春が追い付く二拍手前。

「……さて、いったいこのがらくたを、どうしてくれようか。
とりあえず徹底的に分解して仕組みをしらべてから、不燃物として出してやろう」
「いや、ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 普通、実の父親からもらったプレゼントを、その五分後には捨てる算段を建てますか?!」

 開口一番の無慈悲な言葉に、私は慌ててつっこんだ。
 しかし、彼女は悪びれる様子もなく、不思議そうに私を見ると、首を傾げた。

「プレゼントというものは、与える側から与えられた側に渡った時点で、その所有権はすでに移行しているから、受け取った後で、受け取った側がどうこうしようと自由なはずだが」
「いや、ちょ……。理屈としてはあってるにはあってますが、人道的に言うと冷酷というか、道徳的に言うと非難を浴びかねないというか……。とにかく、人間としては残虐極まりない行為かと……」
「随分と人間臭いやつだな。ロボットで、尚且つ見た目はウサギのくせに」

 私は、ロボットだった。研究者である彼女の父親が、彼女の為だけに作り上げたロボット。
 両掌サイズの、ふわふわの毛のウサギの姿として、私は生み出された。
 そんな私をまじまじと見ると、彼女は再び、首を先ほどとは反対側に傾げた。

「……にしても、なぜウサギなんだ。普通、世の中の人々がロボットに求める嗜好を鑑みるならば、こういう時は犬か猫型にするべきだろう。なのに、なぜにあの男は、ウサギ型なのか、甚だ理解に苦しむ」
「……私は、あなたの父から、あなたは大変なウサギ好きだと聞いていたのですが……」
「それは私が七歳のころの話だ。一体あれから何年たっていると思っているんだ。人はお前たち機械とは違って、成長するし経験の積み重ねで嗜好だって変わるんだ。
いつまでも同じものが好きなわけがないだろう? ……まったく、あの男は」

 彼女は、はあとため息をつくと、部屋の窓から空を見上げた。
 その目は、どこか寂しげで、あきらめを含んだものだった。

 彼女がウサギ好きではない――聞いていた話とは違うということで、
 今すぐにでも分解されて捨てられてしまうのではないかという恐怖により、その頃の私は、その瞳が意味することに気づくことはなかった。
「さあ、ポチ。こっちにこい、出かけるぞ」
「ちょっと待ってください、わああっ!?」

 玄関先で不機嫌に私を待つご主人様――ハル様の、これ以上の機嫌を損ねたくなくて、廊下を駆けていた私。
 しかし、あわれ、磨かれたフローリングに足を取られてすっころび、そのまま玄関の石畳に顔面からつっこんだのである。
 はああ、と聞えよがしのため息が頭上から降ってきて、私は恥ずかしくてたまらなかった。
 きっと人間であったならば、顔の体温が上昇して――いわゆる、顔から火が出そうな状況というべき場面にいたのであろう。

「無様な姿をさらして、これ以上私をがっかりさせてくれるな。それ以上、ろくでもない姿を見せられると、お前が果たして本当にロボットなのかどうかも、怪しむことになる。そんな余計な労苦を私にかけてくれるな」
「……」

 『あなた、本当に十二歳の女の子ですよね?』という、喉元まで込みあがってきた質問は、胃の奥底まで飲み込むことにした。
 その代わり、彼女の父を少しだけ恨むことにした。

――素直じゃないけど、かわいい子だから、安心して。

 そう彼は、慈しむような、けれどなぜか悲しそうな目で言っていた。
 だから私は、きっと仕事で忙しく、娘にかまってあげられない父親の悲しみが表れてしまったのだろうと理解した。
 なので、彼の代わりに、家で一人ぼっちで寂しいに違いないだろう娘さんの、お傍にいるお役目を全うしようと奮起してここに来たのだ。

なのに、まさか――

「さっさと立たないか、ポチ。あんな男でも、天才と世の中から称されている奴だ。
なら、あの男の発明品であるおまえにも、人間の平衡感覚器官に代わる機能くらい当然ついているはずだ。だったら、今お前の目の前にある地面が、進行方向だなんて大間違いを犯すわけがない」

 こんな、まったく、どこもかわいくない娘さんだったなんて。三枝博士の大噓つき。

 さっさと玄関の扉を開けて、外に出ていく彼女。
 私はさめざめと泣きたい気分に駆られながらも、置いてけぼりを食らうのは嫌なので、慌てて閉まりかけていた扉から外へ出た。
「あれ、ポチ。ついてこれていたんだね、感心だ」

 ずんずんと前へと進んでいた彼女は、今更気づいたかのように立ち止まり、私を見た。
 私はむっとして、彼女をにらむ。

「ついていけないスピードで歩かれても、何とかついていこうとしますよ、あなたがご主人様なんですから。
そもそも、ハル様が今日は連れていきたいところがあるといったから、こうして懸命についてきているといいますか、ついていかざるを得ないのではないでしょうか?」

 私は、彼女に比べたらはるかに短く、小さい足で、ぺしぺしと地面をたたきながら主張する。
 ウサギ特有の、ジャンプする機能が私の足にもついていなければ、とっくに彼女の後姿を見失っていたところだ。

「別についてきたくなければついてこなくてもよかったんだけれどね」
「なら私は帰り「その代わり、主人の言うことに従わない機械は、不良品だからぶんか…」ません」

 鬼だ。なんだかんだ言って、彼女は、私を無理にでも従わせる気だ。
 私はしくしく泣きたい気持ちを押し殺し、無慈悲なる彼女の後を暗い心地で付いていく。


 黙って彼女の後ろを歩いていると、時折白い煙が頭の上を流れていった。
 何かと見ると、彼女の吐いた息が、どうやら白くなって流れていっているようだ。
 ロボットの私には寒さというものがわからないが、どうやら今、外の気温は低いらしい。

「そんな薄着で寒くないのですか?」
 彼女は、長袖に長ズボンといういで立ちではあるが、上着を羽織ってはいない。
「暦の上ではもう春だよ。天候や気温でいうと奇妙なことだがね」
 彼女は、振り返りもせず、何ともないという風に答えた。


 そうこうしているうちに、彼女は、長く続く石段の前で立ち止まった。
 石段の前には鳥居がある。どうやら神社らしかった。
 彼女は、これを登らされるのか……と絶句する私の前で、こちらを心配する風もなく、石段を登り始める。
 私は、仕方なく石段によじ登る。長い時間をかけて石段を登り切った頃には、すでに彼女は参拝を終えた後で、暇つぶしになのか、掛けられた絵馬を読んでいるようであった。

「『●●高に受かりますよう』『〇〇と結婚できますよう』『幸せになれますよう』……見てみなよ、人類の浅はかな欲の結晶が、こんな小さな町にいながら見る事ができるぞ」
「……あのですね、神社とはそういうところなんですよ。自身のお願い事を叶えてもらうための……。この神聖な場所で、『欲』とか似つかわしくない言葉は言うものではありません……」

