「一花ちゃん、重ね重ねだけど、本当にありがとう。多分凪が言ってたの、これだと思う」
残されたお姉さんからスケッチブックを受け取る。表紙をめくると、色鮮やかな花の絵が描かれていた。
鉢植えのバラ。庭で描いてたのかな。
微笑みつつページをめくっていたら、紙全体に大きく描かれた風景の絵が現れた。
赤とピンクの梅の花の間で、約半年前の私が幸せそうに目を細めて立っている。
花びらの1枚1枚まで繊細に塗られていてすごく綺麗。あと、美化されてて少し顔に柔らかさが増してる。さすが受賞の常連さんだ。
クスッと笑みをこぼし、次の絵へ移ると、アイコンの絵とは対照的に白っぽい絵が出てきた。
鉛筆のみの下描き状態。完成させてほしいとお願いされた絵だとすぐに分かった。
「これ……」
目を凝らした瞬間、頭の中にとある風景が浮かび上がった。
海と砂浜、階段と高台を背景に、灯台と消波ブロックが描かれている。
それは……初見で私が『骨みたい』だと例えて、凪くんに笑われた場所。
『前来た時にスケッチしたことがある場所でさ』
『一花ちゃんと一緒に見れて良かった』
ポタッと一滴、スカートの上に涙が落ちて、小さなシミができた。
もうっ、今日は家に帰るまで綺麗な顔でいようって決めたのに。最後の最後まで、結局女心が分からなかったね。
こんな嬉しくて切なすぎる仕打ち、あんまりだよ……っ。
思い出が詰まった海岸の絵を胸に抱えて、お姉さんに背中を擦られながら嗚咽を漏らした。
◇
法事が終わり、浅浜家に別れを告げた私は、父の車に乗って帰路に就く。
「一花、今の学校、楽しいか?」
信号が赤に変わり、速度が落ちたタイミングで隣から唐突に問いかけられた。
「今の学校が辛いなら、転校してもいいんだぞ?」
「いやいや! そこまで悩んでないから!」
神妙な面持ちで横を向いた父にブンブンと手を横に振る。
毎日宿題だらけで嫌になる時もあるけど、逃げ出したいと思ったことはない。クラスメイトも先生も、みんな優しくて思いやりのある人ばかりだから。
せっかく勉強頑張って入ったんだもん、よっぽどのことがない限りは投げ出さないよ。
「急にどうしたの?」
「いや……振り返れば、ここ数年、面と向かって話したことなかったなって」
停止線の前で車が止まった。
帰る前に、凪くんのお母さん達に何か言われたのかな。子供の話をちゃんと聞いてあげてねとか。
あれだけ泣いてたら、同じ後悔を抱いてほしくないって思ってそうだし。
「最初はすごく大変だったけど、今はわりと楽しいよ。試験前は、クラス全員一致団結して、色んな手を使ってテストに出る問題を先生から聞き出してる」
「……そうか。なら良かった」
信号が青に変わり、車が動き出した。
クラスメイト達、当前だけど、みんな性格はバラバラ。おとなしい人とうるさい人の差が激しく、入学当初は上手くやっていけるのかなと心配していた。
けど最近は、クラスのグループチャットで宿題の答えや解き方を教え合ったり、先生から盗み聞きした耳寄り情報を共有したりして、休日でも盛り上がっている。
個人個人の仲はそこまで親密ではなくても、全体的な雰囲気は悪くないんじゃないかな。
「お父さんは? 学校楽しかった?」
「楽しかったよ。中学まではな」
「えっ、高校で何か嫌なことでもあったの? いじめられてたとか?」
「いや。いじめられてはないよ。ちゃんと友達もいた。ただ……途中で離脱しただけ」
ハンドルを握る力を少し強めて切なそうな声色で呟いた。
途中離脱。言い換えるならすなわち……。
「一花と同じで、進学校に入って。兄ちゃんと姉ちゃんも同じ学校だったから、負けないぞって頑張ってたんだ」
「……どうして、辞めたの?」
「……頑張っても無駄だと感じて諦めたんだ」
伯父と伯母の背中を追って進学校に入学した父。
