「涼平! 涼平!」
もう、何も見えない。
姉貴の嗚咽混じりの声が聞こえてくる。
「涼平……マジかよ」
成瀬。
「ついこの間までは、元気だったのに。何でこんなことに……」
織原。
来てくれたのか。
でも、どうせ会うならもっと元気なうちに会いたかったな。
また一緒に飲みたかったな。
「涼平、嘘だろ? 退院したら飲み行こうって言ったやん」
「柴田……」
泣くな。泣くなよ、お前ら。
こっちまで泣けてくるやろ。
(ああ、戻りたい)
俺が余命宣告されてから、どれくらいの時が経ったのだろう。
とりあえず、1ヶ月はもったみたいだ。気力だけで描いた絵もあるし。
そういえば、梨歩へのプレゼント。
姉貴は届けてくれるだろうか。
せめて最後くらいは、直接会って俺から渡したかった。
こんな回りくどいことまでしたくなかった。
それでも、梨歩には生きていてほしい。
俺のせいで、心臓に負担をかけたくない。
本当はどうすればよかったのかなんて、わからない。
傍から見れば、俺のやってることはただの独りよがりだろう。
それでも。
それでも俺は。
梨歩を死なせたくなかった。
梨歩には、生きていてほしい。
たとえ、この先俺がいなくなっても。
何度も微睡むように、ぼんやりとした最期の景色が俺の僅かな視界に映る。
音だけは鮮明に聞こえるのに、意識は次第に遠ざかる。
うるさいくらいの心臓の鼓動でさえ、徐々に勢力が落ちていく。
俺の人生の終りが近いことを告げるように。
「おい、柴ヤン!」
森嶋。
「シバ! 聴こえるか!?」
松岡。
お前らも、来てくれたのか。
「アホが! 事故った言うから見舞い来たら今度は末期の癌て! ふざけるのも大概にせえよ! お前まだあの子に会いに行ってへんやろ! 這ってでも今すぐ会いに行けや! 何が危篤やねん! ホンマしばくぞ! なあーー 」
「おい森嶋、落ち着けって」
森嶋のやつ、荒れに荒れてるな。
確かあいつには話していたんだよな、梨歩のこと。
あの日の記憶が蘇る。
☆
「へへ。悪りぃね、兄チャン」
「どうだか」
梨歩と付き合うことになった直後に、こいつと出くわすなんて。ついてないな。
しょうがないので部屋に上げた。
「なあ、あの子誰やねん」
「見ての通りやわ」
「マジか。やるな、柴ヤン」
冷やかしに来たのだろうか。まあ、想定内ではあるが。実際に来られると結構しんどい。
「いつから付き合うとるん?」
「今日からやけど」
「ホンマか! できたてホヤホヤっちゅうことか! 今後が楽しみやなぁ」
「頼むからそっとしといてくれん?」
「ああ、もちろんそのつもりや」
「ならいいけど」
「もしな、その子が柴ヤンちにお泊りしに来ることがあったらいつでも相談乗るで」
「何の相談だよ」
「へへ、夜に決まっとるがな」
「は?」
「柴ヤンはサクランボやろうから、交際初記念日にこれやるわ」
「何だよ」
「男のたしなみや。女の子は大事にせなあかんで」
ラブグッズを常に持ち歩くようなヤバいヤツ、と思っていたが、森嶋は意外と貞操観念がしっかりしている。
「恥ずかしがることやないで。大事なことや。もし流れでそういうことになっても、雰囲気を壊さず女の子の身体もちゃんと守る。そのために欠かせんアイテムは常に常備する。これが色男の常識や」
森嶋はモテる。一見チャラいが、好きになった相手には一途に尽くすし、実際に高校時代から付き合っている彼女がいる。地元の関西の看護大学に通っているらしく、遠距離恋愛ながらまめに連絡をしたり定期的に会いに行くなど真面目な一面もある。
「それはどうも」
