はじけろ!コーラ星人 ~残念宇宙人が地球にやってきた~

 明日は日本国でいうところの【大晦日】という日らしい。
 108の煩悩とやらを消し去り、綺麗な心で新しい年を迎えるというものなのだとか。

 私、ボスは最近のトラブル続きに頭を悩ませているのだが、この【大晦日】を上手く利用して団結を計りたいと考えている。
 そこで、夕食会で提案を行ってみた。

「明日の日本は大晦日といって、1年最後の年になるのだそうだ。そこで我々もパーティのようなものを行って節目としたいと思うのだが、どうだろうか」

「オヤジ、それいいな!私は酒が飲めれば大歓迎だぜ」

 早速、サクラが食いついてきた。
 うん、私は特に君の煩悩を全て消し去りたいのだよ。今年一番のトラブルメーカーだったよね?

「ボス氏、俺に提案があります」

 さっと手を上げて名乗り出たのはイチロー君だ。
 若干不安ではあるが、とりあえず聞いてみるとしようか。

「日本流の鍋パーティを行うのはどうでしょうか。皆で同じ鍋を囲みながら今年の反省や来年の抱負を語り合うんです」

 なんと!イチロー君が珍しくまともな事を言っている……。
 しかも、まさに私が求めているものではないか。

「それはいいアイディアだね。イチロー君に全ての仕切りを任せてもいいのかな?」

「もちろんです。俺に任せてください!皆に美味しい鍋をご馳走するので楽しみにしていてください」

 そう言って、楽しそうに食堂を去っていくイチロー君。珍しく頼もしいじゃないか!
 明日は良い夕食になりそうだ。

 ――

 翌日、食堂に入るとイチロー君が準備をしていた。
 鍋は2つ置かれていて、その脇に肉や野菜などの具材が置かれている。

 席は鍋Aがサクラ、ハカセ、ナカマツ、鍋Bはカトー、エディ、そして私と分かれて用意されている。大食いのサクラに少食のハカセとナカマツを組ませるあたり、なかなか考えている。
 イチロー君は間に座って、両方の鍋を監視するつもりなのだそう。
 
 仲間が次々と食堂にやってきて、ようやく全員揃った頃にイチロー君が挨拶を始めた。

「え~皆さん。今日は俺が鍋奉行を勤めます。美味しい鍋をご馳走しますので楽しんでいってください!」

 拍手がイチロー君を包み込む。
 嬉しそうな笑顔を浮かべながら、さらに挨拶は続く。

「今年1年お疲れ様でした!来年もいい年になれるよう頑張りましょう。カンパーイ!」

『カンパーイ!』

「よし、じゃあそろそろ食べようぜ~」
 
 そう言って、サクラ君が鍋の蓋に手をかけた……。

「サクラ!ちょっと待て!」

 食堂は沈黙に包まれた。
 あの温和なイチロー君がサクラ君を大声で怒鳴りつけたからだ。
 普段だとありえない光景に理解が全く追いつかない。

「え?」

 固まるサクラ君。
 彼女は普段から乱暴な言葉づかいなのだが、自分が言われる事には慣れていないようだ。

「鍋の穴から湯気が出るまでは蓋は取ったらダメだ!今じっくりと出汁をとっているところなんだよ!」

 イチロー君の勢いに圧倒され、何も言えずに鍋の穴を注目する私達。
 楽しいはずの鍋パーティーはまさかの展開で始まってしまった。

「よし、もう大丈夫だ。蓋を取って、出汁用昆布を回収だ!」

「え?これは食べないの?というか、出汁って何よ?」

 サクラ君が立て続けに質問をする。
 うん、私も全く分からないな。

「食べようと思えば食べることはできるけど、このまま煮ると『えぐ味』が出てしまうんだ。だから沸騰したら回収する。出汁ってのは旨味の元となるアミノ酸で、この昆布からはグルタミン酸がよくとれるんだ。他にも肉類からはイノシン酸、しいたけからはグアニル酸、貝類からはコハク酸などがとれる。これらは単体でも美味しいんだけど、複数合わさると相乗効果で旨味が強くなるんだよ。つまり……鍋はアミノ酸の宝石箱なのさ!」

 得意げに解説をするイチロー君だが、皆お腹が減っているのでどうでもいいという感じで聞き流していた。
 唯一ハカセだけが喜んでメモを取っていた。さすが科学マニアだ。

「つまり、この鍋は単なるごった煮ではなく、最高の美味しさになるように計算されているということかしら?」

「さすがハカセ。そういうことだ。今日は鍋奉行の俺が完璧に仕切って、最高の鍋を作るんだ!」

「あのさ~、その鍋奉行って一体なんなのよ?早く食べたいんだけど……」

「最高の鍋を作るために、具材を入れる順番から食べる順番まで指示する役割のことさ。他にも灰汁を掬う【灰汁代官】というのもあるぞ」

 あ、これ何か言われるやつだな……。
 
「ぎゃはは、【灰汁代官】!ボスがやるしかないだろ~悪人顔なんだし!」

 ほら、やっぱり言いやがった!
 くそう、みんな大爆笑しやがって。

「サクラ!外見いじりはダメだとあれほど言ってるでしょ」

「オヤジ!固いこというなよ~。今日は大晦日なんだからさ、無礼講なんだろ?」

「そんなことより、鍋に具材を入れていくよ。最初は出汁が出るものから入れるのが基本だ。鶏の骨付き肉、しいたけ、ホタテ、長ネギは緑の部分から入れるぞ……」

 私とサクラ君のやりとりを【そんなこと】扱いしつつ、テキパキと具材を鍋に投入していくイチロー君。
 もう一方の鍋はカトー君が入れていたのだが……。
 
「カトー!豆腐はまだ早い!しらたきも出汁が出るまでの辛抱だ!」
 
 早速注意されて、大人しくなっている。
 そう言えばイチロー君は名前を呼ぶときに【氏】を付けるクセがあるのだが、さっきから呼び捨てになっているな……。
 これはもしかして……鍋を前にすると人格が変わるヤツなのか!?
 だとすると、私はとんでもない過ちを犯してしまったのではないか?

 こうして大晦日の夜は更けてゆく……。
「ナカマツ!豆腐を掬うときは崩れないようにおたまを使うんだ。ハカセ、この肉は煮えてるよ。サクラ、少しは野菜を食べろよ!ほれ」

 イチローは鍋の前で迷奉行ぶりを発揮している。
 うぜえ、こいつ……私の取皿に白菜を入れてきやがった!
 私は肉だけ食べたいんだよ!

