きみの妻になりたかった。きみが夫だと紹介したかった。きみのために生きて、きみと一緒に生活をしてみたかった。
もうすべて、無理な願いだ。
零れ落ちそうになる嗚咽を堪えて、笑顔を向ける。どうしたのかとこちらを眺めてくる人たちに会釈をして、私は背筋を伸ばしたままくるりと踵を返した。
まだ駄目だ。まだ、気を緩めては駄目だ。
その場を立ち去る。誰もいない場所まで、逃げ込む。彼と一緒にここにはよく来たから、ひとがあまり来ない場所はよく知っていた。知っていてよかった、とひとりになってから強く実感した。
堪えきれなくなった嗚咽が漏れた。しゃがみこんで、両手で口を押える。人はいないと言っても、聞かれるわけにはいかなかった。あの歌のやり取りは、あくまで冗談、笑い話程度のものだと思ってもらわなければならなかったから。
「茜」
だから。
だから、きみの声が聞こえるなんて、そんなことあってはいけないことなのに。
「茜、ごめん」
頭の上から声が降ってくる。腕の中にぎゅうっと抱き込まれて、懐かしい体温に次から次へと涙が零れ落ちる。困ったな、と落とされた声にかすかに顔を上げて、私は彼の瞳を見上げた。
「会いに行けなくて、ごめんね」
気持ちの整理がつかなくて、ずっと逃げていた。姉からも、彼からも。その姉と話をして、少し整理がついて。私はその勢いのまま、ここまで走ってきた。
「……会いに来てくれて、うれしかったよ、茜」
もう会えないと思った、と言う彼に、それは大げさだと返しかねて、押し黙る。それに気づいた彼は小さく笑うと、いまのは意地悪だったね、と言って私の瞳を覗き込んできた。
「会いたかった。話がしたかった。……ごめん、茜。俺がもっと、上手く動いたらよかった」
「そ、れは……っ」
「父親に言われた後、兄貴にいいのかって言われて、いいんだって返した。よくないのは兄貴も一緒だったろうし、兄貴だってきっとどうにかしたかっただろうに、俺はそれを汲み取ることができずに、きみとの未来をあっさり手放した」
それは。私だって、同じで。
だから、彼がそうやってすべてを背負う必要なんて、ないのに。