勇者が脳梗塞で倒れたら、最後の希望はコールセンターだったって知ってました?

「何でよそ者に金を払うんだ?しかもゴミ掃除人風情が!」

受電卓で新人が暴れていると通報があった。山吹は顔をしかめる。

「ちょっと羅生君」

羊頭狗肉を地で行く巨漢がパイプ椅子からはみ出している。給付金は転移に巻き込まれた旧日本国民全員に申請資格がある。人権を与えられている筈のオークでも頭ではわかっているがつい粗暴さが口に出る。

「この野郎!」

荒ぶる彼から魔導フォンを取り上げるしかない。所長権限で呪文を唱えた。

あとは日本人スタッフに引き継ぐ。翠はうんざりしつつ何度目かの絵巻を投影した。テイムの力でオークは平静を取り戻した。

「ついすみません…しかしあの野郎が…」

本人は給付の意義を理解しつつも感情的になってしまったという。

「誰だって切羽詰まったら我を忘れるわ。それは羅生君だって同じでしょう。人はピンチを感情で切り抜けるの。君は元戦士よね」

新人をいさめる時は頭ごなしより同じ目線が効果的だ。

「確かに戦場では四の五の言ってられません」

「そうよね。先ほどのお客様も災害瓦礫と戦ってる」

するとオークは肩を怒らせた。

「俺だって毎日が戦争ですよ。帝王の命令だからやってるんだ。誰が電話番なんか」

羅生の机には赤ペンだらけの報告書がある。山吹がダメ出しした通話記録だ。

「慣れない仕事で嫌になるわよね」

「ああ、イライラする」

オークは拳を振り上げた。

「羅生君の言う通り毎日が戦争よ。それはお客様も同じ。いわば戦友じゃん」

山吹はスカートのポケットから赤い録音石を取り出した。そっとオークに握らせる。

「これは?」

「戦友である私から君に武器を授ける。それでしっかり練習なさい」

「所長…」

オークは言葉を詰まらせた。翠は見逃さなかったのだ。赤ペンに添えられた羅生なりの反省点を。
センター長の業務は新人研修から機器トラブルまで多岐に渡る。しかし天文学的な作業量を随時かつ横断するなど不可能。当然ながら中間管理職が要る。

「今度は何なの?」

回転灯が山吹翠を照らす。オークを諫めた後、遅いランチを温め直した矢先にこれだ。「兎に角来てください~」

甲高い涙声。

母子世帯向の相談窓口は五時から遅番の男性スタッフが詰める。前職はもめ事処理に長けた冒険者組合や酒場の面々だ。栗里栗鼠《くりさとりす》はなぜ残業しているのだろう。

壁のバスタードソードを外して一目散に非常階段を下りる。フロアは阿鼻叫喚地獄だった。

泣きじゃくる栗鼠を落ち着かせて現任者から事情聴取する。

「だって終んないんですよぅ」

聞けば未決済の書類が崩壊したという。「フロア長はどうしたの。トイレ?」

男子社員に捜索させ本人の宝珠にも呪符を送る。

「聖十戒《せくろす》さんなら帰りましたよ。ほれ直帰って」

あろうことか白板のインキが剝げかかっている。翠が真っ赤になった。

「ちょちょ直帰ですってぇ?」
「お疲れ様です」

ひととおり状況整理は済んでいる。

「栗鼠さん、もういいから、いいから。それに、もう、大丈夫ですって」

顔を覆う栗鼠の手が震えている。

「どうしたの。大丈夫、お疲れ様です~。栗鼠さんの分も取るから、はい、こちら」

小さな袋に入れてもらう。

「え、なんですか、これ」

袋に入った石貨を見て、栗鼠が恐る恐る聞く。

「あ」

翠は鞄に入れていた袋の口を開こうとする。翠の指の先、石貨の上に、白い紙が載って、そこに何かが書いてあった。

「あ~、やっぱりそうでした。お疲れ様です」

栗鼠が袋から紙面を取り出す。書いていたのは、「玉鋼石で何かを製作するなら、必ず、これを買わなければならない……」

翠が小さな袋を持ち上げて、紙面を見せる。聖十戒の殴り書きだ。

山吹翠は気が遠くなった。これはリーダー研修で教えた専任業務だ。玉鋼石はこの世界のDVDとも言える記憶媒体だ。幻術使いがイリュージョンを記憶させたり吟遊詩人が動画を上映しながら即興したりする。この会社では顧客名簿がわりに活用している。日本政府がプライバシー保護の重要性を説いた甲斐があって流通や取扱いが厳しく制限されている。

「玉鋼石の購入は専用の石貨を持って直接買い付けに行ってねっていったのに」

「俺、お楽しみがあるから~って定時で直帰されました~」

栗鼠は涙目だ。玉鋼石は言いつけ通り王都の妖怒炎魔電《よどめらでんき》で買いに行ったようだ。領収書は翠も確認している。問題はそのあとだ。

「あれだけ初期化《フォーマット》してねって言ったのに~」

面倒くさい作業であるがリーダー格が念じながら署名しなければならない。

「それで、十戒さん、あたしに『お前、玉鋼石がかりね、まかせた』って!ムニムニ、あたしの尻尾さわるんですうぅ」

泣きじゃくり、しゃくりあげ、過呼吸になる。

「あのセクハラ僧正~」

とりあえず初期化は翠の権限でも可能だ。幸い、まだ活性期限内にある。放っておくと邪念に汚染され誰でも読み書き可能になる。そうなったら高価な玉鋼石を破棄するしかない。

