彼女は腰にぶら下げた拳銃を抜いた。その様子に麻生は震え上がり「わかりました。行きましょう」と言うしかなかった。
彼女はニッコリ笑うと「よろしい」と言い、部下に目配せをした。すると二人の警察官が拘束具を使って彼を連行していく。その時だった。携帯電話の着メロが鳴り始めたのだった。どこかでガシャン!という物音がした。「何の音?」「さぁ?」
やがて通話が終わると、今度はメールが届いたようだ。その文面を見て美玲の顔色が変わった「大変! すぐに戻らなくちゃ!」「えっ? どうしたんですか?」
しかし彼女から返事はなく「さっさと来なさい」と言うと走り去ってしまった。
***
(あれは)
総理官邸から外に出た所で、二人の女性は視線の先に人影を認めた。一人は先ほど別れたばかりの女医だ。もう一人、こちらは見慣れぬ人物だ。
(誰だ?)
雅美が足を止めている間も車は急加速を続けている。美鈴は舌打ちをした。
車が停車した時にはすでにその二人は車のすぐそばにまで迫ってきていた。
その人物は黒い革のジャケットを着ていたが下には白っぽいブラウスとタイトミニスカートの女性だった。その女性の背後でドアが開くと中から黒服に身を包んだ男たちが現れた。
(まさか、あの二人が)美玲の額に冷たい汗が流れた。

***
その頃、国立感染症研究所附属病院の警備室で、異変に気付いた警備員の一人が警報ボタンを押そうとしたが遅かった。ドアの脇に設置されたセンサーライトの明かりがつくと同時に、二人の男女の姿が浮き上がったのだった。「動くんじゃねぇ」男の銃口は警備員のこめかみにぴたりと突き付けられていたのだ。もう一人の男は懐に手を突っ込んでゆっくりと歩いてくる。警備員は何が何やらわからないまま床に押し倒され身動きが取れなくなった。男は懐から小さなケースを取り出すと蓋を開け中に入っている注射器を手に取りながら近づいてきた。男は針の先端が自分に向いている事を確認した上で「これを打ってやる」と言った。警備員はその言葉の意味するところに恐怖を覚え必死でもがこうとしたが身体は思うように動いてくれなかった。そうしているうちに、腕にチクリとした痛みを感じたかと思う間もなく視界は暗く閉ざされ、意識は急速に闇の中に落ちていき深い眠りへと誘われていった。

***
男は車の扉を開けると中に踏み込んだ。後部座席にいた女が振り返った。
「もうすぐ着く?」「えぇ、もう少しの辛抱です」
女の手に持っていた携帯のディスプレイには地図が表示されており赤い点が移動している。「この先の角を曲がった所に駐車場があります」
男はそれを聞くと「よし。行くぞ」と言って歩き出した。二人はその後をついて歩いた。
その先には地下に続くスロープが延々と続いている。「この下に停まっています」
男はうなずくと、ポケットから鍵を取り出した。
そしてハンドルの脇にあるスイッチを押すとヘッドライトの光の中に白い車体が浮かび上がって来た。
「おい、後ろに乗せろ」男は助手席にいる男に声をかけると、後部座席に乗り込んできた。そしてシートベルトを締めて身を乗り出すと「出せ」と命じた。
***
「あぁ、お帰り」と、美玲が声をかけた。
美玲は一人だけで戻ってきたことに安堵したが、同時に不安がこみ上げてくる。「大丈夫?」「えぇ、何とかね」美玲はため息をつくと「よかった」と言った。
「ところで、あの人たちは?」「さぁ?」
「それより、早くここから逃げないと」
「逃げる?」「そう、ここは危険すぎる」
「どこに?」「どこって、とにかく安全なところへ」「そんな所あるの?」「麻生ジュンの遺産がここに眠っているらしいの」
「は?」「だから、麻生ジュンの隠し財産がここにあるのよ。それがあれば、貴方は自由になれる。きっと高階先生の仇を討つことができる」「本当なの?」
「えぇ、間違いないわ」
美玲はしばらく考え込んでいたが「わかった」と言った。
「だけど、どうやって探すの?」「例のパソコンにウイルスが届いてるでしょ。スタッグネット改。米NSAが開発した超ド級ワーム『スタッグネット』の強化カスタマイズ版。本来は核兵器密造施設を自律的に探りあてて破壊するサイバー兵器。ファイアウォールを楽々突破し、スタンドアロン端末にすら、事前に収集した監視カメラ映像、業務用メール、電話盗聴などあらゆる情報から職員のふるまいを分析し、USBメモリを使って職員がファイルを移すなど隙があれば即座に便乗して感染する。そんなワームだからスパイアクション映画ばりの活躍をこなす。このスタッグネット改は冷凍睡眠者の資産運用などに平和利用されてて貴方の冷眠カプセルにもインストールされているものだけど裏ではヤバい情報収集に使われてたりする。詳しくは言えないけど有志が貴方を最初から見守ってた。だから麻生ジュンの資産もスタッグネット改がずっと前から内偵してた。それで私に教えてくれたの。彼は生前に複数の遺言状を作っていて、その中には自分が死んだ後、自分の全財産を譲るという旨のものがあった。それを解凍すればいいだけ」
美玲は話の半分以上理解できなかったが、彼女が自分を騙していないことだけは確信できた。
彼女はカバンの中からノートパソコンを取り出すと起動させた。しばらくしてパスワード入力画面が現れた。
彼女は少し考えてからキーボードに指を走らせた。すると画面にメッセージボックスが開き、そこには短い文章が書かれていた。
【ようこそ】
そのメッセージを見た途端、彼女はその場に崩れ落ちた。
そして彼女の頬を涙が伝っていった。美玲は彼女の背中をさすってやった。
その手にはハンカチが握られていた。
美玲が彼女の隣に座ると、彼女は美玲に寄りかかり嗚咽を漏らし始めた。
その様子を見ながら、美玲は複雑な思いを抱いていた。
そして思った。
(私は、高階先生の敵討ちがしたいだけなのか? それだけなのだろうか?)
だが、今の彼女に答えは出せなかった。
彼女は静かに泣き続けた。
その肩を美玲は優しく抱きとめていた。「貴女の幸せを探すのよ。それが貴女の使命であり任務。生きていきたいのでしょ?この世界で」彼女はコクンとうなずいた。
美玲は彼女をそっと抱きしめた。
その時だった。
何かが激しく爆発するような音がした。
美玲はハッとして顔を上げた。
(なんだ?)
それは断続的に続いていた。
何かが崩れ落ちるような音。
何かがぶつかる衝撃。
何かが燃え上がる炎の音。
何かが壊れるような騒音。
何かが焼け落ちていく臭い。
何かが倒れ込むような振動。
美玲は立ち上がろうとしたが、彼女は離さなかった。
だが次の瞬間、激しい揺れが二人を襲った。
「きゃあっ!」
美玲は悲鳴を上げて床に転げ回った。
その直後、部屋が傾き始めた。
美玲は壁に叩きつけられ気を失った。
彼女もまた、美玲の身体の上に折り重なるように倒れた。
そしてそのまま意識を失っていった。

***
その少し前。
国立感染症研究所附属病院の地下駐車場での出来事。
一台の車がエンジンを吹かし始めていた。
その車内で男が言った。「お前さんもしつこいね」
「なんの事かな?」「惚けるなって。ここまでついてきたんだ。もうネタは割れてる」
「君には何もできない」