「ただいま」
「おかえり」
もの寂しく響いた私の声に、お母さんとお父さんが返事をする。どちらももう仕事から帰ってきていたみたいだ。
正直に言うと私は家はあまり好きではない。だからといって、学校も好きではないからどうしようもないのだけれど。
「唯、ご飯できてるから食べな」
そう母に言われ、手を洗って机に向かう。置かれていたのは一杯の味噌汁と白米と一切れの卵焼き。 それら全てを胃に流し込んで、私は今日の出来事を母に話そうと口を開いたところで、やはり動きをとめた。話したところで無駄だから。きっと帰ってくるのは「そうなのね」という淡白な返事ひとつ。
父に至っては返事も返してくれるかどうかわからない。いつも私だけがこの世界のどこにもいない存在のように、ふわふわと浮いている。
こんなふうに私の家族は、翼がいなくなってから全てが変わってしまった。
仕方なく私はそのまま食事を終えて自分の部屋に戻り、気分転換に読みかけの本を開く。今日学校で読み始めた本の続きだ。今夜は第二章の最後まで読み進めた。主人公が呪われた加奈という女の子に恋をしてしまう話で、その加奈を助けるために何とかしようと決意したところで一区切りついていた。
パタンっと勢いよく本を閉じると、急に眠気が襲ってきて、それが私をベッドまで連れて行った。
まだお風呂も歯磨きも済ませていないから、眠る訳にはいかないと思いながらも、私の持つ魔法は生理現象には全く効力がないみたいだった。
「ふろ……きゃん……」
昨日の自分に絶望を感じながら、ねっとりと絡みつく髪を何とか洗面所で洗い、きつくひとつに結い上げた。 学校で誰かに臭いと思われないだろうかと少し不安に思うけれど、今日も始業時間が後ろから迫ってきているのでシャワーを浴びる時間は無い。
準備を済ませた私は腹を括って、いってきますと家の中に言い入れる。
外に出るとそんな気も知らないで呑気に鳴いている朝の鳩がなんだかとても羨ましくて、頭の中で鳴き声を真似しながら学校までの道を歩いていった。
ポッポーポポー……
「おはよ唯」
「ポ……」
「ぽ……?」
「ポ、じゃなくておはよう。てかなんでここに永田くんが……」
変な返事をしてしまった私を訝しげに見る永田くん。それに慌てて、話題を切替える。
「いや俺も学校までの道こっちだから。たまに朝すれ違ってたじゃん」
いつも朝は咲希しか気にしていなかったから思い出そうとしたところで永田くんは記憶の中には見つけられなかった。
「あーたしかにー。この前あそこの電柱の上で見た気がするー」
「おい、それ絶対無い記憶だろ。ほら、昨日だって咲希と一緒にゾンビごっこしながら登校してたじゃん。あの時俺後ろにいたんだよ。二人を抜かして先に行こうと思ったら急に変な格好で走り出すから唯って意外と面白いやつなのかなーって思って」
「み、みてたの……?」
「そりゃ」
私は急に恥ずかしくなって、黙り込むと後ろから聞きなれた元気のいい声が飛んできた。
「おっはよーゆいー……って晴来!?」
「おーおはよー」
いつもの軽い感じで挨拶をする永田くんに若干咲希が色づいた気もしたけれど、すぐにいつもの友達を装って楽しそうに会話をし始めた。
「後でどういうことか聞かせてもらおうか」
少し本音もあった気がするけれど、咲希が私に近寄ってきて、おどけた様子でそう静かに告げてくる。
「私が来る前二人でなんの話ししてたの!」
私から少し離れると、今度は永田くんにも聞こえる大きな声で聞いてきた。
「たまたま出会ったから通学路同じなんだーって話してただけだよ」
先程の咲希の耳打ちに答えるように、話を繋ぐ。
「そうそう。あ、あとさっき唯が俺のおはように『ポ』とかいう変な返事したからどういうことか聞こうと……うへぇっ」
余計なことを言いそうだった永田くんの脇腹に攻撃をしておいた。魔法、ではなく物理的に。昨日手を握ってきたお返しだ。なんだか永田くんと喋る時は咲希や翼と喋っていた時のように、自分を制限しないで話せている気がする。まだしっかり言葉を交わしたのは昨日が初めてだけれど、私の中ではとっくに永田くんとの距離は縮まっていた。
「なんだ……めちゃくちゃ喋りやすいじゃん。今までなんで苦手だったんだろ……」
「ん?唯なんか言った?」
「ううん。なんも!」
「あれー?永田のくせに女の子二人と登校なんてモテモテじゃーん」
永田くんを囃し立てるようにしてわき道から登場したのは彼と同じグループにいる小林くんだ。
「おう!小林!モテちゃってわりいな」
「そう言う反応が欲しいわけじゃねえの!てか今日この前の小テスト不合格だった人朝追試やるって言ってなかった?」
「え、がち?」
「がち」
その場でがっくりとした様子の永田くんに私たちはつい笑ってしまう。
「あれ?小林も不合格じゃなかった?」
「そうだよ」
「お前はなんでそんなに落ち着いてんだよ!急いでいくぞ!てことでごめん俺ら先に行くから。また後でな!」
「うん!またあとで!」
四コマ漫画みたいな急展開に思わず吹き出しながら手を振ると、二人は駆け足で先に行ってしまった。私も咲希もそれぞれ違った理由で、その行方を見つめていた。
学校に到着すると、がっくりとした様子の永田君が目に映った。言葉を発していなくても真っ黒な煙が見えてきそうだ。
もちろん昨日のことは誰にも知られていないので、教室で彼に軽々しく話しかけるわけにはいかない。それに咲希のことも気がかりだ。万が一にも好意を疑われたら困る。だから、また今日も本を読んで時間をやり過ごす。クライマックスの前段階ほどまで進み、主人公の「僕は君に恋という名の呪いにかけられたんだ」などという現実で言ってしまえば確実に冷めワードナンバー2くらいには認定されるだろうセリフを目に通したところで、チャイムが鳴った。
「私、晴来に恋の呪いにかけられちゃったみたい」
デジャブ。
ようやく二時間目の授業が終わり、恋の呪いにやられてしまったらしい咲希を横に教室を出る。購買にパンを買いに行くためだ。昼休みには行列ができるから、この時間に買っておくのが私なりのスクールライフハック。
「ちょっとー。なんか言ってよー。私が変な人みたいじゃん」
「大丈夫。すでに痛くて脆くて変な人だから。心配することないよ」
「そこまで言ってないわ!」
そんなふうにいつも通りのくだらない会話をしていると、いつものように購買に辿りついた。
「んー今日はバターシュガーパンの活きがいいなー」
消費期限本日までと書かれた30円引きのパンを見ながらつぶやいてみる。
「はいはい早くしてください、インチキソムリエさん」
今度は咲希が私をいなす。あまり待たせても悪いので、私はそのまま活きのいいバターシュガーパンを買った。
「おいしそうだねそのパン。口にくわえてそこの角曲がったらイケメンとぶつかるかも」
咲希はまたふざけたことを言う。
「咲希の中でのそのイケメンは永田君ってわけか。そしたらお姫様は私になっちゃうけどいいの?」
にやにやとした笑みを浮かべながらそんな言葉を投げかけてみる。冗談だとわかっているはずなのに、咲希はそんなの嫌だー!と子供みたいに叫んでいた。
私は面白くなって、いっけなーい遅刻遅刻!と叫びながら、購買と教室のある棟を繋ぐ渡り廊下を走って、その先の角を曲がってみた。
「うおっ」
「うえっ」
「おお、唯そんな急いでどうした」
「え、いや、ちょっと……」
見上げると、驚いた様子の永田くんがいた。後ろからは咲希の甲高い悲鳴が聞こえてきて、私の心臓を震わせる。
現実なんて、どれだけ願っても奇跡など起きないのに、こういうときだけ確率の壁を越えてくるのは何故だろう。
気まずくなった私は、考えながら、ゆっくりと後ろに下がり、じっくりと俯いた。
しかし、永田くんは「私」であること、ではなく、「人とぶつかった」ことに驚いていただけらしく、私が無事であることを知ると、そのあとは相変わらずケラケラとしていた。
