砂浜に描いたうたかたの夢

 実際父にも、『安定した仕事に就いてほしい』と言われたことがあったため、なかなか表に出せずにいた。

 だけど凪くんは──。

「素敵な夢だね。ちょっと感動しちゃったよ」
「そ、そう? 計画立てるの下手くそなのに、無謀って思わない?」
「全然。そういうのはこれから練習していけばいいんだし。下手って言ってるけど、途中まででも予定通りに進んだなら、そこは自信持っていいと思うよ?」

 その瞬間、空を覆っていた雲が切れて、間から光が漏れ始めた。

「……ありがとう」
「うん。っていうか、なんか晴れてきたね。あれさ、絵日記のネタにピッタリじゃない?」

 撮りなよと促され、海面に向かってスマホのカメラを構える。

 くすんだ海面に射し込む一筋の光。なんだか凪くんみたい。

「これで1個埋まったね!」
「う、うんっ!」

 最初から無理だと決めつけず、可能性を信じる。
 できなかったことよりも、できたことに目を向ける。

 将来を悲観しないで前向きに考えるその姿に心を打たれた。





「本当に、今日はありがとうございました」
「いえいえ。力になれたのなら光栄です」

 弱い日射しが降り注ぐ午後5時半。誰もいない高台で深々と頭を下げた。

 愚痴を聞いてもらって、励ましてもらって。さらには手までスケッチさせてもらって……何から何までお世話になってしまった。

「明日の分は考えてるの?」
「いや、まだ」

 夏休みは残り3週間弱。ネタがありふれた地元に帰るのは4日後なので、その場しのぎでは終われない。

 あと他にあるのは……食べ物系? 毎日3食のご飯とか? でも、それこそネタ切れだって思われちゃいそう。

 かといって、セミの抜け殻には頼りたくないし……。

「この辺でいったら海しかないもんね。町に行ってみたら何かあるかもだけど」
「町って、新幹線の駅があるところの?」
「ううん、そっちじゃなくて、毎日買い出しに行くほうの。あそこ、中心部にショッピングモールがあるんだよ」

 初めて聞く情報に目を丸く見開いた。

 スーパーとコンビニくらいしか見たことなかったから全然知らなかった。近所のスーパーまでは車で十数分だったから……中心部だと20分くらい?

 時間は少しかかるけど、新幹線がある大きな町までに比べたらだいぶマシだ。

「都会ほどの大きさはないから、ちょっと物足りなく感じるかもしれないけど」
「いやそんな! あるだけでも充分だよ! でも、送ってもらえるかなぁ」
「大丈夫だよ。宿題のためなんだから話せば分かってくれるって。もし明日行くなら、案内しようか?」

 最後に放たれた言葉が脳内で何度も再生される。

「えっ……いい、の?」
「うん。一花ちゃんの予定さえ空いていれば」

 嘘っ、一緒にお出かけできるの⁉ やったぁ!

「ただ、1つ条件というか……」
「条件? 何?」
「俺と話す時、あまり大声で話さないでほしい」

 喜んだのも束の間。頭上に大きなハテナマークが浮かんだ。

「……私、そんなに声大きかった?」
「いや、そうじゃなくて。実は、昔あそこで……」

 言いにくそうに話を切り出した凪くん。

 どうやら以前、ファンの人に声をかけられたことがあったらしく。話し声が大きいと目立ってしまうため、なるべくボリュームを抑えてほしいのだと。

 振り返ってみれば、今まで凪くんと会ったのも、全部誰もいない場所だったっけ。

「無理言ってごめんね」
「ううん。大丈夫。気をつけるね」

 年月は経っているとはいえ、警戒するのも当然。だって凪くんは、SNSで一切顔出しをしていない。つまり、投稿写真から情報を特定したということ。恐怖を覚えるに決まってる。

 今みたいなお喋りができないのは残念だけど、会えるだけでもありがたいんだから。感謝しなきゃ。

「あっ、じゃあ連絡先交換していい? 何かあった時のためにさ」
「あー……」

 スマホを取り出すと、気まずそうに視線を逸らされた。

 引きつった口角、泳ぐ目、開いたまま動かない口。その先の言葉を待たなくても分かる、交換したくないんだと。

 ファン絡みでトラウマがあるから乗り気じゃないのは分かる。けど、そんなあからさまな反応されたら悲しいよ。そもそも提案したの凪くんなのに……。

「信用……できない?」
「違うよ! 信じてる! その、友達にパスワード変えられちゃって、今スマホが使えないんだよ。だから交換しても、連絡が取りづらいんじゃないかなって……」

 謝ったと思いきや、言い訳が始まった。

 えええ? 本当に? 警戒してるわりにセキュリティガバガバだなぁ。なんか嘘っぱちく聞こえるんですけど。

 でも……もし本当なら、SNSの更新とDMの返事ができなかった理由って、それだったり……?

