この16年間の中で、本当の恋を知ったのは、多分、中3の頃だったと思う。


 恋した相手は、小学校からずっと一緒だった人だった。


 正直、まさか彼に恋をする日が来るとは思わなかった。だって、小学校の頃は、彼のことが嫌いで仕方なかったから。口は悪いし、よくいじめてくるし、良いところなんて何一つない。2度と関わりたくない、と何度思ったことか。


 だけど、中学に入って、彼は変わった。そして、私は彼の才能に気づいた。それは、誰が見てもあからさまだったと思う。


 彼は手先が器用で、美術や習字に優れていた。とても集中しているようには見えないのに、彼の手から生み出されるものは何もかもが素晴らしくて、誰もが息を呑む。


 不器用で美的センスの欠片もない私にとって、彼の才能はこの上なく羨ましく、同時に憧れるものだった。


 そして、その憧れから、この感情は恋へと発展していった。


 中3に進級した私は、いつの間にか、彼と男女それぞれ1人ずつの4人グループで居ることが多くなった。全員が小学校から一緒で、帰り道もほぼ同じ方向。休み時間のたびにその4人で集まっては談笑する。帰りもお喋りしながらのんびりと歩くことが日課になっていた。気を遣うこともないし、そこではありのままの自分でいられた。


 そうして、そのグループで過ごすうちに、気づけば私は彼の姿ばかりを目で追うようになっていて、彼との会話を沢山しようと心がけていた。


 その行動から、ああ私は彼のことが好きなんだって、初めて気がつく。


 そこからはもう、できる範囲でアプローチを続けた。暇さえあれば彼といられるようにさりげなく近づいたし、会話は彼と話を合わせるようにした。挙句、彼が塾をどこにするか迷っている時は私が通っている場所を薦めて、しかも本当に来た時には人知れずに大喜びした。


 学校だけでなくて放課後も彼と会える時間が増えて、受験という鎖が軽くなるぐらい、私は嬉しさと幸せに満たされていた。


 付き合いたい、と思った。彼の友達じゃあ嫌だ。彼の特別な存在になりたい。そう、本気で思っていた。


 だけど、時期は受験真っ只中。恋愛にうつつを抜かす時間なんて、多分お互いにない。


 だから、我慢した。せめて、受験が終わるまで。


 私は毎日彼と顔を合わせて、話して、グループだけど一緒に帰って、本当に楽しい時間を過ごせていたと思う。模試の成績が悪かった時も、勉強に力が入らない時も、彼のことを考えると不思議とやる気が起きた。


 いつの間にか彼は、私のやる気を起こさせるスイッチの一部にでもなっていたんだろうな。


 その後、無事に受験が終わって、私たちは解放された。もう勉強のことは考えなくて良いと、背中に羽が生えたぐらい気持ちが軽かった。


 けど、それは卒業が近いことも示していた。中学校を去って仕舞えば、もう彼と出会う機会は無いに等しくなる。


 でも、臆病だった私は、あれだけアプローチはしていたのに、肝心の告白にまでは行動に移すことができなかった。


 帰り道、別れ際で彼を引き止めようとするも口を動かすことができない毎日。好きって気持ちは強いのに、それを言葉にできないのが悔しかった。


 朝が来るたびに、今日こそは言おうって意気込むのに、夕方になるとその決意は途端にしぼんでしまう。


 そんな日々を繰り返すうちに、私たちは卒業式を迎えてしまった。卒業証書に、胸につけられたコサージュ。もうこの学校に通うことはない、と現実を突きつけられると、切なさと寂しさで涙が溢れてきたのを覚えている。


 式の全てが終わり、昇降口前では最後の言葉を交わそうとみんなが集まっていた。その中で、私は彼の姿を見つける。なんとかスマホを持っていって、未だに知らなかった連絡先を交換した。そして、その勢いで告白しようと思った。だけど彼はすぐに友達の元へと言ってしまい、結局その後彼と出会うことはなかった。