「他力本願で、自分は何もしない。これのどこがお願い事で、欲ではないというんだ。そのくせ欲が叶わなければ、何も行動しなかった自身を棚上げにし、誰かを責める。これのどこが浅はかではないと言えるんだ?」
「……でも、ハル様。あなたもわざわざここへ来たということは、何か浅はかな欲があって、他力本願に願いに来たのではありませんか?」

 私は、揚げ足を取ることができたと、内心小気味よく思いながら言った。
 すると、彼女は、ほんの少しだけ、ばつの悪そうな顔を見せたが、すぐに元の無表情に戻って言った。

「……私は、願い事を言いに来たのではなく、お礼を言いに来ただけだ。だから、ほかの浅はかな輩どもとは違う」
「……でもそれは、以前に、浅はかな願い事をしに来たという訳ですよね」
「……」

 彼女は、一瞬黙った。それから即座に、『雨が降りそうだなあ、早く帰らないと』と快晴の空を見上げつつ言う。
 してやったり、と私は思った。しかし、彼女は本当に帰ろうと、またあの石段へ向かうものだから、私は慌てて言った。

「ちょっとまってください。もう帰るんですか?」
「帰るも何も、用事が済んだのだから、もう帰る」
「来てすぐ帰るなんて勘弁してくださいよ……。私が必死に石段登るのにどれだけエネルギー使ったと思っているんですか?  なのにもう帰るなんて。私のせっかくの努力はどう報われたらいいんですか?」

 必死になって言う私に、しかし彼女は、首を不思議そうにかしげて見せる。

「太陽光で動くと聞いている。今日はよく晴れているから、また発電すればいいだけだろう?」
 彼女には血も涙もないのか。というか、さっき雨が降りそうとか言っていたのはどこの誰だったか。

「いくら晴れていたって、即座に発電できるわけではありませんよ。……せっかく来たんですから、初めての私に案内ぐらいしてくださっても、いいではありませんか?」
「案内っていったって、私もよく知らないぞ」
「へ……。祭神とか、由緒とか、どういった御利益がある神社だとか、そういった知識は……?」
「……知らん。有名な神社らしいが、そういったのは興味がない」
「知りもしないし、興味もないのに、参拝したんですか?」

 あきれる私。ばつが悪くなった彼女は、それを隠そうと、ごにょごにょと言葉を重ねた。

「……近所だし、有名だし、願い事をするのに、ちょうど良いからいつも来ていただけで。あと、知り合いがここの宮司の息子だから、よく来ていただけで……」

 願い事をしに来ていた、って、さっきあなた偉そうに、浅はかだとか言ってましたよね?
 私はからかい半分に、責め立ててやろうかと思った。
 しかし、言い訳を考える様子を見て、初めて年相応の反応を見たような気がして、先程までとのギャップで、何だかおかしな気分になった。
 そんな私の様子に気づき、彼女は慌ててごまかしにかかったのだろう。あたりを見渡して、今思い出したかのように言った。

「……えっと、あれだな、確かここの神社で有名なのは、梅の木だな。樹齢……えっと、多分二百年……だったかな、いや、三百年ぐらいだったか……。とにかくそういう木があるんだ。ほらちょうどあそこ」
 彼女が指さした先には、紅い花をつけた梅の木があった。かなり古いのか、幹は苔むし、ところどころ穴が開いていた。

「綺麗ですね」
「見た目もいいけれど、香りもいいぞ……って、お前には嗅覚はなかったか」
「まあ、空中の成分は分析できますが、いい匂いか悪い匂いか、主観的な感想を持つことまでは、現代の技術ではできませんからね」

 私は残念そうに言う。すると、彼女はちょっと考える風をして口を開いた。

「私には、この神社の由来を説明して、お前を楽しませるだけの知識はないが、その代わりに、梅のうんちくを話してやろう」

えっへんと得意げに腕組みする彼女を、私は横目で見つつ言った。

「なんだか長くなりそうなんでいりませんよ」
 「……なっ!?」と言って言葉に詰まった彼女を置いて、私は神社の拝殿の前へと向かう。

 二礼二拍一礼の所作は知っている。どうやら、彼女の父が、私のAIに知識として入れておいてくれたらしい。だから、私は二拍すると、大声で嫌みっぽく言った。

「え~、神様。どうか私のご主人様が、私のことをポチと呼ばずに、ちゃんとした名前を付けてくださいますよう。何とぞよろしくお願い申し上げます」
「ちょっと、お前、ポチのどこが不満だというんだ」

 不服そうに頬を膨らませる彼女に、一礼を終えた私は、「あたりまえでしょう」と言う。

「ポチなんて普通、犬の名前でしょう? それに、前時代的な、今じゃ絶滅危惧種の、逆に変に目立つ名前じゃないですか? そんな名前、ウサギはもちろん犬でも嫌がりますよ」
「なら、タマにするか」
「なんで、ポチかタマの二択なんですか?」
「だって、ポチとタマは、ペットの名前のド定番の名前だと聞いているから……」
「何時代の人間ですかあなた。今は、サ〇エさんの生きていた時代じゃありませんよ」

 じっとりとした視線で見ると、彼女は、観念したかのようにうつむいて唸っていた。

「なら、ウメはどうだ?」
 彼女は、ぱっと名案だ、と顔を輝かせた。

「馬鹿ですか。さっきの話の流れで、今のウメなら、適当にもほどがあるかと」
「……わがままな奴だな。何が不服何だか」

 「不服なら大いにありますよ」と睨めば、彼女は、ちょっと考える風をして、口を開いた。

「そうだなあ……冬。今冬だから、冬にしよう。お前は今日からフユだ」
「今冬だからって…安直な……。しかも、さっき暦の上では春とか言ってたくせに……。まあいいです。これ以上の変更を求めれば、もっとロクでもない名前を付けられかねないので、このあたりで妥協しておきます」

 私は、もう一度拝殿のほうを向き直ると、軽く頭を下げた。
 ある程度はマシな名前をもらえたことに対してのお礼だった。

「じゃあ、これからポチ改め、フユ、よろしく」
「こちらこそよろしくお願い申し上げます。ハル様」

 私が、小さな手を差し出すと、彼女は身をかがめて手を握ってくれた。
 歳のわりにしっかりしているように見えて、だけど、どこか変なご主人様。
それが、私が彼女の元での、初めての日で得た、感想だった。
 私たちが出会ってから、時は早いもので、彼女は中学に上がり、二年目を迎えた。