「……分かった。今日は沢山お世話になったから、凪くんの気持ちを優先します」
「ありがとう」

 渋々了承し、時間と場所を念入りに確認。不安が和らいだのか、引きつっていた口元が緩んで、両目も三日月のように緩やかな弧を描いている。

 もう、ズルいよ凪くん。聞きたいことが山程あったのに、その笑顔で全部吹っ飛んじゃったよ。

 口を尖らせながらも、推しとデートできるという現実に心を弾ませたのだった。
 曾祖父の家の縁側で、星のない空を眺めながら夜風に当たる。

 お盆前の8月中旬。毎日熱帯夜が続く蒸し暑い時期だけど、旧暦ではもう秋らしい。

 目を閉じて、庭に植えられた草木から聞こえる虫の声に耳を澄ます。

 昨日は静まり返ってたのに、今日は大合唱してるな。鳴いているのは……スズムシとコオロギ? 代表的なやつしか知らないからあとは分かんないや。

「凪くん、スイカ食べるかい?」

 後ろの障子が開き、おぼんを持った曾祖父が顔を覗かせた。

「うん! けど、なんか多くない?」
「あぁ、特大サイズを買ったらしくてな。良かったらっておすそ分けしてもらったんだよ」

 隣に腰を下ろしてスイカが乗ったお皿を渡してきた。

 程よく厚みがある手のひらサイズの三角形が3つ。曾祖父いわく、親戚にもらったのだそう。

 美味しそうだけど、全部食べきれるかな。まだ晩ご飯の満腹感が残ってるからちょっと心配。

 お皿を膝の上に置き、両手でそっと持ち上げて先端部分にかぶりついた。

 ん、甘っ。いつもは塩をかけることが多いけど、これはそのままでもいける。親戚さん、お目が高い。

「昼間に食べるのもいいが、夜に食べるのも風情があっていいねぇ」
「そうだね」

 返事をして庭を見渡す。

 一花も今頃聴いてるのかな。あ、でも虫嫌いだったっけ。セミの抜け殻を描くの、頑なに拒否してたし。

 セミの次はスズムシかよって、眉間にシワ寄せて宿題やってたりして。

 想像を巡らせながら、柔らかくなったスイカを飲み込む。

「最近、何かいいことでもあったのかい?」
「っ……!」

 しかし、不意に飛んできた質問に動揺してしまい、食道ではなく気管に入り込んだ。

「ごめんねぇ、驚かせて」
「ううん……っ」

 背中を擦ってもらい、肺から押し出すように咳をする。数回繰り返すと、のどの奥の違和感が消え、胸を撫で下ろした。

「なんで、そう思ったの?」
「ここが、ちょっと嬉しそうに見えたから」

 しわしわの手で自身の頬を指差した。

 ぼんやり考えてただけなのに、そんなに緩んでたのか……。

「もしかして、好きな子?」
「いや……」

 違うよ。そう言いかけたけれど、口ごもった。

 好きか嫌いかだったら好き。嫌いなら、わざわざ毎日会わないし。

 SNSの交流も。コメントを返したり、書き込んだり。DMで個別にやり取りだってしない。

 でも、恋愛としての好きかどうかは……。素直で可愛いなとは思うけど。

「なら、気になっている子?」

 黙り込んでいたら、さらに深掘りしてきた。月どころか月明かりさえ出ていないのに、瞳がキラキラしてる。あと表情も。

 どうやらひ孫の恋愛事情が気になってしょうがない様子だ。

「気になってるというより、友達。SNSのフォロワーなんだ」

 ここでハッキリさせないと、今度は祖母に尋ねるかもしれない。これ以上話を広められたくなかったので簡潔に答えた。

「えすえぬえす……あぁ! 写真をみんなに紹介するやつか! ふぉろわーは、ファンみたいな人だっけ?」
「うん。数日前に偶然会って」

 片言で1つずつ確認する曾祖父。

 曾祖父も若い頃、趣味で絵を描いていたらしく、話をしたら興味を持ってくれて。こっちに来てからはよく絵の話題で盛り上がっている。……まぁ、まだ1枚も見せることができてないんだけど。

「それで……SNSを放置してる理由を話そうか、迷ってるんだよね」

 出会いから今日までの出来事をざっくり伝えた後、悩みを吐き出した。

「その絵については、お友達は何て?」
「『忙しいだろうからゆっくりで大丈夫だよ』『生きてる間は何年でも待つから』って」

 スイカを置いて俯く。

 彼女の言った通り、3年生になると進路決めが本格的に始まるため忙しくなる。

 ただ、プロフィールには学生であることは書いているので、丸1ヶ月更新がなくても、『勉強で忙しいのかな?』と捉えるであろう。

 だがしかし、約束の絵に関してはそうはいかない。

 頼まれたのは3月中旬。今は8月だから、5ヶ月近くも待たせてしまっている。それに、進捗状況も一切伝えていない。

 一花はああ言ってくれたけど……絶対気になってるはずだよな。

 放ったらかしてごめんね。本当はもう完成してるんだって言いたいけど……。

「そうか……。まぁ、会えたのなら話したほうが、お友達もホッとするだろう」
「だよね……」
「ただ、凪くんのことだから、何か事情があるんだよね?」

 心を読み取られたのと同時に図星を突かれて、ピクッと肩を揺らした。

 対面できて嬉しかった反面、心の底では、どう説明しようか悩んでいた。

 消息を絶っていた理由、絵を贈れない理由、連絡先の交換を拒否した理由。

 本当は全部話してしまいたいんだけど、事情が複雑に重なって、何から話せばいいのか……。

「……うん。その子も、色々と悩んでて。余計悩ませたらどうしようって思ってるんだ」

 1つ1つ説明したとしても、まず一花の心が問題。

 素直で真っ直ぐだから、話に聞き入ってしまうかもしれないし、最悪の場合、精神状態を脅かしてしまう恐れもある。

 大切な人の人生を、自分の言動で振り回したくない。

 そう伝えると、「凪くんは優しいねぇ」と目を細め、その声色のまま語り始めた。

「ひいじいちゃんは、無理に全部話さなくてもいいと思うよ。お友達のことが心配なのも分かるが、凪くん自身の心も大切」
「……うん」
「でも、その様子だと打ち明けたいんだな?」
 再び図星を突かれ、静かに頷く。

 一花を振り回したくない。けど……真実を伝えないまま終わるのも嫌だ。

「それなら、自分の心の準備ができた時にしなさい。話し手が不安定だと、相手にも伝わってしまうからね」
「……うん。ありがとう」

 さすがだな。人生経験豊富なだけあって、説得力がある。

 ひいじいちゃんの言う通り、話し方が曖昧だと、相手も趣旨が何なのか理解しにくい。パスワードの話も、どう誤魔化そうかと考えてたら、疑いの目で見られちゃったし。

 それも更新ができない理由ではあるけれど、包み隠さず話したい。

 ……時間は、待ってくれないから。
 後悔しないためにも、一花の帰る日が来る前に腹をくくろう。

「あ、そうだ。明日、その子の宿題の手伝いで一緒に出かけることになったんだけど……」
「そうなのか⁉ なら、ひいじいちゃんの服を着ていきなさい! ちょうどいいのがあるんだよ」

