「槭、歩くの遅くなった?」
後ろについてきていると思っていた陽には私の歩くスピードが遅いと捉えられたんだ。
別に言われて傷つく言葉ではないので「ごめんなさい」と謝っておいた。
謝罪だけはスラスラと出てくるのだから気味が悪い。
陽は隣に並び、私の歩幅に合わせて歩いてくれた。
「保育園の時はもっと素早く歩くタイプだったじゃん。前を行かなきゃ気が済まない、みたいな」
「うん……そんな感じ、だった」
保育園児の私は今よりも明るくて兄妹には及ばずとも騒がしい子どもだったと思う。
小学四年生くらいの時に父親に言われた「人を寄せ付けないオーラが出ている」という点に関しても、あの頃は雰囲気をコントロールする術など知らない。
それと新しい遊びをしても集中力のあるおかげですぐに上達してしまったから普通にしているだけで教えてほしいと人は寄ってきた。
室内でおままごとやダンスをしたり、おいかっけこをして壁に頭をぶつけて救急搬送されたのも今となっては両親の笑い話になっている。
木登りが好きだった時期があり、外遊びの時間は木に登って空を眺めるだけの静かな日もある。
園内にある百日紅の木に登って枝分かれしている部分に体が挟まった時は一生このままかとヒヤヒヤしたな。
向かいにある公園に遊びに行くと遊具は他の子でいっぱいになるからと言って蟻やそこら辺のおばあちゃんたちが餌付けをしている野良猫を観察した。
たまに見かけるヤモリやトカゲはすぐに逃げてしまう。
息を潜めてじっとしていると逆に寄ってきてくれて喜んだものだ。
虫が見られなくなる冬は野良猫も動かない子が多いので秋に落ちた綺麗などんぐりやイチョウ、紅葉を見つけて持って帰ってはお母さんに怒られていた記憶もある。
もう八年経っているというのに、長い月日が嘘なんじゃないかと疑うほど綺麗な映像としてはっきりと思い出せる。
退屈なんてしなかった。
ただただ幸せな六年間。
考えてみればあの時から一人でいる時間と誰かといる時間は五対五くらいの割合だった。
昔から今の私はいたのかもしれない。
だが、六年間のうちの半分の誰かといる時間までも幸せだったと思えているのは隣にいてくれた人あってのこと。
それが目の前にいる陽のような幼馴染達。
「懐かしいなぁ」
嬉しそうに、あの日々を思い出すように目を細める陽につられて私の記憶の中の幼い陽が顔を出す。
「ハム太郎ってあだ名、ついてた」
「やめろよ、それ。陽の方が断然いいわ」
陽太に郎をつけると陽太郎になり、ハム太郎のようだと皆してからかっていた。
彼はそれが嫌だったみたいで呼び名は無難な陽になったけれど、私にとっては思い出の一つだ。
「槭は呼ぶなよ?」
「呼ばない。陽は陽太だから。陽太郎でもハム太郎でもない」
「……安心した。そっちの学校の皆はどう?」
陽の言う"皆"は保育園からの幼馴染の皆なんだろう。
指し示す相手も何を求められているのかもわかるのに、私は上手く答えられない。
後ろについてきていると思っていた陽には私の歩くスピードが遅いと捉えられたんだ。
別に言われて傷つく言葉ではないので「ごめんなさい」と謝っておいた。
謝罪だけはスラスラと出てくるのだから気味が悪い。
陽は隣に並び、私の歩幅に合わせて歩いてくれた。
「保育園の時はもっと素早く歩くタイプだったじゃん。前を行かなきゃ気が済まない、みたいな」
「うん……そんな感じ、だった」
保育園児の私は今よりも明るくて兄妹には及ばずとも騒がしい子どもだったと思う。
小学四年生くらいの時に父親に言われた「人を寄せ付けないオーラが出ている」という点に関しても、あの頃は雰囲気をコントロールする術など知らない。
それと新しい遊びをしても集中力のあるおかげですぐに上達してしまったから普通にしているだけで教えてほしいと人は寄ってきた。
室内でおままごとやダンスをしたり、おいかっけこをして壁に頭をぶつけて救急搬送されたのも今となっては両親の笑い話になっている。
木登りが好きだった時期があり、外遊びの時間は木に登って空を眺めるだけの静かな日もある。
園内にある百日紅の木に登って枝分かれしている部分に体が挟まった時は一生このままかとヒヤヒヤしたな。
向かいにある公園に遊びに行くと遊具は他の子でいっぱいになるからと言って蟻やそこら辺のおばあちゃんたちが餌付けをしている野良猫を観察した。
たまに見かけるヤモリやトカゲはすぐに逃げてしまう。
息を潜めてじっとしていると逆に寄ってきてくれて喜んだものだ。
虫が見られなくなる冬は野良猫も動かない子が多いので秋に落ちた綺麗などんぐりやイチョウ、紅葉を見つけて持って帰ってはお母さんに怒られていた記憶もある。
もう八年経っているというのに、長い月日が嘘なんじゃないかと疑うほど綺麗な映像としてはっきりと思い出せる。
退屈なんてしなかった。
ただただ幸せな六年間。
考えてみればあの時から一人でいる時間と誰かといる時間は五対五くらいの割合だった。
昔から今の私はいたのかもしれない。
だが、六年間のうちの半分の誰かといる時間までも幸せだったと思えているのは隣にいてくれた人あってのこと。
それが目の前にいる陽のような幼馴染達。
「懐かしいなぁ」
嬉しそうに、あの日々を思い出すように目を細める陽につられて私の記憶の中の幼い陽が顔を出す。
「ハム太郎ってあだ名、ついてた」
「やめろよ、それ。陽の方が断然いいわ」
陽太に郎をつけると陽太郎になり、ハム太郎のようだと皆してからかっていた。
彼はそれが嫌だったみたいで呼び名は無難な陽になったけれど、私にとっては思い出の一つだ。
「槭は呼ぶなよ?」
「呼ばない。陽は陽太だから。陽太郎でもハム太郎でもない」
「……安心した。そっちの学校の皆はどう?」
陽の言う"皆"は保育園からの幼馴染の皆なんだろう。
指し示す相手も何を求められているのかもわかるのに、私は上手く答えられない。