フロントで亮平と侑馬、そして俺はラケットをレンタルした。
風巻だけは中学時代のラケットを準備していたが、俺は自前のラケットを持ってこなかった。
ソフトテニスのラケットは小さくない。
侑馬は目ざといので隠し持っていても気づかれる恐れがあったからだ。
コートに移動し、まずはネットからストラップを外す。
硬式テニスではネットの中央部分を低くするためストラップでネットを括るのだが、ソフトテニスでは低くする必要がないからだ。
ネットの準備をした後は、ストレッチとラリーでウォーミング・アップ。
最初はとにかく侑馬と亮平を冷静にさせないため芝居がかったノリと勢いで押し切ったが、いざプレーとなったらふざけてはいられない。
これが真剣勝負だというところだけは本当なのだ。
「いくぞ」
コートに入るや否や、抜刀した侍のような空気を漂わせ出す亮平。
「お願いします!」
その静かな宣戦布告に対し爽やかに返す風巻。
「……」
手許のラケットを見つめ集中する侑馬。
「貴様らまとめて捻り潰してくれるわ!」
テンションを戻し損ねた俺。
ゲームは、亮平のオーバーハンド・サーブから始まった。
展開は亮平・侑馬ペア有利のまま進んだ。
一年ブランクの後、今は硬式テニスに取り組んでいるとはいえ、中学時代全国クラスの実力を持っていた亮平は圧倒的だった。
パワーはもちろんだがコース選びが絶妙で、前衛の風巻には碌に触れさせず、後衛の俺が必死に追いつき打ち返すとその先には必ず侑馬が待ち構えている、という状況を立て続けにつくられた。
そして侑馬も予想以上に手強い。
テニスは小学校以来という侑馬だったが、運動神経は悪くないし、とにかくリーチが長い。
元々俊敏ではないし、最近では運動不足で体力も落ちていると以前言っていたが、今日は少しのステップを踏むだけでほとんど動いていない。
そして前衛・風巻の動きを見ながら角度をつけてレシーブを返してくる。
「……正直、ちょっとヤバいっすね」
二度目のタイムで、風巻はそう言って顔をしかめた。
今回の騙し討ちマッチメイクを決めたとき、俺はまず風巻に連絡をとった。
亮平・侑馬ペアとソフトテニスをやらないかと誘うと、風巻はノー・タイムで『いつですか!』と返してきた。
その後今日に至るまで、俺と風巻はこっそりとソフトテニスの練習をした。
公園にある砂だらけのテニスコートは昔の『夜練』を思い出させたが、風巻は嬉しそうに『懐かしいっすね!』とはしゃいでくれて、俺の肩の荷を軽くしてくれた。
俺と風巻はジム内コートの下見までした。
そのために親父からもらった五枚の特別優待券のうち二枚を使った。
今日の参加者は四名。無料券が一枚足りない分、俺は自腹で一日利用券を買っている。
俺・風巻陣営は事前に準備を整えてきたのである。
ブランクがある侑馬と亮平が相手ならこれで勝利は確実だ、と思っていたらこのざまだ。
亮平の力を見誤ったわけではないし、侑馬をなめていたわけでもない。
ただ、二人の連携が予想以上によい。
ゲームプランはシンプル故に破綻がないし、そのプランを実現するだけの力が亮平にはある。
そして役割をこれと決めた侑馬の動きには迷いがない。
ここからどうする?
逆転のプランはあるのか?
