「ただいま」
「おかえり」
もの寂しく響いた私の声に、お母さんとお父さんが返事をする。どちらももう仕事から帰ってきていたみたいだ。
正直に言うと私は家はあまり好きではない。だからといって、学校も好きではないからどうしようもないのだけれど。
「唯、ご飯できてるから食べな」
そう母に言われ、手を洗って机に向かう。置かれていたのは一杯の味噌汁と白米と一切れの卵焼き。 それら全てを胃に流し込んで、私は今日の出来事を母に話そうと口を開いたところで、やはり動きをとめた。話したところで無駄だから。きっと帰ってくるのは「そうなのね」という淡白な返事ひとつ。
父に至っては返事も返してくれるかどうかわからない。いつも私だけがこの世界のどこにもいない存在のように、ふわふわと浮いている。
こんなふうに私の家族は、翼がいなくなってから全てが変わってしまった。
仕方なく私はそのまま食事を終えて自分の部屋に戻り、気分転換に読みかけの本を開く。今日学校で読み始めた本の続きだ。今夜は第二章の最後まで読み進めた。主人公が呪われた加奈という女の子に恋をしてしまう話で、その加奈を助けるために何とかしようと決意したところで一区切りついていた。
パタンっと勢いよく本を閉じると、急に眠気が襲ってきて、それが私をベッドまで連れて行った。
まだお風呂も歯磨きも済ませていないから、眠る訳にはいかないと思いながらも、私の持つ魔法は生理現象には全く効力がないみたいだった。
「ふろ……きゃん……」
昨日の自分に絶望を感じながら、ねっとりと絡みつく髪を何とか洗面所で洗い、きつくひとつに結い上げた。 学校で誰かに臭いと思われないだろうかと少し不安に思うけれど、今日も始業時間が後ろから迫ってきているのでシャワーを浴びる時間は無い。
準備を済ませた私は腹を括って、いってきますと家の中に言い入れる。
外に出るとそんな気も知らないで呑気に鳴いている朝の鳩がなんだかとても羨ましくて、頭の中で鳴き声を真似しながら学校までの道を歩いていった。
ポッポーポポー……
「おはよ唯」
「ポ……」
「ぽ……?」
「ポ、じゃなくておはよう。てかなんでここに永田くんが……」
変な返事をしてしまった私を訝しげに見る永田くん。それに慌てて、話題を切替える。
「いや俺も学校までの道こっちだから。たまに朝すれ違ってたじゃん」
いつも朝は咲希しか気にしていなかったから思い出そうとしたところで永田くんは記憶の中には見つけられなかった。
「あーたしかにー。この前あそこの電柱の上で見た気がするー」
「おい、それ絶対無い記憶だろ。ほら、昨日だって咲希と一緒にゾンビごっこしながら登校してたじゃん。あの時俺後ろにいたんだよ。二人を抜かして先に行こうと思ったら急に変な格好で走り出すから唯って意外と面白いやつなのかなーって思って」
「み、みてたの……?」
「そりゃ」
私は急に恥ずかしくなって、黙り込むと後ろから聞きなれた元気のいい声が飛んできた。
「おっはよーゆいー……って永田くん!?」
「おーおはよー」
いつもの軽い感じで挨拶をする永田くんに若干咲希が色づいた気もしたけれど、すぐにいつもの友達を装って楽しそうに会話をし始めた。
「後でどういうことか聞かせてもらおうか」
少し本音もあった気がするけれど、咲希が私に近寄ってきて、おどけた様子でそう静かに告げてくる。
「私が来る前二人でなんの話ししてたの!」
私から少し離れると、今度は永田くんにも聞こえる大きな声で聞いてきた。
「たまたま出会ったから通学路同じなんだーって話してただけだよ」
先程の咲希の耳打ちに答えるように、話を繋ぐ。
「そうそう。あ、あとさっき唯が俺のおはように『ポ』とかいう変な返事したからどういうことか聞こうと……うへぇっ」
余計なことを言いそうだった永田くんの脇腹に攻撃をしておいた。魔法、ではなく物理的に。昨日手を握ってきたお返しだ。なんだか永田くんと喋る時は咲希や翼と喋っていた時のように、自分を制限しないで話せている気がする。まだしっかり言葉を交わしたのは昨日が初めてだけれど、私の中ではとっくに永田くんとの距離は縮まっていた。