「ハル様、学校に行かなくなってもう二年目ですよ。大丈夫なんですか?」

 私は、朝から部屋で機械をいじっている彼女に、心配そうに言った。

「学校などというものに行かなくても、勉強など、いつでもどんな場所でもできる。
幸い私の家は、あの男の研究と発明のおかげで、得たい知識があれば海外にだって行ける財力を持っている。それに今日日、ネットさえつながっていれば、学びの機会はどこでだって得られる」

「だけど、勉強はできても学校に行かなければ、就職とか結婚とかする時に、学歴という点において困ることがあるのでは……」
「学歴なんてあったところで、狭い日本においては逆に足枷にしかならないよ。君はもっと世界を見てから物を言ったほうが良い」
「……」

 こういう彼女も、小学校を卒業するまでは、風邪でもひかない限りは、おそらく毎日学校に通っていた。
 おそらく、というのは、私たちが出会ったのが彼女が六年生の二月であったから、私はそれ以降のわずか一月(ひとつき)と少しの事しか知らないからだ。
 私もたまに、ランドセルに入れられて、こっそりと連れていかれた。
 彼女は、学校ではいじめられてはいなかったが、明らかに浮いていた。まあ、この性格と物言いでは仕方がないかもしれない。

 それに頭も良すぎたため、わざわざ学校へ行って勉強をする意義を見失ってしまったのかもしれない。
 学校など、勉強と、他者との交流を学ぶための場であり、勉強という片方は必要なく、他者との交流という片方がうまくいかない彼女にとっては、必要のない不毛な場なのかもしれない。

「……まあ、君のいう心配も、理解はできる。私も、高等学校からは真面目に登校するつもりだ。義務教育はしかるべき単位を履修しなくても、勝手に卒業証書をくれるからな。その間は、甘えさせてもらって好きなことをするよ」

 彼女の好きなこと、とは父親に似たのか、機械をいじって何かを作り上げる事である。
 その興味が高じて、私に矛先――ドライバーの先――が向いて、あわや分解されかけたことは、一度や二度のことではない。現在においても三日に一度はその危機にさらされている。

 彼女に作り上げられては、気に入らずに分解されていった同胞たちの死体――残骸の山が、毎日のように積み重ねられていくこの部屋は、ともすれば私にとっては恐怖の部屋でもあった。
 屋敷の使用人たちが、毎日見かねて片付けに来てくれなければ、今頃ここは人の入る余地もなくなってしまっていただろう。

 この間、新入りの使用人が部屋に片付けに来た時には、彼が「ここは、かつての京都の風葬地か……?」とぼそりと突っ込んでいたのには、私も言い得て妙だと納得していた。
 私が彼なら、片付ける前に、残骸の山に一度蝋燭を立てていただろう。


「さて、今日の研究も終わったことだし、出かけようか」

 哀れ同胞だったはずの鉄の塊を放り投げると、彼女は鉄くずだらけの服を払って、そのまま部屋の外へと出ていこうとした。なので、私は慌てて止める。

「ハル様、引きこもっているとはいえ年頃の女の子なんですし、もう少しおめかししませんか?」

 今日、彼女は、古くからの友人に会いに行くと聞いている。だから、そんな機械油にまみれた作業着で会いに行くのはちょっと……と、さすがに人間ではない私でも思う。

「おめかしなんてしたところで、何か利があるのか?」
「利があるか無いかでいえばありません。ですが、そのままの格好でいけば、あなたの人間としての評価がマイナスになります。それを防ぐためと思えば、利はありませんが減点されることはありません」
「なるほど、納得だ。なら、おめかしとやらをしてやるか」

 私も二年供にいて、彼女の扱い方がわかってきたな、と内心で自分をほめる。だが、

「こまったな、おめかしの仕方がわからん」
「はあ……?!」

 そういえばそうだった。私はここへ来てからこの方、彼女が女の子らしい身づくろいをしようとしたところを、見たことがなかった。

 曇り切った鏡台の鏡を、機械油にまみれた布切れで拭く所から始めている彼女をしり目に、私はこっそりとため息をつく。そして、決めた。
 使用人の中で、一番長く働いている女性――彼女はいつも、飾りっ気のないハル様のことを嘆いていた――の所へ、おめかしを頼みにいったのである。

 すると、彼女は涙を流して喜び、部屋でいつか日の目を見る事を願って保管していたのだろう。
 かわいい数々のリボンやらワンピースやらをかき集め、山のように抱えて彼女の元へと走っていったのだった。
「……変じゃないかとそんなに心配しなくても、大丈夫ですよ。十分すぎるほどかわいくなってます」
「人の内面を見透かしたかのように……うるさいな、お前は。ここから放り落とすぞ」
「相も変わらず、内面はヤマアラシのように凶暴でまったく可愛くはありませんがね」

 使用人の女性の手によって綺麗に着飾らされた彼女は、私を肩に乗せて、神社への石段を登っていた。
 紺色がかった水色の――ラベンダー色というよりは、庭のライラックによく似た色の――ワンピースを着て。
 白いカーディガンを羽織って、艶のある髪の毛は、軽く緩やかに巻かれて、肩に落ちていた。

 調子に乗った使用人の女性は、薄化粧まで施すものだから、私は子供の肌には悪いのではないかとひやひやしながら見ていた。だが、本人は初めてする化粧というものに興味津々といった様子で、止めることができなかった。
 だが、結果としては、美しい彼女の姿を見る事ができたのだから良しとしよう。そう思うことにした。

「そういえば、今日は友人に会いに行くと聞いていたのですが、なぜ我々は神社へ向かっているんでしょう」
「それはな、その友人というのが、ここの神社の宮司の息子だからだ」
「ああ、前に行っていた、あの知り合いの方でしたか」
 私は、納得した。

「跡を継ぐために、都会で神道系の大学へと通っていたんだがな。この春卒業して、働き始めるまでの間、数日だけここへ戻ってくるんだと」
「ここで働くのではないのですか?」
「一旦別の神社で働くらしい。勉強というか、修行だと。実体として在る人間のために働かず、神など本当にいるかどうかもわからない者のために、人生をかけて修行をするなど、殊勝なことだな」

 彼女は、どこか拗ねたように、口をとがらせながら言う。

「それにしても、ハル様。友達いたんですね。あなたに使える私の身としては、とてもほっといたしましたよ。このまま生涯、あなたが一人でいて、寂しく孤独死するかと思っていましたので」
「うるさいな。本当にこの石段の上から落としてやろうか?」

 彼女は、私の首をつかむと、腕を突き出した。視界が、長く下へと続く石段でいっぱいになり、私は恐怖であわてて謝った。


 そうこうしているうちに、彼女は石段を登り切った。
 私は、彼女の肩の上から、果たして彼女のような人間の友達が、どんな人間だろうと興味津々とあたりを見回して探した。
 きっと、ただものじゃないと思って。
 しかし、あたりにいるのは、一見して普通の人間の老若男女である。