「サクラ、どうしたの?今日はいつもより食べるペースが遅いように思うんだけど?」

「ああ、ちょっと考え事をしていたな……よし食べよう」

 さっき放り込まれた野菜を避けつつ、肉を食べる。
 くそう、悔しいが美味いな……。
 イチローが煩くなければ最高なのに……。

 ん?そうか……良い事を思いついたぞ。

「イチロー、鍋奉行お疲れさん。感謝の印に飲み物を持ってきたから飲んでくれ」
 
「サクラ、ありがとう。じゃあ、一段落したらいただこうかな」

 持ってきた飲み物をイチローの横に置く。
 よし、これで時間の問題だな。
 さて、肉を食べまくろう。

 ――

「イチロー、この鍋美味しいね。あ、ちょっと喉が乾いたのでジュース一口ちょうだい」

 そう言って、ハカセがイチローの隣にあるジュースを飲む。
 ……それは私が持ってきたやつではないか!

「いちろ~……わたし……なんだかふわふわしてきた……」

 ハカセが真っ赤な顔をしている……。
 そりゃそうだよ、それは酒だからな。

 イチロー最大の弱点は極端に酒に弱いことなのだ。
 ジュースに見せかけて酒を飲ませ、酔ったところで医務室に運べば……好きに食べられる!という作戦だったのだが。
 まさか隣に座っていたハカセが飲んでしまうとは……これは痛い誤算!

「ちょっと、それはまさか酒では?」

 ハカセの様子を見て、ナカマツが気付いた。
 さすが医師……これはマズイ展開だ。

「完全に酔ってますね……医務室に運びましょう」

「い~や~だ!わたしは……いちろーとずっといっしょにいるの~」

 ナカマツがハカセを医務室に運ぼうとするのだが……全力で拒否してイチローに力強く抱きついてしまい、連れて行くことができないようだ。
 しかし、結果的にイチローの動きを封じることができている。

「困りましたね……まあ、顔色は悪くないし、不老不死だから健康への影響も無いでしょう。しばらくこのまま様子を見ましょうか……」

「わたし……よってなんかいないも~ん」

 酔ってるよ、完全に。
 酔ってるやつはみんなそう言うんだよ。

「ところで、サクラ……俺に酒を飲ませようとしただろ?」

 イチローがこっちを見て睨んでいる。
 うん、さすがにバレるよな……。

「ごめ~ん、間違えてお酒入れちゃったみたい」

 こういうときは適当に謝って、適当に誤魔化すに限る。

「さくらあ~いちろ~をいじめちゃだめだよ~」

 ハカセはイチローにしがみつきながら、私を睨んでいる。
 そうか、この子は酔うとこうなるのか……。いつもの落ち着いた感じと違ってかわいい感じじゃないか。
 酒はその人の本性が出るなんて言うけども、ハカセの本質はかわいい性格なのかもしれない。

「どうせ、野菜を食べたくないとかそんな理由なんだろうけど、運が悪かったようだな」

「なによ、イチローだって普段は野菜なんて食べないじゃない。偏食なら私と同レベルでしょ」

「そこまで言うのなら、試しに食べてみたらいいじゃないか。まさか……サクラさんともあろうお方が怖いとか?」

「わかったわよ、じゃあ食べてやろうじゃないの。もし美味しければ私が謝るわよ」

 しまった……うっかりイチローの挑発に乗ってしまった……。
 まさか野菜を食べることになるとは思わなかったが、どうせ不味いだろうからすぐに吐き出せばいいだろう。

 覚悟を決めて、ねぎと白菜を箸に取る。
 口に放り込んだ瞬間、濃厚な出汁の旨味が溢れてくる……。

 なんだこれは……野菜の苦味は全く感じられなかった。
 それどころか、肉や魚介類の味も十分に浸透していて……美味いな、これは。

「……」

「サクラ、黙っているけど、美味しいだろ?」

「……うん、美味しい」

「他に言うことは?」

「参りました。すみませんでした」

「マジか……サクラが負けを認めるなんて……」

 カトーの野郎、余計なことを……。
 しかし、よく考えてみたら最近はよく謝っている気がする。
 迂闊な行動が原因なのだろうか……あとで反省するとしよう。

「ハカセ、お酒を飲ませちゃってごめんね……」

 ハカセの小さい頭を撫でていると、寝息を立てていることに気付く。
 イチローの膝の上で幸せそうに……。

「悔しいが、これは本当に美味いんだ……。イチロー、余っている食材をどんどん入れてくれ!」

「もちろんだよ。そう思って大量に用意しているからどんどん食べてくれ」

「ところで、この鍋はまだ何か入るの?」

「最後にうどんを入れる予定だよ。日本の風習では大晦日には細い蕎麦を食べるらしいんだけど、鍋の最後はうどんの方が合うんだ。鍋の旨味をすべて吸収して最高の締めになるからさ」

「なぜ細い蕎麦なの?」

「『細く長く』という言葉があって、物事を地道に持続することを意味するらしい。その言葉にちなんでいるみたい」

「なるほどね。じゃあ、私達の場合は『太く長く』ということになるかしら」

 地球人の考え方はとても不思議だと思う。
 なぜ細くする必要があるのだろう。私なら断然太い方がいいと思うんだけど。

 とはいえ、私達の星は戦争が絶えなかったし、科学力では地球より勝っていたかもしれないが、文化的には劣っていると思えるところがいくつもある。
 このような食文化からも学ぶことが多い。

 私は目先のことばかり考えてしまうから、色々と失敗してしまうのだろう。
 細く長く、地道に考えることは今の私に必要なことなのかもしれない。

「それにしても、サクラ君はよく食べますね……その細い体のどこに入るのでしょう?」

 ナカマツが心配そうにこちらを見ている。

「それは昔からよく言われてきたけど、自分でもよく分からないわね。私にしてみれば、どうして皆は少食なのか疑問だしね」

「私はサクラ君の強さは、その食欲にあるのではと考えているんです。その強さを維持するためには莫大なカロリーが必要なわけですが、逆の見方をすれば莫大なカロリーを生み出せるから、莫大なカロリーを使えるだけの身体能力を不老不死になったタイミングで手に入れたのかもしれません。もちろん、因果関係は確認できていないので仮説どまりですけどね」

 なるほど。その仮説は正しいかもしれない。
 不老不死になったタイミングで身体能力が向上しているのだけど、その上昇量は私だけが飛び抜けて高いように思う。
 病気になる前、格闘技のジムには通っていたけど特に強い訳ではなかったし、当時の強さでは特殊部隊所属のカトーには勝てるはずがなかったのは容易に想像ができる。
 それが何故、自分だけが飛び抜けて強くなったのか……不思議に思っていたんだけど、皆との違いは食事量なのだから可能性は高そうだ。

