海人と出会った翌日の練習はより一層足が重かった。昨日が本番を意識した強度の高い練習だったから、今日は抑えめの練習だったのだけど、全く周囲についていけなかった。沙良とは勝負にもならなかった。
「何かあった?」
 トラックから少し離れたところで座ってグラウンド全体を眺めていたら、さっきまで快調に120m走を飛ばしていた智也先輩が腰を掛けた。調子はどう、ではなく、何かあった。最初っから見透かされている気がしてドキリとした。思わず膝をギュッと抱える。智也先輩の方を見ることができなかった。
「昨日の夜、海人に会いました」
「そっか」
 もしかしたら、智也先輩は初めから気づいていたのかもしれない。私の言葉に頷く声は落ち着いていて、驚く様子も咎める気配も感じなかった。
「……怒らないんですか?」
「何を?」
 思わず智也先輩の方を振り向くと、智也先輩は本当に不思議そうな目で私を見ていた。
 何を。何をだろう。例えば、それくらいのことでさらに調子を落としてしまったことに。あるいは結局今日も海人が練習に来てないこととか。
 それとも、二人きりで海人と会ったことを聞かれるまで黙っていたことに。
「海人、なんて言ってた?」
 私の答えを待たずに質問を重ねた智也先輩は前を向いてどこか遠くを見ているようだった。昨日の夜、海人が言っていたこと。真っ先に思い浮かんだのは『兄貴と顔を合わせるのが気まずい』と言いながらバスケットボールを放つ海人の姿だった。
「……私に、『お前は走れ』って」
 ハッと息を吸う音が聞こえた。智也先輩はちょっとだけ痛そうに笑っている。
「海人らしいな」
 その言葉に私は答えることができなかった。私の知る海人は唯我独尊なまでに自分の走りをする人で、前を走るのはもちろん隣に並ぶことさえ許さないようなスプリンターだ。背中で引っ張るという言葉が当てはまるかも微妙で、前に前にと突き進む海人が自分より人に走れと言う姿はこれまで想像したこともなかった。
「海人はさ。走ってるときは自分だけの世界に入るけど、それ以外の時は意外と周りのことよく見てるんだよ」
 智也先輩の表情がくしゃりと崩れる。その顔は完全に自慢の弟を語る兄の顔だった。その顔を見て懐かしいと思ってしまう。切磋琢磨しながらもお互いのことを認め合う兄弟。それが数か月前までいつも見ていた智也先輩と海人の姿だった。
 当たり前の景色を消してしまったのは全部、私のせいだ。
「それに比べて、俺はダメだな」
 智也先輩が吐き出した息はどこか自嘲的。
「どうしてですか?」
「海人が怪我してから……いや、その少し前からかな。家で会ってもほとんど話さなくなって、それこそ陸上の話なんて全くしなくなった。兄失格だよ」
 怪我をする少し前。海人の怪我も私の不調も春先から始まった。その発端が何なのか智也先輩も私もはっきりとわかっていながら、そのことは一言も口を出さないでいる。
 その代わりに小さく吸い込んだ息が胸に詰まり、思わず喘いで溺れそうになった。