不思議な夢を見た。
これが夢なのかは正直わからない。
俺の身体は、もう消滅していて存在しない。
霊体の状態になってから、ひと月くらいした頃だろうか。
何だか胸騒ぎがして、居ても立っても居られなくなった。
胸騒ぎの方向に、俺は向かって飛んでいく。
霊体の状態も、なかなか悪くない。
生前だったら絶対にできない所業をいとも簡単にやってのけてしまうのだから。
俺が向かった場所には、泣いている梨歩がいた。
多分、俺の死を知ったのだろう。
「涼ちゃん……」
俺の描いた彼女の絵。
無事に手元に届いたようで安堵する俺。同時に、その絵を抱きしめながら涙する梨歩に、やるせない思いでいっぱいになった。
こんなに近くにいるのに、抱きしめてやることもできないなんて。
俺は何度か彼女に俺の存在に気づいてほしくて、渾身の力を込めて風を起こした。
風に乗った桜の花弁。
その桜の見頃はとうに過ぎていて、葉桜から新緑の季節に変わろうとしている最中といった具合だったが、残り僅かな花弁に俺の意識を集中させる。
――梨歩……
何とか花弁を梨歩の持つキャンバスの上に着地させることに成功。
その瞬間、俺の意識は目映い光に包まれた。
『梨歩……』
「――!」
彼女と視線が合った。
「涼……ちゃん?」
俺が見えているようだ。
ああ、やっと会えた。
『……ごめん』
「涼ちゃん!」
『ちゃんと言えなくて……』
梨歩は瞳を潤ませながら言った。
「どうして、言ってくれなかったの?」
『……ごめん』
情けないことに、俺は彼女を目の前にして謝ることしかできなかった。
伝えたいことはたくさんあるというのに。
梨歩に心配かけたくなかった、と本音を伝えたとしても、どのみち言い訳でしかない。ごめんの一言にそれを込めるのは、卑怯すぎるだろうか。
俺は絶命してもなお葛藤を続けるのか。
梨歩ならわかってくれるだろうと、甘えていたのだろうなと今になって猛省する。
『梨歩』
「涼ちゃん、あたし……」
とりあえず、今伝えたいことは。
『梨歩のせいじゃないから』
「え?」
『俺がこうなったのは……梨歩のせいじゃない』
「……」
『言ったら、梨歩は自分のせいだって思うだろうから、姉貴に頼んで――』
「だからって、そんなことしなくても……」
そりゃそうだよな。
『……ごめん』
さっきから謝ってばかりだな、俺。
梨歩は俯きながら言った。
「ごめんね、あたし……涼ちゃんに甘え過ぎてた。いつも黙ってあたしのやることなすこと見守ってくれていたのに」
『それは、俺がそういう梨歩の姿を見ているのが好きだったから』
不思議だ。生きているときは、こんな些細な一言ですら気恥ずかしくて言えなかったのに、今ではポンポンと出てくる言葉の数々。
せめて一度くらい、生きている間に伝えておけばよかった。
言わなくてもわかってくれるだろうと、梨歩に甘えて伝える努力すらしていなかったんだ。
回りくどい方法で好意を伝えるのが美学だと思いこんでいたのかもしれない。結局それは怠慢でしかなかった。
「あ、そうだ。プレゼント、ありがとう」
梨歩は俺の描いた彼女の似顔絵を見せながら言った。
『ああ。無事に手元に届いたみたいでよかったよ』
気の利いた一言が思い浮かばなくて、いつも無難にやり過ごしてしまう俺の悪癖を梨歩はどこまで理解してくれているのだろう。
「まったく……お見舞いの一言もないから、死んでるんじゃないかって思ってたら……」
それが普通の反応だよな。
『ごめん。本当に死んでしまって』
ついまともに返してしまう。
「冗談でも笑えないよ、それ」
梨歩は素直だ。一方の俺ときたら、冗談すら言える余裕もなくて。
『ごめん。さすがにシャレにもならないよな』
情けない。
まずい、さっきよりも体が透けてきた。
『梨歩、もう時間がないから手短に言うよ』
「え?」
本来ならありえない時間。会えること自体が奇跡なわけで。
