「これは、広島県の風早で詠まれた万葉集の一句だ。よく覚えておくよーに!」

国語の先生が黒板に書いた文章を指差している。
古典の授業ほど退屈なものはない。昔の人の書いた文章を学んで何の役に立つのか。
漢文なんか勉強するくらいだったら、最初から中国語を勉強した方が良いのではないか。

『我が(ゆえ)に (いも)嘆くらし 風早の 浦の沖辺に 霧たなびけり』

でも、この一句だけには大きく反応してしまった。

「あ、風早っていつも電車で通過する所じゃん! あの海がきれいなとこ」

僕は通学の電車の中で、イヤホンをして音楽を聴きながらよく景色を眺めている。
最近の若者は耳に心地よい音楽を求めていて、あまり歌詞の内容を重視することがないようだが、僕は違う。どちらかというと歌詞を重視している方だと思う。
良い歌詞と音楽、それに通学中の車窓から見える瀬戸内海の景色。これらが合わせれば、自分がラブソングの中の主人公のように思えてくる。
ちょっと“キモイヤツ”かも知れない・・・という自覚はあるが、僕はロマンチストなところがあり、歌の中にあるような恋にずっと憧れていた。

「この歌は、朝鮮半島にある新羅に派遣されることになった男性が詠んだものだ。新羅に行く前に風早に泊って朝を迎えた。そうしたら昨日は綺麗に見えた瀬戸内海に深い海霧がかかっていたんだ。その霧を見て、自分がいなくなって泣いている妻をイメージしたものなんだ。ま、今でいうとラブソングだな」

「この歌の作者は本当に恋をしていたんだ」

頭の中に、たくさんの牡蠣養殖用のいかだが浮かんでいる、あのきれいな海を思い出す。時間帯や季節によっていろいろな顔を見せるあの海が、僕は大好きだ。
あそこで、千年以上前にこんなラブソングが詠まれていたなんて。
僕もこんなロマンチックな恋がしてみたい。