「では俺もサクラと同じくらい食べれば強くなれた可能性があったと?」

「そうですね。その可能性は高いと思います」

「サクラとの差、どれくらいなんだろうな……」

「試してみる?組手は何度もやったけど、大食い対決はまだだったわよね?」

「いや、さすがにサクラには勝てないだろ、多分だけどあんまりにも差が大きいと思う」

「勝つのが目的じゃないんでしょ。なら、ハンデ付けてあげるわよ。私が全員を相手にすれば丁度いい感じかしら?」

 と、提案したものの、やる気があるのはカトーとエディだけだった。
 まあ、ハカセは子供だし、ナカマツとボスは年齢的に厳しそう。イチローは……完全にビビってるな。

「なら、俺とエディで組んでサクラは俺達の倍食べるというのはどうだろう。大体4倍のハンデなので、それでよければだけど」

「ハンデはそれでいいわよ。食事の準備はイチローにお願いしてもいいかしら?地球の美味しいもので勝負しましょう」

「よし、決定だな!勝負は3日後だ。イチローが準備……というのが些か気になるところだが、まあいいだろう」
 いよいよ、大食い対決の日がやってきた。
 俺は3日間かけて美味しいものの準備を行ってきた。
 今日は勝負だけでなく、食事にも楽しんでもらいたいものだ。

「それでは改めて勝負の説明をさせてもらいます。今回は地球の保存食を集めてみました。保存食と言っても我々が普段食べていたクラッカー的なものではなく、通常の食事と比べても遜色のないものを厳選しているのでご心配なく。カトー氏とエディ氏が組んでサクラ氏と戦いますが、サクラ氏はカトー氏&エディ氏組の倍を食べる必要があります。カトー氏とエディ氏は協力が可能で最終的に2人で全てを食べきれば勝ちとします」

「保存食だと!イチローは相変わらず予想外のことをしてくるな……だが条件はサクラも同じだからな、負ける訳にはいかないな」

「何が出てこようが問題ないな。サクラ、今のうちに神様にでも祈っておいたらどうだ」

「2人とも言うわね。私の本気を見せてあげるわよ!」

 気合の入った3人を横目に見ながら食事を運ぶ。
 最初はレトルトごはん+レトルト牛丼だ。カトー氏とエディ氏には2人前ずつ、サクラ氏には8人前を用意した。
 さすがにこれはすぐ食べ終わるだろうと予想し、既に次のメニューも準備を開始している。

「では……勝負開始!」

 ボスの掛け声で勝負は開始された。
 カトー氏とエディ氏は凄まじいスピードでごはんを口に運んでいる。これは早い!

 だが、サクラ氏は次元が違っていた。
 サクラ氏のどんぶりは中身が吸い込まれているかのように、あっという間に消えていった。
 これは……まさか……丸呑みでは?

「バ、バカな……なんだあのスピードは……悪い夢でも見ているのか……」

 エディ氏がサクラ氏の迫力に圧されている。
 カトー氏はサクラ氏の方を見ずに黙々と自分の丼と戦っている。

「牛丼なんて、私に言わせれば飲み物ね。やはり牛丼は喉越しよね~」

 訳の分からないことを言うサクラ氏。
 序盤から全開で飛ばしていたカトー氏とエディ氏だったが、サクラ氏はあっという間に8人前を平らげてしまった。
 カトー氏とエディ氏はまだ半分ほどしか食べていない。

 俺は慌てて次のメニューを用意する。
 次はカレーライスだ。
 牛丼と同じく、どちらもレトルト食品をカトー氏とエディ氏には2皿ずつ、サクラ氏には8皿用意した。

 サクラ氏のペースは落ちないどころか、さらにギアを上げたかのように皿を積み上げていく。
 ボス氏、ナカマツ氏、ハカセの3人は驚きの表情で黙って見守っていた。

 カトー氏とエディ氏が牛丼を食べ終えたタイミングでサクラ氏はカレーライスを完食した。

「イチロー、どんどん持ってきてくれ!まだまだいけるぞ!」

 3つ目のメニューは冷凍弁当だ。
 調理済みの弁当を冷凍にしているため、温めるだけでバランスの良い食事が摂れる優れた食品だ。
 4種類用意しているので、カトー氏とエディ氏はそれぞれ1つずつ。サクラ氏はそれぞれ4つずつ用意した。

 サクラ氏のペースは落ちない……かに思われたが、ほうれん草やピーマンなどの野菜で箸が止まってしまっている。

「イチロー……計ったな!」

「サクラ氏の偏食がいけないのだよ……」

 サクラ氏はモデルだったのでスタイルがとても綺麗なのだが、野菜嫌いの偏食家なのに何故あの体型を維持できていたのか……いつも不思議に思っている。
 俺も野菜は苦手なんだけど、不老不死じゃなければ肥満一直線だったと思われる。

「エディ、今がチャンスだ!追い上げるぞ!」

 カトーがエディを叱咤激励しているが、エディは明らかにペースが落ちている。
 若干涙目になっているようだが、それでも無理やり口に押し込んでいた。

 サクラ氏が弁当を食べ終えると同時に、カトー氏とエディ氏も弁当を食べ終えた。
 残るはラストメニューのみといった状況で、まさかの横並びとなった。
 だがどうだろう、エディ氏はそろそろ限界に見える。

 ラストメニューはもちろん即席麺に決まっている。
 地球の保存食と言えば、これを外すことができないほどメジャーな存在だ。
 お湯を注いで3分待つだけで、極上の麺料理を食べることができる。
 しかも種類が多く、毎日食べても飽きないのだ。
 俺は、コーラとともに宇宙史における大発明だと思っている。

 今回の勝負用に、ラーメン、そば、うどんをそれぞれ1品ずつ……それと最後におまけの1品を用意した。

「イチローの事だから、最後は即席麺で来ると思ってたぜ。私も大好物だからな、勝負は貰ったな!」

 サクラ氏は弁当の野菜で一時ペースダウンしたものの、再び元のペースでどんどん平らげていく……。
 カトー氏とエディ氏も善戦しているものの、差はどんどん広がっていく。

