君という夢を描いて

 諦めたように男はその場を立ち去った。
「ねえ、ここって……」
「ああ、俺の通ってる大学だけど」
「嘘! マジでここの美大生だったんだ、お兄さん」
「まあ、一応……」
「すごい! ねえ、どんな絵描くの?」
「風景画が多いかな」
「へえ、例えば?」
「河川敷から見える四季の移り変わりとか、そこにある桜の木とか、自然が感じられる景色が好きでよく描くよ」
「えー、見たい。ないの?」
「あ、あるけど」
「じゃあ見せて。大学の中にあるの?」
「まあ……」
 半ば強引に押し切られる形で、俺は彼女を連れて学内に入った。こんな姿目撃されたら、絶対森嶋に茶化されるな。
「何や、お前。昨日の今日でもう例の彼女連れとるやんけ」みたいな。
 控室の前を通り過ぎ、俺は課題作品が置いてある教室に向かう。
 エレベーターを使い、5階まで上がるとすぐ右手側に教授の研究室がある。向かいの通路を通り、一番奥から2番目が俺の作品置き場になっている。ゼミ仲間と共有しているので俺のだけではないが。
「これが俺の作品……」
「わあ! これ、写真じゃないの?」
「まあ、一応描いたやつだけど」
「すご! 写真かと思っちゃった。想像以上に上手くてやば!」
 興奮気味に彼女が言う。
「ねえ、このきれいなお姉さん描いてあるのは?」
「ああ、それは同じゼミ友の作品」
「さすが美大生って作品ね。しかも月ヶ丘美大って、精鋭中の精鋭揃いで有名じゃん。なかなか入れないって聞くよ」
「いや、それは大げさだよ。俺はいつもダメ出し食らってばかりだし。俺は運が良かっただけだから」
 現に松岡は特待生だし、森嶋はチャラそうに見えて数々の賞を総嘗めにしてきた真の実力者だ。ちなみにこのきれいなお姉さんの絵は森嶋の作品だ。本人曰く落書き程度らしい。
「いいなあ、好きなことに夢中になれるって。あたし中卒だから、学校って勉強ばっかりでつまらないイメージしかなかったのよね。まあ、歌い手になりたいから高校行かないって選択したのはあたしなんだけどさ」
「歌い手?」
「そう、あたし小さい頃からずっと歌手になるのが夢で。これでも音楽活動してるのよ」
「そうなんだ。ああ、それでマスドにいつもいるのか」
「うん、中学卒業してからずっとバイトしてるの。もう2年くらい経つかな」
「それだけやればもう立派な看板娘だね」
「やっぱそう思う? 実際看板娘だけど」

 やはり彼女は明るい。地味な俺とは対照的だ。でも、彼女に対して劣等感を抱くかと言われればそういうわけでもない。
 この感覚は一体何なのか。
「ねえ、お兄さんの夢は?」
「俺の、夢?」
 ストレートに聞かれて思わず言葉に詰まってしまった。俺は確かに絵を描くのが好きだし、それを活かした仕事に就きたいと考えてはいたが、具体的に何を目指しているかと言われると、正直まだ漠然としている。
「具体的に何をしたいかっていえばまだ決まっていないけど、絵を描き続けることはしたいと思っているよ。画家として成功する人なんてほんの一握りだし、専門性が高い分狭き門だからよほどの覚悟がないと……あ、それは君も同じか」

 漠然とした将来。こんな男についてくるような女の子なんて、きっといないだろう。
 俺は早くも悲観している。せめて彼女の夢を支えるくらいの経済力とかあればいいのだろうが、今の俺には何もない。二人きりのこの時空間が奇跡のようなものだ。

「いいじゃん、無理に決めなくて」
「え?」
「だってさ、もったいないよ。今から色々決めちゃうと、固定概念に縛られちゃいそう。迷ってるってことはさ、それだけ可能性があるってことじゃん。選択肢は多いに越したことはないよ。それが迷う原因でもあるんだけどさ」
 あはは、と彼女はいつものように笑う。




 ガチャッとドアが開く音。

「ヤバい、隠れて!」
 俺は声を潜めて彼女に言う。
「え?」
 俺はとっさに彼女を包み隠すよう、奥のバカでかいキャンバスの裏に逃げ込んだ。

「ん? 誰かおんのか?」
 森嶋だ。よりによってあいつが来るとは。
 バレるとますます厄介だ。

「ねえ、何で隠れるの?」
「ごめん、あいつにだけはこの状況を見られたくなくて」

森嶋のやつ、何しに来たんだ。
「お? 柴ヤン来たんか?」
「!?」
「鞄忘れとるやんけ、鈍くさ」
 余計なお世話だ。それは置き荷だ。
「まぁええわ。とりあえず、ワシのこのネエチャン完成させるか」
 キャンバスを脇に抱え、森嶋は出ていった。
「はあ、やっと行ったか」
「ぷはぁ」
「あ、ごめん。苦しかった?」
「ううん。何かよくわからないけど、ドキドキした」
「え?」
「お兄さん、結構大胆なんだなと思って」
「あ、え? あ……」
「あっはははは! 自覚なし、ウケる!」
 そういえば、とっさに彼女に覆いかぶさってしまったな。
「ご、ごめん。キモいことして」
「え、何でキモいの?」
「そ、そりゃあ……付き合ってもない男に、いきなりそんなことされたら、嫌じゃない?」
「別に? あたしお兄さん嫌じゃないから大丈夫」
「そ、それなら、まあ、いいけど。あ、いや、良くは、ないか……」
「何で?」
「えっと……」