両者とも高成績を収めて期間限定の学費免除を受けたことがあったため、自分も両親を喜ばせようと必死に勉強したのだそう。
しかし、2人が優秀兄妹だと校内で名が知られていたのもあり、比べられたり、期待してるよと言われて、次第にプレッシャーを感じるようになったそうで……。
「応援してもらっても、いくら頑張っても、満足のいく結果が出せなかったから申し訳なかった。かろうじて部活動では活躍できていたんだが……兄ちゃん達に比べたら全然。そんな自分が嫌になって荒れたんだ」
劣等感に苛まれ続け、自暴自棄に。何をしてもやる気が起きず、勉強も放棄し、結果、高1の終わりに中退。
それからは半年ほど引きこもり、両親に勧められたバイトを始めたらしいのだが、どれも続かず。
同級生が卒業する年まで、始めては辞めてを繰り返したのだと。
「その時期、同じクラスだった友達から、高1の時の担任も定年退職すると聞いてな。最後の挨拶も兼ねて家に来てくれたんだ。そこで初めて、全部吐き出したんだよ」
「家族にも、言ったの?」
「うん。全員集合してもらって、みんなの前で話したよ」
病室で見た時みたいに、涙と鼻水まみれになりながら胸の内を話したという父。
そんな父に、当時の担任はこう声をかけた。
『高校を続けることは諦めたとしても、あなたは何度もバイトに挑戦した。何かに挑戦する姿は、家族の皆さまに勇気を与えたと思いますよ』
『親にとっては、子供が元気で健やかにいるだけで、充分嬉しいものなんです』
その後、元担任のツテで仕事を紹介してもらい、会社が潰れるまで働いた、と。
「頑張ったのに、潰れちゃったのは辛かったね」
「あぁ。まだ一花が2歳くらいの時だったからな」
「ええっ⁉ 私生まれてたの⁉ 生活は大丈夫だった⁉」
「大丈夫。お母さんが仕事してたから。ただ……あの時はまた心が折れそうになったよ」
明かしてくれた昔話は壮絶なものだった。
再就職するまでの約5ヶ月間、働きに出る妻を支えるため、家事と私のお世話を両立しつつ、求職活動に奮闘していたのだと。
ただでさえ、子供のお世話は精神と体力がすり減るって言われてて大変なのに。仕事も探していただなんて……。
「……お父さん、すごく頑張ったんだね。私だったら絶望して引きこもってる」
「そうか? まぁ、家族のためだからな」
「それでも本当にすごいよ! クニユキ……あなた頑張ったのね!」
祖母のマネをして褒めると、父は「そういうことか」と納得したように笑った。
伯母さんとおばあちゃんが驚愕して感涙した理由がようやく腑に落ちた。
「一花はお母さんに似てほしかったんだが……馬鹿なお父さんの遺伝子を受け継がせてごめんな」
「いやいや! 進学校に入れたんだからそこまで馬鹿じゃないはずだよ! ……まぁ、酔い潰れるところは擁護できないけど」
「……それは本当に申し訳ない」
嫌味ったらしくほじくり返すと、眉尻を下げてしょんぼり。
確かにお父さんの血を濃く受け継いでいるのなら、将来お酒に呑まれて大暴れ。……なんてことになるのは絶対に嫌。
でも、何度も挑戦し続けるところは受け継いで良かったと心底思う。
「今も気にしてるなら、認定試験は受けないの?」
「受けたいなとは前々から思ってはいるんだが、もう長年勉強してないからなぁ……」
「大丈夫だよ! 地頭は悪くないんだし、コツコツ勉強すればいけるよ! 私、差し入れするからさ!」
「そうか……? ちなみに、何を?」
「特大サイズの卵焼き! 合格したらケーキも作って盛大に祝ってあげるよ!」
「そこまで言うなら……」
高速道路のゲートをくぐった父は、アクセルペダルを踏み込んで速度を上げた。
今も昔も、荒れると少々面倒。でも、なんだかんだ家族思い。
まだ将来の夢を話す勇気はないけど……こうやって、毎日少しずつ会話を増やしていけたら。
家族の前で、堂々と発表できる日が来るかな。