「購買行ってたのか。そのパン美味そうだな。まだ売ってた?」
あまりに普通に話しかけられて、答えられずに口ごもっていると、突然勢いよく抱きしめらた。咲希に。
「うわー!私の唯ちゃんに危ないことしないでー!」
「人聞きの悪いこと言うんじゃねえ!」
咲希が好意を持ったとしても2人の仲は健在だ。いつも通りの雰囲気に戻って、胸を撫で下ろす。
「あれ、何それ。反省文?」
会話を繋げるためか、さっきから永田くんが持っている紙に、咲希が言及した。
「そうそう。朝の小テストの追試遅刻してさ、道端のおばあちゃん助けてましたって言ったら先生ブチギレ」
「なにそれ。もうちょっとマシな嘘つけばいいのに!」
2人の楽しそうな様子に少し疎外感を感じた私は、咲希の隣でぼうっと斜め上をみつめる。
(あ……)
私としたことが、ほんとうに、いらないことに気がついてしまった。咲希の発した言葉は全て真っピンクのハート型になって宙に浮いていくのに、永田くんからはただ、言葉の塊として飛んでいる。感情がこもっていないのだ。
「じゃあ、私たち教室戻るから、頑張ってね。反省文出したあとは学年主任とタイマンでしょ」
「タイマンって…俺がただ怒られるだけな」
苦笑いを浮かべながら職員室へ向かって行く永田くんの背中は、昨日より、なんだか小さく見えた。
「おーい。早く座れよー。授業始まってんぞー」
担任兼国語担当の佐々木先生が気だるそうに生徒を取りまとめる。
「全員座ったかー?授業始める前に皆にちょっと連絡な。最近何度も起こっていた窓ガラス事件の犯人が見つかった」
覇気のない声ではあったけれど、確実に教室内に緊張が走った。ガヤガヤとしていた声は静まり、皆が先生の方を向く。
そのうち、小林くんが誰もが気になっているであろう、しかし、聞くことは憚られる質問を遠慮もなく、大声で先生に投げかける。
「え?まじすか?誰なんですかそれー」
小林くんから出た質問は、ピエロの形になって飛んでいく。懐疑と好奇の色が強いようだ。
「うるせえ小林。誰かは言わない。俺がしたいのはそういう話だ。本人は自首をした上で、反省もしてる。皆の生活に不安が漂うのは避けたいから、この事実を伝えるが、だからといって犯人探しをして欲しくない。いいな」
そうして始まった授業はどんよりとした雰囲気のまま続き、そこそこの問題を解いて、終了となった。先生はああ言っていたけれど、休み時間になるとやはりほとんどの生徒は先程の話で持ち切りだ。あちこちで邪推や噂をする声が聞こえてきて、教室内は私にしか見えない具現化された曇天や毒ガスが飛散している。早くこの場を離れたくて急いで教室をでると、後ろから私を犯人と推察する声が聞こえてきた気がした。
「いつも全然喋らないし、今も急いでいなくなるとかさ……」
気にしすぎかもしれない。もしそう噂されたとしても、私はやっていないのだから、無視すればいい。そう言い聞かせて、気になる気持ちを振り払う。廊下をふらふらと歩き、窓を見てみたり、トイレに入ったりして時間を潰す。何もない休み時間は10分でも暇で、本を持って来ればよかったかななどと考えながら、また来た道を辿る。
そうして次の授業の直前に再び教室に戻ると、大した変わりはなく、少しほっとする。相変わらず空気の悪さはあるけれど、私が責められているようなことはなかった。その時は。
問題は、次の日からだった。嫌疑は人を経由する度、徐々に大きくなり、時が経過するほど、不安定になる。
果たして、佐々木先生の意図とは裏腹にクラス内、学年内では1週間もしない内に私が犯人だという認識で定着していった。
最初は、私も気にしないでいたし、実際、噂を立てるのはごく一部の人だけだった。けれど、日が経つにつれ、周りの私に対する反応が変化していった。別に何か特別に嫌がらせをされたわけではない。その通りに、何もされないのだ。私が通った教室内の前後にはぽっかりと人が消え、たまに忘れ物の貸し借りをしていた隣の子も、ひとつ通路を挟んだ反対側の隣の子に教科書を見せてもらうようになった。元々友達は少なかったとはいえ、いやでも日常が一変しているのがわかった。
それでも、大丈夫だと頭の中で繰り返して、今日も教室の扉を開ける。もう心の中はほとんど崩れてしまいそうだったけれど、気張って、堂々と教室の席までを歩く。時々、教室に霧散した言葉が弓矢になって私の心臓を射抜いた。ものすごく、痛かった。でも不思議なことに、そこには自分が許される感覚もあった。翼の痛みを感じれた気がして、償える気がして。あの時の詳しい実状は分からなくても、翼はもっと辛い思いをしたはずだから、死んでない私は、まだ大丈夫。またそうやって、言い聞かせて、拳を膝の上で握る。爪がくい込んで、チクッとした痛みを感じる。けれど、それすらも、自分への罰のように感じてしまっていた。
「どしたの?ぼうっとして、お昼ご飯食べよ」
ふっと目の前に、覗き込むようにして現れた咲希の顔を見て、我を取り戻す。ありがたいことに、咲希だけは今も変わらず私の近くにいてくれた。例の件に関しては、咲希も何となく気がついてはいるらしいけれど、何も直接的な嫌がらせがないために、私に聞くのははばかられる様子だった。
咲希がすっと私の隣の席に座ってお弁当を広げる。
「みてー!かわいくない?うさちゃんべんとーう」
そう言ってにこっと笑い、キャラ弁をみせてくれる。
「かわいい……」
「んじゃ目ん玉からいこっかな」
「なんか急にぐろい」
咲希がははっと笑って、その声がうさぎへと形を変える。
そのまま辺りをぴょこぴょこ跳ねるうさぎを見て、改めて感心する。咲希はこれだけ限界に近い私を、一瞬でも笑わせてくれる。何より、自分も危機に瀕する可能性があるなかで、私と一緒にいてくれることが、どれだけすごいことか。これからも絶対に大切にしようと考えていると、後ろから大きな声が飛んできて、ひどく心臓が跳ねた。
「咲希なんでそんなところいるの?こっちおいでよ」
そう言うと、何人かの女子たちが咲希のもとにやってきて、彼女のうさちゃん弁当を持ち上げた。咲希は誰とでもよく喋るから、彼女達と雑談をしているところを何度も見かけたことがある。
「あ、でも」
何か物言いたげに私の方を見る咲希に、行っていいよとアイコンタクトを送る。咲希にとって、彼女達も大切な友達なのは知っているから。こんな状況下にある私が身を引くのが健全だ。
それを見るなり、咲希は頷いて、少し申し訳なさそうに場所を移動した。
咲希の行く先を見送って、残りの弁当に目を移す。でもなぜだか、途端にお腹が主張をやめてしまって、箸を口に運んでみても、薄らと吐き気を催すだけだった。仕方なく今はお弁当を元に戻して、ロッカーに入れる。
そうして途端に手持ち無沙汰になった私は、いつも通り机の中に手を入れて、本を探す。しかし、上手く見つからなくて、奥の方に腕を突っ込んでみる。すると、バラバラになった紙切れが、いくつも入っていることに気がついた。それが手に触れた瞬間、なにか嫌な予感が指先を伝って来て、私の心を揺らす。とりあえず教科書類を一旦全て机の外に出して、それらをかき集めてみる。沢山の紙切れを握って、手を机の中から引き出すと見覚えのある文章の欠片が、げっそりと顔をのぞかせていた。見た瞬間は、目を疑ったけれど、それは紛れもなく私が持ってきた本の残骸だった。最初は少し、机の中で押しつぶされたり、登校鞄で揉みくちゃになったりした可能性も考えた。しかし、誰がどう見ても、その程度で起こるような破れ方ではなかった。
私は泣きそうになるのを必死に堪えながら、敗れた本のページと、最後に出てきた無惨な姿の本の表紙をカバンの中に詰め込む。とにかく今の姿を誰にも見られたくなくて、一度に全ての紙を鷲掴みにして、運ぼうとした。けれど、量が多すぎて、無理があった。かなりの数の切れ端が床にこぼれ落ちたり、手のひらにくっいたりして、私の思惑を邪魔してきた。
