「姉貴、頼みが……あるんだ」
俺は見舞いに来た姉貴に、俺がいなくなったあとのことについて伝えた。

「俺がもし……梨歩の誕生日まで生きられんかったら、梨歩の誕生日に……間に合うようにこれを……届けて、ほしい」

俺は完成した梨歩の絵を姉貴に渡す。
「ついでに、簡単でいいから、ラッピングも……」
「涼平……」
「あと、俺が死んだってことも……絶対に言わんでほしい」
「な、何言っとん!? それはダメやろ」
「梨歩、心疾患があって今入院しとるんやわ。生まれつき心臓が悪いもんで、余計な心配かけて……もし梨歩の体調が悪化するようなことになるのは、絶対避けたい。やで、梨歩からもし連絡が来たら、俺の振りして対応してほしい。せめて、誕生日が過ぎるまでは……」
「私に嘘つけってこと? それ、梨歩ちゃんを欺くことにならんの?」
わかっている。そんなことをしたって、いずれは真実を知ることになることくらい。
ただ、それを知らせるのは“今”じゃない。その思いがあるからこそ、俺は譲れなかった。

「それでも、今……梨歩に伝えるのは、あまりに酷やから。せめて、せめて誕生日が過ぎるまでは言わんでくれ」
「涼平……」
「頼む」
「でも……」
「梨歩には、笑っていてほしい……から。俺の好きな、笑顔で……誕生日を迎えてほしいから……。この先はどう頑張っても、俺は梨歩のそばにいられない。だからこそ、最後くらい……我儘でも……俺なりのけじめをつけるために、格好つけさせて、ほしい……」
馬鹿だと思われてもいい。どのみちもう長くはないこの命。それでも、少しばかりのプライドはまだ残っているから……


「……わかった」
姉貴は半ば呆れたように言った。

「あんたがここまではっきり物言うなんて、今まで一度もなかったしね。正直、馬鹿げていると思うよ。いずれ本当のことを知った時、余計に梨歩ちゃんを悲しませることになるんじゃないかって。だけど、それは……わたしのエゴでもある。あんたが梨歩ちゃんの未来を案じてこの決断をしたことは理解できる。だから……あんたの、望むようにするわ」
声を震わせながらそう言ってくれる姉貴に、俺は絞り出すような声で「ありがとう」と言った。


刻一刻と迫る、命のタイムリミット。


いつ力尽きてもおかしくない身体を動かす体力は、もう残っていない。

これで、本当に終わりなんだ。

そう思うと、人生ってあっけないなと思った。


梨歩に会いたい。その願いはもう、叶うことはない。


寧ろ死んだあとの方が、自由に飛び回って梨歩のところに会いにいけるのではとさえ思った。

でも、梨歩に気づいてもらえる保証はない。


「まさか、な……」

そんな事が出来たら、どんなにいいだろう。

たとえ俺の存在に気づかずにいたとしても、一目会いたい。その思いは変わらず残っている。

死後のことまでは分からない。俺は別に霊感があるわけでもないし、人間離れした特殊能力があるわけでもない。


ただ、もう一度会いたい。会って直接、「ごめん」と「ありがとう」を伝えられたら……そんな奇跡を望んでいる。


俺の最後の我儘は、時空を超えないと叶いそうにないけれど。


それでも俺は、その奇跡を願い続けていた。


未練たらしくなるのも嫌だ。

せめて夢の中だけでいいから、彼女に会いたい。


人間は死期が近づくと、途端に我儘になるものなのだろうか。

死を目前にして、人生という時間は有限なのだと改めて思い知る。


当たり前だと思っていた時間こそが、奇跡の連続だったのだと。


大袈裟かもしれないが、俺にとっての最初で最後の青春は、梨歩に恋をしたことだった。


そのことについては、何の後悔もない。少しばかり未練が残る結果にはなったが、好きな人と過ごす時間がこんなにも特別で、温かで、幸せだと知ることができたのも、彼女と出会えたからだ。

恋なんて得体のしれないよくわからないものだと、そんなものに夢中になれるほど俺は勇気も自信もなかったし、永遠に触れることのない感情だと思っていた。


恋は、ある日突然訪れる。

誰かがそう言っていたが、その言葉が今になってやけに沁みる。


遅すぎた青春だと思っていたが、意外と現役だったのだとも思った。


今までの俺には考えられなかった、“言葉”の数々。

こんなにも饒舌だったかと思うほど、言葉に溢れていった。

今になって、伝えたい言葉に溢れている。


その言葉を、俺の描いた1枚に託して。



俺は、今度こそ永遠に……二度と目覚めぬ瞬間を受け入れなければならない。

(梨歩……)

最後にもう一度、会いたかった。

生きている間に、もっと梨歩といる時間を大切にすればよかった。

今となってはもう、どうすることもできない。
今になって湧き上がる、数々の後悔。

無念だ。


時を戻せるなら、付き合いたてのあの頃に。

いや、せめて梨歩と初めて対面した日に。


死ぬのは嫌だ。

このまま死ぬなんて、冗談じゃない。

こんな残酷な運命が訪れるなんて。数カ月前までは想像もしていなかった。

この世のどこにも神や仏は存在しない、と思った。

どんなに願っても、拝んでも、祈り倒しても、命には限界がある。

寿命という、タイムリミットが。

未練がましくこの世に縋る地縛霊のように、俺は成仏することもできずとどまり続けるのか。

もっと生きたいという思いと、死んだあとはどうなってしまうのかという先の見えない不安。


もう限界だ。


俺はあと数分でこと切れるだろう。


体中が痛い。

でも、もうすぐこの痛みからも解放されるのだ。


梨歩との、永遠の別れと引き換えに。