それが束の間の夢だったとしても、俺はもう後悔したくなかった。
『今を、生きろ』
俺は梨歩を見据えて言った。
『夢は必ず叶う。諦めない限り』
「涼ちゃん……」
『もうそばにいてやれないのは心残りだけど。俺はいつも、梨歩のこと……応援してるから』
「あたしの、夢……」
『歌手になるんだろ?』
「……うん」
『なれるよ、梨歩なら』
俺は梨歩の髪に触れる。もう以前のように直接触れることはできない。その体温を感じることもできない。
残酷な現実を目の当たりにしながらも、幸せだと思える梨歩との時間。
「あたし……生きる」
『ああ』
「叶えたい夢があるんだもの。だから、あたしまだ……」
言いかけて、少し言い淀む彼女。梨歩が何て言おうとしたかはわかる。何故言い淀んだかも。
だからこそ、俺は伝えたい。
『俺の分まで、生きて』
今となっては、託すことしかできない。
『心のままに生き……て』
ああ、もうこれ以上は無理のようだ。俺の透き通った身体が徐々に消えていく。
「涼ちゃん!」
光の粒子を撒き散らすように、俺は消滅していく。
この意識すら、あと数秒で潰えるのだろうか。
もう少しだけ。
せめてこれだけは言わせてほしい。
『梨歩に出逢えて……良かっ……た……』
「涼ちゃん! 涼ちゃん!」
遠ざかっていく梨歩の声。
もう二度と会えなくなると思うと……
自分の運命を呪いたくなる。
でも、それほどまでに夢中になれる恋をした。
梨歩に出逢えた。
それだけで俺は、色めいた幸せな夢の続きを描こうと思えるようになった。
梨歩。
君という夢を描いて生きた俺は、紛れもなく幸せだった。
特別だった。
ありがとう。
俺はもう消えてなくなるけど。
この先どうなるかなんてわからないけど。
忘れない。
忘れたくない。
忘れられたくない。
だから、贈るよ。
俺からの、最初で最後のエールを。
この世で一番美しい春の景色を見せてくれた君へ。
Especially for you――
これが夢なのかは正直わからない。
俺の身体は、もう消滅していて存在しない。
霊体の状態になってから、ひと月くらいした頃だろうか。
何だか胸騒ぎがして、居ても立っても居られなくなった。
胸騒ぎの方向に、俺は向かって飛んでいく。
霊体の状態も、なかなか悪くない。
生前だったら絶対にできない所業をいとも簡単にやってのけてしまうのだから。
俺が向かった場所には、泣いている梨歩がいた。
多分、俺の死を知ったのだろう。
「涼ちゃん……」
俺の描いた彼女の絵。
無事に手元に届いたようで安堵する俺。同時に、その絵を抱きしめながら涙する梨歩に、やるせない思いでいっぱいになった。
こんなに近くにいるのに、抱きしめてやることもできないなんて。
俺は何度か彼女に俺の存在に気づいてほしくて、渾身の力を込めて風を起こした。
風に乗った桜の花弁。
その桜の見頃はとうに過ぎていて、葉桜から新緑の季節に変わろうとしている最中といった具合だったが、残り僅かな花弁に俺の意識を集中させる。
――梨歩……
何とか花弁を梨歩の持つキャンバスの上に着地させることに成功。
その瞬間、俺の意識は目映い光に包まれた。
『梨歩……』
「――!」
彼女と視線が合った。
「涼……ちゃん?」
俺が見えているようだ。
ああ、やっと会えた。
『……ごめん』
「涼ちゃん!」
『ちゃんと言えなくて……』
梨歩は瞳を潤ませながら言った。
「どうして、言ってくれなかったの?」
『……ごめん』
情けないことに、俺は彼女を目の前にして謝ることしかできなかった。
伝えたいことはたくさんあるというのに。
梨歩に心配かけたくなかった、と本音を伝えたとしても、どのみち言い訳でしかない。ごめんの一言にそれを込めるのは、卑怯すぎるだろうか。
俺は絶命してもなお葛藤を続けるのか。
梨歩ならわかってくれるだろうと、甘えていたのだろうなと今になって猛省する。
『梨歩』