悪戦苦闘を強いられていると、たまたま横を通りかかった人が驚いたようにこちらを振り向く。私はその顔を見て、背筋を凍らせた。まただ。よりによって、この人に見られてしまった。他の人だったら、いつも通り無視を決め込むだろうし、これをやった犯人であれば心の中で嘲笑ってでも通り過ぎただろうに。
「おい、どうしたんだそれ」
「な、永田くん。先生に怒られに行ったんじゃないの。お早いお帰りで」
何とか話題を逸らそうとして、冗談めかして笑ってみる。実際に笑えていたかは分からない。
「何馬鹿なこと言ってんだよ。なんでこんな紙が散らばってんだ」
しかし、虚しく私の作戦も散って、永田くんは落ちた切れ端を拾い始める。
私は観念して、口を開く。するといきなり、ねずみの鳴き声のようなきゅっという音が耳をつんざいた。自分の喉からだった。
気づくと、頬を水がつたる感覚がして、やがて膝上で握りしめた手の甲を濡らす。
「あれ……なんで……」
人前で泣いたのなんて、翼がいなくなったあの時以来だ。しかもあれは親戚と家族しかいなかったし、私にとってもっと大きな出来事だった。今とはわけが違う。あれより悲しいことなんてもうないはずなのに。
永田くんがひと通りの紙切れを拾い終わって立ち上がると、泣いている私を見てぎょっとした。
人に見られると途端に恥ずかしくなって、腕で涙を拭うついでに顔を隠す。
それでも悲しいことに、私はいつもの癖で愛想笑いをしてしまう。泣きながら笑ってる変なやつだと思いながらも涙はとまってくれない。
「ほら、保健室いくぞ」
それだけ言うと永田くんが私の肩を抱えて、立ち上がらせる。小林くんに向かって、俺と唯保健室行ってるって次の先生に伝えといてとだけ言い残して、教室を出る。一瞬、その声に反応した咲希が立ち上がったのが目の端に映った。いつも、私を心配してくれている時の顔だった。そんな友達にさえ、今の顔を見られたくないと思って目を逸らしてしまう。
沢山の怪訝な目に晒されながら歩く保健室までの道のりは、いつもと比にならないくらいの長さだった。その間、永田くんは何も聞かずに一緒にいてくれた。ただ気まずかったのか、彼なりの優しさなのかは分からなかったけれど、今はただそれに甘えることしか出来なかった。
「ここ、どこ……」
前にいた永田くんが失礼しますと言って扉を開けたので、俯けていた顔をあげると、いきなり物置部屋のような光景が目の前に広がった。
「ほんとに最後まで気づかなかったのな。ここ別棟の空き教室」
サラサラの前髪の間から、少しいたずらっぽい目が見える。
どうやら体感ではなく、本当に長い距離を歩いていたみたいだ。
少しして、永田くんが空いてる床に落ちているダンボールを広げ、大仰に腰を下ろす。その様子を見ていると手で隣を促してくれたので、そこに座る。静かな教室だと、ダンボールの擦れる音が嫌に響いた。
「もう泣きやんだ?」
聞きながら、私の目の端に溜まっていた涙を指で拭ってくれる。
「うん……」
私は少し恥ずかしくなって、微笑しながら頷いた。乾いた涙が頬を引っ張り、横隔膜が痙攣して、音を鳴らす感覚があった。
それから幾分か時間が経って、それも落ち着いてきた頃、永田くんが意を決したように私の名前を呼んだ。
「ねえ、唯」
重々しい雰囲気を感じ取って、顔だけをゆっくり、そちらに向ける。
「ほんとに、ごめん」
目の前にはそう言って、床を見つめる永田くんがいた。わけがわからなかった。謝られている理由も、吐き出された言葉が暖かな雫の形になって、私の心に染み込んだ理由も。
「なんで急に」
会話を繋げるために、何とか言葉を引っ張り出す。
すると永田くんがすっと顔を上げて、ぼそぼそと語り出す。
「実は、窓ガラス割ってたの全部俺なんだ。また俺のせいで唯に辛い思いさせちまった。だから、ごめん……」
衝撃の告白に、目を大きく見開く。驚きのあまり、とうとう出る言葉もなくなって、黙ってしまう。その後永田くんに言われたことをゆっくり咀嚼してみるも、疑問ばかりで頭が埋め尽くされる。永田くんが窓ガラス事件の犯人?なんで?それに、”また”ってなに。私永田くんに嫌なことされた覚えあったっけ?少し前までは苦手意識があったのは事実だけれど、それは私が一方的に感じていただけで、直接なにか嫌がらせを受けたわけではない。
「……っっ」
結局、何から聞けばいいかわからなくて 口ごもると、永田くんが察したように諦念を含めた微笑みを見せた。
「この前、俺魔法持ってるって唯に言ったじゃん。窓ガラス割ったのは、それが関係してるんだけど、その経緯を話すために、まず、ひとつ伝えなきゃいけないことがある」
ごくり、と唾を飲む音が隣から響く。
「唯の弟、笹原翼くんをいじめたのは俺の弟だ」
それらが瞬時に衝撃波に変わって、私の体を酷く揺らす。思わずめまいがして、額に手を当てる。
「は?」
しばらくぼうっとして、ようやく言われた内容を理解した頃に出てきたのは、おかしくなるほど腑抜けた声だった。じきに、身体がカタカタと音を立て始めた。肩が震え、腕が震え、脚が震え、やがて、伝っていた校舎と地面が揺れた。
最初は何が起こっているのかわからず、これが自分の振動によるものだと理解するのにかなり時間がかかった。最初は地震かと思ったけれど、明らかに震源が”ここ”だった。誰かに教えてもらったわけではないけれど、何となく、直感でわかった。溢れ出した感情の大きさに、普段の能力を超えて魔法が暴発した。
ゆっくりと横を見ると、永田くんが目を丸くして、固まっていた。
「今、唯から伝わって、この教室揺れた……?」
「永田くんも魔法持ってるだけあって理解が早いね。こんなに大きな力になったのはさすがに初めてだけど」
私の含みのある言葉に何かを察した様子の永田くん。
「唯も魔法、持ってるの……」
「うん、普段は言葉が具現化するだけの魔法なんだけどね。今はちょっと心がびっくりしすぎちゃったみたい。私も初めてのことで驚いてる」
「そうか……」
終始ほうけた顔を見せる永田くんに、私は逆に冷静さを取り戻してきてしまった。
「もう、いいよ。永田くんの弟が翼のこといじめた犯人だとしても、永田くん自身は関係ないでしょ」
諦めたようにごちる。本当はずっと翼をいじめた犯人と家族もろとも胸ぐらを掴んで怒鳴り散らしてやりたかった。はたき倒してやりたかった。でも、その相手が永田くんだとわかった手前、そんな勇気は、私にはなかった。
「俺も最初はずっと思ってた。弟がやったことで俺は関係ないし、このことで、家族の雰囲気が悪くなる度、なんであいつのせいで俺の日常まで壊されなきゃいけないのかって」
体育座りをしたままの膝に、顎を埋めてその声を聞き流す。
「でも、さっき、唯がいじめられてるとこみかけて、他人事じゃないと思った。自分の弟が殺した弟の姉が、同じように、いじめられてんだ。見過ごしたら、俺も結局変わらないって」
” いじめ”。言われたその言葉がはっきりと実態を持って、私の頭の中に飛び込んでくる。私はいじめられていたのかとそこで初めて思う。ずっと私の心が弱いだけだと言い聞かせてきた。翼はもっと辛い思いをしていたはずだから、まだ死んでない自分は大丈夫だって、思ってきた。でも、違った。
「だから、俺、せめてもの償いで、唯にできるだけのことをしたいと思う。もしこれを聞いて、俺と関わりたくないならそれでもいい。けどもし、今更でも許してくれるなら、これから、精一杯罪滅ぼしをさせて欲しい」
正直複雑な気持ちだった。許せない気持ちも強い。けれど、実際永田くん自身は関係なくて、彼もある種の被害者なんだと、頭では理解していた。そこでふと横をむくと、今の言葉が、魂の形となり、辺りを飛んでいることに気がつく。もう、少し呆れてしまってそれに応える決心をした。
「わかった。翼のこと、永田くんの弟のことは、やっぱり許せないけど、永田くんは、もういいよ」
それを聞くと、永田くんは肩の少し荷が下りたように、口元を緩めた。
