各地で一斉に鐘の音が鳴り響くとともに白い鳩が放たれ、祝祭は始まった。
今日からは建国以来の長い祝日が続き、日頃は稼ぎに精を出す人々も財布のひもを緩めて美食に旅行にと出かけていく。
カテリナは祝祭中の特命を課せられてしまったが、仕事だものとやる気だった。パパとケーキを食べに行こうよとごねる父に、日頃は故郷にも帰れない同僚も多いんだから、こういうときこそ実家まで徒歩圏内の自分ががんばるんだよと力説したのだった。
お父さんケーキ食べてるかな。最終日の夜はお休みだと伝えているから、たぶんそれまで食べずに待ってるんだろうなと思いながら、カテリナは初日の仕事に向かった。
朝、騎士団の詰め所の代わりに王城の四階に位置する国王陛下の私室に出勤して、十日間の仕事に就いた。
カテリナが立ち入った私室は書斎で、重臣と会議をしたり謁見をしたりする公の場ではなく、寝室や食事をする部屋はもっと奥にあるらしい。
ギュンターの執務机と椅子、ひとまわり小さい一対の机と椅子が置かれ、後は底が抜けそうなほど本が詰まった棚に囲まれた部屋で、花も飾られていなければ宝石細工もない。唯一の装飾というと、陛下が背にしている国王一家の肖像画くらいだった。
「おはようございます」
「ああ。おはよう」
カテリナは時間に余裕をもって出勤したが、ギュンターは既に自分の席について書き物をしていた。
カテリナももう一対の小さな事務机に着いて事務仕事を始めたが、早々にギュンターから声がかかる。
「待っていた。カティ、君の作ったこの文書だが」
「まちがっていましたか」
カテリナが自席から立ち上がって陛下の執務机に歩み寄ると、彼は眉間にしわを寄せて言った。
「まちがってはいない。だからかえって問題なんだ。読む人間によっては、無用の誤解を招く可能性がある」
もっとも、正確には祝祭の半日前からカテリナの仕事は始まっていて、ギュンターのサロン巡りに随行してきた。
ところが当初の随行の仕事は、既に昨日の後半から彼の熱血指導を受けながら文書を作ることに変わっていた。
「そうでしょうか。僕は公平に意見を拾っていると思います。項目も五つに分類して、偏りなくまとめました」
騎士として着任して二年間、戦うのではなく四六時中事務仕事をしてきたカテリナは、その情熱を惜しみなく事務仕事に注いできた。自信がある分野で、国王陛下も意見を封殺しないので、いつの間にか陛下相手に本気で言い返してしまう。
「行間に厚みがありすぎるんだ。統計に意思を透けさせてはいけない」
カテリナが彼の言葉の意味を考え込んで黙ると、ギュンターはその書面を脇に置いた。
「これは後にしよう。先にこっちをまとめてくれ」
はいと書類を受け取って、いつの間にかカテリナの固定席になった書物机で作業をする。
カテリナは仕官学校で一生懸命勉強して、武術はともかく学問に関しては優秀な成績を治めた。もちろんまだ仕官学校を卒業して間がなく、経験が浅いことは十分承知しているが、昨日までの職場ではそれなりに評判が良かった。
「これも却下。外には出せない」
ところがここに来て、およそギュンターが良しとした書類は一枚もない。駄目出しの嵐に、いくら仕事とはいえちょっとめげた。
ただそれが自分の本務ではないのだし……とは欠片も思わないのが、カテリナの堅物さだった。
何がいけなかったのか、行間とは何なのか、とんでもない致命的な穴が空いていたのか? カテリナは書類に穴が開きそうなほどみつめて、カリカリとペンを走らせた。
「……ィ、カティ。手を止めろ」
真剣に書類に向き合っていたので、そばにギュンターが立っていることに気づかなかった。きょとんとして顔を上げると、彼は横から手を出して書類を引き抜く。
「違う。足りないと言ったんじゃない。それは後だと言ったはずだ」
後だとは言われたがやらなくていいとは言われていない。カテリナの不満はたぶん目に現れていて、ギュンターの灰青の瞳も不機嫌に細められた。
「細かいところにこだわりすぎるな。いいか、俺が言いたいのは……」
彼が何か言いかけたとき、ノックの音が聞こえた。ギュンターは一つため息をついて、外向きの朗らかな国王の顔をまとった。
