「こんな夜更けに散歩か?」
「……寝付けなくて」

月のない夜、庭に出ていた瑞穂に声をかけたのはカナメだった。
高天原に来てからの目まぐるしい日々の中では顔を合わせる機会もなく、久しぶりの邂逅に瑞穂はなんとなく気まずくなって目を逸らしてしまう。
カナメも距離をとって池のふちにしゃがみ込むと、黒い水面を眺めていた。

「……明日、ヒルメ様のお孫様が地上に降りられるんですって」
「ああ。何人か神が随行するから、明日は朝から忙しい」

だから早く寝ろと言外に匂わせたカナメだが、瑞穂は単なる世間話として、この話題を選んだ訳ではなかったらしい。

「……貴方は、行かないの?」

その問いに、カナメは顔を上げた。
瑞穂の真っ直ぐな程に思い詰めた視線を感じる。

「残念ながら厄介払いはできそうにないぞ。我は此処を離れるつもりはない。この生命賭してそなたを守り抜くと言っただろう」

皮肉った物言いになった自覚はあった。
その証拠に、瑞穂は口元に手を遣り己の問いを思い返しているようだ。

「厄介払いだなんて……そんなこと言うつもりじゃなかった。ごめんなさい。私は、ただ」
「ただ?」
「……父さんたちが元気かどうか、知りたかっただけ」

零すように応えて、瑞穂はふいとそっぽを向いた。
そのままカナメと離れて歩き出す。

「今宵は月も出ていない。足元に気をつけろ」
「平気。明るいうちに、歩いても大丈夫なところに白い石を置いておいたから」

言葉の通り、瑞穂の足取りは危うくはない。
社から漏れる僅かな灯りだけでは心許ない夜によく庭へ出たものだと、カナメは呆れ半分で見守っていたのだが、凝る闇からほのかに浮き上がる白を頼りに瑞穂はすいすいと進んでいった。

「これは、翡翠兄さんが教えてくれた方法……なの」
「……そうか」

揺らいだ語尾にはあえて触れず、カナメは静かに立ち上がると、白い石を丁寧に避けて瑞穂の後を歩く。
社の上がり口が見えてくる前に、鳥が鳴いた。
夜に似つかわしくないその高く張り詰めた声に、強ばった瑞穂の足が白い石を蹴飛ばしてしまう。

「あ」

たちまち闇に沈んだ庭は、行く先を示さない。
しかし──背後から、小さく弾ける青白い光が、瑞穂を照らした。
背後のカナメが成したであろう技に瑞穂は振り向こうとする──が、闇に慣れきった瑞穂にはその光は眩しくてたまらず、途中で動きが止まってしまった。
手をかざして目を細めていると、カナメはそのままでいろと言わんばかりに瑞穂の肩を抱く。
背中からカナメの温もりが伝わってきて、瑞穂は身を強ばらせた。

「我が(いかづち)は──あれよりも確かに導いてやれる。守ってやれる。あれが他に秀でるものあらば、その上を行くまでだ」

いつかの日の翡翠と同じように瑞穂を抱き寄せたカナメは、教え込むように囁いた。
睦言と呼ぶには些か子どもじみた張り合いにも聞こえ、瑞穂は小さく笑みを零した。

「確かに貴方の雷はどこまでも照らしてくれるけれど──翡翠兄さんとの思い出は、それとは違う明るさなの。八重姉さんのも、父さんとの思い出だってそう。勝ち負けじゃないよ」
「……葦原は……実に、手強いな」

深く溜息をついたカナメは力を抜いて、瑞穂にもたれ掛かるように腕を回す。
瑞穂が身を捩って腕から抜け出そうとすると、カナメは静かに顔を上げた。
明るさに慣れてきていた瑞穂の瞳に、カナメの瞳が映り込む。
稲光を閉じ込めたような、黄金色の眩い瞳。
今にもくちびるが触れそうな距離は、カナメの計算通りだったのか。
何も言えなくなってしまった瑞穂に、カナメは僅かに口角を上げた。

「譲るつもりはないと──言っただろう」

宣戦布告にも似たひとことが、瑞穂のくちびるを塞ぐ。

稲妻がひと際大きく爆ぜて、ふたりが重なる水面を照らした。