「ありがとう……」
それでも立場上気まずいのだろう。それだけ言うと、静かに顎を引いて、私の方に向けていた身体を元の方向に戻してしまった。それに、私から話題を振る。
「そういば、最初の話し。窓ガラス割った理由、なんだったの」
思い出したように、永田くんが顔をあげる。
「ああ……それ、魔法で空を飛ぼうと思ったんだ。翼くんに会いたくて」
「え?」
何を言っているのかわからず、思わず口を衝いて出る。
「我ながらあほらしいと思うけど、翼くんに会えれば、俺自身感じてる責任を果たせるんじゃないかと思って、魔法の力使って、飛ぼうとしてみた。そしたら暴発して、何回も窓ガラス割っちゃった」
「あほなの?」
「うおい。ド直球だな」
永田くんがあまり元気の無い声で、そうつっこむ。
「いや、飛ぼうとするのも、それで翼に会えると思ってるのもおかしいけど、やるにしてももっと何も無い広いとこでやればよかったのに。なんでわざわざ学校で」
「学校じゃなきゃ、だめだったんだ。なんでかは分からないけど。前話したみたいに、俺の魔法、人の感情を取り込んで、同じようにそれを味わうだけだから、飛ぶなんてことはできない。でも、学校で強く祈ると、心の底からうおおってなって風がぶわってなって足がふわふわふわってちょっと浮いた」
「ふっ……説明下手くそか」
そう言って、思わず口元が少し緩んでしまった。
「でも、冗談じゃないよ。本気で翼くんに、この魔法の力で会えたらと思ってる」
神妙な顔で、永田くんがそう告げる。
「ほんとにできるの?それだったら私だってそうしたいよ」
永田くんの真剣さに、私は少し期待して、食い気味に聞いてしまう。しかし、永田くんの反応は思いどおりのものではなかった。
「方法どころか、できるかどうかも分からない。でも、俺がこの力を持ったのには意味がある気がする。もしそうだとしたら、それは翼くんに関することなんだと思う。魔法に気がついたのも事件の前後あたりだったし」
「そっか。私も、そう思う」
私もこれについては同じように感じていたので、素直に賛同する。
「ねえ、唯夏休み空いてる日ある?」
「お盆あたりは、学校全体閉じてて部活もないし、大体暇だよ?」
唐突に脈絡のない質問を投げかけられたので首を傾げながら答える。
「じゃあ、その間に、翼くんに会う方法を探そう。2人分の魔法の力で」
なるほどと思う。永田くん1人で試した時よりも勝機があるかもしれない。
「うんっ。そうしよう。私だけだったら、絶対そんなこと思わなかった。永田くんのおかげでなんかちょっと希望をもてた気がする。ありがとね」
「いや、これはさっき言った俺の償いの一環だから、お礼を言われる筋はないというかなんというか」
上手く言葉が見つからないらしい永田くんに珍しさを覚えながら、言い返す。
「もうそれは許したって言ったじゃん。それに、翼のことだけじゃなくて、私この魔法だからさ、人と話すのちょっと怖かったんだけど、永田くんが最近話してくれて楽しいって思える時が増えたんだ。それも含めて、ありがとうって」
「そうだったのか。なんか言われると嬉しいな」
少し照れた様子で、永田くんが手を口元に持って行く。その時だった。
――ガララッッ
「唯!!」
私の名前を呼ぶ声と同時に、空き教室の扉が勢いよく開いた。殆ど泣き顔をした咲希がそれと同時に飛び込んできて、私を思いっきり抱きしめる。開かられた扉から、差し込んできた日光が、咲希の背中を照らし、私の視界を明るくする。
「ごめん……助けてあげられなくてごめん……ずっと唯近くにいたのに、辛いの気づいてあげられなかった。唯があんなに泣いてるの、初めて見た」
咲希の言の葉がふかふかの毛布になって、私を包む。この期に及んで、どうして咲希がこの場所にいるのかとか、なんで泣いているのかとか、そんなことは全く気にならなかった。
「なんで咲希が謝るの……」
咲希の沁みるような優しさと温もりを感じて、引っ込んでいた涙がまた溢れ出してきてしまった。咲希もずっと号泣したままで、しばらくふたりでわんわん泣きながら、抱きしめあった。
それから何分か経って、少し落ち着いた頃に、咲希から手を離す。すると横では目を逸らし、いたたまれない様子の永田くんが雫の中にぼやけて見える。さすがにコミュ力の高い永田くんでも、目の前で女の子ふたりがこんなに泣き始めてしまっては、どうしようもなく気まずいのだろう。
「あ、ごめん晴来。でももうちょっと待ってて」
彼に気づいた咲希が恥ずかしさを吹き飛ばすように言う。それに永田くんが大丈夫という視線を送りながら頷いた。咲希は永田くんに断りを入れると、また私の方を向く。そうして赤く腫れた目でウインクをしながら、衝撃の事実を伝えてくれる。
「もう唯の本破いた鏡花にはやり返しといたから大丈夫だよ」
鏡花は、教室で咲希と私がお弁当を食べている時に咲希に声をかけてきたグループの中心的な人物だ。
「え?」
咲希の発した言葉が瞬時に理解できず聞き返す。
「だからーさっきお弁当食べてたら急に唯の悪口言い始めて、窓ガラス事件の犯人だとか本破いてやったとか自慢してきやがったから鏡花のお弁当ひっくり返したら、喧嘩になっちゃって。最終的にしつこく突っかかってきた鏡花に1発顔面アッパーかましといた」
見ると、確かに咲希の目元には引っかき傷のようなものが確認できた。
「はははははっっ!」
申し訳なさとか嬉しさとかありとあらゆる感情が溢れ出して、私の心では抱えきれなくなってしまった。気がつくと、また涙を流しながら大声で笑っていた。心も顔もぐちゃぐちゃで自分でもどうしようもなかった。でも、今度は嬉しさが混ざった涙だったから、少し甘い味がするかもしれないと思った。
「私の勝ちだね」
そう言って咲希が私にVサインを向けてくる。
率直に言って、いかれていると思った。咲希のこんな強引なやり返し方は、法律とか、世間とかから見ると、正直負けているかもしれない。でもそれが、今の私にとっては、確かな正義で、ものすごく光り輝いて見えた。もしこのせいで咲希が咎められることがあったなら、今度は私が全力で守ろうと、再び決心する。
「ありがとう咲希」
私の人生で一番の、心からの感謝を述べる。
「ふふんっいいよーん」
それを聞いて誇らしげにする咲希。これだけ私のことを大事にしてくれているからには、咲希にも隠していた秘密を話すべきだと思い、永田くんに承諾を得る。咲希は、たまに家に遊びに来ることがあったため、翼についてのことは知っている。だから、それよりあとの出来事だけを要約して伝えた。
「え!?晴来が窓ガラス事件の犯人?2人とも魔法が使えて!?実は翼をいじめてたのははるきの弟?それで翼を探しに行くだって??何それ!私も行きたい!翼に会えたら前みたいに家で遊ぼうよ!!」
反応を見て、私は思わず微笑した。普通魔法で友達の死んだ弟を探しに行くなんて話をしたら、疑問を抱いたり、気まずそうにしたりするだろうに。気にせずずかずかと人のプライベートに踏み入って、場を明るくしてしまう。これは魔法を持たずもと備わる咲希の力なのだろう。
「でも、魔法がないと会うのはなかなか難しいかも。まあ、魔法があっても難しいんだけど」
不快にならないよう、思ったことを正直に伝える。
「いや、私だって夏の魔法があるし!」
どこか得意げに言う咲希を見て、おい、それは種類が違うだろうと思いながら、くすくすと笑う。すると、少し和んだ雰囲気を感じ取ったのか、永田くんが立ち上がって私たちに近づいて来る。
「ああ、でもその前に、教室の方何とかしないとな……」
そう言って苦笑いを浮かべる。
咲希のおかげで、教室内は騒然としているだろうし、それに伴って、私たちも事の経緯を先生に話さなければならないはずだ。
「そうだね……」
思い出したように咲希が賛同すると、魔法使い2名と夏の魔法使い(仮)1名は事態の収束を求め、職員室に進軍するのだった。