「涼ちゃん、あたし……」
とりあえず、今伝えたいことは。
『梨歩のせいじゃないから』
「え?」
『俺がこうなったのは……梨歩のせいじゃない』
「……」
『言ったら、梨歩は自分のせいだって思うだろうから、姉貴に頼んで――』
「だからって、そんなことしなくても……」
そりゃそうだよな。
『……ごめん』
さっきから謝ってばかりだな、俺。
梨歩は俯きながら言った。
「ごめんね、あたし……涼ちゃんに甘え過ぎてた。いつも黙ってあたしのやることなすこと見守ってくれていたのに」
『それは、俺がそういう梨歩の姿を見ているのが好きだったから』
不思議だ。生きているときは、こんな些細な一言ですら気恥ずかしくて言えなかったのに、今ではポンポンと出てくる言葉の数々。
せめて一度くらい、生きている間に伝えておけばよかった。
言わなくてもわかってくれるだろうと、梨歩に甘えて伝える努力すらしていなかったんだ。
回りくどい方法で好意を伝えるのが美学だと思いこんでいたのかもしれない。結局それは怠慢でしかなかった。
「あ、そうだ。プレゼント、ありがとう」
梨歩は俺の描いた彼女の似顔絵を見せながら言った。
『ああ。無事に手元に届いたみたいでよかったよ』
気の利いた一言が思い浮かばなくて、いつも無難にやり過ごしてしまう俺の悪癖を梨歩はどこまで理解してくれているのだろう。
「まったく……お見舞いの一言もないから、死んでるんじゃないかって思ってたら……」
それが普通の反応だよな。
『ごめん。本当に死んでしまって』
ついまともに返してしまう。
「冗談でも笑えないよ、それ」
梨歩は素直だ。一方の俺ときたら、冗談すら言える余裕もなくて。
『ごめん。さすがにシャレにもならないよな』
情けない。
まずい、さっきよりも体が透けてきた。
『梨歩、もう時間がないから手短に言うよ』
「え?」
本来ならありえない時間。会えること自体が奇跡なわけで。
それが束の間の夢だったとしても、俺はもう後悔したくなかった。
『今を、生きろ』
俺は梨歩を見据えて言った。
『夢は必ず叶う。諦めない限り』
「涼ちゃん……」
『もうそばにいてやれないのは心残りだけど。俺はいつも、梨歩のこと……応援してるから』
「あたしの、夢……」
『歌手になるんだろ?』
「……うん」
『なれるよ、梨歩なら』
俺は梨歩の髪に触れる。もう以前のように直接触れることはできない。その体温を感じることもできない。
残酷な現実を目の当たりにしながらも、幸せだと思える梨歩との時間。
「あたし……生きる」
『ああ』
「叶えたい夢があるんだもの。だから、あたしまだ……」
言いかけて、少し言い淀む彼女。梨歩が何て言おうとしたかはわかる。何故言い淀んだかも。
だからこそ、俺は伝えたい。
『俺の分まで、生きて』
今となっては、託すことしかできない。
『心のままに生き……て』
ああ、もうこれ以上は無理のようだ。俺の透き通った身体が徐々に消えていく。
「涼ちゃん!」
光の粒子を撒き散らすように、俺は消滅していく。
この意識すら、あと数秒で潰えるのだろうか。
もう少しだけ。
せめてこれだけは言わせてほしい。
『梨歩に出逢えて……良かっ……た……』
「涼ちゃん! 涼ちゃん!」
遠ざかっていく梨歩の声。
もう二度と会えなくなると思うと……
自分の運命を呪いたくなる。
でも、それほどまでに夢中になれる恋をした。
梨歩に出逢えた。
それだけで俺は、色めいた幸せな夢の続きを描こうと思えるようになった。
梨歩。
君という夢を描いて生きた俺は、紛れもなく幸せだった。
特別だった。
ありがとう。
俺はもう消えてなくなるけど。
この先どうなるかなんてわからないけど。
忘れない。
忘れたくない。
忘れられたくない。
だから、贈るよ。
俺からの、最初で最後のエールを。
この世で一番美しい春の景色を見せてくれた君へ。
Especially for you――