凪くんが遺した2枚の宝物が入ったバッグをそっと抱きしめた。
残されたお姉さんからスケッチブックを受け取る。表紙をめくると、色鮮やかな花の絵が描かれていた。
鉢植えのバラ。庭で描いてたのかな。
微笑みつつページをめくっていたら、紙全体に大きく描かれた風景の絵が現れた。
赤とピンクの梅の花の間で、約半年前の私が幸せそうに目を細めて立っている。
花びらの1枚1枚まで繊細に塗られていてすごく綺麗。あと、美化されてて少し顔に柔らかさが増してる。さすが受賞の常連さんだ。
クスッと笑みをこぼし、次の絵へ移ると、アイコンの絵とは対照的に白っぽい絵が出てきた。
鉛筆のみの下描き状態。完成させてほしいとお願いされた絵だとすぐに分かった。
「これ……」
目を凝らした瞬間、頭の中にとある風景が浮かび上がった。
海と砂浜、階段と高台を背景に、灯台と消波ブロックが描かれている。
それは……初見で私が『骨みたい』だと例えて、凪くんに笑われた場所。
『前来た時にスケッチしたことがある場所でさ』
『一花ちゃんと一緒に見れて良かった』
ポタッと一滴、スカートの上に涙が落ちて、小さなシミができた。
もうっ、今日は家に帰るまで綺麗な顔でいようって決めたのに。最後の最後まで、結局女心が分からなかったね。
こんな嬉しくて切なすぎる仕打ち、あんまりだよ……っ。
思い出が詰まった海岸の絵を胸に抱えて、お姉さんに背中を擦られながら嗚咽を漏らした。
◇
法事が終わり、浅浜家に別れを告げた私は、父の車に乗って帰路に就く。
「一花、今の学校、楽しいか?」
信号が赤に変わり、速度が落ちたタイミングで隣から唐突に問いかけられた。
「今の学校が辛いなら、転校してもいいんだぞ?」
「いやいや! そこまで悩んでないから!」
神妙な面持ちで横を向いた父にブンブンと手を横に振る。
毎日宿題だらけで嫌になる時もあるけど、逃げ出したいと思ったことはない。クラスメイトも先生も、みんな優しくて思いやりのある人ばかりだから。
せっかく勉強頑張って入ったんだもん、よっぽどのことがない限りは投げ出さないよ。
「急にどうしたの?」
「いや……振り返れば、ここ数年、面と向かって話したことなかったなって」
停止線の前で車が止まった。
帰る前に、凪くんのお母さん達に何か言われたのかな。子供の話をちゃんと聞いてあげてねとか。
あれだけ泣いてたら、同じ後悔を抱いてほしくないって思ってそうだし。
「最初はすごく大変だったけど、今はわりと楽しいよ。試験前は、クラス全員一致団結して、色んな手を使ってテストに出る問題を先生から聞き出してる」
「……そうか。なら良かった」
信号が青に変わり、車が動き出した。
クラスメイト達、当前だけど、みんな性格はバラバラ。おとなしい人とうるさい人の差が激しく、入学当初は上手くやっていけるのかなと心配していた。
けど最近は、クラスのグループチャットで宿題の答えや解き方を教え合ったり、先生から盗み聞きした耳寄り情報を共有したりして、休日でも盛り上がっている。
個人個人の仲はそこまで親密ではなくても、全体的な雰囲気は悪くないんじゃないかな。
「お父さんは? 学校楽しかった?」
「楽しかったよ。中学まではな」
「えっ、高校で何か嫌なことでもあったの? いじめられてたとか?」
「いや。いじめられてはないよ。ちゃんと友達もいた。ただ……途中で離脱しただけ」
ハンドルを握る力を少し強めて切なそうな声色で呟いた。
途中離脱。言い換えるならすなわち……。
「一花と同じで、進学校に入って。兄ちゃんと姉ちゃんも同じ学校だったから、負けないぞって頑張ってたんだ」
「……どうして、辞めたの?」
「……頑張っても無駄だと感じて諦めたんだ」
伯父と伯母の背中を追って進学校に入学した父。
両者とも高成績を収めて期間限定の学費免除を受けたことがあったため、自分も両親を喜ばせようと必死に勉強したのだそう。
