砂浜に描いたうたかたの夢

 話し終えると、凪くんはゆっくりと視線を落とした。

 8月下旬。今日は彼が亡くなってから48日が経過した金曜日。

 制服に身を包んだ私達は、誰もいない和室の窓際に腰を下ろして外を眺めていた。

 庭に飾られた花と盆栽。三途の川の世界で見た物が、現実世界で余すところなく完璧に再現されていた。

「一花ちゃんさ、前に俺のこと、眠れる獅子が覚醒したって言ってくれたよね? けど……俺、全然そんなことないよ」

 伏せられた目が1回だけ瞬きされて、黒い瞳に自分の姿が映る。

「浅はかな言動で大切な人達を悲しませて、大切な人との約束も守れなくて。あげく、一花にもずっと言えずに黙ってた。俺は無鉄砲で臆病で、意気地なしなライオンなんだよ」
「違う!」

 自己卑下する彼の声を遮るように否定した。

 確かに助けることができなかった。それでいて、悲しみのどん底に突き落とした。

 そこだけを切り取ったら、無鉄砲で無茶苦茶な人だと思われるのは仕方のないこと。

 だけど──。

「凪くんは、勇敢なライオンだよ。だって……もし臆病者で意気地なしなら、2度も私を助けたりしない」

 幻想的な月明かりに誘われた初日の夜も。風に飛ばされた帽子を追った最後の日の朝も。

 凪くんは脇目も振らず私の元に駆けつけてきてくれた。

 ──それも、親友と自分が亡くなった場所に。

「私ね、岸に倒れてて、ジョニーが第一発見者だったんだって。……もしかして、凪くんが呼んだの?」
「……半分正解」

 恐る恐る尋ねたら、見事ビンゴ。といっても半分だったけど。

「帰省中のひいじいちゃんに魂を飛ばして助けを求めたのは本当だよ。でも、ジョニーくんを海まで誘導したのはひいじいちゃんなんだ」
「そうだったんだ。凪くんのこと気に入ってたみたいだったから、てっきり凪くんに着いていったのかと」
「あははっ。まぁ、人懐っこかったけど、やっぱり犬の扱いに慣れてる人に比べたら全然。何回呼んでもひいじいちゃんしか見てなかったもん」

 口をへの字の形にして、「俺のほうが生前会ってたのになぁ」と呟いた。

 犬をはじめとする動物は、私達人間の何倍も鋭い聴覚や嗅覚を持っている。

 凪くんとひいおじいちゃんの姿がハッキリ見えていたかは不明だけれど、じっと見つめていたのならば、何か感じ取っていたのかもしれない。

 ひいおじいちゃんはともかく、ジョニーにも改めて感謝しないとな。

「でも、一花ちゃんには俺の姿見えてるからいっか」

 空に曾祖父とジョニーの顔を思い浮かべていると、凪くんが距離を縮めてきた。

 肩と肩が触れ合うくらいの距離。
 だけど、今日は瞳の色に甘さが含まれているように感じて、途端に顔が熱くなる。

「怖く、なかったの?」
「ん? 何が?」
「……海に、入ったの」
「……怖かったよ。最初は、見るのも辛かった」

 またからかわれると思い、視線を落としてぎこちなく話を切り出すも。辛い思い出をよみがえらせてしまったようで、少し罪悪感を抱いた。

 だよね。ただでさえ、クラゲに刺されたという痛い思い出があるんだもん。

 溺れることも刺されることもないって、頭では分かっていても、恐怖を感じないわけがない。

「だけど、目の前でまた同じ悲劇が起こるのかと思ったら、居ても立ってもいられなくて。……助けられないと分かっていても、体が動いてた」

 沈黙の後に発せられた言葉にドキッとして目を向けると、右頬に指先がそっと触れていて。

「……けどまさか、俺の声が聞えてたなんてね」

 触れているのか分からないくらいの、かすかな感覚。高台で慰めてもらった時に感じたものと同じだった。

「めちゃめちゃ怖かったけど、俺のこと見えるの⁉ ってビックリして、一瞬にして恐怖が飛んでいったよ」
「今まで誰にも気づいてもらえなかったの?」
「うん。道路に寝そべっても、飛び出しても、みんな無視。一花ちゃんに会うまで毎日轢かれてたよ」