 そそくさと立ち上がり、早足で部屋に戻っていった。

 服……? 別に、何着たらいいかの相談じゃなくて、ただ事前に伝えておこうと思っただけなんだけど……。

「凪くん、そろそろお散歩に行くよ」

 閉まった障子を見ていると、犬3匹を連れた祖母がやってきた。

 もうそんな時間か。まだ全部食べてないけど、帰ってからでいっか。

「凪くん! これだよ~!」
「あ、お父さん。ってあー! それ!」

 戻ってきた曾祖父を見た途端、祖母が指を差して激しく反応した。

「懐かしい〜! 私が子どもの頃、お母さんとのデートに着てたやつでしょ?」
「そうそう! 明日凪くんが女の子と出かけるみたいだから、貸そうと思ってな!」
「えっ! 女の子と⁉」

 白いアロハシャツに向いていた視線が自分に向く。

「誰⁉ 年上⁉ 年下⁉ おばあちゃんの知ってる子⁉」
「知らない子だよっ! あと、勝手に女の子って決めつけないでくれる⁉」
「ありゃ、ごめんねぇ。男の子だったかい?」
「……女の子だけど」
「やだぁ! やっぱりデートじゃない!」
「違うよ! 宿題の手伝いをするだけ!」

 反論するも、「照れなくていいのに〜」と聞く耳なし。顔は似てないのに、瞳の煌めき度と興奮度は親子そっくり。

 恋バナでテンションが上がるのは分かるけどさ、俺、高校生だから! 思春期の繊細な心を刺激するのやめてくれます⁉

「ほれ! せっかくだから着てみなさい!」
「いや、いいよっ」

 年季が入った大きめの白いアロハシャツを、首と手を横に振って受け取り拒否をする。

「そんな遠慮せんで! 最近は、おーばーさいずが流行っとるんだろう?」
「そうだけど……俺とひいじいちゃんじゃ体格違うから似合わないって。あと、時代遅れじゃない?」

 今は痩せている曾祖父だけど、若い頃はがっしりしていて、祖母が言うには逆三角形の体型だったんだとか。

 対する自分は、肩幅はそこそこあるものの、周りが見惚れるほどの立派な上半身ではない。

 それに、祖母の子供時代だと60年以上も前。
 流行は巡り巡るって言うけど、時代に合わせてデザインも変化してると思うし……。

「大丈夫よ! 今時こういうの、昭和レトロって言われてるみたいだから! 渋い男を演出できるわよ〜!」
「えええ……」

 渋い男って、俺まだ10代なのに……。

 それより、なんでそんなに詳しいの? スマホならまだしも、ガラケーで、ネット環境もあまり整っていない田舎町で。一体どこから情報仕入れてるんだ?

「時代遅れが気になるなら、それこそ流行り物を合わせるといいんじゃないか? 例えば、袴みたいなズボンとか!」
「いいわね! 最近のテレビで若い人がよく履いてるし!」

 ……なるほど。袴似のズボンは、ワイドパンツのことかな。毎日朝昼晩、情報番組を観てるから、そこで仕入れてるのかも。

 苦笑いで2人を眺めていると、両膝の上に何かがズシッとのしかかった。

「あー! 俺のスイカ!」

 目を向けてみたら、赤柴系雑種のポチがスイカにかぶりついていた。

「こら! ポチっ! ごめんね凪くん! おばあちゃんがちゃんと見てなかっただけに……」
「ううん、大丈夫」

 強がってみせたけど、お皿の上は赤い破片と黒い種が散らばってぐちゃぐちゃ。無傷だったのは、手前に置いていた食べかけのスイカのみ。残りの2つはかじられてしまった。

「凪くん、ひいじいちゃんのを1個あげるよ」
「ありがとう。後でもらうね」

 曾祖父に返事をし、お皿を持って台所に移動する。

 こっちに来て約3週間。毎日散歩に行ってるのに、あの子だけは未だに接し方が分からない。

 呼んでも来ない、近づいたら逃げる、触ろうとすると歯を剥き出しにして唸る。こんなに拒絶されたら、大抵は嫌われてるんだなと思うだろう。

 だけど、他の子を可愛がってると間に割り込んできたり、足元に体をくっつけてきたり。嫌ってるのか、仲良くしたいのか、心が読めない。

 この調子で明後日から上手くやっていけるか心配だな……。

 お皿を片づけた後、駐車場に向かい、待ちくたびれて機嫌を損ねた彼らを宥めたのだった。
 翌日の午後1時20分。伯母の車で、隣町にあるショッピングモールにやってきた。

 中に入るやいなや、エスカレーターに直行し、2階へ。お店のホームページでダウンロードした地図を頼りに待ち合わせ場所へ向かう。

「あっ、あった」

 婦人服売り場と紳士服売り場を通過して右に曲がると、寝具売り場が見えてきた。

 周囲に誰もいないのを確認して、スマホのカメラで身だしなみをチェックする。

 今日の服装は、黒い無地のTシャツに、ゆるっとした足首丈のデニムパンツ。おでかけにしてはだいぶ地味だが、これでも精一杯オシャレしたつもり。

 帰省=休暇と捉えていたとはいえ、せめて柄物のシャツとかワンピースとか、よそ行きの服を一着持ってくれば良かったな。今更後悔したって遅いんだけどね。

 スマホをポケットにしまい、高鳴る胸を深呼吸で落ち着かせる。

 色合いが地味な分、今日は髪型を変えてみたんだけど……どんな反応するかな。

 歩を進めると、奥に白いアロハシャツを着た男の人がポツンと立っているのを見つけた。

 凪くんだ……!

