だから、戦争のような同類同士で殺し合う話を聞く度に、自然が減っていることを知る度に人間が醜く、恐ろしい生き物だと思うようになりました。

他の生き物よりもはるかに高い頭脳を持ちながら欲に抗えず、周りは後回し。
いくら話を聞いてもそういった黒い部分が見えていた気がします。

人も動物です。
同種を守るため、生きるために他種を犠牲にするのは自然の摂理だと思います。
ただ、私は自然そのものを他種ではなく仲間としていました。
共に生きるべき仲間。
それを大量に犠牲にされるのは耐え難い苦しみです。

そして、同種を守るために他種を犠牲にしたというのに何故同種間で敵をつくり、争い、殺し合うのか。

どんな生物の命も気まぐれで奪われていいものではないです。
確かに私達と同じように生きている。
種によっては意思も持っている。
そんな私達と同じ犠牲にされたものの命は何だったのか。

小学三年生頃に両親に怒られたとき、母が言った言葉を今でも覚えています。

私は人の感情を強く受け取りやすく、怒りの前では声が出なくなります。
話すことすらままならない状態になるものですから、謝るという行為がすごく高いハードルのように感じていました。
謝れない私は両親の言葉を聞きながらどうにか声を出さなくては、と必死でした。
結局、毎回次の日になって両親の怒りが収まった頃に謝る。
そんな私は母から「黙ってれば終わると思ってるな」と叱られる中、二回ほど私の心に染みついた言葉をかけられました。
「謝るっていう人間にとって当たり前のことができないのなら、あんたは人間じゃないのかもね」
こう言われるとき、笑うでもなく怒った顔のままの母に心の中で反論していました。
「私が人間じゃなかったら泣きながら喜ぶよ」と。

今でもそう思っています。
泣きながら喜びますし、踊り狂うかもしれません。
それぐらい人間として生まれたことに、選んだわけでもないというのに恥や後悔を感じています。

他の生物より知能があっても欲に打ち勝てないのは同じ。
他種の命を奪って生きているというのに、その命をもらったという責任を感じず人間同士で欲のまま殺し合う。

だけど、どれだけ醜くて人間に生まれたこと自体を悔やもうと、私は人間を憎みきることはできなかったのです。

本能。
色々な意味として使われる言葉だそうですが、ここでは生まれ持っていたり成長過程で手に入れる、ある行動をしたいという欲求のようなものだとします。

他の生物と同じということは進化しても動物としての本能をしっかり持っているということ。

それは私が自然を好きだと思う理由の一つでもありました。
伸び伸びとしていて無意識と言えど生きようと体が動く、成長していく様子が美しいのです。