彼女の白衣をめくって一号拳銃をホルスターから外し、ブルマのポケットから装弾クリップを取り出す。リロードしている間にも爆発音が響く。
ガラスを微塵に撃ち砕き、大きな破片を蹴り崩した。妃花は黒ずくめの侵入者たちに担がれてフロアの奥を目指していた。その背中を狙い撃つ。
だが、右腕をグイっと引っ張られた。
「撃たないで!」
身長150センチほどの小女が見かけによらず怪力を発揮している。サラサラの黒髪を肩にたらし、眼鏡をかけている。
「何よ、あんた!」
振り払おうとすると、女は爪をめり込ませた。「貴女も死ぬわよ」
小女が顎をしゃくると、壊れたドアに人民警察が踏み込んでいくところだった。
「不要槍殺!」
注意喚起したが、遅かった。火球が膨れ上がり、焼死体が玄関から吐き出された。雅麗姫はへなへなと地面にへたり込んだ。
「ねっ、死んだでしょ?」
「ええ、死ぬとこだった。ありがと!」
雅麗姫は思わず小女に抱き着いた。

病院を見下ろすオープンカフェで小女は自己紹介した。
「林美玲。貴女の護衛を任せられました」
言われて雅麗姫はちっとも驚かなかった。むしろ、病院に白昼堂々とテロリストが乗り込んでくること自体に衝撃を受けた。
張り巡らされた防犯カメラとAIによって危険分子はあらかじめ摘み取られる。
「あたしがヤバい立場なのは周知の事実。わざわざ殺さなくても適当な罪状でしょっ引けばいいでしょ?」
前院長の不祥事を暴いている関係上、身の危険は常に感じている。だからスカートの下にホルスターを着けている。
「雅麗姫、あなたは麻生妃花の抹殺をしくじりましたね?」
とつぜん内衛部隊の婦警に言われてもピンとこない。おまけに美玲は対テロ作戦を担当する公安特警でなく、国土資源部に属する黄金総隊だ。金脈の番人がハルビンでなく東海省で何をしているのか。
「あなたねぇ……隼部隊(スワット)でもないくせに、なぜここに? あと、妃花を殺せなんて聞いてない」
すると雅麗姫は写真をテーブルにぶちまけた。偵察衛星でとらえた地形図や米粒のような人影が写っている。その中に氷漬けの麻生母娘がいた。
「怪しいそぶりをみせたら躊躇なく殺せって言われてたでしょ?」、と美玲。雅麗姫は保安医の職域に踏み込まれて憤慨した。
「医者の使命は救命です。自傷他害の恐れもないのに問答無用で撃ちません。それともあの母娘がテロリストだったとでも?」
言いがかりにも程がある。1970年当時の小日本では確かに反美運動(はんべいとうそう)が盛んだった。占領を安全保障に置き換えた支配から脱しようと学生たちが暴れた。しかし、麻生ジュンが過激派と接点を持たない事は明らかだ。
美玲は謎めいた笑みを浮かべた
「麻生ジュンの趣味や生活習慣まで調べたのかしら?」
「映画好きで頻繁に海外へ出かけていた。芦屋のいい所のお嬢さんだもの。当時の公安当局もノーマークだった。ちなみに実家は神戸の製靴業。それに」
雅麗姫は傍証を挙げて反政府勢力との関連性を否定した。
「じゃあ、どうして冬眠中の母娘が黒竜江省にいるの?」
「しつこいわね。保安医が知る由もないでしょう!」
雅麗姫は席を立とうとした。黄金総隊といえば現在の人民武力警察でも閑職にあたる方だ。坑道や露天の警備は早い段階で自動化されている。機械に出来ない仕事といえば昔ながらの人的情報収集(ヒュミント)だ。
「じゃあ、全責任を被るのね?」
冷たく突き放されて気づいた。美玲はこの場で自分を殺すことも出来る。そうでなくても麻生妃花を誘拐された件で追求を免れない。
「わかった。だけど、あたしは一介の保安医よ」
しかも雅麗姫は銃の携帯を許されているとはいえ民間人だ。出来ることは限られている。その心配を美玲が打ち消した。テーブルに転がる注射アンプル。人民武力警察のロゴ入りだ。