「それにしても、この謎肉って一体何なんだ?すごく美味いけど、これだけで売ってないの?」

 さっきまで吸い込むように食べていたサクラ氏だったが、謎肉はゆっくり味わって食べている。ずいぶん余裕だな……。

「それは大豆を加工したものらしいよ。肉のエキスも使っているようだけど、植物由来でここまで肉っぽさを再現できるって凄いよね」

「えっ?大豆なの……本物の肉かと思ったわよ。弁当の野菜も全部肉の味なら良かったのに」

 そんなことを言いながら、そばとうどんも完食するサクラ氏。
 残るはあの一品だけだ。
「サクラ氏、これが最後の一品だよ」

「ちょ……何これ?カップが近づいただけで目が痛いんだけど!」

「最後は超激辛やきそばを用意したよ。パッケージはこれだ!」

 超激辛やきそばのパッケージを3人に見せる。
 サクラ氏の顔色がみるみる青ざめていく……。

「イチロー、ふざけないでよ。そんなもの食えるわけないじゃん!すっごい怖い顔の人が青ざめて泣いているパッケージじゃない……」

「無理ならギブアップしてもいいんだよ。カトー氏とエディ氏はやる気みたいだけど?」

「くっ、覚えてなさいよ!わかったわよ!食べてやろうじゃないの!」

 絶望の表情を浮かべるサクラ氏に対し、カトー氏とエディ氏は追い上げのチャンスと見て、再びやる気を出してきたようだ。
 ルールではサクラ氏は2人の倍なので4食分になるのに対し、カトー氏とエディ氏はそれぞれ1食分で良いのでかなり有利になるのだ。

「ぎゃああ……痛い。辛いじゃなくて痛い……」

 たった一口で痛さにのたうち回るサクラ氏。
 さすがにこれはやりすぎだったか……。

「さ、サクラ……大丈夫?無理しないでね……」

「は、はかしぇ……わたし、だめかもしゅれない……」

 ハカセの心配に応えようとしているのだが、痛みで呂律が回っていない。
 泣きながら、麺を口に運ぶが少しずつなので麺の量はほとんど減っていかない。サクラ氏はこれを4食分食べないといけないのだ。

 そこにカトー氏とエディ氏も追いついてきた。

「イチロー、こっちにも例のやつをくれ!」

 2人にも超激辛やきそばを渡す。
 まずはカトー氏が口に運んだ。

「ぎゃあああ……これは本当に痛い!」

 サクラ氏に続いてカトー氏も、痛みにのたうち回る。エディ氏はなんとか耐えようとしているようだ。
 大人2人が泣きながらのたうち回るという地獄絵図が目の前に広がっている。
 まあ、俺の仕業なんだけど……。

「イチロー君、これはダメだ!もう中止しよう。サクラ君、カトー、エディもそれでいいね?」

 この惨状を前にして、ボス氏が中止の提案をしてきた。
 俺もさすがにこれは無理だと思った矢先……。

「とめるにゃよ……これはしょうぶなんにゃよ……」

 よく聞き取れないのだが、サクラ氏は続行を希望しているようだ。

「あちゃりまえにゃ……やっとしゃくらにかちぇるしゃんすなんにゃ……」

 カトー氏も続行を希望している。さすが、防衛のツートップ!
 俺なら、確実にギブアップしているというのに。

「俺も続行でいいぞ。確かに辛いが……あと少しだ。最後まで付き合うぜ!」

 エディ氏も続行希望なのだが……まさか……この辛さに耐えられるとでも言うのか!
 まさかのダークホース出現に沸き上がる。

 その状況に焦ったのか、サクラ氏は意を決して例の丸呑み作戦で一気にスパートをかけた……が、3食分を完食した頃には手が止まっていた。

「サクラの手が止まったな。今がチャンスだな!カトー、それをこっちに寄越せ」

 エディ氏はそう言うと、1食分を完食した後にカトー氏の分まで食べ始めた。
 お互いに残り1食となり、サクラ氏はずっと黙って目を閉じている。一方、エディ氏は少しずつではあるが食べ続けている。

 これはサクラ氏の敗北か?と誰もが思ったその瞬間……。

 サクラ氏がカッと目を見開いて、一気に最後の1食分を完食した。

「ふう、なかなかキツかったわね……口とお腹が痛い……」

 サクラ氏はそう言うと、お腹を押さえて横になった。
 
「くそう……またサクラに勝てなかったか……もう少しだったのに」

 カトー氏が地団駄を踏んで悔しがっている。
 俺が知る限り、戦闘訓練以外でもカトー氏がサクラ氏に勝ったところを見たことが無い。
 どういう訳か、どんな勝負でもサクラ氏が勝ってしまうのだ。

「サクラ……教えてほしいんだが、俺様は一体何で負けたんだ?俺様が勝っていた流れだったはずだ」

 エディ氏も納得がいかないようだ。
 まあ、実際に俺もエディが勝つと思ってたしな……。
 サクラ氏の強さは反則レベルだよな。
 
「そうかしら?私から見たら常に私が勝っていたはずよ。だから実際に私が勝ったじゃない」

「全く理解できないな……。まあ、確かに俺様は負けた訳だが……」

「私はちゃんと計算していたわよ。まずは一食分を食べてみて、4食分を一気に食べるのは不可能だと判断したわ。なのでギリギリまで一気に食べてしまって、口とお腹のダメージが回復するまでじっと待っていたのよ。で、最後の1食分が食べられるくらいに回復したから一気に片付けたという感じね。これはね、ギリギリ回復が間に合うと思ってた」

「サクラって本当に凄いよな……」

 カトー氏が真剣な表情で呟いた。
 サクラ氏を一番近い所で見ていたカトー氏だから分かることもあるのだろう。

「私は負けるのが嫌いだからね。どんな手を使っても勝ちたいと思ってるし、勝つためにできるだけ頭を使うことを心がけてる。勝負を決める一番大事な事はね、勝ちへの執着心だと思うわよ」

「そうか、今ならはっきり分かるけど、俺はサクラより勝ちへの執着心は低いのだろうな……。俺はサクラと違ってダメージが回復する時間を正確に把握できていないからな」

 勝負に負けて落ち込んでいるかと思いきや、カトー氏は何かを掴んだような清々しい顔をしている。
 一方、サクラ氏はさすがに4食分は限界だったらしく、青ざめた顔のまま横になっている。

「いや、いい勝負だったと思うわよ。最後のアレはさすがにキツかったし、エディがあそこまでやるとは計算外だったわよ」

「でもねサクラ、こういう無茶な戦い方は良くないと思うの。今回はイチローが全面的に悪いと思うけどね」

 ハカセはいつも正論を言うので反応に困る。

「まああれだな……盛り上げるために色々考えた結果なんだよ。実際盛り上がっただろ?」

「いや、ダメね。イチローはいつもそう……。すぐに悪ノリしちゃうのが問題なのよ!ちゃんと皆に謝って!」

 ハカセがプンプン怒っている。その雰囲気で他の皆も俺を睨んでいる。
 これはやりすぎだったらしい……。
 
「悪ノリしてしまい、本当にすみませんでした。」

「当然、イチローもあの焼きそばを食べるんだよな?えっと残りは3食分もあるんだな~」

 サクラ氏がニヤニヤ笑っている。
 その後、宇宙船内に俺の悲鳴が響いたのは言うまでもない。
 小学校の頃、図書の時間というのがありましたよね。
 図書室で本を読んだり、借りたりするあの時間です。