「いいか、柴ヤン。縁あって付き合うことになったんや。どんな事があっても、彼女は泣かせたらあかん。守ったらな。今は男やからとか女やからっていう時代やないかもしれん。それでもな、男がやったほうがいいと思ったら、進んで引き受けるのが男や。引くことも大事や言う人いるけどな、今は引きすぎなやつが多いねん。引くのは断られてからや。そこははき違えたらあかん。大抵はやってほしくて待っとるもんやからな」
やけに熱弁する森嶋。
「まあ、柴ヤンはどっちかって言うとリードされる側やな。主導権は彼女やろ。それに合わせるのが柴ヤン。そんな図式が浮かぶわ」
鋭いな。そんなことまで見抜くとは、だてに恋愛していない経験者だからこその洞察か。
「俺は彼女が満足してくれればそれでいいから」
「そう来ると思ったわ。でもな、気をつけなあかんで」
「何でもかんでも相手任せはあかん。丸投げはダサいし、何より相手に失礼や。決めるところははっきり決めな。それも、ちゃんと相手の話も加味した上でな。自分の意見も交えて伝えなあかんで。コミュニケーション不足で別れるカップルホンマ多いからな」
「なるほど」
「で、今度いつ会うん?」
「さあ」
「次の約束もせんと帰ってきたんか?」
「だって、次いつ会えるかなんて約束できんし」
「アホか! とりあえず何か予定入れんねん。今度の土曜に映画行こかとか。無理ならじゃあ次はここでって。調整は後でいくらでもできんねんから、何でもいいんや。そのやりとりの積み重ねがコミュニケーションやねん。それを面倒がっとったら恋愛はできん」
「じゃあ、相手が面倒くさがりの場合は?」
「ワシはそういうのを面倒くさがる相手とは合わんから、そもそも付き合わん」
「ああ、そうかい」
そんなこんなで夜通し続いた男同士の恋バナ。
「なあ、その子どこで出会ったん?」
「大学前のマスド」
「ああ、ほんでドーナツ食っとったんか。よし、今度連れてけや」
「だから何でそうなる」
「ダチならいっぺん挨拶せなあかんやろ」
「そっとしとくって言ったばかりやん」
「何言うとる。挨拶は別やがな。挨拶もせんアホがどこにおるか」
☆
森嶋、何だかんだでよく気にかけてくれていたな。
こういう面倒見の良さが、こいつの魅力なんだろうな。
「落ちついとれるか! お前がおらんようになったらあの子はどうなるねん! 初めて本気で好きになった子なんやろ? そんな大事な子をこれ以上に悲しませるようなことするんか! あの子を置いて死ねるんか!」
もう、彼らの声しか聴こえない。涙声の、時折裏返った森嶋の声がやけに沁みる。
俺だって、死にたくない。今すぐにでも、梨歩に会いに行きたい。這ってでも。
「……、……」
身体のあちこちが痛い。吐きそうなくらいの痛みなのに、全く力が入らない。声すらも出せないなんて。
これは、夢?
どうか、夢であってほしい。
でも、彼女と過ごした時間だけは……夢ではなく現実であったと信じたい。
森嶋の言う通りだ。
梨歩を置いて死ねるわけがない。
でも、今回ばかりは、俺の意思ではどうにもできないんだ。
悲しいのは、お前だけじゃない。
俺だって悲しい。
できれば死にたくない。
死ぬような歳でもないからな。
俺は早くに両親を亡くしたけど、父さんも母さんも、こんなふうに死んでいったのだろうか。
命が終わる時は、双方が悲しみに暮れる。
まさかこの歳で見送られる側になるとは思いもしなかったけど。
「心肺停止です!」
ああ、急に周りが騒がしくなったな。
ついに来たか。
俺、もうこのまま死ぬんだな。
まだ、死にたくないな……。
「涼平!!」
「柴ヤン!!」
いろんな人の声が聞こえる。
ごちゃまぜになっていて誰の声かはわからないが。
ーー涼ちゃん
一瞬だけ、梨歩の声が聞こえた。
梨歩の声だけが、鮮明だった。
(梨歩……)
遠ざかる意識。
走馬灯。
もう何も感じない。
あんなに痛くて仕方なかった身体中の痛みから解放された瞬間。
俺は人生の終焉を迎えたのだと悟った。
(ついに、終わったんだな)