「わぉ。権威主義と資本主義のいいとこどり







「これが効いてる間は大丈夫よ」
美玲は雅麗姫の腕をつかみ、静脈に薬液を注入した。たちまち身体がポカポカしてくる。
「この薬、なに?」
「特調の特製麻酔よ」
特調は国土資源部の特殊諜報部門を指す。文字通りスパイや破壊工作員を狩る秘密警察のことだ。
「そんなもん、使ってもいいの? 国家一級機密でしょ」
「あら、貴女だって私と同じじゃない」
美玲の言葉にハッとさせられた。彼女は同じ穴のムジナというわけか。
「特調の捜査員はみんなヤク中なの?」
「いいえ、これは自白剤の副作用を緩和するためのもの。麻薬取締法の適用対象外」
雅麗姫は腕をさすった。「でも、こんなに強力なのは聞いたことがないわ」「そりゃそうよ。非合法ですもの」
美玲は胸を張って答えた。
それから二人は連れ立って病院に戻った。受付で妃花を呼び出す。しばらくして病衣のままの少女が現れた。
雅麗姫は護衛対象の前に進み出て、深々と頭を下げた。
「妃花、ごめんなさい。まさか、あんなことになるとは思わなかったの」
妃花は目をぱちくりさせた。「お知り合いですか?」
雅麗姫は首を振って、事情を説明した。
「そういうことなら仕方ないですね。許してあげます。雅麗姫は命の恩人ですから」
雅麗姫はほっと息をついた。これで一安心。だが、美玲は冷や水を浴びせる。
「ただ、条件があります。この件を口外しないこと。そして、これからも協力してくれること」
「どういうこと?」
「私の上司が貴女に興味を抱きました。あの人たちが満足するまで付き合って下さい」
美玲が指さす先に長身の女が立っていた。黒髪ロングに切れ長の目。美人だが、どこか冷たい印象を与える。女が手を差し出した。
「特調部長の神野です。よろしく」
雅麗姫はその手を握り返した。「こちらこそ。柳月台記念病院で医師をしております。麻生妃花さんの看護を担当します」
「貴女には期待しています。早速、仕事を頼みたいのですが、よろしいでしょうか?」
神野は雅麗姫の肩越しに目配せをした。
「もちろん、喜んで」
「では、来てください」
雅麗姫は妃花に別れを告げる間もなく、二人に連行された。
「まず、これを」
雅麗姫は渡された封筒の中身を確かめた。写真が一枚。そこには氷漬けの妃花が写っていた。
「これって、冷凍睡眠?」
「はい、二千五百年前の眠り姫」
「ちょっと待って。あたしは麻生さんに頼まれて、解凍の立ち合いに来ただけ」
「わかってます。貴女は黙って見届ければいいんです」
「どうなっても知らないから!」
雅麗姫はぷりぷりと怒りながら、地下へ向かった。
エレベーターを降りると、そこは吹き抜けのホールになっていた。
「ここは?」
「旧時代の設備が残っていたフロアです」
雅麗姫は壁に貼られた案内図を見て納得した。
「あぁ、天宮五号の内部ね」
「はい、このフロアは特別に立ち入りが許可されています」
壁に沿って歩くと、天井から吊り下げられた巨大な円筒が見えた。直径20メートル、高さは50メートル以上ある。
「あれが天宮五号(テングウゴウ)?」
「ええ、三基の液体窒素タンクと冷却塔が一体化したものです。地上にあるものはダミー」
「すごいわね。こんな大きな構造物が地下に埋まってるなんて」
「いえ、違います。あれは氷山の一角」