 あははと歯を見せて笑っている。

 いや、笑い事じゃないから。もし運転してた人が霊感ある人だったら、急ブレーキかかって追突事故が起きてたかもしれないんだよ⁉

 凪くんには悪いけど、鉢合わせた人がみんな霊感なくて本当に良かった。

「……やっぱり凪くんが色んな意味で1番悪くて危険だよ」
「そう? なら将来俺みたいな人がいたら気をつけてね」
「大丈夫です。そんな人にはまず近づきませんから」
「えー、ちょっと心配だなー」

 きっぱり言い切るも、「一花ちゃんは照れ屋さんだからなぁ」と顔を覗き込んできた。

 こんな時にまでファンをからかうなんて……っ。

「凪くんの意地悪っ」
「わぁ、ハッキリ言うねぇ。でも、そんな可愛らしく照れた顔で言われたら、もっと意地悪したくなるなぁ」
「いやー! 凪くんのドS! チャラ男! 変態!」
「ちょっと、あまり大声出すなって。家族に聞かれたら困るでしょ」
 ハッと我に返り、口を慎む。

 そうだ、凪くんの姿は私にしか見えていない。傍からだと独り言を呟いている状態だ。

 誰もいないからってベラベラ話してたら、隣の部屋にいる家族達に聞こえてしまう。

「……でも、凪くんが問題児なのは事実だし。ご家族にちゃんと真の姿を教えないと!」
「おーい、勘弁してよ。最後なんだからもう少し優しくして」
「それなら凪くんもからかうのはやめ……え?」

 あまりにもサラッと口にするもんだから、聞き流すところだった。

「最後って……もう会えないの?」
「……多分。お盆の時期は帰ってくるけど、こんなふうに顔合わせて話せるかどうかは……」

 突然明らかになった現実が頭にゴンと響いて、脳内を揺らす。

「俺さ、車には触れなかったのに、海と砂浜には触れたんだよね。ずっとなんでだろうって思ってたんだけど……最近、やっと答えが分かった気がするんだ」
「それは、何なの?」
「……未練があったから。特に、一花ちゃんへの」

 緩んでいた表情から一変した、おふざけなしの真剣な表情。

 理桜さんやお友達、家族に対しての未練じゃなくて……?

「頼まれてた絵、贈れなかったから」
「あ……」

 目まぐるしい毎日に気を取られて、すっかり忘れていた。前回と同様、凪くんに言われないと気づけなかったくらい。

「ずっと言えなかったけど、実はもう完成してるんだ。スケッチブックに描いてるから、後で母さんに聞いてみて」
「……分かった。ありがとう」

 推しに描いてもらった絵を直接もらえるなんて、普通ならもっと笑顔を浮かべるはず。飛び跳ねたくなるほど、活き活きとした声でお礼を口にするはず。

 だけど、そのホッとしたような顔を見たら……。

 もう未練は消えたんだな。
 もうこの世界に留まる必要はないんだな。

 瞬間的に思って、嬉しくも悲しい気持ちになった。

 49日が終わっても、お盆が来ればまた会える。そう信じてたけど……なわけないよね。

 その理屈なら、帰省中、ひいおじいちゃんに会っているはずだから。

 何も気配を感じなかったということは……つまりはそういうことだ。

「一花」

 唇を噛んで込み上げてくる感情を抑えていると、凪くんは私の手の甲に手のひらを重ねてきた。

「これから先、社会に揉まれて、性格が尖ったりねじれたりするかもしれないけど、一花にはいつまでも素直で真っ直ぐでいてほしい」
「……分かった」
「お父さんもだけど、お母さんや弟くんとも仲良くするんだよ」
「っ……頑張る」