「なんだ……めちゃくちゃ喋りやすいじゃん。今までなんで苦手だったんだろ……」
「ん?唯なんか言った?」
「ううん。なんも!」
「あれー?永田のくせに女の子二人と登校なんてモテモテじゃーん」
永田くんを囃し立てるようにしてわき道から登場したのは彼と同じグループにいる小林くんだ。
「おう!小林!モテちゃってわりいな」
「そう言う反応が欲しいわけじゃねえの!てか今日この前の小テスト不合格だった人朝追試やるって言ってなかった?」
「え、がち?」
「がち」
その場でがっくりとした様子の永田くんに私たちはつい笑ってしまう。
「あれ?小林も不合格じゃなかった?」
「そうだよ」
「お前はなんでそんなに落ち着いてんだよ!急いでいくぞ!てことでごめん俺ら先に行くから。また後でな!」
「うん!またあとで!」
四コマ漫画みたいな急展開に思わず吹き出しながら手を振ると、二人は駆け足で先に行ってしまった。私も咲希もそれぞれ違った理由で、その行方を見つめていた。
学校に到着すると、がっくりとした様子の永田君が目に映った。言葉を発していなくても真っ黒な煙が見えてきそうだ。
もちろん昨日のことは誰にも知られていないので、教室で彼に軽々しく話しかけるわけにはいかない。それに咲希のことも気がかりだ。万が一にも好意を疑われたら困る。だから、また今日も本を読んで時間をやり過ごす。クライマックスの前段階ほどまで進み、主人公の「僕は君に恋という名の呪いにかけられたんだ」などという現実で言ってしまえば確実に冷めワードナンバー2くらいには認定されるだろうセリフを目に通したところで、チャイムが鳴った。
「私、春樹に恋の呪いにかけられちゃったみたい」
デジャブ。
ようやく二時間目の授業が終わり、恋の呪いにやられてしまったらしい咲希を横に教室を出る。購買にパンを買いに行くためだ。昼休みには行列ができるから、この時間に買っておくのが私なりの高校ライフハック。
「ちょっとー。なんか言ってよー。私が変な人みたいじゃん」
「大丈夫。すでに痛くて脆くて変な人だから。心配することないよ」
「そこまで言ってないわ!」
そんなふうにいつも通りのくだらない会話をしていると、いつものように購買に辿りついた。
「んー今日はバターシュガーパンの活きがいいなー」
消費期限本日までと書かれた30円引きのパンを見ながらつぶやいてみる。
「はいはい早くしてください、インチキソムリエさん」
今度は咲希が私をいなす。あまり待たせても悪いので、私はそのまま活きのいいバターシュガーパンを買った。
「おいしそうだねそのパン。口にくわえてそこの角曲がったらイケメンとぶつかるかも」
咲希はまたふざけたことを言う。
「咲希の中でのそのイケメンは永田君ってわけか。そしたらお姫様は私になっちゃうけどいいの?」
にやにやとした笑みを浮かべながらそんな言葉を投げかけてみる。冗談だとわかっているはずなのに、咲希はそんなの嫌だー!と子供みたいに叫んでいた。
私は面白くなって、いっけなーい遅刻遅刻!と叫びながら、購買と教室のある棟を繋ぐ渡り廊下を走って、その先の角を曲がってみた。
「うおっ」
「うえっ」
「おお、唯そんな急いでどうした」
「え、いや、ちょっと……」
見上げると、驚いた様子の永田くんがいた。後ろからは咲希の甲高い悲鳴が聞こえてきて、私の心臓を震わせる。
現実なんて、どれだけ願っても奇跡など起きないのに、こういうときだけ確率の壁を越えてくるのは何故だろう。
気まずくなった私は、考えながら、ゆっくりと後ろに下がり、じっくりと俯いた。
しかし、永田くんは「私」であること、ではなく、「人とぶつかった」ことに驚いていただけらしく、私が無事であることを知ると、そのあとは相変わらずケラケラとしていた。
「購買行ってたのか。そのパン美味そうだな。まだ売ってた?」
あまりに普通に話しかけられて、答えられずに口ごもっていると、突然勢いよく抱きしめらた。咲希に。