 連絡先だけ交換し、肝心の告白ができずに終わってしまった卒業式。


 けれども、神様は私にチャンスを与えてくれた。同じ塾だった友達が、塾のメンバーでバレーをしようと提案してきてくれた。その中にはもちろん彼もいた。


 もうこの時しかない。そう、私はいつも以上に気合を入れた。もちろん、遊ぶ時は思いっきり遊んだ。今まで溜め込んでいたストレスなどを晴らすように、とにかく体を動かした。


 やがては帰りの時間が訪れ、みんなで体育館の外に出る。和気藹々とお喋りをする中、私はそっと彼の肩を叩いた。そして、言った。


「後で話がある」


 それを聴いた彼の反応はイマイチ覚えていない。だって、緊張で彼の顔を直視できなかったから。だけど、確実に「分かった」と言う声は聞こえた。


とにかく、第一の壁はクリア。


 十分に会話を重ねて話題が尽きた私たちは、解散する流れに向かう。自転車で帰る人、歩いて帰る人、車で迎えにきてもらう人。それぞれに分かれて歩き出す中、お互いに車での送迎だった私と彼はその場に残って自分の家の車を待った。


 2人きり、静かな空間。その静寂を先に破ったのは彼だった。


「話って何?」


 不思議そうに彼が私と向き合う。私はどくどくと激しく脈打つ心臓を抑えながら、熱い顔で、彼の顔より少しだけ下の方を見ながら言った。


「好きです。私と、付き合ってください」


 数ヶ月も言えなかった、たった2文。彼には届いただろうか。私は静かに彼の返事を待つ。


「……ごめん」


 そう聞こえたのは、時間にして数十秒後だったと思う。


「学校遠いし、部活とかあるから……」


 色々と言葉を並べているが、つまりは無理だってこと。私はフラれたわけだ。


「そっか……。ごめんね、急にこんな話して」


 私は素直に彼の返事を受け止めた。そして、タイミングがいいことに、私がそう言った後でお父さんの車がやってくる。


「それじゃあね」


 私は彼に手を振った。最後くらい、と言う彼の優しさなのか、彼も手を振りかえしてくれた。


 車に乗った私は、なんとも言えない感情で満たされていた。特段悲しいわけでも、悔しいわけでもない。ただ、心の中にあった何かが抜け落ちてしまったような、無力感だけが残っていた。


 その時、私は告白することができた達成感と、フラれてしまった虚無感だけを感じていた。


 けれども、後になって後悔した。だって、本当は、彼に伝えたい言葉はあんなものじゃなかったと気づいたから。


 私は彼が好きだった。その気持ちに嘘偽りはない。でも、それ以上に心の支えだったのだ。彼を見つけるだけで世界は輝いていたし、彼と話せただけで、どんなに嫌なことがあってもその日が素晴らしい日だと思えた。彼がたまに浮かべる笑顔を見ると心が癒されたし、彼が活躍する姿にはドキドキさせられた。


 彼は、私に色んな感情を味わわせてくれた。好き、だけではまとめられないほど多くのものを、彼は私に与えてくれた。


 多分私は、彼がいなかったらこんなにも受験期間が明るく輝くことはなかったと思う。下手すれば自殺していたかもしれない。


 そんな中でも、彼の存在は偉大で、だからこそ私はここまで頑張ることができた。


 きっと私は、好き、という言葉以上に彼に伝えたい言葉があったはずだ。


 もし、もし神様がなんの悪戯か、彼と会うチャンスを私にもう一度与えてくれるならば、今度こそちゃんと伝えたい。


「ありがとう」って。私の支えになってくれて、ありがとうって。


 正直に言ってしまえば、もう、私は彼のことが好きではない。というか、他に気になる人が出てきている。


 それでも。都合がいい、だなんて思われるかもしれないけれど。


 多分、この恋は一生忘れないと思う。


 ううん、違う。


 私はこの恋を、忘れたくない。だから、心に留めておく。彼に言えなかった言葉と共に。