 凪くんお得意の優しい命令。最後の日までも、年上の権力を振りかざしてきた。

「俺、一花ちゃんに会えて良かった。今も、これからもずっと……一花ちゃんのことが大好きだよ」
「私も……っ、凪くんのこと、大好きだよ……っ」

 愛してやまない人からの告白に涙腺が崩壊しそうになった。けど、ここで泣いたら余計お別れが辛くなってしまう。

 凪くん自身もそれを分かっているみたいで、目は潤んでいるが、笑顔を浮かべている。だから私も、笑顔で伝えた。

「おいおい……散々俺に悪口ぶつけたのに?」
「だって……っ」

 そりゃそうだ。ついさっきだって、ドSだのチャラ男だの、好き勝手に吐き散らかしたもんね。

 でもね……好きになっちゃったんだよ。
 もちろん、画面越しで交流してた時から好きだった。

 だけど、こうやって直接顔を合わせる日が続くにつれて、自分でも気がつかないうちに、今までとは違う好きが芽生えたんだ。

 落ち着いた外見だけど、表情豊かだったり、器用に見えて不器用なところがあったり。

 大人っぽいと思ったらふくれっ面したりして、年相応なところもあったり。

 お茶目な笑顔や柔和な笑顔も。時には、真剣な表情をするところも。

 これだけ聞いたら、顔だけで好きになったのかって思われそうだけど、中身だって負けてない。

 前向き思考で、私が悩んでいた時や悲しんでいた時、隣で支えてくれた。

 最近はデコピンという可愛い暴力が目立つけど、なんだかんだ年下思いで、面倒見が良くて。

 希望と情熱に満ち溢れた太陽のように、私の心を温かく照らしてくれるところが好きになったんだよ。

 長々と想いを伝えると、涙で滲む視界の中で凪くんの顔がほんのり赤く染まった。

「それを言うなら、俺も。素直で元気なところとか、頑張り屋さんで家族思いなところとか。全部好きだよ」
「……顔も?」
「もちろん」

 ついでに尋ねると、「中身のほうが嬉しくない?」と笑われてしまった。顔面コンプレックスを持つ私にとってはそっちも重要なんだよ。

「一花がこっちの世界に来た時、正直、このまま時が止まればいいのにって思った。でも……大好きな人の人生を壊したくなかった。自分のわがままで、大好きな人の大切な人を悲しませたくなかった」

 1つ1つ言葉を紡ぐ彼が私の頬に手を伸ばす。

 感覚はほぼないけど、こぼれ落ちそうになる涙を拭っているのかな。

 胸の内を知り、愛の深さを実感して、じわりと目頭が熱くなった。

「最後にもう1度……いい?」
「……変態王子」
「次は王子かい。その王子様のことを好きなのはどなたですか?」
「……私です」

 ボソッと答えたら、ふふふっと笑う声が漏れた。
 そこはいちいち聞かないでよ。前回は許可なく不意打ちでしたくせに。

 内心文句を垂れているが、ちょっぴり嬉しいと感じてる自分がいて。結局私は凪くんのことが大好きなんだなとつくづく思った。

「……目、閉じて」

 端正な顔が近づいて、そっと目を閉じる。すると、ほんのわずかだけ、唇に温もりが広がった。

「必死で助けたのにって言ってたけどさ……やっぱり凪くんもドキドキしてたんじゃない?」
「……うるさいな」

 目を開けたら、ほんのり染まっていたはずの頬が真っ赤に。凪くんの輪郭なら、りんごよりもいちごのほうが合うかな。

「俺が恋しいからって、予定早めるなよ?」
「大丈夫だよっ。夢叶えるまでは、こっちで頑張るから」

 少しニヤニヤしながら見つめていたら、頭の上に手を置いてきた。

 また子ども扱いして。やはりこの人は、年上の権力を振るうのが趣味なようだ。

「次は、一花ちゃんの好きなお肉、食べに行こう」
「うんっ」
「あと、公園に行ってスケッチもしよう」
「わぁ楽しみ。あとプールにも行きたい」
「いいよ。その時は泳ぎ教えるね。いっぱい写真も撮ろう」

