「違わない。僕は僕を知っている。僕は僕以外の何者でもない。他の誰でもない。だから、君が僕を『あなた』と呼ぶなら、そうなのかもしれない。だけど、僕はそんなふうに呼ばれたくない。そんな呼び方は嫌だ。だって、そんなのはおかしいじゃないか。僕は僕なのに、まるで僕だけがおかしいみたいに聞こえる。そんなのは間違ってる。僕が『君たち』なら、君は僕で、僕は君でしかない。君は僕を、僕だけを、『あなた』と呼べばいい」、と僕が言ったら、彼女はまた笑う。

「そんなことはありえないのに、どうしてそんなこと言えるの。そんなのはおかしい。やっぱり、あなたは頭がおかしくなってるのね」、と。

***
目が覚めた。時計を見ると朝の七時前だ。まだ眠い。
昨日は深夜まで起きていたから寝不足だ。
ベッドの上で寝返りを打つ。部屋の中は薄暗い。カーテンの隙間からは光が差し込んでいる。雨は止んでいるらしい。
枕元に置いた携帯電話に手を伸ばす。液晶画面には不在着信の表示があった。
発信者は、姉だ。
掛け直すと、すぐに繋がった。
スピーカー越しに姉の声が聞こえてくる。
姉は泣いていた。
電話の向こうで姉は何度も繰り返し謝っていた。
私は姉の言葉を聞き流しながら、窓の外を眺めていた。
外では激しい風が吹いている。
姉が泣き疲れて眠りにつくまで、私は何も言えなかった。
姉は最後にもう一度ごめんなさいと呟いて、電話を切った。
その瞬間、私の中の何かが壊れた。姉の言葉を頭の中で反すうする。
――あの子は、もう…… そんなの嘘だと心の中では分かっていた。
姉がそんなことを思うわけがない。
でも、私が姉の立場ならきっと同じことを考えてしまうと思う。
だから、私は泣かなかった。
泣くことができなかった。姉は悪くない。悪いのは全部、犯人のせいなのだ。
私にできることは一つしかなかった。
姉の代わりに、怒り続けることだけだ。
その日の夜、姉は自殺した。
遺書はなかった。
ただ、姉は眠るように息を引き取った。
自殺の理由は、最後まで分からなかった。
***
「この辺りでいいですか」
「えぇ、ありがとうございます」
タクシーの運転手に礼を言いながら、私は車を降りる。
夜の八時を回った頃だというのに、空はまだ明るい。
「気をつけて帰ってくださいね」
「はい。またお願いします」