「まさか、姿を消せるとか、特殊能力者……!」
「おい、お前。今何を考えているのか分かった気がするが、杞憂に終わらせるために質問をしてやろう。
私みたいな人間に面と向かって付き合える人間が、人外だなどと考え始めているのではないだろうね?」
「ぎくっ……」

「……そんなにわかりやすい反応をされると、怒るのを通り過ごして、あきれであくびが出てきそうだよ」

 彼女は小さくため息をつくと、あたりを見回しはじめた。しかし、その友達はいないのか、ふうと吐息をつくと、参道を外れて、小さな小道へと足を踏み入れた。

「ハル様、どこへ行かれるのですか?」
「その男の家のほうに行くのさ。神社にいなければ、十中八九家にいるのだろう」

 しばらく行くと、和風の大きな屋敷が雑木林の奥にあるのが見えた。
 彼女がそちらの方へと歩みを進めた時、縁側から段ボールをぽいっと庭に投げる若い男性が見えた。庭に段ボールが小山になっているところを見るに、どうやら家の中の荷物を片付けているらしい。
 私がもしやと思って、彼女を見上げた時、私は思わず小さく息をのんだ。


 彼女が、うれしそうに笑っていた。

 日頃いつも無表情を崩さなかった……崩したとしてもほんの少ししか崩さない彼女が、満面の笑みでほほ笑んでいたのだ。

「……」

 その表情もほんの一瞬で、男性がこちらを振り返った頃には、いつもの無表情に戻っていた。

「あれ、ハルじゃないか。来るのは夕方じゃなかったっけ」

 男性は額の汗をぬぐうと、軍手を脱ぎながらこちらへとやってきた。三角巾をとると、さらさらとした髪の毛がぱさっと零れ落ちる。
 世の中一般でいうと、凛々しい男前という部類に入るだろう、男だった。

「暇だったからな、散歩ついでに様子をのぞきに来た」
「まじか……それなら夕べの間に掃除を終わらせておくべきだった……。都会でハイソにあか抜けた俺を、見せて自慢するつもりだったのにー!」

 くっそーっと、悔しがって見せる男に、彼女は呆れ顔で言った。

「何がハイソだか。中身が芋のくせに、磨いたって悪くてポタージュ、良くてマッシュポテトにしかならないだろう? 中身がデロデロなんだから」
「うっわー、きつい物言い、四年前から全然変わってねー。変わったのは身長と、見た目だけかよ……お兄ちゃん、泣いちゃう」
 男は、腕で目をこすり、泣く真似をした。

 互いに互いをよく知っているからことできる、言葉の掛け合いに、私は夫婦漫才を見ているようだと思った。私は羨ましいような、何だか水を差したいような不思議な気分になった。

――私だって、ハル様とずっと一緒にいたのに。

 そんな言葉が心をよぎった。妬みの感情など、機械ごときが持ってはいけないこと。だから、私はその心の言葉を無視するため、口を開いた。

「ハル様は、見た目も変わりませんよ。今朝までは、ぼさぼさの機械油まみれだったんですから」
「……っ、こら! フユ、お前ッ……!」

 さっと、彼女の顔が気色ばんだのに、私は彼女の本音を引き出すことができたような気がして。男への対抗心が満たされた気がして、どこか満足していた。

「……おお、ウサギがしゃべった……。お前の父親の発明品か」

 しかし、そんな私の心に気づきもしない男は、私の頭に手をやるとガシガシと撫でた。

「俺は、ハルの友達……ってか腐れ縁の柾といいます。今月大学を卒業したばっかりのぴちぴちのイケイケな二十二歳です。よろしく」
 へにゃっと笑った柾に、彼女はあきれまがいの視線を送る。

「自分で自分をぴちぴちのイケイケとか、自身の価値を冒頭からあからさまに下げに来る自己紹介だな、柾」
「えーいいじゃん、こういうのは絡みやすさをアピールしたもん勝ちなんだから。えーっと、フユちゃんだっけ、よろしく」
「こちらこそ……」

 私は、柾に軽く頭を下げた。すると、彼は「ハルに似なくてフユちゃんは素直でかわいいなあ」と屈託なく笑ったので、彼女は、柾の尻を思いっきり蹴飛ばしたのであった。
 段ボールの山に、頭から突っ込む柾を前に、彼女はふうと一息をつくと言った。

「粗大ごみの片付けも終わったし、おばさんに挨拶しに行くか」

 家の玄関の方に向かう彼女の肩の上から、段ボールの山に刺さる柾を見返す。
 そして、自分が柾でなくて良かったと思いつつ、前を向いた。
 その日の夕方から始まった、柾の卒業と就職を祝う宴会は、近所の人たちと、彼の親族を加えて夜更けまで続いた。

 どうやら、彼女は、この家に泊まる約束で来たらしい。
 彼女は客間でとっくに布団に入ってしまっている。無理に睡眠する必要のない私は、縁側で何とはなしに、暗くなった外を見ていた。すると、隣に座る者があった。

「よう、フユちゃん。何一人で黄昏ているんだ?」

 柾だった。宴会を抜け出してここへ来たらしい。

「いや……綺麗な庭だなあと思いまして」
「そうか? 手間がかかるだけの、木と岩ばっかりの庭だぞ。夏には気を付けないと池が藻だらけになるし」

 柾は、ふぁああ、とあくびを一つすると、眠そうに伸びをした。

「もう眠ったらどうですか? もう零時をまわりましたよ」
「眠れたら眠りたいんだが、がやがやとまだ酒盛りしている奴らがうるさくてな。
そういうフユちゃんは寝ないのか? ……というか、ロボットって眠るのか?」

 興味津々と身を乗り出してきた柾に、何だか初対面のわりに距離が近くて嫌だなあと思いつつも、答える。

「眠るというか、オンタイマーかけて意識をシャットダウンします。
ですが、別に眠らなくても故障はしませんよ。ただ、起きているといくら何も考えないようにしても、余計な思考回路を働かせてしまうのでね、省エネのためにシャットダウンはしますね」

 すると、柾は「へえー、すげえなあ」と目をキラキラと輝かせた。

「今のロボット工学ってそこまで進んでいるのか……俺は全く知らないけど、日夜ロボットは人間臭くなってるってことだな」
「まあ、機械が人間に近づいてもいいものかどうかはわかりませんが、そういうことですね」

 機械やパソコンのほうが、演算処理などをする点においては、人間よりもはるかに秀でているはずである。
 なのに、感情などという余計なものをつけて、人間に似せていくという、人類の行動の無意味さが分からないと私は思う。
 彼女も何の必要性があるのかと、よく研究雑誌を読みながらぼやいていた。