 お互いの小指を絡ませて、来世での再会と約束を交わす。

 来世があるのかは分からないし、もしあったとしても、また人間に生まれ変われるかどうかも分からない。

「凪くん、デートする時は、お金忘れずに持ってきてね!」
「ふはっ、了解です」

 それでも……不思議と凪くんとは、また必ず会えるような気がするんだ。

 今度は衝動買いしないで計画的に使うんだよ。次会うまでにお金のこと勉強して、ちゃんと管理ができる人になってね。

「一花、そろそろ」

 彼に期限付きの宿題を出したところで、後ろの襖が開き、父が顔を覗かせた。

 ……もうこの辺で、お別れみたい。

「そうだ。お願いがあるんだけど、描きかけの絵、一花が完成させてくれない?」

 再び優しい命令を使って、凪くんは私が立ち上がるのを阻止してきた。

「それ……生前描いてた絵のこと?」
「うん。下描きの状態だからさ。一花にしか頼めないんだ」
「……分かった」

「私にしか」というズルい言い方プラス、真剣な眼差し。返事の選択肢を「はい」のみにする超強力な合わせ技。

 推しの描きかけの絵を代わりに描くって、長い人生の中でもなかなかない。

 私に務まるのか少々不安はあるけれど……最後のお願いだから、引き受けることにした。

「あと、パスワードなんだけど……1回しか言わないからよく聞いて」
「ええっ」

 どうして1回だけなんだ。聞き逃したらもう2度と開けなくなるかもしれないというのに。

 耳を近づけると、凪くんは1文字ずつゆっくりと囁いた。

「……本当に? 今作ったわけじゃなくて?」
「作ってないよ。あいつが、ハッキリそう言ってたから」

 凪くんいわく、お葬式に出席した時に教えてもらったのだそう。

 にわかには信じがたいが、忘れないように、心の中で復唱しながら腰を上げる。

「じゃあね一花。今まで本当にありがとう。最後、ちょっとからかってごめんね」
「ううん。私こそごめんね。凪くんと過ごせてとても楽しかったよ。ありがとう」

 涙をこらえて笑顔で感謝を口にし、襖に手をかける。

 満面の笑みで手を振る、愛に溢れた大好きな人。

 その姿は月夜に輝く王子様ではなく、太陽の光に照らされた眩しい王子様だった。





「あの子が……そんなことを……っ」

 法要が終わり、慌ただしさが少し落ち着いた午後。

 和室の隅で、凪くんのお母さんとお姉さんに、帰省中の話に加えて、先ほど彼が打ち明けてくれた話をした。

『お弁当に入ってた野菜炒め、めちゃめちゃ美味かった』
『生きてるうちに好きな物たらふく食べてね』
『毎回口答えして、沢山迷惑かけてごめんなさい。短い間だったけど、好きなことを思いっきりさせてもらえて幸せでした』

