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熱に浮かされた額に、冷たい感触。なんて心地いとまどろみに頬を緩めながら、光の意識はたゆたう。ありもしない、幼い頃の母との記憶。熱に魘されてみる夢でしか知らない、母の面影――。
それを、心地よい手のひらに思い描きながら、瞼を開けた視界に飛び込んできたのは――嫣然と微笑む美丈夫だった。これじゃない、と、光は力いっぱい眉をしかめる。
「お前、起き抜けのしかめっ面でも絵になるのな。どんだけ神に愛された作り込みされてんの?」
「……史上三指の最悪の目覚めだ。悪夢だよ」
くつくつと肩を揺らす深山に、重たく光は現実を呪った。
「なんでここにいるわけ? 俺、病人なんだけど」
「病人は病人でも、呪詛だろ?」
鼻先まで布団をひっぱり、ベッドにもぐりこんだ光に、深山の憐れむような深いため息が落ちた。
「確かに、数をこなして恋をしろとは言ったけどな……? 中級花精とうまい具合にいってたものの、ガチ恋させて衰弱させたうえ、師事してた女術師もその気にさせたせいで、花精と術師で争って殺し合ったあげく、お前まで嫉妬で呪詛くらうって、そうある展開じゃねぇよ? なにしたらそんな修羅場を築けんだ?」
「……なにもしてないよ。健全に教科書通りの花精との関係構築をして、真面目にその成果を師に報告してただけ」
「花精と日光浴したり、散歩したり、音楽聞いたり、水あげたりしてただけ? で、その話をしてただけ?」
「だけ」
「それはそれでおりこうさん過ぎて心配になるけど、それだけでそこまで関係こじれるか?」
「……こじれちゃったものは仕方ないだろ」
信じられない、と首をふる深山を、布団の端からちらりと光は睨む。そのかすかのぞく頬は熱に桜色に蒸気して、潤んだ瞳がどこか煽情的だった。
「――あ、理解した。お前の普通、ヤバいやつだったわ」
「あの……うちの光さまを邪な目で見ないでいただけます?」
もろ手をあげた深山に、その背後からふいに声がかかる。深山と同じ年頃の黒髪の青年だ。光や深山に比べると、ずいぶんと大人しい、悪くいえば地味な風采である。彼は幼少期から光の側仕えを務めており、いまも会話に興じるふたりのうしろで、せっせと薬湯の準備にいそしんでいたのだが、ここは釘を刺さねばなるまいと、割り込んできたらしい。
「惟……なんで深山、部屋に入れちゃったの?」
「一応見舞いに来たというので、致し方なく……」
「せっかく足を運んだ親友に、主従揃って無礼過ぎじゃないか?」
冷たく咎める光に、心底面目なさそうに惟は肩を落とす。深山の乾いた笑い声がそこに響いた。
「一応、俺も責任は感じたんだよ。恋をしろって言ったのは、俺だからな。まぁ……ここまでド下手くそな事態にすっころぶとは思わなかったけどさ」
「もう何とでもいえばいいよ。恋の距離感なんて、俺にはわからないよ……恋ってそもそも何? どうやって恋するの? パンくわえて走って角曲がってぶつかればいいの?」
「やめてくださいよ。ただでさえあまりの事態に自信喪失気味だったのが、迷走しだしてしまっているじゃないですか」
「思ったよりも重傷みたいだなぁ、これ」
布団のうちにもぐりこんでしまった主を、いたわるように惟はなでる。めそめそと湿っぽい布団の膨らみに、深山は肩をすくめた。
だがふいになにを思ったのか、その端を掴んで、ひょいと持ち上げる。のぞきこめば、ほの暗い寝台の闇の中、朧の月ような、どこか儚げなかんばせが待ち受けていた。金色の髪がしなやかに、少し汗ばむ頬や首筋流れかかり、熱に浮かされた紫の瞳は、ぼんやりと幻想的に揺れている。
「――恋、俺が教えてやろっか?」
ささやいた瞬間、深山の身体がのけぞった。床にしりもちをつき、腫れた頬を押さえる。
「殴った、こいつ! 躊躇いなく拳できやがった!」
「すみません、うち、そういうデート商法、お断りしてるんで」
「あんた、うちの光さまにまで色目使わないでくださいよ。害悪が」
「言うに事欠いて、ひどい悪態ついてきやがったな、お前」
さらにガード固くもぐりこんだ布団虫の前に、庇うように仁王立って、惟が蔑みの目で深山を見下す。それを深山は頬をさすりさすり、睨みやったが――直後、茶番も一区切りとばかりに、腫れた頬をほころばせて苦笑した。
「ともかく……力は有り余ってるようでなによりだけどな。とはいえ、呪詛は呪詛だ。病気みたいっていっても、病じゃないんだから、薬なんか気休めだろ。とっとと、北山の呪解師に看てもらってこいよ」
「もちろん、とっくに手筈は整えてありますよ。明後日に向かう予定です」
いまさらの助言だとばかりに、不服げに惟は返す。
そのうしろの布団の中から「アオイをよろしく」と頼む、くぐもった声がかかった。彼の父に世話になっている負い目なのか、真面目さゆえなのか――。なんにせよ、気遣いのし過ぎだろうと、深山は肩をすくめた。
「……んとに。せっかくここを離れた北山に行くんだ。ちゃんと俗世を忘れて、羽根伸ばして来いよ」