「いいじゃん、人間臭いやつらがいっぱいいたほうが。世の中楽しくなるんじゃね?」
「おおよそ神学を修めた者の、言葉と振る舞いとは思えませんが」

 神道系の学校では、神職として必要な知識だけではなく、心持や、所作振る舞いも習うはずである。なのに、目の前の男からは、そういった気配がほとんどしなかった。

「神学を修めたから、人間的にも精錬であれ、なーんてことはどうでもいいんだよ。
神様なーんて、いるかもわからない架空の奴に使えて、人としての人生を無駄にするんだ。日頃ぐらい、人間的な現実の生活を送りたいっていうのが俺の本音だよ」
「神という存在を信じていないのなら、なぜ神社の跡を継ぐんですか」

 私は思った疑問を素直に口にした。すると、柾は、先程までの表情とは打って変わって、急に真面目な顔をしてこちらを向いた。

「周りがそう俺にあってくれと、望んでいるからだよ」

 柾は、ふうと息をつくと、懐に手を入れた。そして、取り出したのは、野球のボールだった。よほど使い込まれているのか、白いはずの皮は、土で茶色く汚れていた。
 それをじっと見つめると、柾は庭に投げた。それは、段ボールの山で一度はねた後、すぐに見えなくなる。

「だから、神社とは関係のない普段の時ぐらいは、人間的に自由にしようって決めているんだ」
「……そうですか」

 彼にもいろいろと、何か事情があったのだろう。しかし、その一つ一つを問う気にはなれない。
 なぜなら、彼の言葉には先程までと違って打って変わって重みがあり、今までの年月(としつき)で経験してきたであろう、覚悟がうかがえたからだ。


「でもさ」
 ふと、空を見ていた柾が、口にした。

「実は、神様……というか、そういう存在って、いてるんじゃないかって思いも、捨てきれてないんだ」
 すると、柾が「なあ、一つだけいいことを教えてやるよ」とこっちを振り返った。

「願いを確実に叶えてもらう。神様への願いの伝え方が存在しているんだって」

 おそらく現実的な思考を持つはずの彼が、非科学的なことを急に言い出すものだから、私は思わず「何ですか?」と彼を見た。

「この願い方をしても、神様の気分次第なのか、聞いてもらえないこともあるらしいが、それはな…」

 彼は家の者に聞こえないために用心したのか、声を潜めて言った。

「俺のひいひいじいさんの話だがな。昔ひいひい……めんどくさいからひいひい略するな。
……じいさんには好きな人がいてな。だけどその人には別に好きな人がいて……じいさんが二人の間に割って入る余地なんてなかったらしい。だけど、どうしてもあきらめきれなかったようで……振り向いてもらうために、ここの神社で願ったらしい。……まあ、そのおかげか、じいさんはその人と結婚したんだが。願う時に在ることを言っていた」

「あることとは?」
「自分の寿命を半分捧げてでも、彼女がどうしても欲しいと言ったらしい。……実際、その通りになって、じいさんは、三十にもならないうちに死んで。嫁にもらった俺のひいひいばあさんは、姑と仲が悪くなって家を出ていった。そして、元々の恋人と再婚したらしい」
「……」

「要するに願いを叶えて欲しくば、何か同等のものを代価として差し出せということだ。じいさんは自分の人生の半分を代価に、ばあさんの人生の半分をもらったんだろう。
どっかの漫画の話で出てきた言葉で分かりやすくいえば、等価交換だよ」

「……あなたはそれを信じるんですか?」

 先程まで、神などいない存在と堂々と言っていた神職見習いが、こんな偶然が起こっただけのような話を信じるのだろうか、と私は首を傾げた。
 だが、柾は、真面目な口調のまま続ける。

「俺だって小さい時はただのおとぎ話だと思っていた。だけどな、俺の母さんが同じことをした」

 私は思い出す。彼女がおばさんと呼んでいた女性のことを。彼女は右足が悪いのか、引きずって歩いていた。

「弟が交通事故にあったとき、腕を切断しないといけないかもしれなかったんだ。そしたら、母さん、夜通し神様に祈って。
結果として一年後には、弟の手は、怪我なんてまったくしなかったんじゃないかってぐらいに、回復した。
……だけど、ちょうどその頃、母さんが病気にかかって、足が悪くなったんだ。ビハビリもしたんだが、結局動かないままでな……」

 柾は、私の顔を見ると言った。

「弟は、その頃小さいながらもテニスで結構有名でな。母さんは舞の名手だった。このことが意味すること……分かるだろ?」
「……何だか、非常に信ぴょう性が高くなってきましたね」

 何だか私は背筋が寒くなってきた気がした。実際には、寒さなんて感じないはずなのに、そんな感じがしたのだ。

「だから、俺は神様は信じていないけれど、神様に代わる悪魔のような、願いに代価を欲求する存在は信じているのさ。
だけど、俺は、そんな存在には、願い事なんて叶えてもらいたくないからな。母さんが病気をしてからは、神様に願い事をするなんて恐ろしいこと、ちょっとしたことでもしないようになった。
……神様はいない。だけど、代わりに化け物みたいなやつがいる。それが、俺の神道に対しての信条」

 「そうですか……」とかける言葉もなく頷く私に、柾は続ける。

「お前も、何かどうしても、何事に変えても叶えたい願いがあったら、やってみればいいさ。だけど、おすすめはしないね。渡しても後悔しない代価を、用意できるんならいいけど」
「ロボットに代価なんてありませんよ。手がなくなれば部品を交換すればいいだけですし、ショートしても基盤を取り換えれば治りますから、寿命なんてありませんし。記憶と思考回路が消えない限りは、半永久的に行動できますよ」

「そういうのずるいな……。まあ、人間じゃない奴の願いを叶えてくれるかどうかは分からないからなあ……」
「確かに、相手もそれを分かってて、願い事を叶えないかもしれませんね」

 柾は、「まあ、」と暗くなってしまった空気を変えるかのように、明るく声を上げた。
 そして、「それはそれとして」と、胡坐をかいて向き直った。

「今夜は、まだまだ長いし、俺は眠れそうにないし、
次は現実的な楽しみで夜明けまで一緒に遊んで過ごそうじゃないか」

「いや、私はもうハル様のところへ戻りますよ。一人で寝かせているのが心配ですし」

 すると柾はつまらなさそうに口を尖らせた。

「い~じゃん、ケチ。ハルとは毎日一緒に寝てんだろ? たまには、一緒に寝ずに、俺の相手をしたってばちはあたんねえよ」

 神様を信じない人がばちとかいうんだ、と思いつつも、私はそれもそうかと思った。
 何よりも、この男のことが、もう少しよく知りたいと思ったからだ。

――勝つためにはまず敵を知る。

 なぜかふとそう思ったが、柾は敵ではない、と慌てて思い直した。

「ちなみに何をして過ごすおつもりで」

 すると柾はごそごそと、上着の内ポケットから何かを取り出した。

「掃除してたらな、昔こっそり買ってやってたゲームが出てきて」
「ゲームって架空の世界で遊ぶんですか? さっき人間的な現実の生活を送りたいって言ってたのに」

「架空の世界を楽しむのであっても、楽しむのは現実の肉体であって、何も矛盾はないはずだ」
「屁理屈……。ハル様の友達だ……」

 私は妙に納得がいって、ぼそりとつぶやいた。

「まあまあ、お前もやってみたら楽しくなるって。ロボットでも男なんだからさ」
「私はロボットなので、男とか女の性別はありません」
「まあまあ、そんな固いこと言うなって」