 凪くんからの遺言を伝えると、ハンカチを目に当てて「ありがとう」と涙ぐんでお礼を言われた。

 1ヶ月以上が経っても、今も泣いてしまうくらい悔やんでたんだな。

 これで全ての後悔がなくなるわけではないけれど、少しでも荷を軽くすることができたのなら良かった。

「あの、スマホ、解除してもいいですか?」
「はい……お願いします」

 彼の母親から凪くんのスマホを受け取った。

 電源ボタンを押してロック画面を表示させ、教えてもらったパスワードを入力する。

『n』『i』『k』『a』『l』『o』『v』『e』

 8文字のアルファベットを打って決定ボタンを押すと、待ち受け画面に変わった。

 本当に開いた……。

 もしかして理桜さん、私のこと知ってたのかな。毎回コメントしてたし、ユーザー名も独特だから記憶に残ってたのかも。

 心の中で「失礼します」と呼びかけ、アプリをタップをする。

 カメラフォルダには、恐らく理桜さんらしき人の自撮りと、海岸ではしゃぐお友達の写真。そして、風景写真やSNSで見た絵が保存されていた。

「一花ちゃん、本当にありがとう」
「いえ。力になれたのなら光栄です」

 涙目で私の両手をギュッと握った凪くんのお母さん。

「他の家族にも伝えてきます」と言って、中央のテーブルで談笑する家族の元へ向かった。
「一花ちゃん、重ね重ねだけど、本当にありがとう。多分凪が言ってたの、これだと思う」

 残されたお姉さんからスケッチブックを受け取る。表紙をめくると、色鮮やかな花の絵が描かれていた。

 鉢植えのバラ。庭で描いてたのかな。

 微笑みつつページをめくっていたら、紙全体に大きく描かれた風景の絵が現れた。

 赤とピンクの梅の花の間で、約半年前の私が幸せそうに目を細めて立っている。

 花びらの1枚1枚まで繊細に塗られていてすごく綺麗。あと、美化されてて少し顔に柔らかさが増してる。さすが受賞の常連さんだ。

 クスッと笑みをこぼし、次の絵へ移ると、アイコンの絵とは対照的に白っぽい絵が出てきた。

 鉛筆のみの下描き状態。完成させてほしいとお願いされた絵だとすぐに分かった。

「これ……」

 目を凝らした瞬間、頭の中にとある風景が浮かび上がった。

 海と砂浜、階段と高台を背景に、灯台と消波ブロックが描かれている。

 それは……初見で私が『骨みたい』だと例えて、凪くんに笑われた場所。

『前来た時にスケッチしたことがある場所でさ』
『一花ちゃんと一緒に見れて良かった』

 ポタッと一滴、スカートの上に涙が落ちて、小さなシミができた。

 もうっ、今日は家に帰るまで綺麗な顔でいようって決めたのに。最後の最後まで、結局女心が分からなかったね。

 こんな嬉しくて切なすぎる仕打ち、あんまりだよ……っ。

 思い出が詰まった海岸の絵を胸に抱えて、お姉さんに背中を擦られながら嗚咽を漏らした。





 法事が終わり、浅浜家に別れを告げた私は、父の車に乗って帰路に就く。

「一花、今の学校、楽しいか?」

 信号が赤に変わり、速度が落ちたタイミングで隣から唐突に問いかけられた。

「今の学校が辛いなら、転校してもいいんだぞ?」
「いやいや! そこまで悩んでないから!」

 神妙な面持ちで横を向いた父にブンブンと手を横に振る。

 毎日宿題だらけで嫌になる時もあるけど、逃げ出したいと思ったことはない。クラスメイトも先生も、みんな優しくて思いやりのある人ばかりだから。

 せっかく勉強頑張って入ったんだもん、よっぽどのことがない限りは投げ出さないよ。

「急にどうしたの?」
「いや……振り返れば、ここ数年、面と向かって話したことなかったなって」

 停止線の前で車が止まった。

 帰る前に、凪くんのお母さん達に何か言われたのかな。子供の話をちゃんと聞いてあげてねとか。

 あれだけ泣いてたら、同じ後悔を抱いてほしくないって思ってそうだし。

「最初はすごく大変だったけど、今はわりと楽しいよ。試験前は、クラス全員一致団結して、色んな手を使ってテストに出る問題を先生から聞き出してる」
「……そうか。なら良かった」