 近づいて声をかけ……ようとしたのだけど、一歩踏み出したところで立ち止まった。

 華やかさを加えた全身モノトーン。上品で落ち着きのある彼の雰囲気に合っていて、すごく様になっている。

 だけど、私が視線を奪われたのは、服よりも横顔。

 枕を吟味している真剣な眼差し。いつもとは違う表情に胸がときめいてしまった。


 ピピッ、ピピッ。


 ポケットに入れたスマホが音を立てて振動し始めた。

 いけない、うっとりしてたらもう5分前に……。

「あっ、一花ちゃん!」

 アラームを止めていると、その音に気づいた凪くんがコロッと表情を変えて近寄ってきた。

「良かった。迷わなかった?」
「大丈夫。地図で何度も確認したから。枕見てたの?」
「うん。今使ってるやつが全然合わなくてさ。もう3週間以上経つのに、一向になじまないんだよ」
「3週間も⁉ 早く変えなよ!」

 違和感を放置する彼を心配するあまり、大声を上げた。

 しまった、周りに誰もいないからって。約束してたのに……。

「ごめん……」
「ううん。こっちこそ心配かけてごめんね。そろそろ行こうか」
「っま、待って」

 歩き出そうとした彼を小さな声で呼び止めた。

「あの、大変厚かましいお願いなのですが……実は今日、身内も一緒に来ていまして」

 身内というのは、送迎を頼んだ伯母のこと。夕食の買い物ついでにお店を見て回るらしい。

 正直、一緒に来ると知った時は、少し戸惑った。

 だが、彼女は口が堅いので、仮に私達を見かけたとしても、軽々しく口外はしないだろう。

 そう安心して、出かける準備を進めていたら……。

「身内? 送ってくれた伯母さん?」
「はい。あと……父と従兄も一緒で」

 運悪く、父と智に見つかってしまい、観光がてら着いてくることになったのだ。

「ありゃりゃ。まぁ、他に行くところないしね。俺と回ることは話してるの?」
「いえ全く。凪くんのことは、みんなには内緒にしてるので……」

 祖父には少し話したものの、今も会っていることは伝えていない。

 なので全員、私が毎日出かけているのは、絵日記のネタを探しに行ってるんだなと思われている。もちろん今日も。

 そんな中で、男の子と一緒にいるところを見られてしまったら。

 あの2人の性格上、智は茶化し、父は半ギレで詮索してくるに決まってる。

「できれば、少し距離を空けて歩いてもらえると助かります……」

 口から出る内容があまりにも自分勝手すぎて、申し訳なさで声がしぼんでいく。

 分かってる。失礼で極まりないのも分かってる。

 宿題手伝ってもらう身分で失礼すぎだろ、何様だよって。ただでさえ大きな声出せないのに、それじゃ会話できないだろって。
 
 でも、これがきっかけで他所に話が広まったら……凪くんに迷惑をかけてしまうかもしれない。

「なるほど。分かった」
「いいの……?」
「うん。俺も無茶なお願い聞いてもらったし。お忍びデートと思えば楽しそうじゃない?」
「そ、そう? ありがとう」

 さすが凪くん。スリルでさえ楽しみに変えるとは。なんという強気な前向き思考。

 お忍びデート、か……。

 いやいや、あくまでも例えだから。っていうか、いちいち意識しすぎ。

 男の子と2人で出かけるのが初めてだからって、ことあるごとにドキドキしてたら心臓もたないって。

 心の広い彼に改めてお礼を言い、早速デート……ではなく、ネタ探しスタート。まずは近くの婦人服売り場を見て回る。

「そういえば、今日髪型違うね。編み込んでるの?」
「うんっ。服が地味だから、せめて髪型だけでも可愛くしようと思って」
 早速気づいてくれて、嬉しさで心と声が弾む。

 今までは後ろで1つに結んでいたけれど、今日は町に行くということで、頭部を編み込んだ耳下ツインテールに挑戦した。30分以上かけて作ったかいがあった。

「どうかな? おかしくない?」
「大丈夫。可愛くできてるよ。似合ってる」

 ど直球な褒め言葉が飛んできて、顔がボンと熱くなる。

 ……本当、慣れてるよね。っていうか、可愛いのは髪型と言われたのに。私ってば単純すぎでしょ。

「ありがとう。凪くんも似合ってるよ。それ、アロハシャツだよね?」
「うん。これ、ひいじいちゃんの服なんだ。若い頃にひいばあちゃんとのデートに着てたんだって」

 話によると、恐らく60年以上前の物なのだそう。

 だとしたら……西暦50年代から60年代。昭和だと30年代くらい? 少し年季が入ってるなとは感じたけど、半世紀以上も前の物だったなんて。

「綺麗に残っててビックリした。きっと大切にしまってたんだね」
「ありがとう。ひいじいちゃんに伝えとく」

 安堵した様子で顔をほころばせた凪くん。自分の一張羅を貸すって、ひ孫思いだなぁ。

「凪くんのところって、ひいおじいちゃん以外にも誰かいるの?」
「おばあちゃんがいるよ。2人とも顔は似てないんだけど、性格がそっくりで。この服も、体格が違うから似合わないって言ったのに、ごり押ししてきてさ。圧に負けて着てきちゃった」

 苦笑いしているけれど、なんだか嬉しそう。

「そうなんだ。お元気だね。やっぱり、普段から運動とかしてるの?」
「犬の散歩くらいじゃないかな。ひいじいちゃんは若い頃鍛えてみたいだけど」
「あ、だから体格が違うって?」
「そうそう。逆三角形で、おまけに顔も美形ですごくかっこよかったんだって。ただ、壊滅的な機械音痴だったから、見掛け倒しって言われてたみたい」

 か、壊滅的な機械音痴……一体どれくらいなんだろう? パソコンの使い方が分からないとか? デジタル社会の時代に生まれた私にはちょっと想像がつかないや。

 一通り回り、秋服もチェックしたところで、今度は水着売り場へ足を運ぶ。

 昨夜、毎日の手伝いのお礼にと、祖父母がお小遣いをくれて。海で遊ぶために水着を買うことにしたのだ。

 来週の月曜日には帰るから、その前に夏を楽しもうと思ってね!