「おかえり」
もの寂しく響いた私の声に、お母さんとお父さんが返事をする。どちらももう仕事から帰ってきていたみたいだ。
正直に言うと私は家はあまり好きではない。だからといって、学校も好きではないからどうしようもないのだけれど。
「唯、ご飯できてるから食べな」
そう母に言われ、手を洗って机に向かう。置かれていたのは一杯の味噌汁と白米と一切れの卵焼き。 それら全てを胃に流し込んで、私は今日の出来事を母に話そうと口を開いたところで、やはり動きをとめた。話したところで無駄だから。きっと帰ってくるのは「そうなのね」という淡白な返事ひとつ。
父に至っては返事も返してくれるかどうかわからない。いつも私だけがこの世界のどこにもいない存在のように、ふわふわと浮いている。
こんなふうに私の家族は、翼がいなくなってから全てが変わってしまった。
仕方なく私はそのまま食事を終えて自分の部屋に戻り、気分転換に読みかけの本を開く。今日学校で読み始めた本の続きだ。今夜は第二章の最後まで読み進めた。主人公が呪われた加奈という女の子に恋をしてしまう話で、その加奈を助けるために何とかしようと決意したところで一区切りついていた。
パタンっと勢いよく本を閉じると、急に眠気が襲ってきて、それが私をベッドまで連れて行った。
まだお風呂も歯磨きも済ませていないから、眠る訳にはいかないと思いながらも、私の持つ魔法は生理現象には全く効力がないみたいだった。
「ふろ……きゃん……」
昨日の自分に絶望を感じながら、ねっとりと絡みつく髪を何とか洗面所で洗い、きつくひとつに結い上げた。 学校で誰かに臭いと思われないだろうかと少し不安に思うけれど、今日も始業時間が後ろから迫ってきているのでシャワーを浴びる時間は無い。
準備を済ませた私は腹を括って、いってきますと家の中に言い入れる。
外に出るとそんな気も知らないで呑気に鳴いている朝の鳩がなんだかとても羨ましくて、頭の中で鳴き声を真似しながら学校までの道を歩いていった。
ポッポーポポー……
「おはよ唯」
「ポ……」
「ぽ……?」
「ポ、じゃなくておはよう。てかなんでここに永田くんが……」
変な返事をしてしまった私を訝しげに見る永田くん。それに慌てて、話題を切替える。
「いや俺も学校までの道こっちだから。たまに朝すれ違ってたじゃん」
いつも朝は咲希しか気にしていなかったから思い出そうとしたところで永田くんは記憶の中には見つけられなかった。
「あーたしかにー。この前あそこの電柱の上で見た気がするー」
「おい、それ絶対無い記憶だろ。ほら、昨日だって咲希と一緒にゾンビごっこしながら登校してたじゃん。あの時俺後ろにいたんだよ。二人を抜かして先に行こうと思ったら急に変な格好で走り出すから唯って意外と面白いやつなのかなーって思って」
「み、みてたの……?」
「そりゃ」
私は急に恥ずかしくなって、黙り込むと後ろから聞きなれた元気のいい声が飛んできた。
「おっはよーゆいー……って晴来!?」
「おーおはよー」
いつもの軽い感じで挨拶をする永田くんに若干咲希が色づいた気もしたけれど、すぐにいつもの友達を装って楽しそうに会話をし始めた。
「後でどういうことか聞かせてもらおうか」
少し本音もあった気がするけれど、咲希が私に近寄ってきて、おどけた様子でそう静かに告げてくる。
「私が来る前二人でなんの話ししてたの!」
私から少し離れると、今度は永田くんにも聞こえる大きな声で聞いてきた。
「たまたま出会ったから通学路同じなんだーって話してただけだよ」
先程の咲希の耳打ちに答えるように、話を繋ぐ。
「そうそう。あ、あとさっき唯が俺のおはように『ポ』とかいう変な返事したからどういうことか聞こうと……うへぇっ」
余計なことを言いそうだった永田くんの脇腹に攻撃をしておいた。魔法、ではなく物理的に。昨日手を握ってきたお返しだ。なんだか永田くんと喋る時は咲希や翼と喋っていた時のように、自分を制限しないで話せている気がする。まだしっかり言葉を交わしたのは昨日が初めてだけれど、私の中ではとっくに永田くんとの距離は縮まっていた。
「なんだ……めちゃくちゃ喋りやすいじゃん。今までなんで苦手だったんだろ……」
「ん?唯なんか言った?」
「ううん。なんも!」
「あれー?永田のくせに女の子二人と登校なんてモテモテじゃーん」
永田くんを囃し立てるようにしてわき道から登場したのは彼と同じグループにいる小林くんだ。
「おう!小林!モテちゃってわりいな」
「そう言う反応が欲しいわけじゃねえの!てか今日この前の小テスト不合格だった人朝追試やるって言ってなかった?」
「え、がち?」
「がち」
その場でがっくりとした様子の永田くんに私たちはつい笑ってしまう。
「あれ?小林も不合格じゃなかった?」
「そうだよ」
「お前はなんでそんなに落ち着いてんだよ!急いでいくぞ!てことでごめん俺ら先に行くから。また後でな!」
「うん!またあとで!」
四コマ漫画みたいな急展開に思わず吹き出しながら手を振ると、二人は駆け足で先に行ってしまった。私も咲希もそれぞれ違った理由で、その行方を見つめていた。
学校に到着すると、がっくりとした様子の永田君が目に映った。言葉を発していなくても真っ黒な煙が見えてきそうだ。
もちろん昨日のことは誰にも知られていないので、教室で彼に軽々しく話しかけるわけにはいかない。それに咲希のことも気がかりだ。万が一にも好意を疑われたら困る。だから、また今日も本を読んで時間をやり過ごす。クライマックスの前段階ほどまで進み、主人公の「僕は君に恋という名の呪いにかけられたんだ」などという現実で言ってしまえば確実に冷めワードナンバー2くらいには認定されるだろうセリフを目に通したところで、チャイムが鳴った。
「私、晴来に恋の呪いにかけられちゃったみたい」
デジャブ。
ようやく二時間目の授業が終わり、恋の呪いにやられてしまったらしい咲希を横に教室を出る。購買にパンを買いに行くためだ。昼休みには行列ができるから、この時間に買っておくのが私なりのスクールライフハック。
「ちょっとー。なんか言ってよー。私が変な人みたいじゃん」
「大丈夫。すでに痛くて脆くて変な人だから。心配することないよ」
「そこまで言ってないわ!」
そんなふうにいつも通りのくだらない会話をしていると、いつものように購買に辿りついた。
「んー今日はバターシュガーパンの活きがいいなー」
消費期限本日までと書かれた30円引きのパンを見ながらつぶやいてみる。
「はいはい早くしてください、インチキソムリエさん」
今度は咲希が私をいなす。あまり待たせても悪いので、私はそのまま活きのいいバターシュガーパンを買った。
「おいしそうだねそのパン。口にくわえてそこの角曲がったらイケメンとぶつかるかも」
咲希はまたふざけたことを言う。
「咲希の中でのそのイケメンは永田君ってわけか。そしたらお姫様は私になっちゃうけどいいの?」
にやにやとした笑みを浮かべながらそんな言葉を投げかけてみる。冗談だとわかっているはずなのに、咲希はそんなの嫌だー!と子供みたいに叫んでいた。
私は面白くなって、いっけなーい遅刻遅刻!と叫びながら、購買と教室のある棟を繋ぐ渡り廊下を走って、その先の角を曲がってみた。
「うおっ」
「うえっ」
「おお、唯そんな急いでどうした」
「え、いや、ちょっと……」
見上げると、驚いた様子の永田くんがいた。後ろからは咲希の甲高い悲鳴が聞こえてきて、私の心臓を震わせる。
現実なんて、どれだけ願っても奇跡など起きないのに、こういうときだけ確率の壁を越えてくるのは何故だろう。
気まずくなった私は、考えながら、ゆっくりと後ろに下がり、じっくりと俯いた。
しかし、永田くんは「私」であること、ではなく、「人とぶつかった」ことに驚いていただけらしく、私が無事であることを知ると、そのあとは相変わらずケラケラとしていた。