次第に焦りが湧いてくる。
だがしかし、今は焦りより嬉しさの方が先に立つ。
見ている限り、二人は今日言葉を交わしていない。
ゲーム開始前も、ゲーム中にもだ。
亮平と侑馬は無言のまま連携をとっている。
とれている。
それはお互いのことを知っているからこそできることだ。
相手の狙いを読みとり、相手を信じている。
だからできる。
今のこの状況をつくっただけでも、策を仕込んだ甲斐があったというものだ。
とはいえ黙って負けているわけにもいかない。
これだけ準備しておいて負けられないし、何よりこの後の計画が全て狂う。
負けた場合の作戦なんてないのだ。
「どうします?」
口許を手で覆った風巻が尋ねてくる。
唇で会話を読まれないようにするのは基本テクニックだ。
「……俺に考えがある」
風巻は強く頷き、何も訊くことなくネット際に戻っていった。
さすがは風巻。
相手への信頼を行動で示してくれる。
だから皆もお前を信頼するんだよ。
だが、その信頼を犠牲にする覚悟が俺にはある。
精神攻撃もまた基本テクニックなのだ。
「亮平。覚えてるか? 部室にけしからん絵本が落ちてた事件。あれの犯人はカザだ!」
「マコ先輩!?」
振り返った風巻は目を見開いていた。
「アレ慶之先輩がコート裏で拾ったヤツですよ! 俺への誕生日プレゼントだって言って!」
「……カザ。お前だったのか」
亮平が低い声でつぶやくと、風巻はブンブンと首を激しく振った。
「侑馬。執行部室に肌色成分多めな男子同士の恋愛マンガが落ちてたことあったよな? あれも犯人はカザだ!」
「違いますよ! あれリリイ先輩が落とし物箱から拾ったヤツです! 恋愛の参考書だよって俺に押しつけたんですって!」
「……いいよ。わかってる」
「絶対わかってないでしょ!」
風巻、そういうところだ。
そうやって素直ないい反応をするから皆お前に構うんだよ。
現状、何が一番の問題かといえば俺が狙い撃ちにされていることだ。
亮平はパワー・ショットで俺のリターン・コースを限定してくるし、侑馬は俺にだったら拾われてもいいというコースを狙ってくる。
俺には一発で局面を打開するショットが無いとなめているのだ。
何が困るって実際その通りなのが困る。
俺と風巻の狙いは持久戦だ。
俺はとにかくミスしない。
風巻も基本は安全策で、ここぞという時だけ攻めに出る作戦だ。
亮平もソフトは久々だし、侑馬にはそれ以上のブランクがある。
俺たちがミスせずラリーを続けていれば、先に相手の方がミスをする。
アウトやネットなら万々歳だし、入ってきてもどうせ甘いコースだろうから風巻がとどめを刺す。
だがそうした当初計画は既に破綻している。
よって俺は次善の策に移行することを決めた。
とにかく風巻を狙わせる作戦だ。
過去の悪事を暴露することで、まずは亮平と侑馬のヘイトを風巻に向ける。
そして精神攻撃により風巻を動揺させることでミスを誘発し、相手に風巻が狙い目だと思わせる。
一石二鳥の完璧な作戦である。
疲れたから元気な後輩に頑張らせようなどと考えているわけではない。
決してない。
「今だ! 食らえ!」
万全を期して放ったサービスは、何故か俺の方へと打ち返されてきた。
意表を突かれた俺は一歩も動けずリターン・エース。
エースを決めた亮平が「っし」と胸の前で拳を握る。
すると、ネット際に立っていた侑馬が振り返り、無言で小さく拳を掲げた。
頷いて返す亮平。
現状俺たちは負けているし、今だってポイントを失った。
しかし、ある意味俺は勝利している。
胸にはそんな確信があった。
「……マコ先輩」
だから風巻の泣き言は聞かなかったことにする。
風巻だけは中学時代のラケットを準備していたが、俺は自前のラケットを持ってこなかった。
ソフトテニスのラケットは小さくない。
侑馬は目ざといので隠し持っていても気づかれる恐れがあったからだ。
コートに移動し、まずはネットからストラップを外す。
硬式テニスではネットの中央部分を低くするためストラップでネットを括るのだが、ソフトテニスでは低くする必要がないからだ。
ネットの準備をした後は、ストレッチとラリーでウォーミング・アップ。
最初はとにかく侑馬と亮平を冷静にさせないため芝居がかったノリと勢いで押し切ったが、いざプレーとなったらふざけてはいられない。
これが真剣勝負だというところだけは本当なのだ。
「いくぞ」
コートに入るや否や、抜刀した侍のような空気を漂わせ出す亮平。
「お願いします!」
その静かな宣戦布告に対し爽やかに返す風巻。
「……」
手許のラケットを見つめ集中する侑馬。
「貴様らまとめて捻り潰してくれるわ!」
テンションを戻し損ねた俺。
ゲームは、亮平のオーバーハンド・サーブから始まった。
展開は亮平・侑馬ペア有利のまま進んだ。
一年ブランクの後、今は硬式テニスに取り組んでいるとはいえ、中学時代全国クラスの実力を持っていた亮平は圧倒的だった。
パワーはもちろんだがコース選びが絶妙で、前衛の風巻には碌に触れさせず、後衛の俺が必死に追いつき打ち返すとその先には必ず侑馬が待ち構えている、という状況を立て続けにつくられた。
そして侑馬も予想以上に手強い。
テニスは小学校以来という侑馬だったが、運動神経は悪くないし、とにかくリーチが長い。
元々俊敏ではないし、最近では運動不足で体力も落ちていると以前言っていたが、今日は少しのステップを踏むだけでほとんど動いていない。
そして前衛・風巻の動きを見ながら角度をつけてレシーブを返してくる。
「……正直、ちょっとヤバいっすね」
二度目のタイムで、風巻はそう言って顔をしかめた。
今回の騙し討ちマッチメイクを決めたとき、俺はまず風巻に連絡をとった。
亮平・侑馬ペアとソフトテニスをやらないかと誘うと、風巻はノー・タイムで『いつですか!』と返してきた。
その後今日に至るまで、俺と風巻はこっそりとソフトテニスの練習をした。
公園にある砂だらけのテニスコートは昔の『夜練』を思い出させたが、風巻は嬉しそうに『懐かしいっすね!』とはしゃいでくれて、俺の肩の荷を軽くしてくれた。
俺と風巻はジム内コートの下見までした。
そのために親父からもらった五枚の特別優待券のうち二枚を使った。
今日の参加者は四名。無料券が一枚足りない分、俺は自腹で一日利用券を買っている。
俺・風巻陣営は事前に準備を整えてきたのである。
ブランクがある侑馬と亮平が相手ならこれで勝利は確実だ、と思っていたらこのざまだ。
亮平の力を見誤ったわけではないし、侑馬をなめていたわけでもない。
ただ、二人の連携が予想以上によい。
ゲームプランはシンプル故に破綻がないし、そのプランを実現するだけの力が亮平にはある。
そして役割をこれと決めた侑馬の動きには迷いがない。
ここからどうする?