「ねぇねぇ、ワンピースタイプとセパレートタイプ、どっちがいいかな?」
「んー、好きなほうでいいと思うよ」
「えーっ。っていうか、なんで隠れてるの?」

 赤色とオレンジ色の水着を手に持ち、試着室の陰に身を隠している凪くんに尋ねた。

「もしかして恥ずかしい?」
「……そういう一花ちゃんこそ、選んでるところ見られるの、嫌じゃないの?」

 私の質問には答えず、質問で返された。

 別に、下着じゃないからそこまで恥ずかしくはないんだけど……。

 チラッと目を動かして売り場を見渡す。
 男子目線だと、露出が高いビキニ類は下着に見えちゃうのか。

「全然。それより、どっちがいいか選んで」
「えー、言っても別のやつ選ぶんじゃない?」
「そんなの、言われてみなきゃ分からないよ。お願いっ。男子の意見が知りたいの」

 手を合わせて懇願すると、凪くんは呆れた様子で溜め息をついた。

「……オレンジ色のやつ」

 周辺が静かでなきゃ、1回で聞き取れないほどの小さな返事。セパレートかぁ……。

「ほらやっぱり。その顔だと赤いのが好きなんでしょ?」
「う、だってぇ……」

 凪くんの言った通り、本当は最初から決まっていた。けど、セパレートタイプの水着も可愛いなと思ったのも事実。

 ワンピースタイプを選んだのは、セパレートよりも体型カバーができそうだったから。

 そう伝えると、再び溜め息をつかれた。

「カバーって……全然太ってないのに?」
「それは、服で隠してるからだよ」

 入学から4ヶ月。容赦ない宿題とテストのせいでストレスが倍増し、毎日三食爆食するように。

 その結果、上半身に肉が付き、入学時は余裕だったスカートが、アジャスターを最大に緩めないと穿けなくなってしまった。

 成長期に無理なダイエットが厳禁なのは分かってるんだけど……せめて冬が来る前には、お腹の肉だけでも落としたい。

 理由は、ブレザーの色が白だから。膨張色なので、太ると余計大きく見えてしまう。

 お父さんに似て身長高めだし、ひいおじいちゃんに似て目鼻立ちもハッキリしてるし。

 このままだと、『厳ついホッキョクグマ』とか、『三段腹の雪だるま』って馬鹿にされるかもしれない。もしそうなったら、進学校の威厳がなくなっちゃう。

「お客様、良かったらご試着してみますか?」
「あっ、いいんですか?」

 制服姿のお姉さんに声をかけられた瞬間、凪くんは踵を返して奥のタオル売り場へ。

 あっ、逃げたな⁉ もうっ、まだ意見全部聞いてないのにぃ。

 早足で去っていく後ろ姿を睨みつけて、試着室に入ったのだった。



「お待たせしました」

 会計を済ませ、凪くんがいるタオル売り場に向かった。

「おっ、買えたみたいだね。で、結局どっちにしたの?」
「……ワンピース」

 先ほどの彼と同じくらいの声量で返事をすると、やっぱりかと言わんばかりにふふっと笑われた。

「笑わないでよ……っ。凪くんは男の子で細いから分からないだろうけど、こっちは真剣なんだから……っ」

 大声で言い放ちたい気持ちを抑え、震える声で言い返した。

 楓に指摘されて、智には馬鹿にされて。クラスメイト数人にも、『少しふっくらした?』と突っ込まれた。

 1人ならまだしも、複数人が口を揃えて言ったんだ。相当変わったんだと思う。

「ごめんっ。そんなに悩んでたなんて知らなかった」

 普段と違う雰囲気に焦ったのか、慌てて謝ってきた。

「家と学校で、何度も似たようなこと聞かされてたから、今回もそうなのかなって……。本当にごめん!」

 今度は腰を直角に曲げて頭を下げてきた。

 ……私、何やってるんだろう。毎日時間を作って会ってくれる人に、お店の中で謝らせて。しかも悲しい顔にまでさせて。

 悪いのは笑った凪くんだけど、元は私が執拗に意見を求めたせいじゃないか。

「……私こそ、しつこく聞いてごめんなさい。家族って、お姉さん? 妹さん?」
「姉ちゃん。一花ちゃんと同じで、体型を気にしててさ」

 初めて聞いた、彼の家庭事情。3人姉弟の末っ子で、お姉さんの愚痴を1個上のお兄さんと一緒に聞いていたらしい。

「可愛い服を見つけても、毎回『体型カバーできないから私には無理』って言ってて。着たいのに我慢して、それで人生楽しいのかなって思ってた」
「そうだったんだ……」

 優しい凪くんにしては少し鋭い言い方だが、的を射ている。

 我慢ばかりの人生なんて、楽しくないし苦しいだけ。でも、大人になったら我慢する場面も増えるだろうから、そういう時こそ自分を大切にしないと。

 あれもこれもって、関係ないことにまで蓋をして、心の奥底に沈めちゃったら……。

「あとは、同じ部活の人かな」

 ハッと我に返り、巡らせていた思考を止めた。

「へぇ、部活してたんだ。何部?」
「水泳部と美術部。姉ちゃんよりも、こっちのほうが酷かったかも。耳にたこができるくらい毎週聞いてたから」

 かけ持ちしていることをサラッと言ってのけた凪くん。

 そういえば、将来の夢も、水と絵に関する仕事って言ってたっけ。

「なんて俺も、昔は体型気にしてたんだけどね」
「太ってたの?」
「ううん、逆。今より痩せててさ。同級生からずっとからわれて、それが嫌で水泳始めたんだよ」

 再びサラリと言ってのけた。

 顔に加え、体型コンプレックス持ち。タイプは違えど、私と同じだ。

 ちょっと待って。だとしたら私、さっき感情に任せてとんでもなく酷いことを……。

「ごめんなさいっ。私、全然知らなくて……」
「いや、別に謝ってほしいわけじゃなくて。俺が言いたかったのは、周りの目や野次を気にしすぎないでってこと」

 優しく諭す声が聞こえてゆっくり顔を上げる。

「それで自分のしたいことを諦めるの、すごくもったいないよ。話戻るけど、人に迷惑をかけない程度なら、好きな服を着ていいと思う。あれこれ囚われすぎてたら、心の健康にも悪いよ」