 実は私は文章を読むのが得意ではありません。
 特に小説のような長い文章が苦手でして、図書の時間は図鑑のような文章の少ない本ばかり選んでいました。
 そんな感じなので文学については全く分かりません。
 小説なんて架空の話だから、読んでも意味はない……そう思っていたためです。

 高校時代になると文章から逃げるように理系に進みました。
 科学が好きだからと言ってはいましたが、語学から逃げたい気持ちが強かったのです。

 そのような学生時代を送ってきた私ですが、ここ数年は考えが変わりつつあります。
 人の気持ちが理解できるということは、人生を生きていく上で極めて重要なスキルだということに気付いたためです。
 よく考えてみれば、数学の証明だっていかに論理的に説明するかということですし、テストだって先生が『こういう問題を出したら、こういう風に解いて欲しいんだけどできるかな?』という思いで作成しているものなんです。
 文章というものは、文章の向こう側にいる人とのコミュニケーションなんだと思うのです。

 この小説を書き始める3ヶ月ほど前、たまたま読んだ漫画の原作が小説だと知り、読んでみることにしました。
 小説を読むなんて苦痛だったはずなのに、登場人物の想いがどんどん私の中に入ってきて感動が溢れてくることに気付きました。
 思えばずいぶんと遠回りしてしまいましたが、私はようやく皆様と同じ楽しさを知ることができたのです。
 本当に恥ずかしい。

 この小説に出てくる7人は私の分身のような存在です。
 ある日、突然生まれた彼らは、私の頭の中で傍若無人に暴れまわりました。
 色々間違えたり、悩んだり、喧嘩しながら大事な事を見つけていくのです。
 そんな彼らは私の頭から出てくることができません。
 私は彼らの居場所を作るために文章として残すことにしたのです。
 残念なのは私の文章力のなさでしょうか。彼らの魅力を表現しきれないことに不甲斐なさを感じています。

 さて、そんな彼らの物語も次回から最終章に入っていきます。
 生み出した者の責任として、大好きな彼らの旅をなんらかの形で終わらせる必要がありますから。
 きちんと終わらせることは、次に繋がるのです。

 今までのストーリーから予想もできないような急展開となりますが、もう少し彼らを応援してくださると嬉しいです。
 ある日のこと、俺はハカセに呼び止められた。

「あのさ、イチロー……」

「ハカセ、何?」

「まさかと思うんだけど、イチローって最近太ってきていない?」

「えっ?そんなはずはないと思うんだけど……」

 太るわけないじゃん。
 不老不死になってから体型が全く変わらないんだし。

「私にはそう見えるのよ。一応、ナカマツに確認してもらいましょう」

 二人で医務室に向かい、ナカマツ氏の診察を受けてみた。
 身長・体重・血液の成分などは定期的に検査しているので、その数値と比較することになる。

「イチロー君、確実に太ってるよ……これは一体どういうことなんだ?」

 ナカマツ氏がそう言って首を傾げる。
 ハカセの言ったとおり、どうやら太ってきているようなのだ……。

 そのとき、訓練室の方から何やら騒がしい声が聞こえてきた。
 怪我の可能性もあるので、一旦話を中断して訓練室へ向かう。

「やった!ついにサクラに一撃を入れたぞ!」

「…………」

 興奮して飛び跳ねているカトー氏と、無言でうなだれているサクラ氏の姿がその事実を物語っていた。
 当然ハンデは付けていたと思うのだが、それにしてもサクラ氏が一撃をもらってしまうなんて……。

「これはもしかして……。サクラ君、ちょっと医務室まで来てください」

 ナカマツ氏は落ち込んでいるサクラ氏を抱えて医務室に連れて行く。
 俺が太った件と何か関係があるのだろうか……。
 俺と同じ様に血液を採取し、真剣な表情で成分分析を始めた。

 ――

 3日後、俺達全員は会議室に集合した。
 そして、ナカマツ氏から驚愕の事実が明かされた。

「イチロー君とサクラ君の血液を分析したところ、2人の不老不死が弱くなっていることが判明しました」

「ナカマツ、それはどういうことなんだ!?」

 ボス氏が大声を上げる。

「先日、ハカセ君がイチロー君の体型が太ってきていることに気付きました。また、あの無敵だったサクラ君がカトー君に一撃を入れられるという事件もありました。そこで私は2人の血液を分析し、不老不死の原因となっている回復能力が減少していることを確認しました。イチロー君は40%、サクラ君は30%程度の減少が見られます」

「やはり……不老不死が解除されつつあるということかしら?」

 どうやら、ハカセは確信していたようだ。
 『これで大人になれる』という期待を込めた真剣な眼差しでナカマツ氏を見つめている。

「そうですね。サクラ君がカトー君に一撃を入れられた件も、サクラ君が徐々に弱くなっているという事なんだと思います」

「くそう、俺が強くなったからじゃなかったのか……不老不死解決が見えたのは嬉しいことなんだが、素直に喜べないな」

 そう言って悔しがるカトー氏を見て、ニヤニヤするサクラ氏。

「原因は……恐らく炭酸飲料ね。2人の共通点といったらそれしかないじゃない」

 ハカセが自信満々で言い切った。

「えっ、私はそれほどコーラを飲んでいないけど?」

 驚いたサクラ氏が反論する。

「サクラは毎日ビールを飲んでいるじゃない?あれだって炭酸飲料でしょ」

「あ、そうか。水みたいな感じで飲んでたから、炭酸だって忘れてたわ」

「ハカセ君の言う通り、炭酸飲料が理由なのだろうと思う。何にしても、私達は探していた特効薬が見つけたということになるね」

「これで大人になれるのね……」

 ハカセは俯いて涙を滲ませている。
 その姿を見て、俺も涙が溢れてきた。
 いつの間にか全員集まって、抱き合って大声で泣いた。
 俺達最大の目標はついに達成されたのだ!