逆転のプランはあるのか?
次第に焦りが湧いてくる。
だがしかし、今は焦りより嬉しさの方が先に立つ。
見ている限り、二人は今日言葉を交わしていない。
ゲーム開始前も、ゲーム中にもだ。
亮平と侑馬は無言のまま連携をとっている。
とれている。
それはお互いのことを知っているからこそできることだ。
相手の狙いを読みとり、相手を信じている。
だからできる。
今のこの状況をつくっただけでも、策を仕込んだ甲斐があったというものだ。
とはいえ黙って負けているわけにもいかない。
これだけ準備しておいて負けられないし、何よりこの後の計画が全て狂う。
負けた場合の作戦なんてないのだ。
「どうします?」
口許を手で覆った風巻が尋ねてくる。
唇で会話を読まれないようにするのは基本テクニックだ。
「……俺に考えがある」
風巻は強く頷き、何も訊くことなくネット際に戻っていった。
さすがは風巻。
相手への信頼を行動で示してくれる。
だから皆もお前を信頼するんだよ。
だが、その信頼を犠牲にする覚悟が俺にはある。
精神攻撃もまた基本テクニックなのだ。
「亮平。覚えてるか? 部室にけしからん絵本が落ちてた事件。あれの犯人はカザだ!」
「マコ先輩!?」
振り返った風巻は目を見開いていた。
「アレ慶之先輩がコート裏で拾ったヤツですよ! 俺への誕生日プレゼントだって言って!」
「……カザ。お前だったのか」
亮平が低い声でつぶやくと、風巻はブンブンと首を激しく振った。
「侑馬。執行部室に肌色成分多めな男子同士の恋愛マンガが落ちてたことあったよな? あれも犯人はカザだ!」
「違いますよ! あれリリイ先輩が落とし物箱から拾ったヤツです! 恋愛の参考書だよって俺に押しつけたんですって!」
「……いいよ。わかってる」
「絶対わかってないでしょ!」
風巻、そういうところだ。
そうやって素直ないい反応をするから皆お前に構うんだよ。
現状、何が一番の問題かといえば俺が狙い撃ちにされていることだ。
亮平はパワー・ショットで俺のリターン・コースを限定してくるし、侑馬は俺にだったら拾われてもいいというコースを狙ってくる。
俺には一発で局面を打開するショットが無いとなめているのだ。
何が困るって実際その通りなのが困る。
俺と風巻の狙いは持久戦だ。
俺はとにかくミスしない。
風巻も基本は安全策で、ここぞという時だけ攻めに出る作戦だ。
亮平もソフトは久々だし、侑馬にはそれ以上のブランクがある。
俺たちがミスせずラリーを続けていれば、先に相手の方がミスをする。
アウトやネットなら万々歳だし、入ってきてもどうせ甘いコースだろうから風巻がとどめを刺す。
だがそうした当初計画は既に破綻している。
よって俺は次善の策に移行することを決めた。
とにかく風巻を狙わせる作戦だ。
過去の悪事を暴露することで、まずは亮平と侑馬のヘイトを風巻に向ける。
そして精神攻撃により風巻を動揺させることでミスを誘発し、相手に風巻が狙い目だと思わせる。
一石二鳥の完璧な作戦である。
疲れたから元気な後輩に頑張らせようなどと考えているわけではない。
決してない。
「今だ! 食らえ!」
万全を期して放ったサービスは、何故か俺の方へと打ち返されてきた。
意表を突かれた俺は一歩も動けずリターン・エース。
エースを決めた亮平が「っし」と胸の前で拳を握る。
すると、ネット際に立っていた侑馬が振り返り、無言で小さく拳を掲げた。
頷いて返す亮平。
現状俺たちは負けているし、今だってポイントを失った。
しかし、ある意味俺は勝利している。
胸にはそんな確信があった。
「……マコ先輩」
だから風巻の泣き言は聞かなかったことにする。