 枕を見つめていた時と同じ、真剣な眼差し。

『もうやだ……っ、帰りたい』

 心の健康と聞いて、以前自分が苦しまぎれに吐いた弱音が脳内をよぎった。

 さっきの人生の話も腑に落ちたし、今だって、心に響くどころか、核心を何度も突かれて動揺している。

「あっ、ごめん。つい熱く……」
「ううん。……もしかして、過去に何かあった?」

 恐る恐る尋ねると、目を伏せて静かに頷いた。

「俺も、周りの声に囚われてた時期があって。今の一花ちゃんが、その時の自分と似てたから……」

 ……そりゃそうだ。SNSでは、投稿する度に称賛される、輝かしいインフルエンサー。

 だけど……中身は私と同じ、10代の高校生だもんね。

「マジごめん。せっかく遊びに来たのに、空気重くなっちゃった」
「ううん! 励ましてくれてありがとう」

 女の子の扱いに長けている反面、ちょっぴり不器用なところがあったり。絵のモデルをすんなり引き受けてくれたと思いきや、苦悩を抱えていたり。

 彼の人間らしい部分に触れて、ほんの少し、心の距離が縮まった気がした。





 気を取り直してネタ探し再開。2階をぐるりと回り、エスカレーターで1階へ。

 父と智がいないかを時折確認しつつ、化粧品売り場や専門店をチェックした。

「一通り回ったし、少し休憩しようか」
「そうだね。じゃあ、そこのカフェに寄ってもいい?」
「うん。いいよ」

 小腹も空いてきたので、休憩を挟むことに。イベント広場の近くにあるカフェに入った。

「凪くんは何も頼まなくていいの?」
「うん。そこまでお腹空いてないから」

 チーズケーキとココアを注文した私に対して、凪くんは何も買わず。

 冷房が効いてるとはいえども、今は真夏。室内でも熱中症になるって話、よく聞くし。何も飲まなくて平気なのかな……。

 チーズケーキとココアを受け取って奥に進み、2人がけの席に座った。

「いただきます」

 手を合わせて小さな声で挨拶し、チーズケーキを口に運ぶ。

 ん〜! しっとりしてて濃密! 最近はダイエットのために控えてたけど、宿題頑張ってるし、今日くらいはいいよね!
 味わっていると、凪くんが頬杖をついてクスクス笑い始めた。

「な、何?」
「幸せそうに食べるなぁって」

 フォークをケーキに刺す手が止まり、カーッと顔の熱が急上昇する。

 私の馬鹿……! いくら空腹だからって人前でがっつきすぎだよ……!

「まじまじと見ないでよ……」
「ごめんごめん。じゃあこれならいい?」
「いや、逆に食べづらいよ」

 その場で目を閉じた彼にツッコミを入れた。

 今日の今日まで、真面目で真っ直ぐな人かと思ってたけど、意外にもお茶目で可愛げのある人だったんだな。なんて言ったら、またムキになって怒ってきそうだから胸の中に秘めておくけど。

「……あ、写真撮ってなかった」

 半分食べたところで、絵日記用の写真を撮るのを忘れていたことに気づいた。

 スマホのカメラを起動し、お皿とフォーク、マグカップの位置を調整して1枚撮影。

 お店のライトがいい感じに当たって、食べかけだけどオシャレな雰囲気が出てる。秋服の次はこれを描こうかな。

「……それ、SNSに載せるの?」

 撮った写真を確認していると、凪くんが神妙な面持ちで尋ねてきた。

「しないよ。最近は宿題に集中するためにやめてるから」
「そう……」

 安堵したような反応を見せるも、表情には影が落ちたまま。

 どうしたんだろう……? さっきまで楽しそうに笑ってたのに。落差激しくない?

「どこか具合悪い?」
「あぁいや。ファンにバレそうになった時のことを思い出して」

 そうだった。凪くんは以前、このショッピングモールでファンと鉢合わせちゃったんだった。

 笑顔が消えるくらい、深刻な顔になるということは……。

「もしかして……その現場って、ここ?」
「……うん。ちょうど一花ちゃんが座ってる場所。そこで写真撮ってSNSに載せたら、女の子2人組に声をかけられたんだ」

 恐る恐る尋ねてみたら、まさかのビンゴ。
 私、バレそうになった時の状況を丸々再現してたの⁉

 彼のアカウントにアクセスし、当時の投稿写真を元に詳しく話を聞かせてもらう。

「あっ、これだよ」

 スクロールする指を止めて、彼が指差した写真をタップした。

 投稿日時は1年前の夏。写っているのは、美味しそうなフルーツサンドとコーヒー。

 一見、なんの変哲もない写真に見えるけれど……。

「このフルーツサンド、ご当地限定のメニューでさ」
「ご当地⁉ でも、お店なら沢山あるんじゃ……」
「うん。だけど、その中でも販売店舗が限られてたんだよ。それだけでもかなり範囲は絞られるのに……俺、リアルタイムで投稿して……」

 全身の皮膚がゾクッと粟立った。

 写真の下には【おやつなう】の文字。つまり、『今ここにいます』と全世界に発信しているようなもの。顔出ししてなくても、声をかけられる恐れは充分ある。

 怖くなり、急いで画面をトップページに戻した。

「位置情報は付いてなかったんだよね?」
「うん。だからケーキの情報だけで特定したんだと思う。声かけられた時はマジでビビった。心臓破裂するんじゃないかってくらいバクバクして。なんとか平然を装ったからバレずに済んだけど、もし……」
「やめて、それ以上はやめて」