 「な?」とキラキラと目を輝かせて近づいてくる。私はなんだか断りづらくなって、仕方なく頭を縦に振った。

「わかりましたよ……朝までお付き合いすればいいんでしょう? ちなみにどんなゲームですか?」
「それはなー、アダルトゲームで、題名はスクール……おごはっ……」

 柾が言い終わるよりも先に、柾は背後から蹴り飛ばされ、庭に突っ込んだ。

「まったく、トイレに行こうと起きたら……このろくでなし。
マ〇オカートならまだしも、アダルトゲームなんて教育衛生上悪いものを、フユにやらせないでくれないか。
フユのAIに余計な情報を入れて、今後悪影響があったらどう責任を取ってくれるつもりだ」

 いつの間に起きてきていたのか、ハルは、般若のような顔で、倒れる柾を見下ろした。
 そして、彼女は、私の首をつかみ上げて視線を合わせると、恐ろしい目で睨んできた。私は恐怖ですくむ。

「お前もお前だ。こんなちゃらんぽらんが遊ぼうと言ったら、ロクでもないことをやらされるのは目に見えているだろうが。
どうせ、ロボットに、こういうゲームやらせたらどんな感想を持つか、試してみたかっただけなんだろうが」
「すみませんでした……」

 私は謝りつつも、彼女が過剰反応する様子が不思議で、何だか『アダルトゲーム』というゲームの内容が気になった。
 アダルトとは大人という意味のはず。大人用のゲームということだろうか。
 だが、彼女がそんな思考を見透かしたかのように、おぞましい顔でにらんでくるので、私はそれ以上考えるのをやめた。

「さあ、さっさと寝るぞ。フユ」
 彼女は、私の首根っこをつかんだまま、階段を上る。

「はい、ハル様……」
 私は恐縮したまま、おとなしくぶら下げられていた。彼女はだいぶとイライラしているのか、小さく口の中で何かをつぶやいていた。

「柾のエロ野郎。柾死ね、いや、全人類男死ね……」

 セリフははっきりと聞こえたのだが、怖すぎたので、私は、声が小さくて何も聞こえなかったことにした。
 私が彼女と出会ってから、六度目の春がやってきた。


 ある日、私は屋敷の中庭で、ぼんやりと紫色の花を見上げている彼女を見かけた。

「……フユ、この花の名前、知っているか?」
「知っているも何も、よくあなたが世話しているライラックの木ですよね?」

 私は彼女がこの木を大切にしていることをよく知っている。暇さえあれば、剪定や水やり、肥料をやっていた。
 地植えにそこまでの世話はいらないと言ったこともあるけれど、彼女は手入れを止めなかった。
 後で古い使用人に聞いたところ、この木は彼女の死んだ母親が植えたものらしいことを知って納得したものだ。

「…そうだな」

 今日の彼女は少し変だった。ぼんやりしていて、いつもよりもはるかに口数が少ない。
 受け答えもどこかずれていた。それに、憎まれ口を叩いても、力なかった。


「なあ、フユ、知ってるか?ライラックの花言葉は何か」
「知りません……」

 花言葉についての知識は、私のAIには入っていない。後で、パソコンを借りて検索しようと思った。

「なあ、フユ、知ってるか? ライラックの花は花びらが四枚なんだが、たまに五枚の物があるんだ」
「……そうなんですか」

「それでな、それを誰にも言わずに飲み込むとな、好きな人と永遠に結ばれるんだってさ」
「おまじないですかね」

「そうだ。ただのおまじないだ。……だから、叶うことなんてない」
「……」

 私がまさか、と思ったことは、杞憂には終わらなかった。その日の夕刻には、私は、屋敷の者から、柾の結納の話を聞いたからだ。


「……」

 彼女が柾に気があることは、薄々気づいていた。しかし、彼女に聞けば、いつも否定された。
 だが今回、柾の結婚という事象で、こうもはっきりと、私の目にはわかりやすく、彼女の気持ちは証明された。
 私は、彼女の気持ちも知らないで婚約をした柾に、怒りを覚えた。
 しかし、同時に、これで彼女を奪われないで済むという安堵も、かすかに覚えたのだった。

 彼女が悲しんでいるのに、安堵なんて――。

 柾は、近々、結納のために、都会から帰ってくるという。私は、その日の夜にこっそりと柾に会いに行くことにした。



「よう、フユちゃん。久しぶり」

 庭に忍び込めば、久々に見た柾は縁側に腰かけていて、うれしそうに手を振ってきた。
 だから、ムカついた私は遠慮なく柾の顔面に向けて、飛び上がって体当たりをした。
 もふもふの体では大したダメージにはならないだろうが、そうせずにはいられなかった。

「おまっ……いきなり何すんだ!」
「何するも何も、こっちがあんたに何してんだと聞きたい気分ですよ」

 縁側に着地した私は、ひっくり返ったままの柾を見下ろしつつ、言う。
 「何のことだ」と首を傾げつつ体を起こす柾に、私は怒りのままに言い放つ。

「何、勝手に女作って、婚約してんだってことですよ。
ハル様がどんな気持ちで、あんたが都会から帰ってくるまでの長い間、待ってたか知らないでしょう?」
「……」

 すると、柾は体を起こすと、真面目な顔をして座りなおした。

「フユちゃん。これだけは前提としてはっきり言っておきたいんだが」
「何ですか?」
「俺は彼女のことは、妹のようなものだと思っている。女性としてみたことは、一度もない。
そして、女は作ってない。親の紹介によるお見合いだ……強制的な家同士のな」

「……まあ、そうでしょうね。ハル様とは歳が離れてますもんね。私もそうでしょうとは思ってましたよ。
それにもし本気でハル様を女性として見ていたとすれば、きもいロリコン、略してきもロリですよ。
エロリ菌だらけで、ばっちくて傍に寄りたくもありません。

そんな男はお見合いでもない限り、結婚なんてできる訳もありません」

「きもロリって……お前、俺があいつに好意があった方と、なかった方、どっちのほうが良かったわけ……?」

 ひどい言われようにボソッと抵抗する柾に、私は「ない方です」ときっぱりと言いつつも、続ける。

「私は、いくらあの性格じゃ分かりにくいとはいえ、十年以上の付き合いのあなたが、彼女の気持ちに気づかなかった可能性は低いはずだという点において、怒っているんですよ。
知ってたくせに、はっきりとした態度をとらず、なあなあの状態で、残酷にも淡い期待を残させたまま彼女を放置して、傷つけたと怒ってるんですよ」