しかし、2人が優秀兄妹だと校内で名が知られていたのもあり、比べられたり、期待してるよと言われて、次第にプレッシャーを感じるようになったそうで……。
「応援してもらっても、いくら頑張っても、満足のいく結果が出せなかったから申し訳なかった。かろうじて部活動では活躍できていたんだが……兄ちゃん達に比べたら全然。そんな自分が嫌になって荒れたんだ」
劣等感に苛まれ続け、自暴自棄に。何をしてもやる気が起きず、勉強も放棄し、結果、高1の終わりに中退。
それからは半年ほど引きこもり、両親に勧められたバイトを始めたらしいのだが、どれも続かず。
同級生が卒業する年まで、始めては辞めてを繰り返したのだと。
「その時期、同じクラスだった友達から、高1の時の担任も定年退職すると聞いてな。最後の挨拶も兼ねて家に来てくれたんだ。そこで初めて、全部吐き出したんだよ」
「家族にも、言ったの?」
「うん。全員集合してもらって、みんなの前で話したよ」
病室で見た時みたいに、涙と鼻水まみれになりながら胸の内を話したという父。
そんな父に、当時の担任はこう声をかけた。
『高校を続けることは諦めたとしても、あなたは何度もバイトに挑戦した。何かに挑戦する姿は、家族の皆さまに勇気を与えたと思いますよ』
『親にとっては、子供が元気で健やかにいるだけで、充分嬉しいものなんです』
その後、元担任のツテで仕事を紹介してもらい、会社が潰れるまで働いた、と。
「頑張ったのに、潰れちゃったのは辛かったね」
「あぁ。まだ一花が2歳くらいの時だったからな」
「ええっ⁉ 私生まれてたの⁉ 生活は大丈夫だった⁉」
「大丈夫。お母さんが仕事してたから。ただ……あの時はまた心が折れそうになったよ」
明かしてくれた昔話は壮絶なものだった。
再就職するまでの約5ヶ月間、働きに出る妻を支えるため、家事と私のお世話を両立しつつ、求職活動に奮闘していたのだと。
ただでさえ、子供のお世話は精神と体力がすり減るって言われてて大変なのに。仕事も探していただなんて……。
「……お父さん、すごく頑張ったんだね。私だったら絶望して引きこもってる」
「そうか? まぁ、家族のためだからな」
「それでも本当にすごいよ! クニユキ……あなた頑張ったのね!」
祖母のマネをして褒めると、父は「そういうことか」と納得したように笑った。
伯母さんとおばあちゃんが驚愕して感涙した理由がようやく腑に落ちた。
「一花はお母さんに似てほしかったんだが……馬鹿なお父さんの遺伝子を受け継がせてごめんな」
「いやいや! 進学校に入れたんだからそこまで馬鹿じゃないはずだよ! ……まぁ、酔い潰れるところは擁護できないけど」
「……それは本当に申し訳ない」
嫌味ったらしくほじくり返すと、眉尻を下げてしょんぼり。
確かにお父さんの血を濃く受け継いでいるのなら、将来お酒に呑まれて大暴れ。……なんてことになるのは絶対に嫌。
でも、何度も挑戦し続けるところは受け継いで良かったと心底思う。
「今も気にしてるなら、認定試験は受けないの?」
「受けたいなとは前々から思ってはいるんだが、もう長年勉強してないからなぁ……」
「大丈夫だよ! 地頭は悪くないんだし、コツコツ勉強すればいけるよ! 私、差し入れするからさ!」
「そうか……? ちなみに、何を?」
「特大サイズの卵焼き! 合格したらケーキも作って盛大に祝ってあげるよ!」
「そこまで言うなら……」
高速道路のゲートをくぐった父は、アクセルペダルを踏み込んで速度を上げた。
今も昔も、荒れると少々面倒。でも、なんだかんだ家族思い。
まだ将来の夢を話す勇気はないけど……こうやって、毎日少しずつ会話を増やしていけたら。
家族の前で、堂々と発表できる日が来るかな。
凪くんが遺した2枚の宝物が入ったバッグをそっと抱きしめた。