 思わず彼の口を塞いでしまいたくなるほど、当事者でない私でさえ、恐怖で心臓が嫌な音を立てている。

 ここで顔写真撮られてたらって考えると……。ダメだ、これ以上の想像は無理。とにかく、凪くんが無事で本当に良かった。

「これがきっかけで、場所が一発で分かるような写真は載せなくなった。景色の写真とかも、少し日を置いて投稿したり、特徴のある建物が写らないようにして……。徐々に外の写真を減らしていったよ」

 切ない眼差しで写真を眺めている。

 言われてみれば、こうやって振り返ると、秋から冬にかけて絵の写真のほうが若干多い。これも、彼女達に勘づかれないため……だったのかな。

「一花ちゃんは8割方食べ物と絵の写真だけど、景色の写真も昔載せてたよね? 三日月のやつ。あれはそこまで問題はないとは思うけど、今後もし載せるならマジで気をつけてね」
「きっ、気をつけます……っ」

 恐怖が収まらず、震え声で返事をした。

 SNSやネットの使い方は、始める前に家族と先生に教えてもらっていた。けど、言葉の重みは圧倒的に凪くんのほうが上。

 思い出したくないはずなのに、私のために……。


 ──ピンポンパンポーン。


 すると、午後4時を知らせる館内放送が流れてきた。

「わっ、もうこんな時間か。あとはどこか見たいところある?」
「食料品売り場。長寿のお祝い用に買いたいのがあって」
「了解。まだ時間あるし、ゆっくりでいいからね」

 昨日と一昨日に引き続き、またも胸の内を読み取られてしまった。

 本音を言うと、もう少し2人でゆっくり話したい。でも、いい思い出がない場所に長時間居座らせたくない。気遣いは嬉しいけど、ごめんね。

 謝罪を含んだ眼差しで頷き、残ったケーキを丸々口の中に放り込んだ。





「本当に何も飲まなくて良かったの?」
「うん。ここに来る前に味噌汁飲んできたから」

 カフェを後にして食料品売り場へ向かう。

 何も注文しなかった凪くんがどうしても気になって聞いてみたら……味噌汁って。塩分補給にはなるけど、結構歩き回ったし、のどは渇いているはず。

「それだけで足りる? もしかして金欠なの?」
「…………」
 冗談半分で口にすると、視線を逸らしてあからさまに黙り込んだ。

「えっ……まさか図星?」
「……そうだよ。昔から、お小遣いは全部趣味につぎ込んでて。だから万年金欠」

 毎月お小遣い帳をつけて管理してるタイプかと思ってたら、万年だって⁉ 絵関連の本とか、画材を爆買いしてたとか? あれだけ沢山描くならすぐ切らしちゃいそうだし。

 凪くんの真面目で優等生なイメージが、この数時間でどんどん覆ってる。

 言い方は失礼だけど……見掛け倒しも遺伝するのかな。

 意外なギャップに驚きつつ歩くこと数分。食料品売り場に到着した。

「桃?」
「うん。せっかくなら、白寿のお祝いも一緒にしようかなって」

 青果売り場に向かい、桃を1つ手に取った。

 百寿も白寿も、数え年で祝うのが基本だけど、最近は満年齢で祝うのも増えているとのこと。

 それならどっちも重なるし、一緒にお祝いしちゃおうと思ったんだ。

 数分間吟味し、全体的に色が濃い物を選んだ。

「見つかって良かったね。他にも何か買うの?」
「うん。あとはね……」

 奥に進みながら隣を見ると、凪くんの視線が私ではなく桃に向いていた。

「凪、くん?」
「あ、ごめん。桃見てたら、犬に食べられたの思い出しちゃってさ」

 思わず足を止めて目を見開いた。

「い、犬に?」
「うん。他にも、バナナとメロンと、昨日はスイカも食べられちゃったんだよ」

 油断していたら、3つのうち2つを食い散らかされてしまったらしい。

 ジョニーも食いしん坊なほうではあるけど、人の物を盗るほどがめつくはない。相当食い意地が張ってるんだなぁ……。

「災難だったね……。しつけはされてるの?」
「多分。ひいじいちゃんとばあちゃんの言うことは聞いてるから。でも、時々くっついてくる時もあるんだよ」

 笑顔を見せているが、瞳は切なさの色が抜けていない。

 ……多分それ、ナメられてるか、単にツンデレかのどっちかだと思うよ。教えてあげたいけど、ショック受けちゃうかな。

「明日から俺1人で面倒見なきゃいけないから、ちょっと心配なんだよね」
「えっ、おばあさん達いないの?」
「うん。旅行に行くんだって」

 どうやら数日間、お盆期間を利用した旅行に行くという。

 話を聞く限り、問題児はその子だけで、他の2匹は大丈夫みたい。だとしても、1人で3匹のお世話は大変そう。

 調べたら、柴犬もスピッツと同じく中型犬。例えるなら、シロくんが3匹いるようなもの。お散歩するだけで疲れそう……。

「なら、明日会うの、難しいかな?」
「大丈夫。お留守番はできるみたいだからいつも通り会えるよ。水着買ったなら、海水浴でもする?」
「本当? やった!」

 小さな声で小さくガッツポーズ。

 2人で海水浴。水着姿を拝めるのかぁ。って、私ったら何を考えてるんだ。本人がいる前で妄想を繰り広げるんじゃないよ!

