黒板の上に掛かけられた時計の秒針が、チッ、チッ、チッと音を響かせながら一周し、五時半のチャイムが鳴り始めた。それは、私の三者面談が延長戦に突入してから三十分が経過した事を意味する。
高校二年の一学期、定期考査が終わった後に行われる三者面談は、進路や成績のことで揉めがちだとよく言われる。ただ私に関して言えば、進路に心配はないという事で面談は順調に終わるはずだった。
先生が余計なことを言わなければ。
「伊豆出さんについては、一時期体調を崩しがちだったので心配していましたが、今はクラスでもいきいきと楽しく過ごしていらっしゃるので、担任としても安心しています。特に最近は、ね! 小瀬君も居るしね!」
「せっ、先生!」
「……小瀬君、というのは?」
それまで先生の話を静かに聞いていたお父さんがピクリと眉を震わせて、
「先生、その小瀬君とウチの萌奈は一体どんな関係なんでしょうか?」
と低い声で訪ねた。お父さんは人当たりが良くトークも上手で、家でも外でも賑やかな面白おじさんなのに、この質問の瞬間だけは有無を言わせぬ迫力があった。
まあ……実は、このお父さんのリアクションも想像の範疇内ではある。
「萌奈、まさか小瀬君と、その……交際している、のか?」
「あー、ははは……」
私の曖昧な笑みは肯定以外の何物でもなかった。こういう時に限って意思の疎通が上手くいってしまい、お父さんはがっくりと肩を落とし、頭を抱えた。
「よりによってあの子と……」
そうなのだ。この事を黙っていたのは、相手が『あの』小瀬久郎だからだと思う。
そして気まずい沈黙が私たちの間に漂ったまま、時間だけが過ぎ、今に至るというわけ。
「あ、あのね。お父さん……!」
私が何とか弁明しようと思わず立ち上がった時、教室のドアががらりと開いて、顔を覗かせた人物があった。
「あれ? ごめん萌奈、まだ面談中?」
「久郎君!」
今日のお昼に「面談は五時までだからいつものメンバーで一緒に帰ろうね」って約束してたのに私の姿がないから探しに来てくれたらしい。……その結果、絶妙のタイミングで話題の主役が登場してしまったわけだけど。
「ごめん、もう少しで終わると思う」
「おう、じゃあ外で待ってる」
「ちょっと待て。君が小瀬君……?」
動揺した声が、すぐ隣から私達に割って入った。
「君があの『暴君』小瀬久郎なのか……?」
お父さんは驚きで目を見開いていた。だけど、それも無理はない。
都市から少し離れたところにあるこの振槍第一高校へ入学してくる生徒のほとんどが近所の住民ということで、生徒のだいたいは既に顔見知りだ。だから、入学した時に久郎君のことを知らない人なんて学校に一人もいなかった。
中学までの久郎君と言えば、制服をだらしなく着崩し授業は聞かない、そもそも遅刻ばかりで昼前にふらりと現れたかと思うと席で寝るだけだったり、いつの間にか原付を持ち込んで校庭を走っていたり。つまり、絵に描いたような不良少年だったのだ。その噂は、生徒の口を通してその家族にまで轟いていた。
お父さんは、娘がとんでもない不良と付き合い始めたイメージをしていたのだと思う。
でも今の久郎君はそうじゃない。
「あ、萌奈の親父さんスか。お世話になってます。小瀬です」
「あ、こちらこそお世話になってます。萌奈の父です……」
お父さんの顔には「夢でも見てるのか?」と言いたげな疑問符がたくさん浮かんでいた。中学時代とはまるで変わってしまった久郎君に驚いているらしい。
そして彼の方も、そんなお父さんの様子を見て、何のことかピンと来たようだった。
「あ、俺、評判悪いっスよね。親父さんには心配かけて申し訳ないです。確かに、高校入るまでの俺かなり不真面目で、周りにも迷惑かけて、ほんとクズだったんです。でも、去年萌奈さんと同じクラスになった時に萌奈さんがすごく気にかけてくれて。クラスに居場所作ってくれて。それでやり直すチャンス貰ったんです。全部萌奈さんのおかげです。だから俺、本当に感謝してて、今度は俺が萌奈の力になるって決めてて……」
久郎君はそこまで一息に説明してから、ふと我に返って「なんかめっちゃ熱弁しちゃってすみません……」と照れた様子で頭を掻いた。その様子はただただ微笑ましい男子校生の一幕で、かつて不良と恐れられていたなんてもう考えられない。
「だから、決して俺が萌奈さんを脅したとか、たぶらかしたとか、そんなんじゃないです。周りの人は俺が変わった事を『魔法みたい』って笑いますけど、魔法があるとすれば、それは俺が心を開くきっかけをくれた萌奈さんの優しさです」
そんな久郎君にお父さんはすっかり毒気を抜かれているようだった。
「そうか……若者の恋の力はすごいな、恐れ入った。というか、狐に化かされたみたいな話だ……いや、萌奈の場合はタヌキの方が近いか」
「ちょっとお父さん! 実の娘に対して失礼な!」
「いや悪い。あまりにも信じがたかったから……小瀬君、萌奈をよろしく頼むよ。可愛い娘だからね。今のところ化けタヌキではないはずだ」
「お父さん!!」