「入ってきなさい」
ギュンターがカテリナに対するのとはまるで違う優しい声をかけたとき、カテリナにはそこから春の名残のような甘い風が入り込んだように感じた。
「陛下、だめよ。祝祭の間はお仕事しないって約束じゃないの」
現れたのは、柔らかそうな亜麻色の髪を持つ令嬢だった。シフォンの青いドレスが星をまとうように似合い、声も足音さえも聞き心地のいい、彼女が精霊だと言われたら多くの人が信じてしまいそうなほど甘い風貌の持ち主だった。
ギュンターは微笑んで首を横に振ると、冗談めかして言った。
「アリーシャ、違うよ。ここでの私は身の回りのことを片付けているだけで、仕事をしているわけじゃない」
「嘘。陛下の嘘ってすぐわかる」
彼女はくすくすと笑って、戸口から中を覗き見た。
「お気に入りの部下を私にも見せてちょうだい? 噂になってるわ。ここの部屋にまで連れてくる部下なんて、今までいなかったもの」
彼女はカテリナの姿をみとめると、あら、と声を上げる。
「可愛らしい仕官さんね。まだ入隊して間もないくらいかしら。陛下の部下は大変でしょう? お疲れ様」
彼女はカテリナと変わらないくらいの年で、いたずらっ子のような邪気のない笑顔が愛くるしかった。同じ女性のカテリナでも照れくさくなって下を向いた。
目を逸らしながら、カテリナは想像を少しずつ確信に変えてきていた。彼女の存在は王城の末端で働くカテリナにも聞こえてきていた。
「理想の令嬢」、アリーシャ。社交界の華たる美貌と機転を持ち、王家に連なる血筋から生まれた非の打ちどころのない令嬢だ。
「困ったね、アリーシャ。何をねだりにきたの?」
「あら、心外。祝祭が始まったのに、陛下ったら自室にこもったまま出てこないから心配しているのよ」
ギュンターの腕をぎゅっとつかんで、アリーシャは笑った。
「お仕事は今すぐ終わり。でなきゃ、もう陛下とダンスを踊ってあげないの」
この方が、たぶん一人目なのだ。
腕を振りほどかずに苦笑したギュンターに彼女への好意を見て、カテリナはこれからやって来る未来を探ろうとしていた。
今日からは建国以来の長い祝日が続き、日頃は稼ぎに精を出す人々も財布のひもを緩めて美食に旅行にと出かけていく。
カテリナは祝祭中の特命を課せられてしまったが、仕事だものとやる気だった。パパとケーキを食べに行こうよとごねる父に、日頃は故郷にも帰れない同僚も多いんだから、こういうときこそ実家まで徒歩圏内の自分ががんばるんだよと力説したのだった。
お父さんケーキ食べてるかな。最終日の夜はお休みだと伝えているから、たぶんそれまで食べずに待ってるんだろうなと思いながら、カテリナは初日の仕事に向かった。
朝、騎士団の詰め所の代わりに王城の四階に位置する国王陛下の私室に出勤して、十日間の仕事に就いた。
カテリナが立ち入った私室は書斎で、重臣と会議をしたり謁見をしたりする公の場ではなく、寝室や食事をする部屋はもっと奥にあるらしい。
ギュンターの執務机と椅子、ひとまわり小さい一対の机と椅子が置かれ、後は底が抜けそうなほど本が詰まった棚に囲まれた部屋で、花も飾られていなければ宝石細工もない。唯一の装飾というと、陛下が背にしている国王一家の肖像画くらいだった。
「おはようございます」
「ああ。おはよう」
カテリナは時間に余裕をもって出勤したが、ギュンターは既に自分の席について書き物をしていた。
カテリナももう一対の小さな事務机に着いて事務仕事を始めたが、早々にギュンターから声がかかる。
「待っていた。カティ、君の作ったこの文書だが」
「まちがっていましたか」
カテリナが自席から立ち上がって陛下の執務机に歩み寄ると、彼は眉間にしわを寄せて言った。
「まちがってはいない。だからかえって問題なんだ。読む人間によっては、無用の誤解を招く可能性がある」
もっとも、正確には祝祭の半日前からカテリナの仕事は始まっていて、ギュンターのサロン巡りに随行してきた。
ところが当初の随行の仕事は、既に昨日の後半から彼の熱血指導を受けながら文書を作ることに変わっていた。
