「頼むよ。夜も寝られない」と懇願され客先に出向くと天井にびっしり耳朶《みみたぶ》が生えていた。
「夕方までにやってくれ。金は幾らでも出す」
依頼人は涙目で頭を下げた。

「わかった」

耳掃除職人のジョニー黒柳は聴診器の駆除を副業にしている。シュッとした細マッチョな身体をパリッとしたワイシャツとチノパンでつつみボサ髪と視点は常に明後日を向いている。薄ら笑みを絶やさず、誤った好感を与えている。
それが救いだ。キモ善人と遠巻きに評する者もいる。

客の男は土浦厳と言った。BMI高め。壁のある街から来た男と称しているが素性は誰も知らない。
仮名らしい事は向かいのピアノ屋から聞いた。
黒柳にとっては来歴より金払いが問題だった。
黒柳は暇なピアノ職人の噂話に生返事をしながら天井に昇った。
すると耳朶がピクピクと震えて何かアピールしていた。

黒柳はジョセフソン綿棒にジャム醤油を浸して掃除にとりかかったが耳朶はそれをはたき返した。
「お前、何か言いたいことがあるのか?」
子犬サイズの耳朶は「みょーん」、と産毛を逆立てた。
「事情はわかった」

黒柳は綿棒を片付けた。そして梯子を下り「今日は仕事にならない」と職人に嘘をついた。
夕方に土浦が血相を変えて文句を言いに来た。
「耳朶を一掃してくれる約束じゃないか!」
黒柳は「この話はなかったことにしてくれ」と金を返した。
「どういうことだってばよ」
なおもつっかかる土浦。
黒柳は話を促す。
「…ピアノ屋に言ったじゃないか。耳朶をなくさないためを頼んだ」

土浦は耳を疑う。「何をわけがわからない言い訳をしているんだ。料金の倍を払う。お願いだ。俺の寝室から耳朶を一掃してくれ。俺は眠いんだ」

そりゃそうだ。耳朶に好かれた者は産毛の子守歌で非業の衰弱死を遂げる。
もともとは壁のない街で造られたとも黒の迷宮から飛来したともいわれる。同じ昔話を繰り返す老婆や未亡人の聞き役に徹する機能があるという。
いずれにせよ男だけの街には無用の長物だ。
だから土浦が気味悪がっている。なぜ自宅を耳朶の巣にされたのか。

「悪いが耳朶から事情を聞いちまったんだ。お前はピアノ屋と結託して
終わりのないピアニカ演奏をさせるつもりだろ? 俺は騙されないぞ」
「そんなことはない。俺はただ、自分の耳のピアスホールを塞ぎたいだけだ」
「そうか、じゃあ明日もう一度来る」
黒柳はそれだけ言うと帰って行った。
翌日、黒柳は再び土浦の家を訪れた。
「どうしたんだ?」
「いや、昨日の話だが、耳の穴を塞ぐだけなら何もピアノ屋の手を借りる必要はないんじゃないかと思ってね」
「なんだって!?」
「つまりさ、穴が空いている耳に、別のものを詰めればいいんだよ」
黒柳は鞄から大きな白い紙袋を取り出した。中には黒い物体が入っていた。それはボールのような台所虫《ジワム》の死骸だった。
「これなんかいいんじゃねえかな。ちょっと手触りが違うけど……」
黒柳が色つやのよい個体を取り出した。

「何言ってるかわかんねぇよ! こんなもん入れるくらいなら自分でやるわ!!」
土浦は絶叫する。
黒柳はジワム入りの紙袋を仕舞った。
「そうか。だが料金はいただくぜ」
土浦は「は?」と耳を疑う。耳朶の駆除をするまで払えないと耳を貸さない。
そこで耳に胼胝ができるほど黒柳は道理を説いた。
「ちぇっ。耳に痛い話だ。2倍だったな」
「耳をそろえて払ってもらおう。出張費は込みにしといてやる。まいどあり」
黒柳は領収証と明細票を渡した。

それから一ヶ月後、黒柳はピアノ屋の主人と一緒に土浦の家に呼ばれた。
二人は部屋に入るなり仰天した。
ピアノは調律され、鍵盤蓋も閉じられていた。
土浦のピアス穴はすっかり塞がっていた。
しかし部屋の中はまるで地獄絵図だった。床には大量の耳垢が落ちていた。それらは乾燥し、小山のように積み重なっていた。
足の踏み場もない。
「これはひどい」
黒柳は呟いた。壁に人型のシミがついている。耳をそばだてている様だ。

「だろう? こいつらのせいで毎日掃除してもきりがない。もう疲れちまってなぁ」
ピアノ屋は頭を掻いて溜息をつく。
「それで、こいつは一体なんなんだ?」
黒柳は山のような耳垢を指差す。
「わからん。気がついたら増えてるんだ」
「なるほど、よくわかった」
黒柳はピアノの下に潜り込み、耳掻きで耳垢をかき出した。
そして床下収納庫を見つけると耳掻きの先端を差し込んだ。
「おい、まさか……!」

「そのまさかだよ」黒柳は床下の耳垢にジャム醤油を流し込む。
耳垢はみるみる溶けて液体になり、収納庫を満たした。
「よし、これで大丈夫だ。あとは水洗いすれば綺麗になるぜ」
黒柳は立ち上がり、二人に背を向けた。
「あんたらは運がいい。耳朶の虜にされたら死ぬところだった」