「あ……もしかして写真撮るところだった?」
「……うん。でも、また描けば大丈夫!」

 笑ってみせたけど、どうやら枝までも流されてしまったらしく、足元には何も残っていなかった。

 酷いよ。絵だけならまだしも、描くものまで持っていくなんて。海め、私が何をしたっていうんだぁ……。

「邪魔してごめんね。ちなみに、何描いてたの?」
「へ⁉ あぁ、えっ、と……」

 悲しさと悔しさを含んだ眼差しで睨んでいると、不意打ちで質問を投げかけられた。声が裏返り、目が泳ぐ。

 どうしよう。「相合傘だよ」なんて、冗談でも本人の前で言えるわけがない。

「将来の……夢?」

 気が動転した私の口から出てきたのは、壮大な答えだった。

 私の馬鹿……! いくら焦ってたからって、ごまんとある物の中から将来の夢を選ぶ奴がいるかよ……!

 そりゃあ、付き合えたら楽しいだろうなとは思うけど……夢のまた夢すぎる。そもそも、シンプルに「傘だよ」で良かったじゃないかぁぁ。

「そっか。頑張ってね。応援してる」
「ありがとう!」

 荒ぶる私の心を一瞬にして和らげる、優しくて柔らかい笑顔。誤魔化すことができて胸を撫で下ろした。

 けど……まだ本調子じゃないからか、少し辛そうに見えて。

 瞳の奥も、心なしか切なげに揺れていたように思えた。





「将来の夢か……」

 欠け始めた月の下、静寂に包まれた海岸に腰を下ろし、砂浜を指でなぞる。

 水泳選手、インストラクター、ダイバー、ライフセーバー、イラストレーター。

 幼い頃から沢山あったけど、今はもう全てうたかたの夢になってしまった。

 ……というより、そもそも俺に夢を抱く資格なんてない。

『……スランプに、なって』

 夢を書き出しながら今日の出来事を振り返る。

 先月スケッチをしていたお気に入りの場所で、俺はSNSを放置している理由の1つを打ち明けた。

 だが……案の定、一花を傷つけてしまった。

『私の絵見てる時、辛くなかった?』

 悩みを抱えているとは知らず、無神経にお披露目しちゃったって、心を痛めたんだろうな。そもそも見たいと言い出したのは俺なんだから、一花は何も悪くないのに。

 素直で、純粋で、真っ直ぐで。
 そして、とても眩しくて──正直、直視するのが辛かった。

 最後の夢を書いて、空を見上げる。月に薄雲がかかり、ほんの少し辺りが暗くなった。

 高偏差値の進学校で成績は学生10位。片や平均以下の偏差値の学校で成績は中の上。

 前者の一花からしてみたら、後者の俺は大した人間じゃないかもしれない。

 けど、目の前で自分の過ちを責めている人に、言葉を選ばず答えるほど馬鹿ではない。

 かといって、大切な人に心を閉ざして本音を隠したというわけでもない。

 確かに辛いとは感じたけれど、絵を見せてもらっていた時は本当にテンションが上がっていた。

 今までスマホ画面を通して見ていた絵を間近で観賞できて、その上貴重なラフ段階の絵も見ることができたから。

 だから……追い打ちをかけないように、半分優しい嘘をついたんだ。

 雲間から月が顔を出し、再び海岸に明るさが戻った。

「明日で最後か……」

 本当は、今日話すつもりだった。いつも待ち合わせている砂浜で、全てを打ち明けようと。

 だけど……目を充血させて嗚咽を漏らす姿が頭から離れなくて、言い出せなかった。

 仲直りしたから大丈夫だと言われても、結果的に喜んでもらえたからと励まされても、罪悪感は消えるどころか増すばかり。

 だって……どう考えたって、一花が深く傷ついた原因は俺のせいなんだから。

 拳に力を入れていると、足元に波が押し寄せ、書き並べた夢が跡形もなく消えた。

 月の光に照らされている海面を見ると、昼間よりも水位が高くなっている。

 そろそろ満潮か……。

『理桜‼ 聞こえるか⁉ 理桜‼』

 すると、叫ぶ自身の声と当時の光景が脳内によぎり、頭に痛みが走った。眉根を寄せて目を瞑る。

 一花……俺、眠れる獅子なんかじゃないよ。
 本当は怖がりで、現実から目を背け続けている臆病者なんだ。

 今だってそう。
 もういっそのこと、「どうしてパスワードを友達に聞かないの」って、直球で突っ込んでほしいと思ってる。

 会えるのは明日が最後だというのに……意気地なしすぎるだろ。

「……嫌い」

 痛みが収まり、薄目でゆっくりと腰を上げる。

 勉強不足な自分、こだわりが強い自分、自信過剰な自分。全てが嫌い。

 だけど、それ以上に嫌いなのは──。

 不甲斐ない自分を責めていると、波が足の甲を覆った。行き場のない感情をぶつけるように勢いよく蹴り飛ばす。

 綺麗な色をして、穏やかな顔をして──全てを奪っていった海が大嫌いだ。