「イチロー、お前よくコーラを持ち帰ったよな。イチローが舌貧乏で良かったぜ」

「サクラ氏、それは褒めているのか?馬鹿にされているようにしか聞こえないんだが。というか、サクラ氏も似たようなもんじゃないか」

「もちろん褒めてるさ。それとハカセも……イチローが太ったことに気づいたのは凄いぞ。あ~そういうことか~」

 サクラ氏はニヤニヤしながら、ハカセの耳元で何かを呟いた。
 ハカセはみるみる真っ赤な顔になって、サクラ氏をポコポコ叩き出した。

「もう、サクラ!」

「ぎゃはは。た~す~け~て~」

 大爆笑しながら、サクラ氏がハカセから逃げる。
 それを見ながら、皆も大爆笑をしている。

 不老不死になって10年と半年くらいか……。
 早かったのか遅かったのかは分からないけど、やっとここまで来たのだ。
 そして、共に歩んできたのがこの仲間たちで本当に良かったと思う。

「ところでイチロー君、サクラ君、君たちは毎日どれくらいの炭酸飲料を飲んでいるんだい?」

 盛り上がりが一段落したあと、ナカマツ氏がそう訪ねてきた。

「俺は……500mlのペットボトルで7~8本くらいかな……」

「私は缶ビール10本くらいかしら……って、イチローは意外と少ないのね」

「サクラ氏の胃袋と一緒にしないでほしいんだが……」

「なるほどね。イチロー君の方が飲んでいないにも関わらず、より解除されているのは単純に二酸化炭素の摂取量によるものかもしれないね。しかもトータルで結構な量を飲んでいることを考えると、解除はかなりゆるやかなのだろう」

「ということは、少しずつ飲んでいけば不老不死の度合いをコントロールできるっていうことかしら?」

「その可能性が高いです。例えば50%に調整したとすると、歳を取るスピードを半分にできるかもしれませんね」

 ナカマツ氏がそう言うと、ハカセが俺の顔をチラっと見て何やら考え込んでいた。
 その晩、俺が自室でコーラを飲んでいると、夜中だというのにドアをノックする音が。
 ドアを開くと、思い詰めた表情のハカセが立っていた。

「イチロー、夜遅くにごめんね。どうしても話したいことがあるんだけど、今大丈夫?」

「俺は別にいいけど、とりあえず入りなよ」

 俺はハカセを部屋に招き入れて、奥のテーブルに座らせた。
 温かいココアを用意してハカセの前に置いた。

「ありがとう……温かくて美味しいね……」

「それで、話したいことって?」

「あのね……私、イチローに2つほどお願いがあるの……」

 そう言い出したハカセだったが、すぐに黙り込んでしまった。
 ハカセは言いたいことをハッキリ言うタイプなので、こういう状況は初めて見る気がする。

「ハカセのお願いだったら、喜んで聞くよ。今までだってそうだったじゃん?今日は一体どうしたんだ?」

 俺がそう言うと、ハカセの表情が少し和らいだようだった。
 そして、意を決したように話し始めた。

「イチロー、私と結婚してください!」

「え……今なんて?」

「何度も言わせないでよ……。私はイチローと結婚がしたいです。イチローの妻にしてほしい……」

 俺は混乱していた。
 ハカセが好意を寄せてくれていることは、サクラ氏に散々からかわれていたので多少は理解していたのだが……。
 これはドッキリ企画なのかな?

「本気で言ってるの?っていうか、俺なんかでいいのか……?」

「私は本気。イチロー以外考えられないし、気持ちは未来永劫変わらないと断言できる」

「そうか……俺はね、もちろんハカセの事は大好きだよ。でもね、俺達は家族も同然だったし、妹のような気持ちで大事な存在だったんだ。正直なんて答えればいいのか……自分でもよく分からないんだ……」

「そうよね、急にこんな話をしてごめんなさい。私、まだ見た目が子供だし……色々難しいわよね」

「さすがに、子供のハカセと結婚するのは色々と問題があると思うんだ……嫌だとかじゃないんだよ」

「結婚は今じゃなくてもいいの。例えば私達の国では17歳で結婚できたから、5年間は婚約ということならどう?」

「いや、婚約だとしてもさ……色々マズイような気がするんだよ。なんか開けちゃいけない扉を開けちゃうような……」

「あのね、私はイチローと10年以上一緒に過ごしているんだよ。12歳の頃からだから、実年齢は22歳。イチローに初めて会ったときと同じくらいでしょ」

 そう言われてみれば確かにそうだ。
 外見は子供のままだけど、内面は色々成長しているはずで大人として正しい判断ができるようになっているはずだ。

「22歳と婚約なら問題ないはずよ。今の私は子供の体だけど、恐らく5年後にはその問題も解決される。どうかしら?まだ問題があれば言ってみて」

 突然結婚を迫ってきた女性に論破されるという、なんとも不思議な状況だったが、彼女の言い分は筋が通っていると思えた。
 俺はハカセを子供として見てきたけど、見ていたのは外見だけで内面は見ていなかったのかもしれない。

「そうだな、確かに問題は無さそうだ。でもさ、恋人として付き合った訳でもないのにいきなり婚約は唐突すぎるでしょ。サクラ氏と組んだドッキリ企画かと思ったよ」

「イチローは私じゃ嫌かな……?」

「嫌じゃないよ。むしろ……俺にはもったいないくらいだと思うけど、今まで恋愛対象として見てきていなかったんだ。だから、婚約者(仮)ってことでどうかな?正式な婚約は5年後に改めて行うこととして、それまではハカセの事を女性として好きになるように、俺も努力するからさ」

「つまり、結婚してくれるということでいいのね?」

「ああ、約束するよ。ハカセを大事にする」

「ありがとう……。今まで色々あったけど、私……生きてきて良かった……」

 ハカセは大粒の涙を流しながら、俺に抱きついてきた。
 俺は優しく頭を撫でながら、重い責任を感じていた。
 自分が結婚するなんて、考えたこともなかったから……。

 ――

「それで、もう1つのお願いなんだけど……」

「なんだろう、もう何が来ても驚かない気がするよ」

「イチローは炭酸飲料を飲まないでほしいの……」

「えっ?」

「イチロー、驚いてる……驚かないって言ったのに……嘘つき」

「いや、さすがに驚くだろ……俺の大好物だぞ。一体どういうことだよ?」

「だって、イチローが炭酸を飲んだら……私との肉体年齢差がさらに開いちゃうじゃない!逆に飲まなければ縮まるのよ」

「それはハカセにとって重要なことなのか?」

「私、早く大人になりたい、イチローに追いつきたいってずっと思ってたから……これはそのチャンスじゃないかって気付いたの。でもね、このお願いだけだと重たすぎるから……私が妻になることで責任を取ろうかと思ったの」

「そっか……ハカセなりに俺の事を考えてくれていたんだね。未来の妻のお願いとなれば断れないじゃないか……。えっと、我慢するのは5年でいいのかな?」

「そうね、本当は10年と言いたいところだけど、イチローの貧乏舌が可哀想だから5年にしておいてあげる」

「アリガトウゴザイマス」

「じゃあ、このお願いも聞いてくれるということでいいのね?」

「ううう……明日から何を楽しみに生きていけばいいんだろう……」

「かわいい婚約者(仮)でも眺めればいいんじゃないかしら」

「どうやら、恐ろしい女と婚約してしまったようだ……」

「何か言ったかしら?」

 俺達はお互いに顔を見合わせ、2人で爆笑した。
 案外いい夫婦になれるのかもしれないな。

「じゃあ、私そろそろ行くね。おやすみなさい」

 ハカセを見送ろうと部屋を出ると、そこにはサクラ氏が待っていた。
 ハカセはサクラ氏に親指を立ててニッコリ微笑んだ。
 その姿を見て、サクラ氏は号泣しながらハカセに駆け寄り、抱き合った。