「購買行ってたのか。そのパン美味そうだな。まだ売ってた?」
あまりに普通に話しかけられて、答えられずに口ごもっていると、突然勢いよく抱きしめらた。咲希に。
「うわー!私の唯ちゃんに危ないことしないでー!」
「人聞きの悪いこと言うんじゃねえ!」
咲希が好意を持ったとしても2人の仲は健在だ。いつも通りの雰囲気に戻って、胸を撫で下ろす。
「あれ、何それ。反省文?」
会話を繋げるためか、さっきから永田くんが持っている紙に、咲希が言及した。
「そうそう。朝の小テストの追試遅刻してさ、道端のおばあちゃん助けてましたって言ったら先生ブチギレ」
「なにそれ。もうちょっとマシな嘘つけばいいのに!」
2人の楽しそうな様子に少し疎外感を感じた私は、咲希の隣でぼうっと斜め上をみつめる。
(あ……)
私としたことが、ほんとうに、いらないことに気がついてしまった。咲希の発した言葉は全て真っピンクのハート型になって宙に浮いていくのに、永田くんからはただ、言葉の塊として飛んでいる。感情がこもっていないのだ。
「じゃあ、私たち教室戻るから、頑張ってね。反省文出したあとは学年主任とタイマンでしょ」
「タイマンって…俺がただ怒られるだけな」
苦笑いを浮かべながら職員室へ向かって行く永田くんの背中は、昨日より、なんだか小さく見えた。
「おーい。早く座れよー。授業始まってんぞー」
担任兼国語担当の佐々木先生が気だるそうに生徒を取りまとめる。
「全員座ったかー?授業始める前に皆にちょっと連絡な。最近何度も起こっていた窓ガラス事件の犯人が見つかった」
覇気のない声ではあったけれど、確実に教室内に緊張が走った。ガヤガヤとしていた声は静まり、皆が先生の方を向く。
そのうち、小林くんが誰もが気になっているであろう、しかし、聞くことは憚られる質問を遠慮もなく、大声で先生に投げかける。
「え?まじすか?誰なんですかそれー」
小林くんから出た質問は、ピエロの形になって飛んでいく。懐疑と好奇の色が強いようだ。
「うるせえ小林。誰かは言わない。俺がしたいのはそういう話だ。本人は自首をした上で、反省もしてる。皆の生活に不安が漂うのは避けたいから、この事実を伝えるが、だからといって犯人探しをして欲しくない。いいな」
そうして始まった授業はどんよりとした雰囲気のまま続き、そこそこの問題を解いて、終了となった。先生はああ言っていたけれど、休み時間になるとやはりほとんどの生徒は先程の話で持ち切りだ。あちこちで邪推や噂をする声が聞こえてきて、教室内は私にしか見えない具現化された曇天や毒ガスが飛散している。早くこの場を離れたくて急いで教室をでると、後ろから私を犯人と推察する声が聞こえてきた気がした。
「いつも全然喋らないし、今も急いでいなくなるとかさ……」
気にしすぎかもしれない。もしそう噂されたとしても、私はやっていないのだから、無視すればいい。そう言い聞かせて、気になる気持ちを振り払う。廊下をふらふらと歩き、窓を見てみたり、トイレに入ったりして時間を潰す。何もない休み時間は10分でも暇で、本を持って来ればよかったかななどと考えながら、また来た道を辿る。
そうして次の授業の直前に再び教室に戻ると、大した変わりはなく、少しほっとする。相変わらず空気の悪さはあるけれど、私が責められているようなことはなかった。その時は。
問題は、次の日からだった。嫌疑は人を経由する度、徐々に大きくなり、時が経過するほど、不安定になる。
果たして、佐々木先生の意図とは裏腹にクラス内、学年内では1週間もしない内に私が犯人だという認識で定着していった。
最初は、私も気にしないでいたし、実際、噂を立てるのはごく一部の人だけだった。けれど、日が経つにつれ、周りの私に対する反応が変化していった。別に何か特別に嫌がらせをされたわけではない。その通りに、何もされないのだ。私が通った教室内の前後にはぽっかりと人が消え、たまに忘れ物の貸し借りをしていた隣の子も、ひとつ通路を挟んだ反対側の隣の子に教科書を見せてもらうようになった。元々友達は少なかったとはいえ、いやでも日常が一変しているのがわかった。
それでも、大丈夫だと頭の中で繰り返して、今日も教室の扉を開ける。もう心の中はほとんど崩れてしまいそうだったけれど、気張って、堂々と教室の席までを歩く。時々、教室に霧散した言葉が弓矢になって私の心臓を射抜いた。ものすごく、痛かった。でも不思議なことに、そこには自分が許される感覚もあった。翼の痛みを感じれた気がして、償える気がして。あの時の詳しい実状は分からなくても、翼はもっと辛い思いをしたはずだから、死んでない私は、まだ大丈夫。またそうやって、言い聞かせて、拳を膝の上で握る。爪がくい込んで、チクッとした痛みを感じる。けれど、それすらも、自分への罰のように感じてしまっていた。
「どしたの?ぼうっとして、お昼ご飯食べよ」
ふっと目の前に、覗き込むようにして現れた咲希の顔を見て、我を取り戻す。ありがたいことに、咲希だけは今も変わらず私の近くにいてくれた。例の件に関しては、咲希も何となく気がついてはいるらしいけれど、何も直接的な嫌がらせがないために、私に聞くのははばかられる様子だった。
咲希がすっと私の隣の席に座ってお弁当を広げる。
「みてー!かわいくない?うさちゃんべんとーう」
そう言ってにこっと笑い、キャラ弁をみせてくれる。
「かわいい……」
「んじゃ目ん玉からいこっかな」
「なんか急にぐろい」
咲希がははっと笑って、その声がうさぎへと形を変える。
そのまま辺りをぴょこぴょこ跳ねるうさぎを見て、改めて感心する。咲希はこれだけ限界に近い私を、一瞬でも笑わせてくれる。何より、自分も危機に瀕する可能性があるなかで、私と一緒にいてくれることが、どれだけすごいことか。これからも絶対に大切にしようと考えていると、後ろから大きな声が飛んできて、ひどく心臓が跳ねた。
「咲希なんでそんなところいるの?こっちおいでよ」
そう言うと、何人かの女子たちが咲希のもとにやってきて、彼女のうさちゃん弁当を持ち上げた。咲希は誰とでもよく喋るから、彼女達と雑談をしているところを何度も見かけたことがある。
「あ、でも」
何か物言いたげに私の方を見る咲希に、行っていいよとアイコンタクトを送る。咲希にとって、彼女達も大切な友達なのは知っているから。こんな状況下にある私が身を引くのが健全だ。
それを見るなり、咲希は頷いて、少し申し訳なさそうに場所を移動した。
咲希の行く先を見送って、残りの弁当に目を移す。でもなぜだか、途端にお腹が主張をやめてしまって、箸を口に運んでみても、薄らと吐き気を催すだけだった。仕方なく今はお弁当を元に戻して、ロッカーに入れる。
そうして途端に手持ち無沙汰になった私は、いつも通り机の中に手を入れて、本を探す。しかし、上手く見つからなくて、奥の方に腕を突っ込んでみる。すると、バラバラになった紙切れが、いくつも入っていることに気がついた。それが手に触れた瞬間、なにか嫌な予感が指先を伝って来て、私の心を揺らす。とりあえず教科書類を一旦全て机の外に出して、それらをかき集めてみる。沢山の紙切れを握って、手を机の中から引き出すと見覚えのある文章の欠片が、げっそりと顔をのぞかせていた。見た瞬間は、目を疑ったけれど、それは紛れもなく私が持ってきた本の残骸だった。最初は少し、机の中で押しつぶされたり、登校鞄で揉みくちゃになったりした可能性も考えた。しかし、誰がどう見ても、その程度で起こるような破れ方ではなかった。
私は泣きそうになるのを必死に堪えながら、敗れた本のページと、最後に出てきた無惨な姿の本の表紙をカバンの中に詰め込む。とにかく今の姿を誰にも見られたくなくて、一度に全ての紙を鷲掴みにして、運ぼうとした。けれど、量が多すぎて、無理があった。かなりの数の切れ端が床にこぼれ落ちたり、手のひらにくっいたりして、私の思惑を邪魔してきた。