ふーっっと肺を振り絞り、翠は初期化にとりかかった。

「セクロスは後でこってり絞るから貴女は手伝ってくれるかしら」

「ああ、いいですね。これで、いいんですね」

栗鼠はうんうん唸りながら何度か首を振り、書いて見せる。

「え、いいんですか?」

「これでも良いですか。これで」

「ええ? これで良いですよ」

翠が丸い石を、栗鼠が石を、翠が丸いものを重ねている。

「これが、良いんです」

栗鼠は、翠に石を投げたり石を重ねたり、何度も頭に叩きつけたり、丸いものを重ねに重ねたり、栗鼠は何度も丸いものを受け止めたり、重ねたりと、何度も受け止め、丸いものに石を入れる。

「どうですか?」

「うん。これなら、良いですね」

「それでいいんです。これで、いいんです」

栗鼠が満面の笑みで、翠を見る。

翠は、顔を真っ赤にしてお札を掲げる。

結局、初期化は十一時過ぎまでかかった。

「栗鼠、良かった」

翠が、栗鼠の頭を撫でる。

「翠さん、ありがとうございました」
翌朝、翠は出勤してきた大僧正と話し合うことにした。非常勤とはいえ本職はプライドの高い仕事だ。そこを頭ごなしに叱っても火に油を注ぐだけだ。人は自分の信念を否定されるとますます意固地になる。これをバックファイヤー効果というのだが異世界の人々に通じるかわからない。だが一緒に仕事が出来ている。続けていくうえで価値観の共有は大切だ。翠は彼を上から目線で責めるのではなく本人の非を悟らせ自省を促した。

「ここは冒険者組合の業務と一部重複しています。モンスターが人里で暴れた場合の支援金給付。今まで冒険者個人加入の形で保険はありましたが保険でカバーできない不可抗力というものはあります。誰もが最強チートを使えるわけではないのですよ。どうしようもない不運にあえぐ人が出てきます。そんなピンチを勇者は放っておきますか?」

言われて大僧正は考え込んだ。「衆生を救うのは神の責務である」

「いえ、神様を拝んでいる間に空腹を抱えた子供が死んでいきます。息も絶え絶えの子供に詠唱を強いるだけの体力を期待できますか?」

翠は大僧正の魔導端末にガルブレイス龍の大暴虐事件を映した。荒ぶるモンスターが容赦なく村を焼き払っている。

「ぬうう。近衛師団が出遅れたために無辜の命が失われた」

大僧正の正義にスイッチが入った。今にも画面を叩き割りそうな勢いだ。

翠はスカートの裾が腰まであがるのも気にせずサッとモニタを抱えて一回転した。大丈夫、翡翠は無事だ。これ一枚でワンフロア分の机が買える。

「近衛師団はチート勇者ぞろいでしょう。言い換えれば国こそが最強の勇者と言えます。生死の境をさまよう罪なき人々を助けてこそ救済者ではないのですか?」

「金をバラまくことが勇猛といえるなら悪徳商人どもも勇者ではないか」

「いいえ、彼らは将来の顧客を見込んで投資しているだけです」

「それは知っている。税だって無辜の民から集めているではないか。それは

国の栄のためだろう。何もかも失った者は確かに気の毒だ。だがその救済がどう国の栄につながるのだ」

大僧正は直球勝負の命題で挑んできた。

「あなたが救った何割がガチ信者ですか。寄進者なんて極少数です。しかし信仰は買えません。例えば貴方が助けた子供の親が幾らか寄付するとします。その友達が真似をして学校では募金箱を設置し助け合いの輪が広がって世界は平和で豊かになります」

「しかし」

「はい、もちろんわかっています。ですが現実問題として困窮する人々は存在しています。彼らを放置すればさらなる不幸をまき散らすことは明白です。貧困者への炊き出しや住居の提供は国家が行うべきです」

「むう、それなら納得できる」

「そうです。それが正しいのです」

「ならば、なおさら勇者が必要では?」

「違います。神が顕現しなくて良い世の中です」

「なるほど、確かにな」

「わかってくれてありがとう」
異世界の空も地球も変わらない。あるのは人の営み。ここにはエルフ等様々な種族がいる。それでも元をただせば

「人類」という一つの存在が生み出した文化や制度だ。

そして、そこに住む人々も「ヒト」という生き物でしかない。

(私も変われた)

ふと思う。翠はこれまでずっと、自分の理想とする姿を目指してきた。だがその先は何もなかった。今は少し違う。

「この先、私がいなくなったとき……」

言葉が零れる。誰にも聞こえないように呟く。

(誰かが私の理想を継いでくれたら……なんて、そんなの虫が良すぎるわよね)

夕暮れ時が過ぎ、薄暗くなっていく。

「山吹、そろそろ帰るのか」

後ろから不意に声がかかる。驚いて振り返るとそこには大僧正が立っていた。もう日が落ちて、室内には二人しかいない。「ああ、おつかれさまでした」

「今日はすまなかった」

「いいえ。大僧正殿は謝らないでください」

「いや、お前の言うことは正しかった。我はお前から教えてもらうばかりであった」「そうですか。よかった」

翠は、ほっとしたように胸に手を当てる。「あの」

翠の指が大僧正の頬に添えられる。

「また、明日から一緒に頑張りましょう。困ったことがあったらいつでもヘルプデスクに来てください」

「え、あ、ああ、そうだ、また来るよ」

「じゃ、また」

翠はコールセンターの施錠を行い家路についた。大僧正の影法師が長く尾を引いている。そこに小柄な女のシルエットか駆け寄り重なった。

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