「うわー!私の唯ちゃんに危ないことしないでー!」
「人聞きの悪いこと言うんじゃねえ!」
咲希が好意を持ったとしても2人の仲は健在だ。いつも通りの雰囲気に戻って、胸を撫で下ろす。
「あれ、何それ。反省文?」
会話を繋げるためか、さっきから永田くんが持っている紙に、咲希が言及した。
「そうそう。朝の小テストの追試遅刻してさ、道端のおばあちゃん助けてましたって言ったら先生ブチギレ」
「なにそれ。もうちょっとマシな嘘つけばいいのに!」
2人の楽しそうな様子に少し疎外感を感じた私は、咲希の隣でぼうっと斜め上をみつめる。
(あ……)
私としたことが、ほんとうに、いらないことに気がついてしまった。咲希の発した言葉は全て真っピンクのハート型になって宙に浮いていくのに、永田くんからはただ、言葉の塊として飛んでいる。感情がこもっていないのだ。
「じゃあ、私たち教室戻るから、頑張ってね。反省文出したあとは学年主任とタイマンでしょ」
「タイマンって…俺がただ怒られるだけな」
苦笑いを浮かべながら職員室へ向かって行く永田くんの背中は、昨日より、なんだか小さく見えた。
「おーい。早く座れよー。授業始まってんぞー」
担任兼国語担当の佐々木先生が気だるそうに生徒を取りまとめる。
「全員座ったかー?授業始める前に皆にちょっと連絡な。最近何度も起こっていた窓ガラス事件の犯人が見つかった」
覇気のない声ではあったけれど、確実に教室内に緊張が走った。ガヤガヤとしていた声は静まり、皆が先生の方を向く。
そのうち、小林くんが誰もが気になっているであろう、しかし、聞くことは憚られる質問を遠慮もなく、大声で先生に投げかける。
「え?まじすか?誰なんですかそれー」
小林くんから出た質問は、ピエロの形になって飛んでいく。懐疑と好奇の色が強いようだ。
「うるせえ小林。犯人が誰かは言わない。俺がしたいのはそういう話だ。本人は自首をした上で、反省もしてる。皆の生活に不安が漂うのは避けたいから、この事実を伝えるが、だからといって」
「おかえり」
もの寂しく響いた私の声に、お母さんとお父さんが返事をする。どちらももう仕事から帰ってきていたみたいだ。
正直に言うと私は家はあまり好きではない。だからといって、学校も好きではないからどうしようもないのだけれど。
「唯、ご飯できてるから食べな」
そう母に言われ、手を洗って机に向かう。置かれていたのは一杯の味噌汁と白米と一切れの卵焼き。 それら全てを胃に流し込んで、私は今日の出来事を母に話そうと口を開いたところで、やはり動きをとめた。話したところで無駄だから。きっと帰ってくるのは「そうなのね」という淡白な返事ひとつ。
父に至っては返事も返してくれるかどうかわからない。いつも私だけがこの世界のどこにもいない存在のように、ふわふわと浮いている。
こんなふうに私の家族は、翼がいなくなってから全てが変わってしまった。
仕方なく私はそのまま食事を終えて自分の部屋に戻り、気分転換に読みかけの本を開く。今日学校で読み始めた本の続きだ。今夜は第二章の最後まで読み進めた。主人公が呪われた加奈という女の子に恋をしてしまう話で、その加奈を助けるために何とかしようと決意したところで一区切りついていた。
パタンっと勢いよく本を閉じると、急に眠気が襲ってきて、それが私をベッドまで連れて行った。
まだお風呂も歯磨きも済ませていないから、眠る訳にはいかないと思いながらも、私の持つ魔法は生理現象には全く効力がないみたいだった。
「ふろ……きゃん……」
昨日の自分に絶望を感じながら、ねっとりと絡みつく髪を何とか洗面所で洗い、きつくひとつに結い上げた。 学校で誰かに臭いと思われないだろうかと少し不安に思うけれど、今日も始業時間が後ろから迫ってきているのでシャワーを浴びる時間は無い。
準備を済ませた私は腹を括って、いってきますと家の中に言い入れる。
外に出るとそんな気も知らないで呑気に鳴いている朝の鳩がなんだかとても羨ましくて、頭の中で鳴き声を真似しながら学校までの道を歩いていった。
