そう信じて自然を愛しながら生き、生まれて十年目。
初めて人間を嫌いました。

学校でSDGsについて調べる授業がありました。

それまでSDGsの存在、私たちにとっての意味を知らずにいた私は多少感心していたのです。
大好きな自然が壊されている現状を知っていたから改善しようと努力する姿勢にただの子どもが失礼ながらも「人間しか見ていないわけじゃないんだな」と思っていました。

けれど、その感心は調べる回数・時間に比例して少しずつ消えていきます。

一部の人間が変わろうと、守ろうと努力をしていることはよくわかります。
しかし、一部だけなんです。
何億といる人間の一部が頑張っても真正面から少数が多数に勝てる可能性は少ない。

環境問題は進む。
何もしていない人が頑張っている人の努力を無駄にしているといっても過言ではないほど空気・水は汚れ、木々は減り、食物連鎖は崩壊し始め、食べ物を求めて人の住む場所に近づけば怖がられ、疎まれて結局動物たちは死んでいく。

歴史を教えてくれた家族は「こうなる未来を予想できていたのに対策はしなかった」と言っていました。
教えてくれた家族の言葉がすべてではないです。
間違いだってどこかにあるかもしれない。
国の代表者の方々が国民に公表されていない場所で何が話されていたのかなんて私達には知る由もない。

例え、知らぬところで対策を立てていたとしても今現在、自然は壊されている。

私の中で自然が壊されることは他の人が好きな人、大切な人が辛い思いにあっている現状を何もできずに見ているのと同じ感覚なんです。
大好きな自然(ヒト)が少しずつ、じわじわと死に追い詰められているのを黙って見ている感覚。

自然に関する事だけでなく、人の間に起きていることあまりいい気はしていません。
国同士の難しい関係を知らない私だから言えることではありますが、戦争なんてせずにそれぞれの領土で生活をしながらお互いに過干渉せず、適度な距離感を保ちながら支え合っていくことはできないのだろうかとも思います。

人と人との関わり合いでも相手のものを奪うのはいけないことだと幼い頃に一度は言われることです。
自国の領土は自国のもの。
他国の領土は他国のもの。
自分のものも他人のものも全部独り占めをする強欲な人なんてアニメぐらいにしかいないでしょう。
例えいたとしても満場一致で認められることはないです。

争いの火種は資源にあると教わりました。
多くあろうとも争ってまで得たものもいつかは尽きる時がきます。
それを、同じ地球という星で生きる同種を殺してまで独り占めする必要性があるのでしょうか。

人と人との関わり合いのように国と国も……。
争いは欲の元で起きることが大抵だろうと思います。
争ってばかりいる強欲な人間には難しい話ですが、そうなればいいなと常々思っていました。