 信号が青に変わり、車が動き出した。

 クラスメイト達、当前だけど、みんな性格はバラバラ。おとなしい人とうるさい人の差が激しく、入学当初は上手くやっていけるのかなと心配していた。

 けど最近は、クラスのグループチャットで宿題の答えや解き方を教え合ったり、先生から盗み聞きした耳寄り情報を共有したりして、休日でも盛り上がっている。

 個人個人の仲はそこまで親密ではなくても、全体的な雰囲気は悪くないんじゃないかな。

「お父さんは? 学校楽しかった?」
「楽しかったよ。中学まではな」
「えっ、高校で何か嫌なことでもあったの? いじめられてたとか?」
「いや。いじめられてはないよ。ちゃんと友達もいた。ただ……途中で離脱しただけ」

 ハンドルを握る力を少し強めて切なそうな声色で呟いた。

 途中離脱。言い換えるならすなわち……。

「一花と同じで、進学校に入って。兄ちゃんと姉ちゃんも同じ学校だったから、負けないぞって頑張ってたんだ」
「……どうして、辞めたの?」
「……頑張っても無駄だと感じて諦めたんだ」

 伯父と伯母の背中を追って進学校に入学した父。

 両者とも高成績を収めて期間限定の学費免除を受けたことがあったため、自分も両親を喜ばせようと必死に勉強したのだそう。

 しかし、2人が優秀兄妹だと校内で名が知られていたのもあり、比べられたり、期待してるよと言われて、次第にプレッシャーを感じるようになったそうで……。

「応援してもらっても、いくら頑張っても、満足のいく結果が出せなかったから申し訳なかった。かろうじて部活動では活躍できていたんだが……兄ちゃん達に比べたら全然。そんな自分が嫌になって荒れたんだ」

 劣等感に苛まれ続け、自暴自棄に。何をしてもやる気が起きず、勉強も放棄し、結果、高1の終わりに中退。

 それからは半年ほど引きこもり、両親に勧められたバイトを始めたらしいのだが、どれも続かず。

 同級生が卒業する年まで、始めては辞めてを繰り返したのだと。

「その時期、同じクラスだった友達から、高1の時の担任も定年退職すると聞いてな。最後の挨拶も兼ねて家に来てくれたんだ。そこで初めて、全部吐き出したんだよ」
「家族にも、言ったの?」
「うん。全員集合してもらって、みんなの前で話したよ」

 病室で見た時みたいに、涙と鼻水まみれになりながら胸の内を話したという父。

 そんな父に、当時の担任はこう声をかけた。

『高校を続けることは諦めたとしても、あなたは何度もバイトに挑戦した。何かに挑戦する姿は、家族の皆さまに勇気を与えたと思いますよ』
『親にとっては、子供が元気で健やかにいるだけで、充分嬉しいものなんです』

 その後、元担任のツテで仕事を紹介してもらい、会社が潰れるまで働いた、と。

「頑張ったのに、潰れちゃったのは辛かったね」
「あぁ。まだ一花が2歳くらいの時だったからな」
「ええっ⁉ 私生まれてたの⁉ 生活は大丈夫だった⁉」
「大丈夫。お母さんが仕事してたから。ただ……あの時はまた心が折れそうになったよ」

 明かしてくれた昔話は壮絶なものだった。

 再就職するまでの約5ヶ月間、働きに出る妻を支えるため、家事と私のお世話を両立しつつ、求職活動に奮闘していたのだと。

 ただでさえ、子供のお世話は精神と体力がすり減るって言われてて大変なのに。仕事も探していただなんて……。

「……お父さん、すごく頑張ったんだね。私だったら絶望して引きこもってる」
「そうか? まぁ、家族のためだからな」
「それでも本当にすごいよ! クニユキ……あなた頑張ったのね!」