「……」
「……黙ってるってことはやっぱりそうなんですか?」
「……」
「何とか言ったらどうなんです?」

 きつい口調で問い詰めると、柾は重い口を無理に動かすように開けた。

「……知ってた。あいつが俺に気があるということは、ずっと前から」
「やっぱりそうだったんですね!」
「そして、結果的に、なあなあの状態で放置してしまったのも事実だ」
「最低だな、一発殴らせろ」

 私は腕を後ろに振りかぶった。

「だけどな、俺だって色々と考えてた……。結局どうにもならなかったけれど」

 私の全力を込めたパンチは、うなだれている柾の片の掌で、ぽふぽふと簡単に受け止められる。
 この小さな機械の体が、恨めしいと思いつつ、何度もパンチを繰り出していると、柾がため息交じりに口を開いた。

「なあ、フユ(・・)。……俺が向こうに言っている間、あいつに友達なんてできたか……小中はともかく、今高校には行ってるんだろう? 高校であいつに友達なんてできたか?」
「……できてませんけど……」

 彼女は、昔に言っていた通り、高校にはちゃんと通っている。
 しかし、彼女にたまに連れて行ってもらった高校でも、彼女は明らかに浮いていた。彼女もそれを分かっていて、いつも教室の隅に溶け込むようにして本を読んで過ごしていた。

 誰にも関わらず、そして関わられないように。

「なあ、フユ。お前は知らないだろうけれど、あいつがいつからあんな風になったか知っているか?」
「……いいえ」

 彼女と出会ったのは、彼女が十二歳の時。それ以前のことは、ほとんど知らない。

「七歳の時、あいつの母親が死んでからだよ……。あいつが変わっちまったのは、それからだ……」
「……」

「あいつの母親、あいつをかばって車にひかれて死んだんだ。……それ以来、周りから浮くような行動ばかりするようになった。
人からあえて距離を置いて、誰も近づいてこないように、言動を変えてしまったんだよ。
……たぶん、自分と関わった人間は、不幸になるって、思い込んでいるから」
「そんなこと……」

 言葉を失う私に、柾は「そんなことなんだよ」と続ける。

「しかも、あいつにそう思い込ませてしまった相手が、これまた悪かった」
「……誰ですか、それは」
「……あいつの父親だよ」
「三枝博士が……?」

 驚く私に、柾は続ける。

「あいつの母親の葬式の時にな、俺の母さんが見ちゃったんだって。『なんで、お前はあの時にボールを追いかけたんだ』と言っているのを。『お前のせいで……』と、言いかけてさすがに父親も我に返って言葉を止めたんだが、あいつにはしっかり分かってしまったんだよ。
父親が自分のことをどう思っているかを。……自分だって傷ついている時に、実の父親にそれを言われちゃあ、もう逃げ場がないわな……」
「……」

 言葉を失う私に、柾は「だからな」と言う。

「あいつは、家族によりどころを失った。そして、自身に関わって不幸にならないためにと、人との関わりを極力絶つようになった」

 柾は、そこで一息、ふーっと長い息をつくと、空を見た。

「……だけど、結局人はな、生きている以上、誰かに……何かに依存せずには、いられない。依存っていう言葉じゃ、少々綾があるかもしれないから……なんていうかな……人間は、誰かとの、何かとの関わりあいの中でしか、生きていけない。
……一人でいようとしたって、どうしても心は、少しでも誰かに、何かにもたれかかっていないと――支えにしていかないと、生きていけない。
……その支えは、今を生きている他者であったりするし、過去に失った大切な人との思い出であったりもするし、誰かが言った言葉であったりもする。
一人でできる趣味であったり、ネット世界だったりする奴もいるけどな。

……だけど、そのどれにでも、人というものは必ず関わっていて――。人は人の波の中から、逃れたくても逃れられないんだよ」

 柾は、空を見たまま、私の頭をぽふぽふと撫でた。

「だから、あいつも何かを支えにして、今まで生きてきた。唯一の身内の父親には捨てられたと思っているから……あいつは、俺を支えにしたかったんだろうと思う。
物心つく前からよく知っていて、何かがあっても、決して裏切らないと安心できる人間だったんだろうな」


「あなたは、その支えには、なれないんですか……?」

 私は、聞かずにはいられなかった。彼女が、生きるために必要としているのならば、この男が彼女の支えとなれば、すべて丸く収まるではないか。

「……なっちゃいけないんだよ」
「どうしてですか? あなたにも自由権はありますから、あなたが嫌なら無理強いはしません。
ですが、なっちゃいけないとはどういうことなのですか?」

 すると、柾は「機械のお前には、難しいかもしれないけどな」と前置きをして、続けた。

「……人はな、最初から、一つのもの……一つの場所にとらわれていてはいけないんだ。様々な人や場所と関わりあった末に、支えにするものを自ら選ばなくてはいけないんだ。

そうでなければ、何が自分にとって正しくて、何が自分にとって間違っているか、ずっと選んだことのないまま――分からないまま、偏った考えだけを持って生きていくことになってしまうから。

そうなれば、今はよくても、いつかきっと、生きることに躓く日が来る」

「……」

「だから、あいつがたくさんあるものの中から、俺を支えとして選んでくれたのなら、俺は何も言わない……俺が、振るかもしれないことは別にしてな。
だけど、あいつは、最初から俺一つで、そして一つから俺を選び、支えにしようとしている」

「……私には、よくわかりませんよ。生きるための支えは沢山ある中から選ぶべきだとか、あなたが言っていることの意味は分かっても、腑に落ちないんですよ。
一つから、一つを選んだって、何が悪いんですか? どうしてそれで、生きることに躓くんですか?」

 私は、率直に沸いた疑問を問う。すると、柾は、「折れやすくなるからだよ」と言う。

「……俺を選んで、俺一人に依存しつつ生き続けることができたところで、いつか俺に何かがあった時、一人ぼっちになったあいつはきっと簡単に折れてしまう。それだけで、立ち直れなくなってしまう」
「人間とはそういうものなのですか?」
「そういうものなんだよ。お前には……まだわからないか。だけど、賢いお前なら、いつかは理解してくれる気がするよ」

 柾は、「とにかく」というと、私の頭から手を離した。

「俺は、あいつに、そうはなってほしくなかった」
「……」

「そうはなってほしくないから、俺はあいつが、他の人の輪に入っていけるように、世界を広げてやれるように、色々努力したんだ。……誰かと仲良くなれそうな……公園とか、スポーツクラブとか、連れて行ってやったりしたんだ。だけど、あいつは頑なで」