ポッポーポポー……
「おはよ唯」
「ポ……」
「ぽ……?」
「ポ、じゃなくておはよう。てかなんでここに永田くんが……」
変な返事をしてしまった私を訝しげに見る永田くん。それに慌てて、話題を切替える。
「いや俺も学校までの道こっちだから。たまに朝すれ違ってたじゃん」
いつも朝は咲希しか気にしていなかったから思い出そうとしたところで永田くんは記憶の中には見つけられなかった。
「あーたしかにー。この前あそこの電柱の上で見た気がするー」
「おい、それ絶対無い記憶だろ。ほら、昨日だって咲希と一緒にゾンビごっこしながら登校してたじゃん。あの時俺後ろにいたんだよ。二人を抜かして先に行こうと思ったら急に変な格好で走り出すから唯って意外と面白いやつなのかなーって思って」
「み、みてたの……?」
「そりゃ」
私は急に恥ずかしくなって、黙り込むと後ろから聞きなれた元気のいい声が飛んできた。
「おっはよーゆいー……って永田くん!?」
「おーおはよー」
いつもの軽い感じで挨拶をする永田くんに若干咲希が色づいた気もしたけれど、すぐにいつもの友達を装って楽しそうに会話をし始めた。
「後でどういうことか聞かせてもらおうか」
少し本音もあった気がするけれど、咲希が私に近寄ってきて、おどけた様子でそう静かに告げてくる。
「私が来る前二人でなんの話ししてたの!」
私から少し離れると、今度は永田くんにも聞こえる大きな声で聞いてきた。
「たまたま出会ったから通学路同じなんだーって話してただけだよ」
先程の咲希の耳打ちに答えるように、話を繋ぐ。
「そうそう。あ、あとさっき唯が俺のおはように『ポ』とかいう変な返事したからどういうことか聞こうと……うへぇっ」
余計なことを言いそうだった永田くんの脇腹に攻撃をしておいた。魔法、ではなく物理的に。昨日手を握ってきたお返しだ。なんだか永田くんと喋る時は咲希や翼と喋っていた時のように、自分を制限しないで話せている気がする。まだしっかり言葉を交わしたのは昨日が初めてだけれど、私の中ではとっくに永田くんとの距離は縮まっていた。
「なんだ……めちゃくちゃ喋りやすいじゃん。今までなんで苦手だったんだろ……」
「ん?唯なんか言った?」
「ううん。なんも!」
「あれー?永田のくせに女の子二人と登校なんてモテモテじゃーん」
永田くんを囃し立てるようにしてわき道から登場したのは彼と同じグループにいる小林くんだ。
「おう!小林!モテちゃってわりいな」
「そう言う反応が欲しいわけじゃねえの!てか今日この前の小テスト不合格だった人朝追試やるって言ってなかった?」
「え、がち?」
「がち」
その場でがっくりとした様子の永田くんに私たちはつい笑ってしまう。
「あれ?小林も不合格じゃなかった?」
「そうだよ」
「お前はなんでそんなに落ち着いてんだよ!急いでいくぞ!てことでごめん俺ら先に行くから。また後でな!」
「うん!またあとで!」
四コマ漫画みたいな急展開に思わず吹き出しながら手を振ると、二人は駆け足で先に行ってしまった。私も咲希もそれぞれ違った理由で、その行方を見つめていた。
学校に到着すると、がっくりとした様子の永田君が目に映った。言葉を発していなくても真っ黒な煙が見えてきそうだ。
もちろん昨日のことは誰にも知られていないので、教室で彼に軽々しく話しかけるわけにはいかない。それに咲希のことも気がかりだ。万が一にも好意を疑われたら困る。だから、また今日も本を読んで時間をやり過ごす。クライマックスの前段階ほどまで進み、主人公の「僕は君に恋という名の呪いにかけられたんだ」などという現実で言ってしまえば確実に冷めワードナンバー2くらいには認定されるだろうセリフを目に通したところで、チャイムが鳴った。
「私、春樹に恋の呪いにかけられちゃったみたい」
デジャブ。
ようやく二時間目の授業が終わり、恋の呪いにやられてしまったらしい咲希を横に教室を出る。購買にパンを買いに行くためだ。昼休みには行列ができるから、この時間に買っておくのが私なりの高校ライフハック。
