電車に乗っている。
それ以下でもそれ以上でもなく、居るだけである。
————————どこに行こうとしたんだっけ……
どうにも僕の頭はまだ寝ぼけているらしい。何も浮かんで来ない。頭がぷかぷかする。
  
 プルルルルルルルッ、プルルルルルルルッ
音が鳴った。いや、電話が鳴った。くすんだ赤色をした鞄に目を向けて、携帯を……。おかしい、携帯をどこにしまったのか、分からない、思い出せない。そうこうしている間にも、電車内に着信音のみが、甲高く、堂々と鳴り響く。僕は刺すような視線を、ひしひしと、毛穴の一つ一つで受け止める。それでも音を頼りにして、携帯を手に取った。
 あれほど騒ぎ散らかしていた携帯も、今ではすっかりおとなしく僕の手の中に。履歴を確認する。すると驚いた。
 それは、知らない奴からの電話だった。いや、知らないはずがない。登録された番号だ。そんなのおかしい。でも僕は電話番号を見ても、名前を見ても、誰のことだかさっぱり分からなかった。やはりこいつは知らない奴だ。おかしい。しかし、それ以上に、なんらかの縁のあったはずのこいつを、ケロッと忘れてしまっている僕に、不思議と腹が立っていた。

「大丈夫?」
声をかけられた。それは、自分の世界から引っ張られるような感覚だった。だんだんと意識が鮮明になっていく。
「ほ、ほぉら、目の前で急にポロポロ泣かれたら、ね?」
大丈夫と、声をかけた、あのときの凛々しい彼女の姿も、面影すらも無く、慌てふためきつつ、言い訳でもするかのように、彼女は言った。

 電車が駅に着き止まる。そうだ。僕は電車に乗っていたんだ。そういえばなんで僕は———————
「っどこで降りるの」
答えられなかった。答えなんて、分からない。だから
「あなたは?」
と聞いた。彼女は、バツが悪そうに目を伏せて、黙り込んでしまった。

 電車がまた駅に着き止まる。焦燥感に駆られて苦しかった。でも今の方がずっと苦しい、と感じる。
 気晴らしに車窓をみる。海に太陽が溶けていく。そのジュワッとした感じが、光として、波動として、心臓を抉るような、気もした。
綺麗で、綺麗で、自分が削られていく。一気に年を取った気がした。そのまま眠りについた。