幼馴染の優しい声音に、もぞりと布団が頷くように小さく動いた。
熱に浮かされた額に、冷たい感触。なんて心地いとまどろみに頬を緩めながら、光の意識はたゆたう。ありもしない、幼い頃の母との記憶。熱に魘されてみる夢でしか知らない、母の面影――。
それを、心地よい手のひらに思い描きながら、瞼を開けた視界に飛び込んできたのは――嫣然と微笑む美丈夫だった。これじゃない、と、光は力いっぱい眉をしかめる。
「お前、起き抜けのしかめっ面でも絵になるのな。どんだけ神に愛された作り込みされてんの?」
「……史上三指の最悪の目覚めだ。悪夢だよ」
くつくつと肩を揺らす深山に、重たく光は現実を呪った。
「なんでここにいるわけ? 俺、病人なんだけど」
「病人は病人でも、呪詛だろ?」
鼻先まで布団をひっぱり、ベッドにもぐりこんだ光に、深山の憐れむような深いため息が落ちた。
「確かに、数をこなして恋をしろとは言ったけどな……? 中級花精とうまい具合にいってたものの、ガチ恋させて衰弱させたうえ、師事してた女術師もその気にさせたせいで、花精と術師で争って殺し合ったあげく、お前まで嫉妬で呪詛くらうって、そうある展開じゃねぇよ? なにしたらそんな修羅場を築けんだ?」
「……なにもしてないよ。健全に教科書通りの花精との関係構築をして、真面目にその成果を師に報告してただけ」
「花精と日光浴したり、散歩したり、音楽聞いたり、水あげたりしてただけ? で、その話をしてただけ?」
「だけ」
「それはそれでおりこうさん過ぎて心配になるけど、それだけでそこまで関係こじれるか?」
「……こじれちゃったものは仕方ないだろ」
信じられない、と首をふる深山を、布団の端からちらりと光は睨む。そのかすかのぞく頬は熱に桜色に蒸気して、潤んだ瞳がどこか煽情的だった。
「――あ、理解した。お前の普通、ヤバいやつだったわ」
「あの……うちの光さまを邪な目で見ないでいただけます?」
もろ手をあげた深山に、その背後からふいに声がかかる。深山と同じ年頃の黒髪の青年だ。光や深山に比べると、ずいぶんと大人しい、悪くいえば地味な風采である。彼は幼少期から光の側仕えを務めており、いまも会話に興じるふたりのうしろで、せっせと薬湯の準備にいそしんでいたのだが、ここは釘を刺さねばなるまいと、割り込んできたらしい。
「惟……なんで深山、部屋に入れちゃったの?」
「一応見舞いに来たというので、致し方なく……」
「せっかく足を運んだ親友に、主従揃って無礼過ぎじゃないか?」
冷たく咎める光に、心底面目なさそうに惟は肩を落とす。深山の乾いた笑い声がそこに響いた。
「一応、俺も責任は感じたんだよ。恋をしろって言ったのは、俺だからな。まぁ……ここまでド下手くそな事態にすっころぶとは思わなかったけどさ」
「もう何とでもいえばいいよ。恋の距離感なんて、俺にはわからないよ……恋ってそもそも何? どうやって恋するの? パンくわえて走って角曲がってぶつかればいいの?」
「やめてくださいよ。ただでさえあまりの事態に自信喪失気味だったのが、迷走しだしてしまっているじゃないですか」
「思ったよりも重傷みたいだなぁ、これ」
布団のうちにもぐりこんでしまった主を、いたわるように惟はなでる。めそめそと湿っぽい布団の膨らみに、深山は肩をすくめた。
だがふいになにを思ったのか、その端を掴んで、ひょいと持ち上げる。のぞきこめば、ほの暗い寝台の闇の中、朧の月ような、どこか儚げなかんばせが待ち受けていた。金色の髪がしなやかに、少し汗ばむ頬や首筋流れかかり、熱に浮かされた紫の瞳は、ぼんやりと幻想的に揺れている。
「――恋、俺が教えてやろっか?」
ささやいた瞬間、深山の身体がのけぞった。床にしりもちをつき、腫れた頬を押さえる。
「殴った、こいつ! 躊躇いなく拳できやがった!」
「すみません、うち、そういうデート商法、お断りしてるんで」
「あんた、うちの光さまにまで色目使わないでくださいよ。害悪が」
「言うに事欠いて、ひどい悪態ついてきやがったな、お前」
さらにガード固くもぐりこんだ布団虫の前に、庇うように仁王立って、惟が蔑みの目で深山を見下す。それを深山は頬をさすりさすり、睨みやったが――直後、茶番も一区切りとばかりに、腫れた頬をほころばせて苦笑した。
「ともかく……力は有り余ってるようでなによりだけどな。とはいえ、呪詛は呪詛だ。病気みたいっていっても、病じゃないんだから、薬なんか気休めだろ。とっとと、北山の呪解師に看てもらってこいよ」
「もちろん、とっくに手筈は整えてありますよ。明後日に向かう予定です」
いまさらの助言だとばかりに、不服げに惟は返す。
そのうしろの布団の中から「アオイをよろしく」と頼む、くぐもった声がかかった。彼の父に世話になっている負い目なのか、真面目さゆえなのか――。なんにせよ、気遣いのし過ぎだろうと、深山は肩をすくめた。
「……んとに。せっかくここを離れた北山に行くんだ。ちゃんと俗世を忘れて、羽根伸ばして来いよ」
幼馴染の優しい声音に、もぞりと布団が頷くように小さく動いた。