「あれ? 一花?」

 すると、後ろで今1番会いたくなかった人物の声が聞こえた。

「なんだ、お前もここにいたんだ。買い物?」
「まぁ、ね」
「ふーん。今ちょうど母さんもあっちで買い物してるから、終わったら来いよ」
「う、うんっ」

 去っていく背中を眺めながら、安堵の溜め息をつく。

「もう大丈夫だよ」

 呼びかけると、積み上げられたトイレットペーパーの陰から凪くんがひょこっと顔を出した。

「バレなかった?」
「ギリギリセーフ」

 危なかった。あのまま先に進んでたら確実に見つかってた。ありがとう、フルーツ大好きながめついワンちゃん。

「良かった。人も多くなってきたし、この辺で解散する? 伯母さんが買い物してるなら、もうすぐ帰る時間だろうし」
「うん、そうする」

 名残惜しいが、智がここにいるのなら、父も来ている可能性は充分ある。これ以上行動を共にするのは危ない。

 提案を呑み、予定より少し早めに解散した。
「よっこらせっと」

 買い物を済ませて帰宅し、別室に荷物を置いた。

 一時はどうなるかと心配してたけど、無事に終わって良かった。

 買った水着を取り出して体に当ててみる。

 セパレートも可愛かったけど、こっちを選んで正解だったかも。露出が少ないから日焼けしにくそうだし。明日はこの上にパーカーを羽織っていこうかな。


 ──ガチャッ。


「あ、いたいた」

 鼻歌を歌いながらしまっていると、いきなり部屋のドアが開き、肩をビクッと揺らした。

 ノックもなしに入ってくる人物は、この家の中でたった1人しかいない。

「ビックリした……何?」
「ちょっと話があって」

 慌てて立ち上がり、智に体を向ける。
 いつものおちゃらけた顔ではなく、口を閉じた神妙な面持ち。何か相談事があるのだろうか。

「お前さ……何か俺に隠してるだろ」

 私を見据えていた瞳が疑い深い色に変わった。

「えっ……? なんのこと?」

 動揺しているのを悟られないよう、とぼけたふりをして聞き返す。

「なんのことって……お前、食料品売り場で会った時、挙動不審だったじゃねーか」

 途端に顔全体が硬直し、心臓の音が嫌なリズムを刻み始めた。

 焦りが顔に表れたのか、智の表情がより険しい色に。

「車に乗ってる時も、着いて中に入る時も、なーんかそわそわしてたし? 俺が行くって言った時も、あからさまに嫌な顔してたもんな」
「そ、そうだったっけ?」

 ジリジリと私のほうに足を進める智。一歩一歩近づくにつれて、こっちも一歩一歩後ずさりする。

 やばい、完全に怪しまれてる。
 どう切り抜けようか、そう考えているうちに窓にぶつかり、逃げ場がなくなってしまった。

「さてはお前……」

 ごくりとつばを飲み込む。あああもう終わりだぁぁ。

「……俺に隠れて、美味いもんでも食おうとしてたな?」

 …………え?

「慌てて隠してたけど、俺はこの目でちゃんと見たぞ。お前がめちゃくちゃ美味そうな桃を持っていたところを!」

 ビシッと自信満々に指を差した智。

 なんだ、そっちか……。

 凪くんのことではなかったと分かると、全身に入っていた力がどっと抜けて、その場にへなへなと座り込んだ。

「もう、ビックリさせないでよ。一体何事かと思ったじゃない。普通に聞いてよ」
「だって、こうでもしないと絶対口割らねーと思ったから。丸々1個食うの?」
「なわけないでしょ。あれはひいおばあちゃんにあげるの」
「ひいばあちゃん? 頼まれたの?」
「いや、実は……」

 腰を上げて最初から説明した。

「白寿と百寿かぁ。でも、お祝いはもうしたって言ってなかったっけ」
「うん。でも、せっかく来たんだから、やっぱり何かしたいなって」

 百寿祝いは来年でもできるけど、白寿祝いは今年しかできない。

 来年も必ず帰省するとは限らないし、ひいおばあちゃんも必ず元気でいるとは言い切れない。もし入院しちゃったら、それこそ直接祝えないから。

「なるほど。贈るのは桃だけ?」
「ううん。もう1つある」

 外に声が漏れないよう、身を寄せて話し合う。

「分かった。じゃあ準備始める時間になったら目配せで合図な。見張りは任せとけ!」
「ありがとう」

 詳細を伝えると、協力してもらえることに。
 いたずら好きでお調子者な彼が、この時ばかりはほんの少しだけ頼もしく見えた。

 よし、作戦開始だ!





「アハハハハ! こいつ白目剥きすぎだろ〜!」

 夕食が終わり、一段落ついた午後6時50分。
 テレビに映る犬の寝顔を見て、父が盛大に笑い出した。

「ギャハハ! 口半開き!」

 ゲラゲラ笑う声が耳に響いてキンキンする。

 うるさいなぁ。そんなに面白いかよ。
 と言ってやりたいのだけど、現在父は飲酒中なため、酔っぱらって笑いのツボが浅くなっているのだ。

「ジョニーもこんな風になったりすんの?」
「いやぁ、よだれ垂らしてる時はあるけど、ここまで酷くはないなぁ」
「そうかそうかぁ~。お前はいつも可愛いのかぁ~」

 ジョニーの頭をワシャワシャと撫でる父。そんな父を、祖父はお酒片手に微笑ましい顔で見ている。

 なぜこうも親子で違うのだろうか……。

「ありゃ、もうなくなったのか。母さーん! まだあるー⁉」
「おい、まだ飲むのか。もうやめときな」
「いいじゃねーかぁ、ちょっとくらい。こういう時しか堪能できねーんだからよぉ」

 止める祖父を振り払い、「おーい、母さーん!」と、グラスを持ったまま祖母を呼び続ける。

 うるせぇなぁ! この呑んだくれが! そんなに飲みたいなら自分で持ってこいよ! ……って言ってやりたいぃぃ。でも絶対喧嘩になるから言えないぃぃ。くそぉぉ。

「叔父さん! 俺呼んできますよ!」
「お! いいのか⁉ ありがと〜」

 不快感丸出しで口を引きつらせていたら、智が手を上げて立ち上がった。

 ……あぁ、そういうことね。

 目配せしてきた彼に続き、自分も腰を上げて祖母と伯母がいる台所へ。

「ねぇ、叔父さんがお酒欲しいって」
「お酒? どれ」
「茶色い瓶のやつ」
「あー、焼酎ね。冷蔵庫にあるから」