その日、海にひとりの童が降ろされた。

寄せては返す波が細い髪をするすると梳かす。
小さな飛沫は柔肌に弾けては波に還る。

童──少女は海に揺蕩っている。

目を閉じて、流れに身を任せている。
少女はある音を耳にした。
目を開けずとも、音を聞くだけでそれが何なのかはわかった。
果てなき空の彼方──少女が元居た所から差し込まれた矛が、潮の流れを力強く、そしてたおやかに掻き混ぜていく音だ。

こおろこおろ。

潮はとろとろと広がっては固まっていく。

こおろこおろ。

ますます広がる潮の流れ。
波紋の中心にぽかりと浮かぶひとつの島。
大地が、山が、草木が、湖が目覚めていく。

矛が抜かれ、一滴の雫が、少女の頬を濡らした。

それを合図とするかのように少女は目を開ける。大海原が白く照らされていた。
これは太陽の光によるものだろうか? それとも──

海面がはね返す光が乱反射して、色とりどりの幾何学模様が波間に遊ぶ。
歪な光の束が、空と海の狭間を宛て所なく彷徨う。
白い視界が丸く切り取られて、不可思議な紋様が少女の元に降りてくる。
羽を広げ守り合う、あれは鳥だろうか。

「貴方様こそ豊の秋津国。茜さす空を自由に泳ぐそのお姿、いつかお目にかかる日までの楽しみとしよう」

張りのある低い声。しかし陰鬱ではなく、いっそ閃光を思わせる眩さと頼もしさを携え、少女を見つめる者がいる。
しかし少女は彼を知らない。

少女を見下ろしている黒髪が風にそよいでは彼を覆い隠す。
顔が見たいと手を伸ばす。
けれど手が届くことはなく、みるみる目の前が白んで──