「そうでしょうか。僕は公平に意見を拾っていると思います。項目も五つに分類して、偏りなくまとめました」
騎士として着任して二年間、戦うのではなく四六時中事務仕事をしてきたカテリナは、その情熱を惜しみなく事務仕事に注いできた。自信がある分野で、国王陛下も意見を封殺しないので、いつの間にか陛下相手に本気で言い返してしまう。
「行間に厚みがありすぎるんだ。統計に意思を透けさせてはいけない」
カテリナが彼の言葉の意味を考え込んで黙ると、ギュンターはその書面を脇に置いた。
「これは後にしよう。先にこっちをまとめてくれ」
はいと書類を受け取って、いつの間にかカテリナの固定席になった書物机で作業をする。
カテリナは仕官学校で一生懸命勉強して、武術はともかく学問に関しては優秀な成績を治めた。もちろんまだ仕官学校を卒業して間がなく、経験が浅いことは十分承知しているが、昨日までの職場ではそれなりに評判が良かった。
「これも却下。外には出せない」
ところがここに来て、およそギュンターが良しとした書類は一枚もない。駄目出しの嵐に、いくら仕事とはいえちょっとめげた。
ただそれが自分の本務ではないのだし……とは欠片も思わないのが、カテリナの堅物さだった。
何がいけなかったのか、行間とは何なのか、とんでもない致命的な穴が空いていたのか? カテリナは書類に穴が開きそうなほどみつめて、カリカリとペンを走らせた。
「……ィ、カティ。手を止めろ」
真剣に書類に向き合っていたので、そばにギュンターが立っていることに気づかなかった。きょとんとして顔を上げると、彼は横から手を出して書類を引き抜く。
「違う。足りないと言ったんじゃない。それは後だと言ったはずだ」
後だとは言われたがやらなくていいとは言われていない。カテリナの不満はたぶん目に現れていて、ギュンターの灰青の瞳も不機嫌に細められた。
「細かいところにこだわりすぎるな。いいか、俺が言いたいのは……」
彼が何か言いかけたとき、ノックの音が聞こえた。ギュンターは一つため息をついて、外向きの朗らかな国王の顔をまとった。
「入ってきなさい」
ギュンターがカテリナに対するのとはまるで違う優しい声をかけたとき、カテリナにはそこから春の名残のような甘い風が入り込んだように感じた。
「陛下、だめよ。祝祭の間はお仕事しないって約束じゃないの」
現れたのは、柔らかそうな亜麻色の髪を持つ令嬢だった。シフォンの青いドレスが星をまとうように似合い、声も足音さえも聞き心地のいい、彼女が精霊だと言われたら多くの人が信じてしまいそうなほど甘い風貌の持ち主だった。
ギュンターは微笑んで首を横に振ると、冗談めかして言った。
「アリーシャ、違うよ。ここでの私は身の回りのことを片付けているだけで、仕事をしているわけじゃない」
「嘘。陛下の嘘ってすぐわかる」
彼女はくすくすと笑って、戸口から中を覗き見た。
「お気に入りの部下を私にも見せてちょうだい? 噂になってるわ。ここの部屋にまで連れてくる部下なんて、今までいなかったもの」
彼女はカテリナの姿をみとめると、あら、と声を上げる。
「可愛らしい仕官さんね。まだ入隊して間もないくらいかしら。陛下の部下は大変でしょう? お疲れ様」
彼女はカテリナと変わらないくらいの年で、いたずらっ子のような邪気のない笑顔が愛くるしかった。同じ女性のカテリナでも照れくさくなって下を向いた。
目を逸らしながら、カテリナは想像を少しずつ確信に変えてきていた。彼女の存在は王城の末端で働くカテリナにも聞こえてきていた。
「理想の令嬢」、アリーシャ。社交界の華たる美貌と機転を持ち、王家に連なる血筋から生まれた非の打ちどころのない令嬢だ。
「困ったね、アリーシャ。何をねだりにきたの?」
「あら、心外。祝祭が始まったのに、陛下ったら自室にこもったまま出てこないから心配しているのよ」
ギュンターの腕をぎゅっとつかんで、アリーシャは笑った。
「お仕事は今すぐ終わり。でなきゃ、もう陛下とダンスを踊ってあげないの」
この方が、たぶん一人目なのだ。
腕を振りほどかずに苦笑したギュンターに彼女への好意を見て、カテリナはこれからやって来る未来を探ろうとしていた。