 柾は、伸びをしながら、はあーっと長い息をつくと、縁の板張りの上に、仰向けになった。

「結局、全部何もかも、うまくいかなかったなあ……。それどころか、俺が頻繁にかまうものだから、ますますあいつは俺しか目に入らなくなった。
……俺には俺で、家の跡を継ぐっていう俺の事情があったから、そのうち物理的な距離もできてしまって、時間も待ってはくれなかったし。……その結果がこれだ」

「あいつは、俺がなってほしくなかった、あいつになってしまったなあ……」
 柾は観念したかのような、口調で言った。

 そして、そのまま静寂が過ぎた。ふと、柾が寝転んだまま、私を見る。そして、言った。
「俺が悪くないとは、言い訳しないよ。だけど、一言だけ言わせてもらっていいか?」

「世の中って…どうしてこんなにもうまくいかんものかね……」
 柾はふうと目を閉じた。

「………」
「せめて、俺の家の事情がなけりゃ、時間もあったし、もう少しあいつの性格も改善できたのかもしれないな……。」

 柾の表情は、苦しそうだった。悔いというものが、心の底から溢れてくるかのような、表情だった。
 だから、私は、それ以上、彼に苦しんで欲しくなくて。

「……話の内容は主観的にはよく分からない部分もありましたが、とにかく結論としては、あなたはハル様のお気持ちには答えられないということが分かりました。
後、私が今言えることは、「もしも」の話は、ないものねだりで堂々巡りになるだけだと、ハル様が言ってました。そういう考え方はやめましょう」
「……あいつ、そういうところはさばさばしてるくせに……なんで、ぼっちは十年以上こじらせるんだろうな……」

 柾は、はあとため息をつくと、再び体を起こして、私に向き直った。


「……なあ、フユ」
「……はい」
「俺はもう、跡を継ぐ時まで、帰省以外でこっちに戻ってくることはない」
「……そうですか」
「そして、帰ってきたとしても、俺も家庭を持つ以上、ハルの傍にいてやることはできない」
「……」

 柾は、真剣な瞳で私をみると、口を重々しく開いた。

「だから、俺は、もうあいつを、変えることはできない。それに、あいつは、もう変えられない」

 柾は、「だから、約束してくれないか?」と、手を差し出した。その手は小指だけを伸ばしていた。

「あいつの傍にずっといてやってくれ。あいつはもう、一つからしか一つを選べない。あいつには、もうお前以外、何も残されてはいない」

 夜風がさらりと縁側を吹き抜ける。

「一つから一つしか選べないのなら、それでもいい。お前がその一つになればいいだけだ。
……だけどその代わり、絶対に何があっても、あいつの前から消えないと、あいつより先にいなくならないと、約束してくれないか?」
「……それを私が約束することが、彼女にとっての救いになるのですか?」
「……ああ。もうお前にしかできないことなんだ」
「……」

 私は、柾の言った言葉の数々をもう一度頭の中で反芻する。
 納得のいかない言葉もあれども、柾の話す様子を見ていれば、それは重い事実であり、正しい事実であることは、理解はできた。


「わかりました」
 私は手を差し出した。私には小指はないが、代わりに柾の小指に手を絡ませる。

「約束しましょう、()。私は、何があっても必ず、彼女の傍にいます」

 大丈夫。私が彼女の元を離れて生きていくなんてことはないし、彼女よりも先に死ぬ――壊れるなんてことはない。
 何しろ、私は体がちぎれようが、原型を失おうが、データやメモリーさえ残っていれば、部品を取り換えて再生できる。そのデータやメモリーも、頻繁にバックアップを取っているし、たとえ体のすべてを失っても、死ぬことはない。なのに。

「いて、見せます」
 余裕のはずのその返答に、力を入れて答えてしまったのは、なぜだろうか。
――その夜。

 柾の家から戻ると、彼女はすでに眠っていた。
 いつもなら、私が眠るまで、起きて待ってくれている。
 だから、勝手に家を抜け出したこともとっくにバレていて、きっと怒られると覚悟していた。
 なのに、彼女は先に布団にくるまって眠ってしまっていた。

「……」
 そっと、ベッドによじ登り、彼女の顔を見る。
 彼女は泣いていたのだろう、目じりに乾きかけの涙が光っていた。

「……」
 いつもなら、私は自分の寝床で眠る。けれど、今日はそんな気にならなかった。

「……」
 私は、眠る彼女の胸元へと、潜り込んだ。起こさないように気を付けながら、そっと彼女の寝顔の傍に寄り添った。


――私だけは、何があっても必ず、あなたの傍にいますよ。


 そうささやいた。きっと聞こえてなどいないが、そう誓わずにはいられなかった。

「……」
 私は、そっと彼女の目じりに、触れた。涙を拭きとってあげたかった。柔らかく、温かいとデータが教えてくれる。
 なのに、夢の中でも泣いているのか、またほろりと涙が盛り上がり、こぼれた。
 泣いている彼女は、壊れてしまいそうなほど頼りなく見えた。何だか、放っておけない気持ちが心から湧き上がる。
 そのまま、その感情が湧き上がるがままに、私は、彼女の首にそっと抱き着いた。ふと、涙が口の中に入るが、私に味覚などない。味は何もしなかった。

 当たり前なのに。
 涙の味が分からないのも。
 彼女の温度が、温もりが、すべてが、
 データで現れるというのは、今まで当たり前だったのに。

――なぜか、それが、とてももどかしくて。

 気づけば、私はつい、ギュッと力を入れて、彼女の首に抱き着いていた。
 しまったと、急いで離れる前に、背に彼女の手が回る。どうやら起こしてしまったらしい。慌てる私を、彼女はぐいと両腕で抱きしめ、丸まった。

「……」
 彼女はそのまま、寝息を立てている。どうやら、起きてなどおらず、眠り続けているようだった。
 私は小さくほっと息をつくと、彼女が眠っているのをいいことに、ギュッと彼女の胸に抱き着いた。
 先程の誓いを、確固たるものにする願いを込めて――。

 私は、そのまま眠ることにした。
 寝床で眠らなかったことを、勝手にベッドに上がって寝たことを、明日の朝にこっぴどく叱られるかもしれない。だけど、そんなことがどうでもよくなるぐらい、私は彼女の傍にいてあげたかった。

「お休み、ハル様……。せめて、幸せな夢を……」

 私は彼女の胸に頭をうずめるようにすると、彼女が起きるよりも早い時間に、タイマーを設定し、意識をシャットダウンした。
「……」
 フユの起動音が消えた後、ハルはパチリと目を開けた。

 そして、腕の中のフユを、ギュッと抱きなおし、そっと起き上がる。

「……私の傍には、まだお前がいたんだな……」

 ハルは、目を腕でこすると、ちょっとだけ笑った。
 笑って、腕の中のフユに、そっと頬刷りをした。