「さくらああ……」

 ハカセはサクラ氏の顔を見て緊張の糸が切れたのか、堰を切ったように泣き出した。
 2人が抱きしめあって号泣する姿を見て、ハカセを大事にしなければという思いがより強まった。

「ハカセ、良かったね……本当に良かった……。イチロー、お前命拾いをしたな。もし断っていたら殺していたところだ。ハカセは私が責任を持って絶世の美女にしてやるから楽しみにしてろよな」

「サクラ氏がそう言ってくれるなら期待しちゃうな」

「その代わり、ハカセを泣かせたら……今度こそマジでぶっ殺すからな!」

 俺、結婚まで生きていられるかな……。
 翌朝、俺とハカセは全員を会議室に集めて婚約(仮)の報告を行った。

「えっと、これはサクラとハカセによるドッキリ企画なのかな?イチロー、お前また騙されているぞ」

 カトー氏は全く信じていないといった素振りでドッキリを疑った。
 そりゃそうだよね。俺も昨日はドッキリかも?と思ったし。
 他の皆も口をポカンと開けて、リアクションに困っている。
 事実を知っているサクラ氏だけが笑顔なのだが、これがドッキリっぽさを醸し出しているのかもしれない。

「いや、それが本当なんだよ。正式な婚約は5年後のハカセの誕生日にする予定なので、それまでは仮の婚約だけどね」

 皆、信じてくれないので昨日の話を要約して伝えた。

「イチロー君、本当に信じていいんだね?」

「ボス氏、にわかに信じがたい話だとは思うんですが……本当なんです。俺も全然実感が湧かないくらいなんで気持ちは分かります」

「そうか、おめでとう。ところでどうやってプロポーズしたんだい?」

「いや、プロポーズはハカセからで、なんかその……勢いに圧されたというか……」

「結婚ってのは大体勢いなんだよ……」

 ボス氏は何かを思い出したように寂しげに呟く……。
 えっと、もしかして勢いで結婚して後悔してたりするのかな?

「おいおい、ハカセ本気か?よりによってイチローだなんて、熱でもあるんじゃないのか」

「いやいや、本当にそうだよな。イチローなんてここじゃエディの次くらいにモテそうにないもんな」

 2人とも酷い言いようだ。
 俺がモテないなんて言うもんだから、ハカセが真っ赤な顔をしてエディ氏を睨んでいる。
 俺のために怒ってくれている……ちょっと嬉しい。
 
「サクラ、冗談言っちゃいけないぜ。俺様の魅力が分からないなんて……カトーに一撃を食らっておかしくなっちまったか」

「2人とも、めでたい話なんだからそのくらいにしておけよ。しかし、これで一緒にメイドカフェへ行けなくなっちまったか……寂しくなるな……」

「カトー、あんた……まだ通ってるの?」

「べ、別にサクラには関係ないだろ……」

 サクラ氏はカトー氏を軽蔑した目で見ている……。
 そういえば、毎週のようにカトーとメイドカフェに行っていたな。
 前にバレたときも暴走していたし、やはり行かない方がいいのだろうか。

「イチローもメイドカフェなんて行っちゃだめよ。あなたは私だけを見ていればいいのよ」

 ハカセの冷めた発言はいつものことなのだが、いつもとトーンが違うような……。
 きっとこういうときは神妙にしておいた方がいいのだろう。

「あ、はい……」

 俺がそう言うと、大爆笑が起こる。
 やっぱり誰が見ても、俺が尻に敷かれるように見えているんだろうな。

 よく考えてみれば、ハカセの顔を真剣に見たことがなかったということに気付き、チラッと見てみる。
 目鼻立ちの整った、知性が漂う美少女だ。小柄で細い体に透き通るような白い肌がよく似合っている。
 サクラ氏がハカセは美女になると太鼓判を押していたのも分かる気がする。
 今までは子供だと思って女性として見ていなかったのだが、これからあっという間に大人の女性になっていくのだろう。
 やばいな。すごく楽しみじゃないか。

 今更だけど、俺にはもったいない女性なんだよな。宇宙一の頭脳を持っているし。

「ねえイチロー、確かに『私だけ見てればいいのよ』って言ったけどさ……今じゃなくてもいいんじゃない?そんなに見られると恥ずかしいんだけど……」

 再び大爆笑が起こる。
 俺は我に返り、ハカセに謝った。

「イチローのことだから、今になってハカセの美しさに気付いちゃったんじゃないの?本当に鈍感なんだよな。ハカセなんてイチローがちょっと太っただけで気付くほどよく見ているというのに……」

「ちょっとサクラ……その話は……」

 ハカセが必死になってサクラ氏を止める。耳まで真っ赤になって……かわいい。
 そんなハカセを見て、またしても大爆笑。

「ああ、なんだか複雑な気分だ……娘を嫁に出すってこういう感じなんだろうな」

 ボス氏がそう言って俺の肩を軽く叩いた。
 そう言えばボス氏にはハカセと同じ歳の娘さんがいたと聞いている。
 ボス氏はハカセを娘のようにかわいがっていたし、色々と思うところがあるのだろう。

「そういえば、結婚後はどこに住むか考えていますか?」

 ナカマツ氏が良い質問をしてくれた。
 俺もその話をしたいと思っていたところだったからだ。

「俺達はこのまま日本に住みたいと思っています。日本が好きだし、コーラと出会った地でもあるからね。もしコーラと出会っていなかったら、ハカセはずっと子供のままで……きっと結婚することもなかったんだろうなって。皆はどう思う?できれば全員で日本に定住したいんだけど」

「そうだな、イチロー君が言うように日本に住むというのは現実的な選択肢だな。こんなに治安が良い街は見たことないしね」

「私も賛成ね。そうすれば毎日ハラミとビールの生活ができるじゃない。控えめに言っても最高ね」

「俺様も賛成だな。どこに住んでも道に迷いそうだが、日本は目印が多そうだから多少はマシじゃないかって気がするな」

「俺も賛成だ。メイドカフェがあるのは日本だけみたいだしな。ダメな理由が見つからない」

「私もボスと同じ理由で賛成ですね。やはり炭酸飲料を見つけた場所というのが決めてですね」

 どうやら全員賛成らしい。

「では、全員日本に移住で決定だね。不老不死の目処が立ったら引っ越しをしよう。安住の地を見つけるのも目標だったから、これもクリアだな」

「イチローとハカセの結婚もそうだけど、一気に状況が変わりつつあるな。こういう時ほど油断は禁物なんだ。イチロー、特にお前は要注意だぞ」

 カトー氏はやはり軍人気質なのだと再認識させられる。
 そうだな、こういう時ほど浮かれすぎないようにしないといけない。

「カトー氏、忠告ありがとう。本当にその通りだね、気をつけるよ」

「でもたまにはハカセに内緒で遊びにいこうぜ!」

 カトー氏がそう言って笑うと、ハカセがふくれた顔でカトー氏を睨みつけていた。
 私はリーダーとして仕事が最終段階となったことに安堵していた。
 全ての決断が正しかったとは決して言えないのだが、ようやくゴール目前まで辿り着くことができた。