お父さんがいつもの面白おじさんとしての調子を取り戻して来たところで、面談は着地点が有耶無耶のまま終わったのだった。
高校二年の一学期、定期考査が終わった後に行われる三者面談は、進路や成績のことで揉めがちだとよく言われる。ただ私に関して言えば、進路に心配はないという事で面談は順調に終わるはずだった。
先生が余計なことを言わなければ。
「伊豆出さんについては、一時期体調を崩しがちだったので心配していましたが、今はクラスでもいきいきと楽しく過ごしていらっしゃるので、担任としても安心しています。特に最近は、ね! 小瀬君も居るしね!」
「せっ、先生!」
「……小瀬君、というのは?」
それまで先生の話を静かに聞いていたお父さんがピクリと眉を震わせて、
「先生、その小瀬君とウチの萌奈は一体どんな関係なんでしょうか?」
と低い声で訪ねた。お父さんは人当たりが良くトークも上手で、家でも外でも賑やかな面白おじさんなのに、この質問の瞬間だけは有無を言わせぬ迫力があった。
まあ……実は、このお父さんのリアクションも想像の範疇内ではある。
「萌奈、まさか小瀬君と、その……交際している、のか?」
「あー、ははは……」
私の曖昧な笑みは肯定以外の何物でもなかった。こういう時に限って意思の疎通が上手くいってしまい、お父さんはがっくりと肩を落とし、頭を抱えた。
「よりによってあの子と……」
そうなのだ。この事を黙っていたのは、相手が『あの』小瀬久郎だからだと思う。
そして気まずい沈黙が私たちの間に漂ったまま、時間だけが過ぎ、今に至るというわけ。
「あ、あのね。お父さん……!」
私が何とか弁明しようと思わず立ち上がった時、教室のドアががらりと開いて、顔を覗かせた人物があった。
「あれ? ごめん萌奈、まだ面談中?」
「久郎君!」
今日のお昼に「面談は五時までだからいつものメンバーで一緒に帰ろうね」って約束してたのに私の姿がないから探しに来てくれたらしい。……その結果、絶妙のタイミングで話題の主役が登場してしまったわけだけど。
「ごめん、もう少しで終わると思う」
「おう、じゃあ外で待ってる」
「ちょっと待て。君が小瀬君……?」
動揺した声が、すぐ隣から私達に割って入った。
「君があの『暴君』小瀬久郎なのか……?」
お父さんは驚きで目を見開いていた。だけど、それも無理はない。
都市から少し離れたところにあるこの振槍第一高校へ入学してくる生徒のほとんどが近所の住民ということで、生徒のだいたいは既に顔見知りだ。だから、入学した時に久郎君のことを知らない人なんて学校に一人もいなかった。
中学までの久郎君と言えば、制服をだらしなく着崩し授業は聞かない、そもそも遅刻ばかりで昼前にふらりと現れたかと思うと席で寝るだけだったり、いつの間にか原付を持ち込んで校庭を走っていたり。つまり、絵に描いたような不良少年だったのだ。その噂は、生徒の口を通してその家族にまで轟いていた。
お父さんは、娘がとんでもない不良と付き合い始めたイメージをしていたのだと思う。
でも今の久郎君はそうじゃない。
「あ、萌奈の親父さんスか。お世話になってます。小瀬です」
「あ、こちらこそお世話になってます。萌奈の父です……」
お父さんの顔には「夢でも見てるのか?」と言いたげな疑問符がたくさん浮かんでいた。中学時代とはまるで変わってしまった久郎君に驚いているらしい。
そして彼の方も、そんなお父さんの様子を見て、何のことかピンと来たようだった。
「あ、俺、評判悪いっスよね。親父さんには心配かけて申し訳ないです。確かに、高校入るまでの俺かなり不真面目で、周りにも迷惑かけて、ほんとクズだったんです。でも、去年萌奈さんと同じクラスになった時に萌奈さんがすごく気にかけてくれて。クラスに居場所作ってくれて。それでやり直すチャンス貰ったんです。全部萌奈さんのおかげです。だから俺、本当に感謝してて、今度は俺が萌奈の力になるって決めてて……」
久郎君はそこまで一息に説明してから、ふと我に返って「なんかめっちゃ熱弁しちゃってすみません……」と照れた様子で頭を掻いた。その様子はただただ微笑ましい男子校生の一幕で、かつて不良と恐れられていたなんてもう考えられない。
「だから、決して俺が萌奈さんを脅したとか、たぶらかしたとか、そんなんじゃないです。周りの人は俺が変わった事を『魔法みたい』って笑いますけど、魔法があるとすれば、それは俺が心を開くきっかけをくれた萌奈さんの優しさです」
そんな久郎君にお父さんはすっかり毒気を抜かれているようだった。
「そうか……若者の恋の力はすごいな、恐れ入った。というか、狐に化かされたみたいな話だ……いや、萌奈の場合はタヌキの方が近いか」
「ちょっとお父さん! 実の娘に対して失礼な!」
「いや悪い。あまりにも信じがたかったから……小瀬君、萌奈をよろしく頼むよ。可愛い娘だからね。今のところ化けタヌキではないはずだ」
「お父さん!!」
お父さんがいつもの面白おじさんとしての調子を取り戻して来たところで、面談は着地点が有耶無耶のまま終わったのだった。