「ちょっとー。なんか言ってよー。私が変な人みたいじゃん」
「大丈夫。すでに痛くて脆くて変な人だから。心配することないよ」
「そこまで言ってないわ!」
そんなふうにいつも通りのくだらない会話をしていると、いつものように購買に辿りついた。
「んー今日はバターシュガーパンの活きがいいなー」
消費期限本日までと書かれた30円引きのパンを見ながらつぶやいてみる。
「はいはい早くしてください、インチキソムリエさん」
今度は咲希が私をいなす。あまり待たせても悪いので、私はそのまま活きのいいバターシュガーパンを買った。
「おいしそうだねそのパン。口にくわえてそこの角曲がったらイケメンとぶつかるかも」
咲希はまたふざけたことを言う。
「咲希の中でのそのイケメンは永田君ってわけか。そしたらお姫様は私になっちゃうけどいいの?」
にやにやとした笑みを浮かべながらそんな言葉を投げかけてみる。冗談だとわかっているはずなのに、咲希はそんなの嫌だー!と子供みたいに叫んでいた。
私は面白くなって、いっけなーい遅刻遅刻!と叫びながら、購買と教室のある棟を繋ぐ渡り廊下を走って、その先の角を曲がってみた。
「うおっ」
「うえっ」
「おお、唯そんな急いでどうした」
「え、いや、ちょっと……」
見上げると、驚いた様子の永田くんがいた。後ろからは咲希の甲高い悲鳴が聞こえてきて、私の心臓を震わせる。
現実なんて、どれだけ願っても奇跡など起きないのに、こういうときだけ確率の壁を越えてくるのは何故だろう。
気まずくなった私は、考えながら、ゆっくりと後ろに下がり、じっくりと俯いた。
しかし、永田くんは「私」であること、ではなく、「人とぶつかった」ことに驚いていただけらしく、私が無事であることを知ると、そのあとは相変わらずケラケラとしていた。
「購買行ってたのか。そのパン美味そうだな。まだ売ってた?」
あまりに普通に話しかけられて、答えられずに口ごもっていると、突然勢いよく抱きしめらた。咲希に。
「うわー!私の唯ちゃんに危ないことしないでー!」
「人聞きの悪いこと言うんじゃねえ!」
咲希が好意を持ったとしても2人の仲は健在だ。いつも通りの雰囲気に戻って、胸を撫で下ろす。
「あれ、何それ。反省文?」
会話を繋げるためか、さっきから永田くんが持っている紙に、咲希が言及した。
「そうそう。朝の小テストの追試遅刻してさ、道端のおばあちゃん助けてましたって言ったら先生ブチギレ」
「なにそれ。もうちょっとマシな嘘つけばいいのに!」
2人の楽しそうな様子に少し疎外感を感じた私は、咲希の隣でぼうっと斜め上をみつめる。
(あ……)
私としたことが、ほんとうに、いらないことに気がついてしまった。咲希の発した言葉は全て真っピンクのハート型になって宙に浮いていくのに、永田くんからはただ、言葉の塊として飛んでいる。感情がこもっていないのだ。
「じゃあ、私たち教室戻るから、頑張ってね。反省文出したあとは学年主任とタイマンでしょ」
「タイマンって…俺がただ怒られるだけな」
苦笑いを浮かべながら職員室へ向かって行く永田くんの背中は、昨日より、なんだか小さく見えた。
「おーい。早く座れよー。授業始まってんぞー」
担任兼国語担当の佐々木先生が気だるそうに生徒を取りまとめる。
「全員座ったかー?授業始める前に皆にちょっと連絡な。最近何度も起こっていた窓ガラス事件の犯人が見つかった」
覇気のない声ではあったけれど、確実に教室内に緊張が走った。ガヤガヤとしていた声は静まり、皆が先生の方を向く。
そのうち、小林くんが誰もが気になっているであろう、しかし、聞くことは憚られる質問を遠慮もなく、大声で先生に投げかける。
「え?まじすか?誰なんですかそれー」
小林くんから出た質問は、ピエロの形になって飛んでいく。懐疑と好奇の色が強いようだ。
「うるせえ小林。犯人が誰かは言わない。俺がしたいのはそういう話だ。本人は自首をした上で、反省もしてる。皆の生活に不安が漂うのは避けたいから、この事実を伝えるが、だからといって」