 祖母のマネをして褒めると、父は「そういうことか」と納得したように笑った。

 伯母さんとおばあちゃんが驚愕して感涙した理由がようやく腑に落ちた。

「一花はお母さんに似てほしかったんだが……馬鹿なお父さんの遺伝子を受け継がせてごめんな」
「いやいや! 進学校に入れたんだからそこまで馬鹿じゃないはずだよ! ……まぁ、酔い潰れるところは擁護できないけど」
「……それは本当に申し訳ない」

 嫌味ったらしくほじくり返すと、眉尻を下げてしょんぼり。

 確かにお父さんの血を濃く受け継いでいるのなら、将来お酒に呑まれて大暴れ。……なんてことになるのは絶対に嫌。

 でも、何度も挑戦し続けるところは受け継いで良かったと心底思う。

「今も気にしてるなら、認定試験は受けないの?」
「受けたいなとは前々から思ってはいるんだが、もう長年勉強してないからなぁ……」
「大丈夫だよ! 地頭は悪くないんだし、コツコツ勉強すればいけるよ! 私、差し入れするからさ!」
「そうか……? ちなみに、何を?」
「特大サイズの卵焼き! 合格したらケーキも作って盛大に祝ってあげるよ!」
「そこまで言うなら……」

 高速道路のゲートをくぐった父は、アクセルペダルを踏み込んで速度を上げた。

 今も昔も、荒れると少々面倒。でも、なんだかんだ家族思い。

 まだ将来の夢を話す勇気はないけど……こうやって、毎日少しずつ会話を増やしていけたら。

 家族の前で、堂々と発表できる日が来るかな。

 凪くんが遺した2枚の宝物が入ったバッグをそっと抱きしめた。
 夏休み最終日の午前10時。社会の宿題を終わらせた私は軽い足取りで階段を下りた。

「ぐぁぁぁ、もうやだよぉぉ」
「自分で撒いた種でしょ。ちゃんと刈り取りなさい」

 リビングのドアを開けると、楓がダイニングテーブルで宿題に奮闘していた。隣には母が座っており、熱心に教えている。

 勉強の邪魔にならないよう、こっそりとキッチンに忍び込む。

 おっ、キャラメル味発見。いただきまーすっ。

「あー! それ俺が狙ってたやつー!」

 棒アイスにかぶりつくやいなや、楓が大声で指を差してきた。

 くっ、見つかったか。もう少し奥で開けるべきだった。

「算数の宿題ですか。最終日なのに可哀想ですねぇ」
「うるせーな。そっちも終わってねーだろ」
「残念でしたー。もう全部終わってますぅー」
「はぁ⁉ 嘘だろ⁉ 毎年最終日の夜まで半泣きでやってたのに⁉」
「今年の私は一味違うんですよーだ」
「一花! 煽らないの!」

 案の定、母の怒号が飛んできた。けれど、今の私は無敵状態。ルンルン気分でアイスを完食してリビングを後にする。

 宿題、教えてあげないこともないんだけど、あいにく今日は予定があるんだ。

 部屋に戻り、ウォークインクローゼットに直行。1番下の引き出しから絵の具セットを引っ張り出す。

 最後に使ったのは、去年の夏休みだったっけ。
 凪くんと同じで、絵を描いてこいって、部活から宿題が出されてたから。だとすると、ちょうど1年経つのか。

 洗面所でバケツに水を汲み、サイドテーブルに置いた後、イーゼルを机の上に置いて絵を立てる。

 こんな素敵な絵に、私みたいな半人前が手を加えていいのかなと思った。

 だけど、凪くんの最後の望みは完成させること。時間がかかってでもやり遂げないと。

 パレットに青と白の絵の具を少量出し、水を加えながら混ぜる。

 砂浜に描いた夢は消えちゃったけど、この夢は叶えるから。何年かかるかは分からないけど、必ず叶えてみせるから。

 大丈夫。だって私は、パワフルな両親から生まれた超パワフルな人間なんだもん。

 完成したら、アイコンの絵と一緒に飾るね。

 心の中で彼に語りかけた後、真っ白い空に淡い青を乗せた。


END

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