私は幼い頃からずっと自然が大好きでした。
雨、風、雪、雷、雲、空、海、木々、花々、動物。
温かく、優しく、時に牙を向けてくる。
そんな自然が丸ごと全部大好きだったんです。

そっとそばにいてくれる。
願えば風が慰めてくれたし、雨は安らぎの音をくれました。
嫌なことがあっても自然はいつでも見方だった。

私は周りにいる同年代の子より少々頭の悪い子どもでした。
約束事は守らず、部屋で遊ぶ時間だというのに外に出て保育園で飼っていた亀に餌をやったり、蟻の行列を観察したり、雲の流れる様子を永遠と見ていたり。

部屋の中で紙に何かをかく。
発表会や運動会のダンスの練習をする。
そういったことをやらなかったせいで同じ場所で生活していた幼馴染のように物事をこなす力がありませんでした。
綺麗に字は書けません。
発表会や運動会といった行事は先生方に叱られ、渋々やっていたおかげで恥をかくようなことはありませんでしたが、それでも周りよりは楽器の演奏もダンスも劣っていました。

小学校に上がってからは知らない子の中に放り込まれた恐怖で暫く疲弊し気がついた時には部屋を抜け出す、勝手に外に出るなんて行為はしなくなりました。

それでも自然が好きなのには変わりありません。

お昼休みになれば外に出てジャングルジムに登ってぼんやり空を見てばかり。
校庭には桜の木や未だに何という木なのか知らない、とにかく大きな木がありました。

大木の周りにはウッドデッキが作られていてそこから校庭、地域を見渡して心の中で大木に話しかけていたんです。
いつか応えてくれることを願ってほぼ毎日、ファンタジーな妄想を膨らませて。

それと同時に幼い時から抱いていた不思議な感覚にも答えを見つけ始めました。

自然の素晴らしさ、尊さ、偉大さを認識した日から人間である私はどうして彼らのようにはなれないのだと思います。

大好きな自然になりたかった。
鳥になって空を飛びたいとはよく聞きます。
でも、私は鳥よりもどこまでも続く空になりたかった。
生き物を育む海になりたかった。
世界を旅する風になりたかった。
踏まれても力強く育つ花になりたかった。
何メートルも下にある地面の中で根を伸ばし、折れそうになっても必死に耐える木になりたかった。
木や花の成長を手助けする雨になりたかった。

馬鹿で叶うはずのない夢でも、彼らと同じところにいたかった。

これだけで充分変な子どもだったのだとわかるでしょう。

ただ、そう思いながらもヒトという生き物も自然の一部であるのだと信じています。
私も彼らの一部だと。