もう、何も見えない。
姉貴の嗚咽混じりの声が聞こえてくる。
「涼平……マジかよ」
成瀬。
「ついこの間までは、元気だったのに。何でこんなことに……」
織原。
来てくれたのか。
でも、どうせ会うならもっと元気なうちに会いたかったな。
また一緒に飲みたかったな。
「涼平、嘘だろ? 退院したら飲み行こうって言ったやん」
「柴田……」
泣くな。泣くなよ、お前ら。
こっちまで泣けてくるやろ。
(ああ、戻りたい)
俺が余命宣告されてから、どれくらいの時が経ったのだろう。
とりあえず、1ヶ月はもったみたいだ。気力だけで描いた絵もあるし。
そういえば、梨歩へのプレゼント。
姉貴は届けてくれるだろうか。
せめて最後くらいは、直接会って俺から渡したかった。
こんな回りくどいことまでしたくなかった。
それでも、梨歩には生きていてほしい。
俺のせいで、心臓に負担をかけたくない。
本当はどうすればよかったのかなんて、わからない。
傍から見れば、俺のやってることはただの独りよがりだろう。
それでも。
それでも俺は。
梨歩を死なせたくなかった。
梨歩には、生きていてほしい。
たとえ、この先俺がいなくなっても。
何度も微睡むように、ぼんやりとした最期の景色が俺の僅かな視界に映る。
音だけは鮮明に聞こえるのに、意識は次第に遠ざかる。
うるさいくらいの心臓の鼓動でさえ、徐々に勢力が落ちていく。
俺の人生の終りが近いことを告げるように。
「おい、柴ヤン!」
森嶋。
「シバ! 聴こえるか!?」
松岡。
お前らも、来てくれたのか。
「アホが! 事故った言うから見舞い来たら今度は末期の癌て! ふざけるのも大概にせえよ! お前まだあの子に会いに行ってへんやろ! 這ってでも今すぐ会いに行けや! 何が危篤やねん! ホンマしばくぞ! なあーー 」
「おい森嶋、落ち着けって」
森嶋のやつ、荒れに荒れてるな。
確かあいつには話していたんだよな、梨歩のこと。
あの日の記憶が蘇る。
☆
「へへ。悪りぃね、兄チャン」
「どうだか」
梨歩と付き合うことになった直後に、こいつと出くわすなんて。ついてないな。
しょうがないので部屋に上げた。
「なあ、あの子誰やねん」
「見ての通りやわ」
「マジか。やるな、柴ヤン」
冷やかしに来たのだろうか。まあ、想定内ではあるが。実際に来られると結構しんどい。
「いつから付き合うとるん?」
「今日からやけど」
「ホンマか! できたてホヤホヤっちゅうことか! 今後が楽しみやなぁ」
「頼むからそっとしといてくれん?」
「ああ、もちろんそのつもりや」
「ならいいけど」
「もしな、その子が柴ヤンちにお泊りしに来ることがあったらいつでも相談乗るで」
「何の相談だよ」
「へへ、夜に決まっとるがな」
「は?」
「柴ヤンはサクランボやろうから、交際初記念日にこれやるわ」
「何だよ」
「男のたしなみや。女の子は大事にせなあかんで」
ラブグッズを常に持ち歩くようなヤバいヤツ、と思っていたが、森嶋は意外と貞操観念がしっかりしている。
「恥ずかしがることやないで。大事なことや。もし流れでそういうことになっても、雰囲気を壊さず女の子の身体もちゃんと守る。そのために欠かせんアイテムは常に常備する。これが色男の常識や」
森嶋はモテる。一見チャラいが、好きになった相手には一途に尽くすし、実際に高校時代から付き合っている彼女がいる。地元の関西の看護大学に通っているらしく、遠距離恋愛ながらまめに連絡をしたり定期的に会いに行くなど真面目な一面もある。
「それはどうも」
「いいか、柴ヤン。縁あって付き合うことになったんや。どんな事があっても、彼女は泣かせたらあかん。守ったらな。今は男やからとか女やからっていう時代やないかもしれん。それでもな、男がやったほうがいいと思ったら、進んで引き受けるのが男や。引くことも大事や言う人いるけどな、今は引きすぎなやつが多いねん。引くのは断られてからや。そこははき違えたらあかん。大抵はやってほしくて待っとるもんやからな」