悪戦苦闘を強いられていると、たまたま横を通りかかった人が驚いたようにこちらを振り向く。私はその顔を見て、背筋を凍らせた。まただ。よりによって、この人に見られてしまった。他の人だったら、いつも通り無視を決め込むだろうし、これをやった犯人であれば心の中で嘲笑ってでも通り過ぎただろうに。
「おい、どうしたんだそれ」
「な、永田くん。先生に怒られに行ったんじゃないの。お早いお帰りで」
何とか話題を逸らそうとして、冗談めかして笑ってみる。実際に笑えていたかは分からない。
「何馬鹿なこと言ってんだよ。なんでこんな紙が散らばってんだ」
しかし、虚しく私の作戦も散って、永田くんは落ちた切れ端を拾い始める。
私は観念して、口を開く。するといきなり、ねずみの鳴き声のようなきゅっという音が耳をつんざいた。自分の喉からだった。
気づくと、頬を水がつたる感覚がして、やがて膝上で握りしめた手の甲を濡らす。
「あれ……なんで……」
人前で泣いたのなんて、翼がいなくなったあの時以来だ。しかもあれは親戚と家族しかいなかったし、私にとってもっと大きな出来事だった。今とはわけが違う。あれより悲しいことなんてもうないはずなのに。
永田くんがひと通りの紙切れを拾い終わって立ち上がると、泣いている私を見てぎょっとした。
人に見られると途端に恥ずかしくなって、腕で涙を拭うついでに顔を隠す。
それでも悲しいことに、私はいつもの癖で愛想笑いをしてしまう。泣きながら笑ってる変なやつだと思いながらも涙はとまってくれない。
「ほら、保健室いくぞ」
それだけ言うと永田くんが私の肩を抱えて、立ち上がらせる。小林くんに向かって、俺と唯保健室行ってるって次の先生に伝えといてとだけ言い残して、教室を出る。一瞬、その声に反応した咲希が立ち上がったのが目の端に映った。いつも、私を心配してくれている時の顔だった。そんな友達にさえ、今の顔を見られたくないと思って目を逸らしてしまう。
沢山の怪訝な目に晒されながら歩く保健室までの道のりは、いつもと比にならないくらいの長さだった。その間、永田くんは何も聞かずに一緒にいてくれた。ただ気まずかったのか、彼なりの優しさなのかは分からなかったけれど、今はただそれに甘えることしか出来なかった。
「ここ、どこ……」
前にいた永田くんが失礼しますと言って扉を開けたので、俯けていた顔をあげると、いきなり物置部屋のような光景が目の前に広がった。
「ほんとに最後まで気づかなかったのな。ここ別棟の空き教室」
サラサラの前髪の間から、少しいたずらっぽい目が見える。
どうやら体感ではなく、本当に長い距離を歩いていたみたいだ。
少しして、永田くんが空いてる床に落ちているダンボールを広げ、大仰に腰を下ろす。その様子を見ていると手で隣を促してくれたので、そこに座る。静かな教室だと、ダンボールの擦れる音が嫌に響いた。
「もう泣きやんだ?」
聞きながら、私の目の端に溜まっていた涙を指で拭ってくれる。
「うん……」
私は少し恥ずかしくなって、微笑しながら頷いた。乾いた涙が頬を引っ張り、横隔膜が痙攣して、音を鳴らす感覚があった。
それから幾分か時間が経って、それも落ち着いてきた頃、永田くんが意を決したように私の名前を呼んだ。
「ねえ、唯」
重々しい雰囲気を感じ取って、顔だけをゆっくり、そちらに向ける。
「ほんとに、ごめん」
目の前にはそう言って、床を見つめる永田くんがいた。わけがわからなかった。謝られている理由も、吐き出された言葉が暖かな雫の形になって、私の心に染み込んだ理由も。
「なんで急に」
会話を繋げるために、何とか言葉を引っ張り出す。
すると永田くんがすっと顔を上げて、ぼそぼそと語り出す。
「実は、窓ガラス割ってたの全部俺なんだ。また俺のせいで唯に辛い思いさせちまった。だから、ごめん……」
衝撃の告白に、目を大きく見開く。驚きのあまり、とうとう出る言葉もなくなって、黙ってしまう。その後永田くんに言われたことをゆっくり咀嚼してみるも、疑問ばかりで頭が埋め尽くされる。永田くんが窓ガラス事件の犯人?なんで?それに、”また”ってなに。私永田くんに嫌なことされた覚えあったっけ?少し前までは苦手意識があったのは事実だけれど、それは私が一方的に感じていただけで、直接なにか嫌がらせを受けたわけではない。
「……っっ」
結局、何から聞けばいいかわからなくて 口ごもると、永田くんが察したように諦念を含めた微笑みを見せた。
「この前、俺魔法持ってるって唯に言ったじゃん。窓ガラス割ったのは、それが関係してるんだけど、その経緯を話すために、まず、ひとつ伝えなきゃいけないことがある」
ごくり、と唾を飲む音が隣から響く。
「唯の弟、笹原翼くんをいじめたのは俺の弟だ」
それらが瞬時に衝撃波に変わって、私の体を酷く揺らす。思わずめまいがして、額に手を当てる。
「は?」
しばらくぼうっとして、ようやく言われた内容を理解した頃に出てきたのは、おかしくなるほど腑抜けた声だった。じきに、身体がカタカタと音を立て始めた。肩が震え、腕が震え、脚が震え、やがて、伝っていた校舎と地面が揺れた。
最初は何が起こっているのかわからず、これが自分の振動によるものだと理解するのにかなり時間がかかった。最初は地震かと思ったけれど、明らかに震源が”ここ”だった。誰かに教えてもらったわけではないけれど、何となく、直感でわかった。溢れ出した感情の大きさに、普段の能力を超えて魔法が暴発した。
ゆっくりと横を見ると、永田くんが目を丸くして、固まっていた。
「今、唯から伝わって、この教室揺れた……?」
「永田くんも魔法持ってるだけあって理解が早いね。こんなに大きな力になったのはさすがに初めてだけど」
私の含みのある言葉に何かを察した様子の永田くん。
「唯も魔法、持ってるの……」
「うん、普段は言葉が具現化するだけの魔法なんだけどね。今はちょっと心がびっくりしすぎちゃったみたい。私も初めてのことで驚いてる」
「そうか……」
終始ほうけた顔を見せる永田くんに、私は逆に冷静さを取り戻してきてしまった。
「もう、いいよ。永田くんの弟が翼のこといじめた犯人だとしても、永田くん自身は関係ないでしょ」
諦めたようにごちる。本当はずっと翼をいじめた犯人と家族もろとも胸ぐらを掴んで怒鳴り散らしてやりたかった。はたき倒してやりたかった。でも、その相手が永田くんだとわかった手前、そんな勇気は、私にはなかった。
「俺も最初はずっと思ってた。弟がやったことで俺は関係ないし、このことで、家族の雰囲気が悪くなる度、なんであいつのせいで俺の日常まで壊されなきゃいけないのかって」
体育座りをしたままの膝に、顎を埋めてその声を聞き流す。
「でも、さっき、唯がいじめられてるとこみかけて、他人事じゃないと思った。自分の弟が殺した弟の姉が、同じように、いじめられてんだ。見過ごしたら、俺も結局変わらないって」
” いじめ”。言われたその言葉がはっきりと実態を持って、私の頭の中に飛び込んでくる。私はいじめられていたのかとそこで初めて思う。ずっと私の心が弱いだけだと言い聞かせてきた。翼はもっと辛い思いをしていたはずだから、まだ死んでない自分は大丈夫だって、思ってきた。でも、違った。
「だから、俺、せめてもの償いで、唯にできるだけのことをしたいと思う。もしこれを聞いて、俺と関わりたくないならそれでもいい。けどもし、今更でも許してくれるなら、これから、精一杯罪滅ぼしをさせて欲しい」
正直複雑な気持ちだった。許せない気持ちも強い。けれど、実際永田くん自身は関係なくて、彼もある種の被害者なんだと、頭では理解していた。そこでふと横をむくと、今の言葉が、魂の形となり、辺りを飛んでいることに気がつく。もう、少し呆れてしまってそれに応える決心をした。
「わかった。翼のこと、永田くんの弟のことは、やっぱり許せないけど、永田くんは、もういいよ」
それを聞くと、永田くんは肩の少し荷が下りたように、口元を緩めた。
