまで読みにくい名前だったことと、赤木くんが発音してくれたのとに助けられて、なんとか名前を伝えることができた。そこまで低い声ではない、元気な赤い声をしている。

 1時間目の化学基礎のテスト返却は、48点だった。解答欄を埋めたところは1箇所を除いて全て丸。それ以外の、名前を書くために空欄にしたところは点数が入っていなかった。わかりきっていた結果だった。これからどんどん点数の悪いテストばかり返ってくる。
 「先生! 僕はどうしたらいいですか?」
 「そうか、転校生だったな。テスト1枚渡すから次の授業までに埋めて持って来い。」
 「先生、僕、前の学校で化学習ってなかったんですけど。」
 「知らん! 周りのやつに聞いてやってみろ。」
 「はーい。」
 そうだ。赤木くんはテストを受けてもいないんだ。前の学校で習っていなかったのに次の授業までに埋めてくるって、大変だな。
 「今回の範囲は超基礎的な部分になっている。というわけで、50点以下だったものはテストやり直しの課題を出す。転校生と同様、次の授業までに埋めてくること。」
 次の授業は明後日の1時間目。明日は塾があるから今日のうちにやってしまわないと時間がなかった。

 放課後の部活に赤木くんも見学に来た。見学といっても、どの部員よりもキレのある、ほぼ素人の私からみても一番うまいのは一目瞭然だった。
 「紫音スゲーな! 絶対入ってくれよ!!」
 「前の学校は転校するの決まってたから、中学の頃から1年くらいブランクあるんですよ。こんな僕でよければ、一緒にバスケさせてください!」
 2年生の新部長がすかさず勧誘する。1年のブランクがあるとは思えない、さすが都会の子は違うんだなと思っていた。今は高体連あけということもあり、体育館の時間よりも少し早めに上がることになった。片付けを全て終え、体育館を出るところで赤木くんに声をかけられた。
 「ねえ、若森さん。」
 「なに?」
 「今日の化学の宿題、一緒にやってくれない?」