やけに熱弁する森嶋。
「まあ、柴ヤンはどっちかって言うとリードされる側やな。主導権は彼女やろ。それに合わせるのが柴ヤン。そんな図式が浮かぶわ」
鋭いな。そんなことまで見抜くとは、だてに恋愛していない経験者だからこその洞察か。
「俺は彼女が満足してくれればそれでいいから」
「そう来ると思ったわ。でもな、気をつけなあかんで」
「何でもかんでも相手任せはあかん。丸投げはダサいし、何より相手に失礼や。決めるところははっきり決めな。それも、ちゃんと相手の話も加味した上でな。自分の意見も交えて伝えなあかんで。コミュニケーション不足で別れるカップルホンマ多いからな」
「なるほど」
「で、今度いつ会うん?」
「さあ」
「次の約束もせんと帰ってきたんか?」
「だって、次いつ会えるかなんて約束できんし」
「アホか! とりあえず何か予定入れんねん。今度の土曜に映画行こかとか。無理ならじゃあ次はここでって。調整は後でいくらでもできんねんから、何でもいいんや。そのやりとりの積み重ねがコミュニケーションやねん。それを面倒がっとったら恋愛はできん」
「じゃあ、相手が面倒くさがりの場合は?」
「ワシはそういうのを面倒くさがる相手とは合わんから、そもそも付き合わん」
「ああ、そうかい」
そんなこんなで夜通し続いた男同士の恋バナ。
「なあ、その子どこで出会ったん?」
「大学前のマスド」
「ああ、ほんでドーナツ食っとったんか。よし、今度連れてけや」
「だから何でそうなる」
「ダチならいっぺん挨拶せなあかんやろ」
「そっとしとくって言ったばかりやん」
「何言うとる。挨拶は別やがな。挨拶もせんアホがどこにおるか」
☆
森嶋、何だかんだでよく気にかけてくれていたな。
こういう面倒見の良さが、こいつの魅力なんだろうな。
「落ちついとれるか! お前がおらんようになったらあの子はどうなるねん! 初めて本気で好きになった子なんやろ? そんな大事な子をこれ以上に悲しませるようなことするんか! あの子を置いて死ねるんか!」
もう、彼らの声しか聴こえない。涙声の、時折裏返った森嶋の声がやけに沁みる。
俺だって、死にたくない。今すぐにでも、梨歩に会いに行きたい。這ってでも。
「……、……」
身体のあちこちが痛い。吐きそうなくらいの痛みなのに、全く力が入らない。声すらも出せないなんて。
これは、夢?
どうか、夢であってほしい。
でも、彼女と過ごした時間だけは……夢ではなく現実であったと信じたい。
森嶋の言う通りだ。
梨歩を置いて死ねるわけがない。
でも、今回ばかりは、俺の意思ではどうにもできないんだ。
悲しいのは、お前だけじゃない。
俺だって悲しい。
できれば死にたくない。
死ぬような歳でもないからな。
俺は早くに両親を亡くしたけど、父さんも母さんも、こんなふうに死んでいったのだろうか。
命が終わる時は、双方が悲しみに暮れる。
まさかこの歳で見送られる側になるとは思いもしなかったけど。
「心肺停止です!」
ああ、急に周りが騒がしくなったな。
ついに来たか。
俺、もうこのまま死ぬんだな。
まだ、死にたくないな……。
「涼平!!」
「柴ヤン!!」
いろんな人の声が聞こえる。
ごちゃまぜになっていて誰の声かはわからないが。
ーー涼ちゃん
一瞬だけ、梨歩の声が聞こえた。
梨歩の声だけが、鮮明だった。
(梨歩……)
遠ざかる意識。
走馬灯。
もう何も感じない。
あんなに痛くて仕方なかった身体中の痛みから解放された瞬間。
俺は人生の終焉を迎えたのだと悟った。
(ついに、終わったんだな)