 だが、ひとつだけ気になることがある。

「ナカマツ、ちょっといいかな?」

「ボス、どうかしましたか」

「いや、大した用事でもないんだが、たまには一緒に酒でもどうかと思ってね」

「いいですね。普段は飲まない主義でしたが、今日は特別な日ですからね。それに……大事な娘をイチロー君に取られたボスを慰めないといけないですからね」

「はは……まあさすがにショックだったな。でもイチローなら……きっとハカセを幸せにするんだろうなって思えるんだ」

「そうですね、彼は変わり者ではありますが誠実ですからね。ハカセ君が選んだのも分かる気がします」

「まあそんな感じなので、それほど心配はしていないんだ。心配なのはむしろナカマツ、君の方なんだ」

「私ですか……それは何故でしょう?」

「だって、君は不老不死を治したくないと考えているんだろう?」

 ナカマツの表情が曇る。
 やはりそうなのか……。

「ボスの目は誤魔化せないということですか……お見事です」

「責めているわけじゃないんだ。だって私も君と同じだからね」

 私がそう言うと、ナカマツは安堵の息を吐いた。
 
「イチロー君達を見ていると、若さというものが羨ましく思えます。私達のような残りの寿命が短い者からすると、不老不死は呪いどころか祝福なんですよね。不老不死を呪いだとして、その呪いを解こうと頑張ってこれたのはハカセ君の為というのが大きかったのかもしれませんが、その目処が立ってしまったら急に手放すのが惜しくなってしまったんです」

「私も似たようなものさ。人が全て死に絶えた世界で孤独に生きるより、価値のある死を望んだ方がいいと思ったんだ……。でも治安の良い日本へ定住することになったとき、残された時間の少なさに気付いたんだ。ふとナカマツの顔を見たら、私と同じで心から喜んでいないように思えたんだ」

 私達はお互いに酒を注いだ。
 酒をちびちびと飲みながら、しばらく宇宙船の窓から地球と月を無言で眺めていた。

「人生というのは一体何なんでしょうね。私は肉体年齢で70年、不老不死として10年も生きてきて、未だに答えが分からないんですよ」

 ナカマツがポツリと呟いた。

「私もさっぱり分からないね。【レーサ】に罹患をしたとき、私は死を受け入れたんだ。もう十分生きたって、確かにそう思ったんだ。それなのに今は時間が足りないって考えてしまっている。『もう十分生きた』はずだったのにね……。不老不死になったとき、死への覚悟もリセットされてしまったようだ」

「7人での共同生活は私達が思っていたより、ずっと充実していたのですね……。私は『彼らと一緒にいられる時間が少ない』ということが残念だと思っています。例えばイチロー君とハカセ君が結婚式を挙げるとき、私だけこの世にいないのかもしれない……そう考えるだけで酷く寂しいのです。逆に私だけ不老不死を治さなかった場合、いつの日かイチロー君やハカセ君の寿命が尽きる日を見届けなければならなくなる……それも同じくらい辛いのです」

「そうだな。2人の門出は是非祝いたいものだな。ハカセのドレス姿はきっと綺麗なんだろうな……。ナカマツ……この件は皆に意見を聞いてみてはどうだろうか」

「皆が不老不死の治療を目指している中で私達だけというのは……水を差すようなことにならないだろうか?」

「それは分からないけど、そう思うのであれば尚更聞いてみないといけないんじゃないかな」

「そうですね。抜け駆けするわけにはいかないですからね」

 ――

 翌朝、私達は不老不死の治療方針について話し合った。

「あ、すみません。言ってませんでしたが、俺は少なくとも5年間、炭酸飲料を飲まないことにしました」

「え?イチロー、お前本気か?お前が炭酸を飲まないなんて……ありえないだろ」

 昨晩あれほど色々考えたというのに、あっさりとイチローが治療しない宣言をしてしまった。
 カトーが驚くのも無理はない。イチローが飲まないなんて、完全に想定外だった。

「私がお願いしたのよ。イチローと肉体年齢の差が少しでも縮まるようにということで。逆に私は強炭酸水をたっぷり飲んで一気に治療するつもりです」

 なるほど、イチローの婚約期間はなかなか苦労が多そうだ。

「俺も正直悩んでいます。もし戦闘になるような事態が急に起きた場合、少なくとも俺かサクラのどちらかが不老不死だった方が安心ですよね。サクラは……もうずいぶん飲んでしまっているから、とりあえず全員の移住が完了するまで、俺は治療しない方が良さそうだなと」

「カトーが治療しないなら私は遠慮なく飲ませてもらおうかしら。カトーの理屈で言うとナカマツあたりも念のために治療しない方が良さそうね。これからは医者が必要になりそうだし」

「そうですね。では私も当面は治療しないことにしましょう」

 ナカマツの懸念はアッサリ解決してしまった。
 サクラはやたらと勘がいいので、色々察して助け舟を出してくれた可能性もあるが。

「あとはエディと私だが、自己判断で治療方針を考えていくということでいいだろうか」

「ボス氏、ちょっといいかな」

「イチロー、どうした?」

「治療方針は皆色々事情もあるだろうし、治療することで死に近づいてしまうことにもなる。だから治療を強制するのは止めにしましょう。死の間際に『自分の人生は楽しかった』と思えるような人生となるよう、自分の人生と向き合って決めたらいいと思うんだ」

「イチローがすごく良い事を言っている……ハカセ大変だ。イチローが壊れているぞ」

「サクラ、失礼なことを言わないで。イチローだってたまには良いこと言うはずよ」

「ハカセ……それはフォローになってないと思うんだ」

 ハカセにまで言われてしまい、落ち込んでしまったイチローが少々気の毒だが、とてもいい流れになったと思う。

「イチローがとても良い事を言ってくれたと思う。人生は一度きりだ。各自後悔の無いように、自分の気持ちを確認しながら治療方針を考えてほしい」

 全員がこの方針に賛成してくれた。
 なかなか難しい問題だと思うが、残りの人生は後悔のないようにしてほしい。