悩みに悩んだ末、俺は売店で見つけた雑誌の中から、ある一つのアクセサリーブランドの記事に見入った。

“Eternity”と書かれたエンゲージリングの特集のページ。

俺はまだ学生で、別に梨歩とは婚約をしているわけでもない。それなのに、何故か妙にそのページだけに惹きつけられた。

0.2カラットのダイヤが一粒、サイドに屑ダイヤが散りばめられた、デザイン自体はとてもシンプルなプラチナリング。
純度は最高ランク。

その隣には希少価値の高いピンクダイヤがどうのとか、有名芸能人がデザインした限定品のものも掲載されていたが、俺は最初に見たリングの詳細が知りたいと思い、そのショップのサイトにネット検索をかけた。


(SAKURA、か)
梨歩の名字が“桜ヶ丘”だったからだろうか。
何となく運命的なものを感じた。桜のような薄桃色を使っているわけではないが、その響きだけで優しいパステルピンクが色づいたように華やいで見えるデザインのものばかりだった。

ファッションリングのことを思うと、当然桁も違う。まして、俺はファッションリングというものにすら縁が無い生活を送っていたし、何より女の子にプレゼントをするという経験すら梨歩と付き合うまで一度もなかった。そんな俺が、いきなりエンゲージリングなんて。そりゃ姉貴もドン引きするはずだ。

WEBでも申し込みができるらしい。
学生の身分でやることではないと思うが、俺は意を決して見積もりを依頼した。



病床についているため、俺はその事を含め担当者に伝えた。この件を引き受けてくれたのは花岡さんという30代くらいの女性のスタッフで、打ち合わせのためにわざわざ病室まで通って現物を見せてくれたりと、何かと親身に対応してくれた。

「俺から彼女に贈ったという証を残すとしたら、やっぱ刻印ですかね」
「そうですね。裏に刻印を入れることもできますよ。このサイズだと12文字以内なら可能です」
梨歩は手がかなり小さい。正確な指輪のサイズは知らないが、以前7号はブカブカだと言っていたのを思い出し、花岡さんにサンプルを見せてもらいながら6号で用意することに決めた。
「サプライズってかなり緊張しますよね。でも、その勇気が素晴らしいです。私も楽しみになってきちゃいましたよ。絶対喜んでもらえるように私も全力でサポートしますね!」
花岡さんは張り切った様子で注文書の欄外に俺の出した希望を書き込んでいく。

「ただ……これを渡すと、この先の彼女の人生まで束縛してしまうような気がして。でも、俺のことは忘れてほしくないというか……時々でいいから思い出してくれたらいいなとも思ったり」

花岡さんを前なね、俺はこれまでの色んな思いや葛藤をついこぼしてしまった。

「姉には絶対やめておけと言われました。でも、俺は人に自分の思いを伝えるのが苦手で。そもそも、こんなに誰かに自分の思いを伝えたいと思ったことは初めてで。何かに突き動かされるように、気がついたら依頼していたんです。だから、この際嫌われてもいいから……俺の独りよがりだったとしても、これだけは譲れなくて……」

何が正解かはわからない。姉貴のいうとおり、こんなことすべきではないのかもしれない。


でも。

それでも俺は、俺のやり方で思いを伝えなければ。

絶対に後悔すると直感的に思った。

魂レベルで聞こえてくる、俺の声。


やはり、俺の背中を押してくれるのはーー俺自身なのか。

「譲れない思いがあるのなら、心のままに行動するのが最適解ですよ」

俺の迷いを払拭するように背中を押してくれる花岡さんの言葉。

心強い。


「あなたが彼女にできる精一杯を、この指輪に託す。私だったらその事実があるだけで、十分嬉しいですよ。それだけ大切に思ってくれているんだなって」
「そうですかね……重すぎるかなと思ったりもしてて。学生の身分でやることじゃないよなって」

心強い言葉でさえも、完全に鵜呑みにする勇気はまだ持てずにいた俺は、少々弱気な発言をしながら確かめるように花岡さんの次の言葉に期待を寄せる。

「学生とか社会人とか、関係ないです。学生でも結婚や出産する人だっていますし。それに、愛って軽いとか重いとかでははかれないくらい尊い感情だと思うんです。愛の形や表現は人それぞれなので、寧ろあなただからこそできる愛の伝え方をした方が遥かに誠実ではないですか?」

ああ。
この人に担当してもらって本当によかった。
俺は、自分の決断に自信がなかったんだ。

「ありがとうございます。じゃあ、このピンクダイヤの入ったデザインでお願いします」
「かしこまりました。では、サイズが6号で……刻印どうされます? この表に載っているものの中から選べますけど」
花岡さんの広げたパンフレットの中に、【使用可能な文字】と書かれた欄があった。
「“男性名&女性名”だったり、入籍日やその他の記念日を入れられる方もいます。お二人の名前の間にいれる文字で多いのが“ハート”だったり、“∞”ですね。例えば、“Ryohei∞Riho”だとちょうど12文字になります」

デザインと刻印の確認をし、俺は花岡さんに見積もりを出してもらった。
「じゃあ、これでお願いします」
「かしこまりました。他に気になる点や、要望等はありますか?」
「あ、それなら……」

俺は意を決して花岡さんに伝えた。

俺はもう、いつどうなってもおかしくない状態で、おそらく彼女の誕生日まで生きられない。
もし、制作中や梨歩の誕生日までに俺がいなくなった場合は、俺の姉に渡してほしいこと。
姉には反対されているが、梨歩の誕生日が過ぎるまでは、決して俺の死を梨歩に口外しないでほしいことを姉に念押してほしいこと。
「あの……」
花岡さんが口を開いた。
「それが柴田さんの譲れない条件、なんですね?」
確かめるように彼女は俺に問う。
「はい」
俺は躊躇なく答える。迷いはなかった、といえば嘘になるが、梨歩を悲しませたくない思いから導き出した俺なりの答えがそれだった。
死ぬのは怖い。でも、それ以上に梨歩を悲しませることの方がもっと怖かった。
たとえ俺のエゴだとしても。

梨歩には“俺のいない誕生日”にしたくなかった。
せめて最後くらいは……。俺なりのけじめのつもりだった。

「わかりました。お姉様には柴田さんのご意思を可能な限り尊重していただけるよう、お話はしてみます。確実に受け入れてくださるかは何とも言えませんが……」
「ありがとうございます。無理なお願いを聞いてもらって」

俺は結局、治療をしない決断をした。これ以上、誰にも迷惑かけたくない。最先端医療を勧められたが、金銭的にも無理がある。姉貴には姉貴の人生があるし、両親の遺産をこんなことのために使ってほしくなかった。
たった一人の肉親である姉貴には、どのみち辛い思いをさせてしまうが……。