「ありがとう……」
それでも立場上気まずいのだろう。それだけ言うと、静かに顎を引いて、私の方に向けていた身体を元の方向に戻してしまった。それに、私から話題を振る。
「そういば、最初の話し。窓ガラス割った理由、なんだったの」
思い出したように、永田くんが顔をあげる。
「ああ……それ、魔法で空を飛ぼうと思ったんだ。翼くんに会いたくて」
「え?」
何を言っているのかわからず、思わず口を衝いて出る。
「我ながらあほらしいと思うけど、翼くんに会えれば、俺自身感じてる責任を果たせるんじゃないかと思って、魔法の力使って、飛ぼうとしてみた。そしたら暴発して、何回も窓ガラス割っちゃった」
「あほなの?」
「うおい。ド直球だな」
永田くんがあまり元気の無い声で、そうつっこむ。
「いや、飛ぼうとするのも、それで翼に会えると思ってるのもおかしいけど、やるにしてももっと何も無い広いとこでやればよかったのに。なんでわざわざ学校で」
「学校じゃなきゃ、だめだったんだ。なんでかは分からないけど。前話したみたいに、俺の魔法、人の感情を取り込んで、同じようにそれを味わうだけだから、飛ぶなんてことはできない。でも、学校で強く祈ると、心の底からうおおってなって風がぶわってなって足がふわふわふわってちょっと浮いた」
「ふっ……説明下手くそか」
そう言って、思わず口元が少し緩んでしまった。
「でも、冗談じゃないよ。本気で翼くんに、この魔法の力で会えたらと思ってる」
神妙な顔で、永田くんがそう告げる。
「ほんとにできるの?それだったら私だってそうしたいよ」
永田くんの真剣さに、私は少し期待して、食い気味に聞いてしまう。しかし、永田くんの反応は思いどおりのものではなかった。
「方法どころか、できるかどうかも分からない。でも、俺がこの力を持ったのには意味がある気がする。もしそうだとしたら、それは翼くんに関することなんだと思う。魔法に気がついたのも事件の前後あたりだったし」
「そっか。私も、そう思う」
私もこれについては同じように感じていたので、素直に賛同する。
「ねえ、唯夏休み空いてる日ある?」
「お盆あたりは、学校全体閉じてて部活もないし、大体暇だよ?」
唐突に脈絡のない質問を投げかけられたので首を傾げながら答える。
「じゃあ、その間に、翼くんに会う方法を探そう。2人分の魔法の力で」
なるほどと思う。永田くん1人で試した時よりも勝機があるかもしれない。
「うんっ。そうしよう。私だけだったら、絶対そんなこと思わなかった。永田くんのおかげでなんかちょっと希望をもてた気がする。ありがとね」
「いや、これはさっき言った俺の償いの一環だから、お礼を言われる筋はないというかなんというか」
上手く言葉が見つからないらしい永田くんに珍しさを覚えながら、言い返す。
「もうそれは許したって言ったじゃん。それに、翼のことだけじゃなくて、私この魔法だからさ、人と話すのちょっと怖かったんだけど、永田くんが最近話してくれて楽しいって思える時が増えたんだ。それも含めて、ありがとうって」
「そうだったのか。なんか言われると嬉しいな」
少し照れた様子で、永田くんが手を口元に持って行く。その時だった。
――ガララッッ
「唯!!」
私の名前を呼ぶ声と同時に、空き教室の扉が勢いよく開いた。殆ど泣き顔をした咲希がそれと同時に飛び込んできて、私を思いっきり抱きしめる。開かられた扉から、差し込んできた日光が、咲希の背中を照らし、私の視界を明るくする。
「ごめん……助けてあげられなくてごめん……ずっと唯近くにいたのに、辛いの気づいてあげられなかった。唯があんなに泣いてるの、初めて見た」
咲希の言の葉がふかふかの毛布になって、私を包む。この期に及んで、どうして咲希がこの場所にいるのかとか、なんで泣いているのかとか、そんなことは全く気にならなかった。
「なんで咲希が謝るの……」
咲希の沁みるような優しさと温もりを感じて、引っ込んでいた涙がまた溢れ出してきてしまった。咲希もずっと号泣したままで、しばらくふたりでわんわん泣きながら、抱きしめあった。
それから何分か経って、少し落ち着いた頃に、咲希から手を離す。すると横では目を逸らし、いたたまれない様子の永田くんが雫の中にぼやけて見える。さすがにコミュ力の高い永田くんでも、目の前で女の子ふたりがこんなに泣き始めてしまっては、どうしようもなく気まずいのだろう。
「あ、ごめん晴来。でももうちょっと待ってて」
彼に気づいた咲希が恥ずかしさを吹き飛ばすように言う。それに永田くんが大丈夫という視線を送りながら頷いた。咲希は永田くんに断りを入れると、また私の方を向く。そうして赤く腫れた目でウインクをしながら、衝撃の事実を伝えてくれる。
「もう唯の本破いた鏡花にはやり返しといたから大丈夫だよ」
鏡花は、教室で咲希と私がお弁当を食べている時に咲希に声をかけてきたグループの中心的な人物だ。
「え?」
咲希の発した言葉が瞬時に理解できず聞き返す。
「だからーさっきお弁当食べてたら急に唯の悪口言い始めて、窓ガラス事件の犯人だとか本破いてやったとか自慢してきやがったから鏡花のお弁当ひっくり返したら、喧嘩になっちゃって。最終的にしつこく突っかかってきた鏡花に1発顔面アッパーかましといた」
見ると、確かに咲希の目元には引っかき傷のようなものが確認できた。
「はははははっっ!」
申し訳なさとか嬉しさとかありとあらゆる感情が溢れ出して、私の心では抱えきれなくなってしまった。気がつくと、また涙を流しながら大声で笑っていた。心も顔もぐちゃぐちゃで自分でもどうしようもなかった。でも、今度は嬉しさが混ざった涙だったから、少し甘い味がするかもしれないと思った。
「私の勝ちだね」
そう言って咲希が私にVサインを向けてくる。
率直に言って、いかれていると思った。咲希のこんな強引なやり返し方は、法律とか、世間とかから見ると、正直負けているかもしれない。でもそれが、今の私にとっては、確かな正義で、ものすごく光り輝いて見えた。もしこのせいで咲希が咎められることがあったなら、今度は私が全力で守ろうと、再び決心する。
「ありがとう咲希」
私の人生で一番の、心からの感謝を述べる。
「ふふんっいいよーん」
それを聞いて誇らしげにする咲希。これだけ私のことを大事にしてくれているからには、咲希にも隠していた秘密を話すべきだと思い、永田くんに承諾を得る。咲希は、たまに家に遊びに来ることがあったため、翼についてのことは知っている。だから、それよりあとの出来事だけを要約して伝えた。
「え!?晴来が窓ガラス事件の犯人?2人とも魔法が使えて!?実は翼をいじめてたのははるきの弟?それで翼を探しに行くだって??何それ!私も行きたい!翼に会えたら前みたいに家で遊ぼうよ!!」
反応を見て、私は思わず微笑した。普通魔法で友達の死んだ弟を探しに行くなんて話をしたら、疑問を抱いたり、気まずそうにしたりするだろうに。気にせずずかずかと人のプライベートに踏み入って、場を明るくしてしまう。これは魔法を持たずもと備わる咲希の力なのだろう。
「でも、魔法がないと会うのはなかなか難しいかも。まあ、魔法があっても難しいんだけど」
不快にならないよう、思ったことを正直に伝える。
「いや、私だって夏の魔法があるし!」
どこか得意げに言う咲希を見て、おい、それは種類が違うだろうと思いながら、くすくすと笑う。すると、少し和んだ雰囲気を感じ取ったのか、永田くんが立ち上がって私たちに近づいて来る。
「ああ、でもその前に、教室の方何とかしないとな……」
そう言って苦笑いを浮かべる。
咲希のおかげで、教室内は騒然としているだろうし、それに伴って、私たちも事の経緯を先生に話さなければならないはずだ。
「そうだね……」
思い出したように咲希が賛同すると、魔法使い2名と夏の魔法使い(仮)1名は事態の収束を求め、職員室に進軍するのだった。


